愛染玩具 6
暖かな湯といい匂いのするボディソープで身体を洗ってもらって。
時間をかけて丁寧に髪を洗ってもらって。
ふかふかの大きなタオルで拭いてもらって。
ちょうどいい温度のドライヤーで髪を乾かしてもらって。
なんだか夢心地みたいな気分。
小さな子供とかペットとかはこういう感じなのかなぁ、と河合はまだ少しぼんやりする意識の中で思った。
「ドライヤー熱くない?」
「ううん、ちょうどいいよ」
ごうごうと音を立てて発せられる温風が、後ろから河合の湿った髪を揺らす。
塚田がコンパクトなドライヤーを器用に操って満遍なく髪に当てているのだ。
適度な暖かさの温風が湿っていた黒髪を軽やかに舞わせ、ふんわりと熱を含む。
それをしっかりとした造りの指先が弄ぶように毛先を摘み、なおもドライヤーを当てながら眺める。
「髪ちょっと痛んできてるねぇ。トリートメントしてる?」
「んー、してるんだけど、しょっちゅう色いじってるし・・・だから最近黒くしたってのもあるんだけどさ」
「あ、それは俺もわかる〜」
「塚ちゃん今の色って相当痛みそうだよね」
「そうなの。ほんとかなりくるよ〜」
後ろからドライヤーを当てられているのに顔だけで振り返ると、その太陽みたいな眩い色が部屋の照明に当てられて透けて見える。
それに目を細めながらもじっとしていると、今度は羽織らされていただけだったシャツの裾に、前から大きな手がゆっくりと伸びてくる。
「ねぇ、そろそろちゃんと着ないと湯冷めしちゃうよ」
ギターの弦を爪弾く長い指先が器用にボタンをはめていく様は、本人のあまり器用とは言いがたい性質を思うとなんとなく不思議にも感じられた。
向かい合った相手のシャツのボタンを留めるというのは、なかなか難しいことだ。
外す方がまだ簡単だろう。
けれど実際のところ外すのはそう上手くもなくて、たまに勢いあまってちぎられてしまうこともあった、と目の前でゆっくりと動く長い指先を見て河合はそんなことをふと思い出す。
くるりと瞬く河合の瞳の中、不器用な指先がボタンを留め終わり、その上に着てきたカジュアルなジャケットを手に取る。
真正面から背中に腕を廻してそれを肩から被せるように河合の身体に着せると、河合の腕を片方ずつ持ち上げて裾を通させる。
シャツのボタンを留めるよりも更に難しい動作だ。
普段の戸塚からは信じられないくらい甲斐甲斐しくも感じる動きは、まさにこの時だけだろう。
目の前の、いつまで経っても少年のような仲間がこんなこともできるのだと、河合は初めて知った。
「寒くない?あとこのコートだけで大丈夫?外かなり寒いよ?」
最後にハンガーにかけられていたコートを手に、戸塚はどこか窺い気に覗き込んでくる。
後ろから塚田にドライヤーをかけられ、最後の仕上げとばかりにブラシで髪を梳かされる河合はまるで丁寧に身繕いをされる猫のようだった。
塚田と戸塚にこんな風に世話をされる河合なんて、いったい誰が想像できるだろう。
いくら子供っぽいなどと言ったって、それでも同年代のメンバーに何もかもやってもらわなければならない程に何もできないわけではない。無力なわけではない。
けれど河合は特にそれに抗うでもなく、そのまさに猫のような瞳を未だ微かに潤ませたままうっすら細め、やんわりと笑ってみせた。
「んー、だいじょぶ。今ほかほかしてるから。このまま速攻で帰ればぜんぜんいけるって」
「そう?・・・あ、もう帰る?じゃあ、俺も・・・」
ここは塚田の家で、ここから帰るなら河合と戸塚は同じ方向になる。
自らの荷物を視線で探す戸塚に、河合の髪を梳き終わったらしい塚田がふと思い出したように呟いた。
「あ、トッツー」
「ん?」
「ダビングするって言ってたあの番組、今やってる最中でまだ終わってないんだよね」
「あー、そっか・・・そうだそうだ。すっげ楽しみにしてたんだよね
「うん、たぶんあと10分か15分くらいで終わると思うんだけど・・・」
ちょうど前と後ろで挟まれたような形でそれを聞きながら、河合はぼんやりとした視界の端に映る置き時計を見ていた。
塚田の趣味だろうか、アンティークめいた味のあるそれの針がカチリカチリと時を刻む。
ここからそれなりに時間のかかる自宅へ帰るにしろ、まだ割と余裕はある時間だ。
そんなことを思いながら、河合はそこでようやく自ら身体を動かしてゆっくりと立ち上がる。
自然と塚田と戸塚の視線も上向く。
すぐそこに置いてある自分の鞄を手に取ると、河合はそれぞれを見下ろしてやんわりと笑う。
「じゃ、俺そろそろ帰るね。俺んち遠いしマジ田舎だから、すーぐ電車もバスもなくなっちゃうからさ」
「あ、でも河合ちゃん、危ないから俺も一緒に帰るよ」
「あはは、『危ない』って!トッツー俺をいくつだと思ってんの?もう二十歳だってば」
「そりゃそうだけど・・・」
「ていうか危ないならトッツーだって!童顔だし、可愛いから、変おじさんにさらわれちゃうかもよ?」
「でも河合ちゃん、」
「ほら、トッツーダビング待ちなんでしょ?大丈夫だって」
そう言って鞄を肩にかけて整える様に、戸塚はどこか納得できなさげに首を傾げ、無言で塚田を見る。
塚田はそれを受けて軽く苦笑して河合を見ると、肩を竦めてみせた。
「うん、じゃあ、気をつけてね。寄り道とかしちゃだめだよ?」
「しないって!・・・なんだかなぁ、もうトッツーも塚ちゃんもいつからそんなに過保護になったの?ていうか寄り道なんかしてたら俺マジ帰れなくなるし!」
「だって心配だもん。ねぇ、トッツー?」
「そうだよ。心配だよ」
そうやって顔を見合わせる様はどこか微笑ましくさえ見える。
いつまで経っても、大人になっても、どこか可愛らしさを漂わせる二人。
でも、決して可愛らしいだけではない、そうではなくなった、二人。
河合は未だ身体の奥に何かが残っているようにじんじんと痺れる感覚を持て余しながら、軽く胸を叩いて大きく頷いてみせた。
「だいじょぶです!俺もう大人だから!」
「はいはい、大人ね〜」
「大人かぁ・・・」
「・・・なにその含んだ感じー」
含むように笑う二人にわざとらしく唇を尖らせてみせてから、河合は最後に身だしなみを確認して小さく頷く。
「じゃ、ほんとに帰るわ。おつかれー」
そう手を振ってみせると、塚田と戸塚も笑顔で手を振り返す。
けれど玄関に向かうべく背中を向けた後も同じように笑っているとは限らない、河合はついそんな風に思ってしまった。
たとえ同じに見える笑顔だったとしても、自分がいつもの顔の下で既にそうではないように、塚田と戸塚だって、もしかしたら。
いや、もしかしたらなんて可能性の問題ではなくて、それは恐らく既に現実としてそうで。
強く望んでいるくせに信じられないのは、既にそこに頑として存在する現実を受け入れ始めているからだろうか。
ずっと痺れたままのような頭で聞いた、何気なく背中にかかった二つの声には、もはや一度振り返って言葉もなく頷くだけだった。
『俺ら以外の人のとこに、寄り道しちゃだめだよ?』
『今の河合ちゃんは、とっても、とっても、危ないから』
メンバー。仲間。友達。
共に夢を叶えたい、ずっと一緒に在りたい存在。
けれど今の関係はどうだろう。
執拗な愛撫と、甘い囁きと、強い腕と、熱くて堪らない塊と。
それらに震えて悶えて喘いで求めて貪って。
求められるままに自ら身体を全て差し出して、酷使されて指一本動かせないような身体を洗ってもらって、ベタベタに濡れていた髪を乾かしてもらって、もう見られていない部分なんてないんじゃないかと思える細い身体に服を着せてもらって。
そんな風に扱われることが、関係が、メンバーだろうか、仲間だろうか、友達だろうか?
ずっと一緒に在りたい関係だからと、それを頑なに守ろうした末の末路なのか?
望んだ形は果たしてこれだっただろうか。
今もなお探している、求めている、彷徨っている。
だけど見つからないから、止められない。
今の自分はまるで飼い猫のようだろうか、と河合は考える。
そして一人ふるりと頭を振る。
子供なんかじゃなく、大人にもなれず、飼い猫ですらなく。
自分の身体をただ繋ぎ止める道具のように差し出しているだけの、そこに繋ぎ止めたい人の数だけ上手に分けて与える、壊れない限り何をしても誰も咎めない。
まるでおもちゃだ。
外に出ると、河合は冷たい空気に深く息を吐き出して、その場でぼんやりと快晴の夜空を見上げた。
ここは河合の地元ではないが、都心よりもまだ空は綺麗だ。
けれどついこの間都会のど真ん中で見上げた時と比べて、星がますます見えなくなっているような気がするのは何故だろう。
空のせいではないのなら、自分の瞳のせいだろうか。
誰もが、彼らとて綺麗だと褒めてくれた、この瞳だったのに。
河合はゆっくりと歩き出す。
まるで触れすぎて腫れたように、常よりもなお艶やかに赤い唇の端を歪める。
その唇にぽつんと雫が当たって濡れた。
翼は買い物を済ませると、相方の家に向かうべく携帯でメールを打っていた。
もうすぐ始まるツアーに向けて最終調整をしようという話になっていたのだ。
お互い気付いた細かい部分やまだ手直しできる部分、それらはまずスタッフに言う前に、お互いがお互いに伝えることにしていた。
それは二人でずっとやってきた滝沢と翼の、特別言葉にしたわけでもない自然なやり方だった。
買い物に思った以上に時間がかかってしまったから、相方くんはもしかしたら盛大に拗ねているかもしれない、なんて。
翼はなんだか内心でさえふざけたように思いつつ、表情だけで小さく笑って手早くメールを打つ。
ニコニコマークの絵文字でも入れとけばいいかな、と適当なことを思いながら。
後輩誰からも慕われる懐の深さがあるくせに、反面いつまで経っても妙に子供っぽいところがある滝沢だから。
隙のない細身の黒のジャケットとパンツで身を固め、極め付けに黒のサングラスをかけて歩く翼の姿はどうにも目を引く。
それは何も「タッキー&翼」の今井翼だと気付かれているという意味ではなく、単純にその姿に目を惹かれるという意味でだ。
そうして時折年若い女性に振り返られる中、翼は携帯のディスプレイを閉じてパンツのポケットにしまったところで駅に着いた。
改札を通ってホームに出る。
すると途端に強い風が吹いて、思わず寒さに軽く身を竦めた。
電光掲示を見ると、次の電車が来るまであと10分程待たねばならないようだ。
その微妙な時間に、ホーム内にあるコンビニにでも入っていようかとも思う。
しかしそうして何気なくコンビニの方に目をやると、その灯りに煌々と照らされたベンチに誰か年若い男が背中を預け、だらりと俯いて座っているのが見えた。
眠っているのだろうか。
コートを着込んでいるからそれなりに暖かいのかもしれないが、細身のその身体はなんとなく見ていて寒い。
そう思った途端再び強い風が吹いた。
寝ているのかどうかはわからないが、正直この吹き晒しの中でそれは身体に良くないことだけは確かだ。
しかしだからと言ってわざわざ忠告をするのもお節介にも思える。
これが女性ならともかく・・・と、そこで翼はふと何かに気付いたように目を凝らした。
風が吹いた拍子にその柔らかそうな黒髪が舞い上がり、俯きがちな横顔を晒したのだ。
高く通った鼻筋と、伏せられてもなお長い睫、男にしては随分つやつやした赤い唇。
「かわい?」
思いもよらぬ顔に思わず呟いていた。
そうして更によく見ればやはり間違いない。
よく自分達のバックについてくれる、特に相方がお気に入りにしているグループの最年少だ。
何故こんなところに?
当然のような疑問を抱きつつ、翼はゆっくりとそのベンチに近づいていく。
河合の住んでいる場所は確かこちらの方ではなかったはずで、この沿線は使っていなかったと記憶している。
それこそ、「東京とは思えないくらいすっごい山ばっかりなんですよ!マジ田舎で!でも緑多くて好きなんですけどね。タヌキとかいるし」なんて、本来きつい造りの顔を崩して笑っていたことを思い出す。
翼は海の町で育ったから、そういう山育ちの者の言葉をなんとなく楽しく聞いていたから憶えているのだ。
その見た目のイメージに反して意外と純朴で擦れていないのは、そういう環境で育ったせいかな、なんてことも思った気がする。
そう、その幼い頃から知っているけれど、いつまで経っても純朴で、人好きで人懐こくて、仲間想いで、グループをとても大事にしている、相方程密に接しているわけでもないけれどそのくらいは知っている、そんな青年。
そう言えば確か最近二十歳になったばかりだったはずだ。
しかし・・・と翼は軽く眉を寄せ、その隣にゆっくりと腰を下ろした。
俯いてすやすやと寝息を立てるその身体の逆側の地面に、よく見れば缶ビールが一つ置かれていた。
逆側に廻って手に取ってみれば、まだ半分以上残っていた。
もしも彼のものではなければと、そう思ってその寝息に顔を近づけてみるけれど、残念ながら微かにアルコールの匂いがした。
別に缶ビール一つ飲むくらい、成人した今となってはなんの問題もない。
たとえ駅のホームのベンチでそのまま眠ってしまっているような、そんなどうしようもない姿を晒していようとも、そこら辺ももはや自己責任の域だろう。
もちろん知らない相手ではないから、先輩として乱暴に頭を叩いて起こしてやるくらいはするだろうけれども、心配して、なおかつお説教してやるようなことでもない。
そういうのは自分の相方の役目だと翼は思っていた。
ただ、そうは思っても放っておけない時もある。
俯いたその頬に微かに濡れた痕などあれば、なおのこと。
「どうしたもんかな・・・」
翼はもう一度その隣に腰を下ろすと深く息を吐き出して、その眠る横顔を窺うように見る。
元々の顔立ちは彫が深く中性的に整っていて、真顔ならグループのメンバーよりもよほど大人びている。
むしろ中身を度外視すれば、ようやく成人したのかと思う程だ。
けれど今そうして力なく俯いて眠る横顔はどうにも幼さが拭えない。
風に揺れる柔らかな髪が、僅かに摂取したアルコールのせいか微かに紅潮した頬が、水滴を含んだ長い睫が、妙に手を伸ばしたい気にさせるのだ。
翼は一瞬考えるように視線を巡らせ、ホームの時計を見る。
あと4分程で電車が来るだろう。
ポケットから再び携帯を取り出した。
けれどメールを打つでもなく、慣れたボタンをいくつか押すとそれを耳に当てた。
「・・・・・・あ、俺。・・・あー、まだもうちょっとかかるかな。それよりさ、一人連れてくからよろしく。あったかいお茶でも用意しといてやってよ。・・・え?誰って・・・ああ、」
言葉をいったん切ると、そこに滑り込ませるようにもう一度視線をその寝顔にやる。
泣きながら眠るのは子供だ。
けれど酒で誤魔化そうとするのは大人だ。
じゃあ、今目の前にいるこの青年は、いったいどっちなのだろう。
「・・・迷子の仔猫さん、かな。・・・じゃーね」
一方的に電話を切って携帯を畳む。
そこで一つ息を吐き出すと、それが白くもやを作って空気に溶けた。
そこで翼は巻いていたマフラーをおもむろに外し、その細い首に巻いてやった。
けれどそのうっすら開いた唇は、何事か言葉を形作ったようには見えたけれど、特に目覚めることはない。
電車が来るまであと2分。
どうせ乗る時には無理矢理叩き起こすことにはなる。
もしも起きなければ抱えるなりなんなりして連れていくしかない。
翼はまんじりとそんなことを思って電車を待った。
この子はいったいどこへ行くつもりだったんだろう、そんなことを思いながら。
TO BE CONTINUED...
つばっさんが出るとかね。まさかの(笑)。
しかしどんどんどんどん歪みがひどくなっていて自分でも書いててうわあって感じです。
あと今回分はそういうシーンもちゃんと書こうかと思って止めました。
さすがに・・・あんまりで。ていうか別にこの話はそういうシーンがメインなわけではないんだ。それなら2310行きなんだ。
まぁそろそろ佳境・・・?
(2008.2.20)
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