バランス 後編
静けさが戻った部屋には、未だポーズのかかったゲーム画面だけがただ虚しくそこにあった。
もう再開されることはないだろう。
けれど電源ボタンを押すために手を伸ばす気力すら、今の横尾にはなかった。
軽く乱しただけだったジーパンの前を整えると、そのまま猫背気味に座ってぼんやりとしている。
その視界には、ぐちゃぐちゃに散らかる服の中に四肢を投げ出してくったりと横たわる華奢な身体があった。
存外に白い肌が未だうっすらと染まったままに晒されて、狭い肩と薄い背中が上下している様が、今この世界で動くものの全てだ。
しかしそれも段々となくなっていく。
横尾がその身体を解放してから、既に10分程度は経っていただろう。
強引に開かされて、ありえない場所を酷使された身体も、ひとまず落ち着きを取り戻したようだ。
とは言え、その中にあるものは同じ性を持つ者の精であり、その一点に置いてその身体は未だ常を取り戻せずにいるだろうけれども。
横尾の視界にはその狭い肩と薄い背中が映っていて、顔は見えない。
向こうもこちらを向くことはない。
だから表情などわからない。
それは最中から既にそうだった。
河合が頑なにこちらを見ようとしないから、勢い任せに俯せに床に押さえ付けて、腰だけを掲げさせるような体勢で、有無を言わさず熱をねじ込んだのだ。
行き場を無くして暴走した想いごと、全てその折れそうな程細い腰を掴んで、ぶつけて、押しつけた。
そこには睦言も嬌声もなかった。
もしかしたら涙はあったかもしれないが、横尾には見えるはずもかったし、あったとしても全てカーペットが吸い取ってしまっただろう。
横尾は今まで同性を好きになったことなどなかったから、当然男同士のやり方など知らなかった。
女にするのと同じようにできるわけもないことくらいはわかっていたけれど、実際には女にするよりももっと手酷いやり方をした。
それはもはや性交ではなく、ただの暴力ですらあったかもしれない。
それでもそこには愛があったと、そう言えばまだ聞こえはいいかもしれないが、所詮こんな行為を強いられた側の河合からしてみれば同じことだっただろう。
しかも親友だと思っていた男からされたこんな仕打ちは、暴力よりもなお酷いかもしれない。
性交ではなく、ただの暴力、もしくはそれ以下のもの。
それは快楽など欠片も感じなかった、ただ痛みだけを感じた、その意味でもそう言えたのかもしれない。
焦がれた存在、望んだ心、欲した身体。
けれどそれを両腕で抱え込んで、想いと欲望の丈をぶつけるように熱を埋めたその中は、熱く絡みついて止まなかったけれど、頭の奥まで痺れさせてどうしようもなかったけれど、決して快楽をもたらしはしなかった。
ただその折れそうに細い腰を掴んで乱暴に揺する度、華奢な身体が視界いっぱいに人形のように跳ねる度、ただズキズキと何かが痛んだ。
いっそのこと全部捨てて力ずくで手に入れた方がマシ、そんな風に思っていたけれど、現実にはただ捨てただけだった。
手に入れられたものなど何一つとしてない。
河合は後ろから人形のように犯されている間、何も言わなかった。声の一つも上げなかった。
ただ酷く扱われる度にどうしても漏れてしまう、声を殺した末の小さな呻きくらいなもので。
なんでだと、どうしてだと、そう詰ることすらしなかった。
親友だったはずの男が自分にそんな理解できない酷い仕打ちをしているのに、ただされるがままだった。
ただひたすらに耐えていた。ひたすらに震えながら耐えていた。
耳朶を真っ赤に染めながらその細い指先の爪をきつくカーペットに立てるだけで、ただ早くこの時間が過ぎ去ればいいと、そんな風に。
もしかしたら、河合にとっては自分を後ろから無理矢理に犯す男など、もはや親友などではなかったのかもしれない。
そう、だって横尾が言ったのだ。
俯せに押さえ付けた身体にのしかかり、耳元で冷たい声で、熱い吐息を交えて。
『お前なんか、もう友達でもなんでもねえよ』
もしも親友ではなかったら、言えただろうか。
きちんとその瞳を真っ直ぐに見て、好きだと、そう言えただろうか。
この両腕で力一杯そして優しく、抱きしめてやれただろうか。
飽きるくらいに、離れることを厭う程に、口付けることができただろうか。
そして、その本来整ったきつい顔は、ふにゃりと相好を崩して笑ってくれただろうか。
それとも、親友にこんな想いを抱いたこと自体が、最初から罪だったのか。
それからまたどのくらい経っただろう。
ぼんやりとしたまま微動だにしない横尾の視界の中、背を向けて転がっていた華奢な身体がぴくりと身動いだ。
のそりと緩慢な動きで上半身を起こし、微かに震える手が見もせずに探るように床を這い、衣服をかき集めている。
落ち着いたとは言ってもやはり身体は辛いのだろう、服をたぐり寄せる手も、シャツに裾を通す腕もおぼつかない。
しかもそのシャツは横尾が強引に引きちぎるように脱がせたから、きっとボタンがいくつか飛んでしまっていて、きっと正面から見たら無惨なことだろう。
けれど河合は何を言うでもなく、ただ細い背中を向けたまま、やや俯きがちに残ったボタンを留めているようだった。
そして下着とカーゴパンツを手にとって、脚をゆっくりと前に伸ばし、片方ずつなんとか通していく。
けれどやはりとりわけ下半身がきついのだろう、なかなかそれは上手くいかない。
少し進めて手を止めて、また少し進めて手を止めて、その繰り返しだ。
手伝ってやろうかと一瞬だけ思ったけれど、それは当然のように躊躇われて、横尾はただその姿を視界の中に入れておくことしかできない。
もぞもぞと緩慢に動くその細い後ろ姿が頼りない。
ああでも、そんな華奢な身体でも、女を抱くことはできるのだ。
当然だ。河合は男で、ついこの間までは彼女だっていたのだから。
けれど横尾は抱いている最中も何度もそんなことを思った。
彼女には優しいのか、気遣ってやるのか、過ぎるくらいに慣らしてやるのか。
照れくさそうに、そのくせ聞いたら赤面しそうな愛を囁いたりもするのか。
今抱いている身体が、そんな当たり前のことをしている姿を想像して、ますますどうしようもない気持ちになって。
いっそそんなことをできなくさせたいくらい、この腕の中でただ乱されるだけであればいいのになんて、もはや最低以下のことを考えながら抱いた。
親友という何よりも強固な鍵で封印されていた獣。
それは一度解き放たれればもはや手が付けられない勢いと凶暴さで、その華奢な身体と、何よりの信頼と親愛を寄せてくれる心を、根こそぎ食らい尽くした。
河合はようやく下着とカーゴパンツを穿き終わると、小さく息を吐き出す。
そのまま暫く俯いたまま黙っていた。
けれど再び顔を上げると、のろのろと床に手をついて身体を少し向こうにやると、脇に置いてあった肩掛け鞄を手に取る。
その一連の動作も横尾からは顔が見えない。
もう、ただの一度もその表情を見せずに自分の前から消えるつもりかもしれない、そんな風に思った。
そう思えば、既にここに来た時からそうだったのだ。
ゲームをしている間だって、河合は画面をじっと見ていて横尾の方など見なかった。
思い出してみれば一度として。
既にその時から河合の中で自分は友達でもなんでもなかったのかもしれない、そう思うとなんだか無性に虚しくなった。
未だ微動だにしない横尾の視界の中、河合はそのままのろのろと四つん這いでドアの方に向かう。
起きあがることができない程に辛いのだろうか。
だとしたら今すぐに帰るのは困難だろう。
しかも既に時間も時間だ。
河合の家は遠いから、もしかすると既に終電がないかもしれない。
そんなことを思う傍で、河合はゆっくりとゆっくりと、それでも一歩ずつドアに近づいていく。
横尾の視界から消えていく。
引き止めることなどできようはずもなかった。
そんな身体でもなんとしてでも帰ろうとする程に、ここにはもういたくないのだろうから。
河合はドアまで辿り着くと、ドアノブに手を伸ばし、掴み、それを支えにしてなんとか立ち上がる。
なんとか立ち上がることはできたようだが、微かに脚が震えているのが視界の端に映る。
ドアがゆっくり開く音がする。
それが再び閉まったら、もう本当に終わりだと、ぼんやりと思う。
明日からきっと、話すことさえできなくなる。
全て捨てるというのはそういうことだ。
あの惜しみなく向けられる愛情はもはやないのだ。
よこお、よこお、よこお、と。
しつこいくらいにそう呼んで、顔をふにゃりと崩して笑いながら見上げてきて、暇さえあれば抱きついてきたりしがみついてきたり、そんなかけがえのない温もりは、もう、二度と。
視界からその姿が歪んで消える。
ぼやけて見えないのだ。
熱くて苦しいものが溢れかえって、河合を消してしまう。
それでも求めて止まないのに、それなのに。
せめて押さえ付けるようにと手のひらで覆ったら、濡れて、濡れて、ただ自分の弱さを思い知らせただけだった。
「・・・よ、こ」
その時、掠れた声がぽつんと聞こえた。
反射的にそちらを見ると、河合は何故かドアの前に再び座り込んでいた。
やはり身体が辛くて歩けないのだろうか。
けれど向けられた薄い背中と、俯きがちになったことで短く柔らかな髪が垣間見せる細いうなじが、今確かに横尾を呼んだ。
「よこ、・・・・・・おれ、あの子のこと、好きだったんだ、よ・・・」
掠れた痛々しい声で紡がれるのは、なおも横尾の傷を抉るものだったようだ。
横尾はもはや無言で目を細める。
そんな風に痛めつけられてもなお、そう言える程に。
そこまで想っていた彼女の心を奪った男に、更に最悪な方法で自らさえ奪われた河合が、心底哀れに思えた。
「あの子が、横尾のこと、好きって言った時・・・なんか、なんか、ぜんぶ・・・ぐっちゃぐちゃになった・・・」
それはそうだろう。
大事な彼女に親友を好きになられてしまったなんて、どうしようもない。
河合は俯いたままぐしゃりと髪をかき乱して、ギュッと膝を掴んで、一つ一つなんとか確かめるように言う。
「なんで横尾、って、思って・・・なんで横尾なの、って・・・。横尾は・・・横尾だけは・・・」
微かに震える語尾が頼りなくて、語尾動揺に震える細い後ろ姿が凍えているようにさえ見えて、そのまま後ろから包むように抱きしめてやりたくて、でもできるはずもなくて。
横尾はただ唇を噛んで見つめることしかできない。
「横尾だけは、だめだって・・・・・・言って、だって、だめだ・・・なんでだめって、言われて・・・だめに決まってるって・・・」
的を射ない辿々しい言葉は、次第に震えを大きくしていく。
それはその身体中に伝わって、まるで抱いている最中のように、ただ震えるばかりで。
その耳朶を真っ赤にして。
酷い痛みに耐えて、それでも何かを堪えて。
「友達だから?って・・・そうだけど、そうじゃなくて・・・そうなんだけど、でも、ほんとは・・・ちがって、て・・・ちがってたんだって、」
横尾の視界に再び河合がはっきりと映る。
未だ少しぼやけたままだけれど、震えているその後ろ姿が、何かに重なって見えるから。
それは、そう、まるで鏡向こうの自分のような。
「ごめん、ごめん、ごめん・・・傷つけてごめん・・・っ」
傷つけられたのは無理矢理に犯された自分なのに、どうしてそんなことが言えるのか。
後ろから耳元に絶えず聞こえた、呻くように繰り返し呟かれる自らの名は、そんなにも傷ついて聞こえたのか。
「そんなつもりじゃなかった、でも気づいちゃって、どうしようもなくて、苦しくて、・・・なんで、大事な友達なのに、傷つけちゃうんだろ・・・なんで、友達なのに、」
そんな苦しくてどうしようもない、傷つけられた身体で帰ろうとした、けれど寸でのところで留まってしまった、その意味は。
それでも捨てきれない何かなのだとしたら、その意味が同じなのだとしたら。
「ふみ、と・・・?」
横尾も同様に掠れた声で、ようやく発したその名。
まるでそれを皮切りにしたように、河合は喉から振り絞るように吐き出した。
「なんで、ともだちなのに、好きになっちゃったんだろ・・・っ」
それは河合が生まれて初めて感じた、目も眩むような独占欲だった。
苦しくて、苦しくて、醜い感情が溢れかえって、つい一瞬前まで愛しくて仕方がなかった彼女がどうしようもなく憎く思えた。
結婚なんて夢のように柔らかく綺麗な偶像が一気に塗り潰されて、目の前に残ったのはいつからか心の奥底に降り積もっていた目の逸らしようのない想いだけで。
自分からあの親友を奪うなんて、誰であろうと許せない、耐えられない、そう思った瞬間に、河合の中で何かが終わった。
「だからもう、見れないって、思ったんだ・・・」
もう今までのように無邪気に触れ合うことも、笑い合うこともできない。
少なくとも思い知った想いを固く秘めたままに、友達の距離を保つことなど。
その気になれば彼女くらいすぐに作れてしまう、そんな横尾に次またそんな存在が現れたら、もうその瞬間の自分を思い描いただけで、どうしようもなくなった。
今まで大事で大事で宝物のようですらあった、親友という関係が辛いものに思えてしまうかもしれない。
そのことこそがどうしようもなく苦しかった。
どうせならいっそのこと、何もかもめちゃくちゃになってしまえば、そうしてくれればいいと、そう思った。
けれど結果は後悔しか残らなかった。
この手には何も残らなかった。
自分の身勝手な想いに横尾は傷つけられて、河合の身体にこれ以上ない痛みを刻むように、自らの心にこれ以上ない痛みを刻んでいた。
後ろから容赦ない熱で抉られて突き上げられる度に、それをまざまざと感じて、それでも握り締めようとする手が解けては、今まで培ってきた絆がこぼれ落ちていった。
「・・・好き、なんだ」
そして最後にこぼれ落ちるのは、それでも変えようのない想いだけで。
「横尾のこと、好き、なんだ・・・・・・ごめ、・・・ごめんな・・・」
好きになってごめん。
言えなくてごめん。
今更気付いてごめん。
傷つけてごめん。
親友という、何より大事な関係を、台無しにしてごめん。
河合は繰り返しそう呟いて、震える身体を僅かに開いたドアの向こうに押し込むようにして出て行こうとする。
視界から今度こそ消えていくそれに、横尾は気付けば動いていた。
その後ろ姿を捕まえるように、ドアに手をかける。
「・・・ッ、う、」
しかし勢いがあまりすぎて、まるでさっきのように後ろから押しつぶすようにしてもつれて倒れ込んでしまう。
ただでさえ酷使されてろくに身動きの取れない河合の身体は悲鳴を上げて、口からは呻き声が漏れる。
横尾は慌ててその身体を抱きしめるように腕の中に起こした。
「わりっ・・・マジ、ごめん・・・」
「・・・・・・すげ、いたいけど、へーき」
「ごめん・・・・・・ごめん、・・・謝るのは、俺だろ・・・」
「・・・からだなら、へーきだって、これでも鍛えてるから、」
「それだけじゃねーよ、・・・そうじゃねーよ・・・」
横尾は廊下の床に座り込んで、腕の中に収まった身体を後ろから力いっぱい抱きしめた。
さっき散々感じた熱と匂いが再び蘇る。
すぐさま再び貪ってしまいたいくらいに、それはやはりここへ来ても甘美で愛しくて、けれど今はただ泣きたいくらいに大事で。
抱きしめた身体を癒すように、首筋に唇を押し当て、それから耳朶に移動させて囁く。
「俺は、気付いてた・・・気付いてたけど、言えなかった・・・」
「きづいて、た?」
ぴくんと反応する身体を、更に強く抱き竦める。
こぼれ落ちた全てを再び拾い上げるように、それでもなお欲張りに欲するように。
「友達にマジで惚れたなんてさ・・・言えなかったんだよ・・・」
「・・・ま、まじ、」
「マジ、大マジだっつの・・・」
「でも、」
「だからっ・・・お前があんなこと言うから、もう友達も無理なのかって・・・」
「ごめ、でも、横尾が怒るから・・・」
「怒ってねーよっ」
「お、おこってたじゃん、・・・こわかっ、た」
「・・・わりぃ」
「でも・・・泣かせちゃったから、おあいこ、かな・・・」
「・・・・・・お前のが泣いてるだろ」
「俺のは生理現象だもん・・・」
「お、俺のはあれだよ・・・」
「あれ・・・?」
「もう、お前に会えないのかなって思ったら、すげえ悲しくなってきて・・・」
「・・・好き?」
「・・・うん」
「・・・マジで?」
「・・・何度言わせんだよっ」
そこで腕の中が再び身動ぐ。
それを押さえ込むようにもっと強く抱きしめる。
けれどなおも身動ぐ身体が、なんとか顔だけで振り返って、見上げてきた。
真っ赤になった潤んだ瞳で、ふにゃりと顔を崩して、ぐしゃぐしゃに濡らして、紅潮した頬から長い睫まで濡らして、ただじっと。
そこに絡んだ視線は確かに無言で語った。
本当は、何もなくしてなんかいないと。
「・・・なぁ、でき、る?」
「え・・・?」
掠れた小声は熱が籠もって聞き取りづらい。
耳を澄まして近づけると、まるで吐息のような言葉に心を鷲掴みにされる。
「友達に・・・友達でも、キス、できる・・・?」
赤く熟れたようなその唇が目の前にある。
その狭い肩口に顔を埋めるようにして、そっと触れた。
そこから伝える一言目。
「・・・お前が、好きだから」
だからできる。
友達だけど、好きな奴だから、できるし・・・したい。
その囁きの最後は、今度は向こうから近づけられた赤い唇にやんわりと消えて、その後の言葉はもはや吐息に紛れて続かなかった。
END
微妙な長さなので前後編に分けたんですが、これでもまだ書ききれなかった気配。
ご、後日談というかこの後でも書くかな!ちゃんとラブラブしたい!(それ)
とりあえず結論としてはどうしようもないバカップルでした、みたいな・・・。
お互い気付かず独占欲丸出しわたふみ。可愛いやつらめ。
あ、本番書くつもり満々だったんですが、なんとなく空気的に止めました。
・・・後日談で書くかな!(まだやる気か)
(2008.2.27)
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