聖域の壊れる音










ギシギシギシギシ。
ずっと響き続ける音が止まない。



身体中が痛い。
身動ぎするのも辛い。
だから動かないでいた。
その細いけれど締まった腕の中でじっとしていた。
ひたすらに、じっと。
後ろから抱き込まれたまま。
二人分の熱を受け止めたシーツの居心地の悪さったらない。

動けないから動かないんだ。
・・・それ以上の理由なんて、ない。

「・・・なぁ、」
「・・・」
「なぁ、って」
「・・・」
「なぁ、中丸」
「・・・」
「・・・中丸、返事しろよ」
「・・・」
「・・・・・・明日って何時集合だっけ」
「10時」
「あ、やっと喋ったよ。もしかして寝たのかと思った」

しまった。
こんな簡単な手にひっかかるなんて。
・・・いや、いや。
俺は単に仕事のことを訊かれたから答えただけだし。
何の不都合もないはず。

「おーい」
「・・・」
「中丸ー」
「・・・」
「雄一ー」
「・・・」
「ゆうちゃーん」
「・・・」
「あ、ここ10円ハゲある」
「あるかっ!」
「・・・ごめんな」
「っ・・・」

こいつ、ずるい。
なんてずるい手を使う。
・・・いや、いや。
それは単にこの身体の痛みを謝られただけだから、たぶん。
何の問題もない。むしろ謝って貰わなきゃむかつくし。
だってほんと正直言って怖かった。
マジで痛いし辛いし逃げ出したいくらい。
こんなにも怖いと思ったことなんて、たぶん今まで生きてきた中で初めてだったんじゃないかっていうくらい。

「・・・も、いいよ。わかった」
「・・・何が?」
「何がって・・・だから、もうわかったって」
「何がわかったって?」
「だから、・・・もういいって、怒ってない・・・・・・いや怒ってなくはないけど、痛いし、・・・でも、もう、いいから」
「・・・・・・」
「俺、気にしてない、し、・・・ほら、男ならそういうこともあると思うっ・・・し、・・・うん、」

なんで俺の方がしどろもどろになってるんだろう。
怒ってるフリでシカト決め込んで、謝らせて、そんでなかったことにしようと思ってるのに。
この程度の芝居さえ満足に出来ない自分に苛立ってしょうがない。
でもお前だって酷いんじゃないの?
こんなことしてさ。なに?俺がなんかした?
怒ってるなら口で言えばいい。口で済まなかったなら素直に殴ればいい。
そのくせ、折角俺がなかったことにしようとしてるのに、なんでそんなに怒ったみたいな感じなんだろ。
・・・後ろからきつく抱き込まれていて顔は見えなかったけど、怒ってることくらい判るよ。
だってずっと一緒にいたじゃん。
そう思ってるのは俺だけなのかな。
だからこんなことしたのかな。

「・・・も、聖、いいからさ・・・ほんといいから、・・・離してくれよ」
「・・・やだ」
「やだ、って・・・ちょ、おい、もう離せってばっ」
「いやだ」
「おい、聖っ。いい加減にしろよっ」
「いやだったら、いやだ」
「った、こー、き・・・っ」

痛みに染みるその強い腕の力と、温もり。
身体中が痛い。
ジンジン痛む。
そしてギシギシ、ギシギシ、あの音はどんどん酷くなる。
まるで耳鳴りのように俺から離れない。
もはや痛みすら伴う程に。
だからそんなに強く抱きしめるなよ。

でもこいつ、ほんと俺に対してはわがままで。
俺の言うことなんて肝心なとこでいつも聞いちゃくれないんだ。
なのに反則だよ。
そのくせ耳元で囁くような声は妙に落ち着いているなんて。

「いやだ。・・・離さない」
「こーきっ!いい加減・・・っ」

もういやだ。
もうやめてくれよ。
ジンジン痛む。
ギシギシギシギシ、音が止まない。
心が、痛むんだ。

「・・・いいから、怒れよ」

その腕を解こうともがいていた自分の手がぱたりと止まる。
俺の肩口で呟かれた言葉は何処か悔しそうで、僅かに震えている気さえした。
声だけでも判ってしまう。
だってそれだけ一緒にいたんだ。
だから判ってしまう。

だって俺達コンビだろ?
もしかしたら親友とは違うのかもしれないけれど、誰より何より解り合ってると思ってた。
いつだって一緒にやってきた。
どちらかが落ち込んだ時はどちらかが励まして、どちらかが躓いた時にはどちらかが起こして。
誰より近い距離で、誰よりお互いのことを解っていて、誰も入り込めない。
そしてお互いが、大事すぎた。

「怒れよっ・・・!」
「こ、こー・・き・・・?」
「なんで何も言わねぇんだよ!なんで何も訊かねぇんだよ!」
「な、なに、なんで怒ってんだよ・・・」
「お前が怒らねぇからだろ!」
「なんだよ、それ、理不尽だろっ・・・」
「お前の態度こそ俺には理不尽だよ!・・・言えよ、訊けよ、一言くらい、」

聖は呟きながら俺の身体に手を滑らせた。
その指先が、首筋から胸、腹、・・・鬱血した痕を辿っていることにすぐ気付いて。
思わず息を詰めて頭を振る。

逃げ出したい。
逃げ出してしまいたい。
そうでないと痛むから。
ジンジン、ジンジン。
ギシギシ、ギシギシ。
身体以上に心が痛むから。

「やめろ、・・・聖、」
「なんでこんな酷いことすんだ、って。ふざけんな、って。言ってくれよ・・・頼むから」
「・・・そん、なの、・・・むり、」
「わかんねぇよ中丸・・・俺、お前がわかんねぇ・・・」
「・・・・・・」

ああ、どうして。
どうしてだろう。
俺達はまだまだ世間を知らないガキかもしれないけど、それでも一緒にいればなんだって乗り越えられると思ってた。
二人でいればどんな困難にも立ち向かえると半ば本気で思っていた。
勿論それはお前がいるからこそで。
いつだって強い輝きを放つお前がいるからこそで。
お前さえいれば、お前さえいてくれれば、大丈夫だと思っていた。
・・・俺は、お前が大事だった。
なんの取り柄もないようなこんな俺でも、お前がいてくれれば強くなれるかもしれないと・・・どこか夢さえ見始めていた。

「中丸、判るだろ?・・・こんなの、ゴーカンて言うんだよ」
「・・・」
「お前に酒飲ませてさ、無理矢理押さえつけてさ、突っ込んでさ。・・・ゴーカンだよ?お前、俺にゴーカンされたんだよ?」
「・・・も、いい。もういいって、」
「よくねぇんだよ!」
「ッ・・・!」

後ろから抱え込まれた身体が急に離されて、代わりに上からシーツに押さえつけられた。
その拍子に切れてしまったらしい後ろがジンジン痛んだ。
胸はそれ以上にギシギシと痛んだ。
精液と血の匂いが混ざったシーツの感触にまたジンジンした。
俺を見下ろしてくるその鋭い眼差しが、強すぎて、怖くて、でも泣きそうだから手を伸ばしたくて、でもやっぱり怖くて出来なくて。
心がギシギシと音を立てた。

「・・・なぁ、俺、もうお前がわかんねぇの」
「こ、・・・」
「お前も俺のことわかんねぇのかなぁ?・・・そうだよなぁ、いきなりこんなことしてさ。・・・最低だよ」

吐き捨てるように言うその声が震えていて。傷ついていて。
ああ、可哀相に、と思ってしまう俺はもしかしたら酷い奴かもしれない。
だって本当はすごく優しい奴なんだ。
こんなことをする奴じゃないんだ。
俺の自慢だったんだ。
俺がいなければ聖はこんなことしなかったのに。

「・・・」
「酷いこと、したくなかったけど。でも、もう無理だった。限界。・・・俺ら、とっくに限界だったんだよ」

限界。
ああ、それは確かにそうだったのかもしれない。
それだけは聖の言うことが理解できた。
いや、聖の言うそれと俺の理解したそれは、もしかしたら意味が違うのかもしれないけれど。

これ以上傍にいたらいけないということだったんだ。
だって俺にとって聖は聖域だったから。
何者も犯してはならない聖域。
そしてそれこそが限界。
これ以上なんて望まないつもりだったのに。
分相応が一番だと判っていたはずなのに。
強すぎる願いは確実に歯車を狂わせる。
それなのに気がついたら望み始めている自分がそこにいて、俺はそれ以上先に進めなくなってしまった。
進めるはずがないと判っていたのに。

「中丸・・・俺は、お前が、好きだったんだよ」

うん、俺も。たぶんそう。
・・・ああ、でも、もう過去形?

「好きだったんだ・・・」

俺の身体を上からシーツに押しつけて。
俺の胸の上に押しつけられた顔、そこから漏れ聞こえる嗚咽。
そして痛んではギシギシと音を立てる俺の心。
それはきっと、聖域の壊れる音。

痛い。
痛い。
ジンジン、痛む。
ギシギシと、軋む音がする。

聖域の壊れる音は夜の静寂の中にただ響いた。










END






(2006.8.13)






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