バタフライ
久方ぶりの丸一日のオフ日。
河合は唐突な一件のメールだけで五関宅に押しかけていた。
休みが余程嬉しかったのか、買い物に行こう!と河合は盛んに急かしてきた。
それに対して読みかけの新書をあと四分の一程残していた五関は、せめてこれが読み終わるまで待て、とまるでごはんをねだる犬にお預けを食らわせるが如く、暫し文字の羅列に意識を集中させていたのだが。
ラストの部分を目で追っていたところでふっと意識が浮上する。
何故だか思い出してしまったからだ。
暇そうにベッドに転がり、そこら辺に置いてあった雑誌を適当に流し読みしては足をぶらつかせていた河合を見る。
「そういや、苦情がな、来てるんだけど」
「んー?苦情ー?」
ようやく読み終わったのか、と少し嬉しそうに河合は上半身だけを起こす。
さっきごろごろと転がっていたせいなのか舞台のために染めた綺麗な黒髪がボサボサになっていて、五関は思わず小さく笑ってしまった。
「そう。藤ヶ谷と横尾と北山から」
「は?なんで?」
「ステージ上でお前がやたらとちょっかいかけてくるって」
「・・・苦情?なにそれ苦情なの?」
「うん、一応苦情。どうにかしてくれって言われたし」
「ちょ、心外なんだけど!単なるじゃれ合いじゃん」
「まぁ、そうなんだろうけど。事実三人に次々と言われた」
「ていうかさぁ!・・・なんで五関くんに言うの」
「さぁ」
「嫌なら直接俺に言えばいいじゃん。なんか感じわるー」
河合はつまらなそうにベッドのシーツをボフボフと手で叩く。
確かに河合は、先輩のステージにバックで出演する時なんかは必ずと言っていい程一緒になるキスマイのメンバーによく絡む。
特に上の三人は同年代だし付き合いも長いから気心も知れているのだ。
先輩のバックとは言えやはりステージに上がるとテンションは否が応でも上がる。
とりわけ河合の本番でのテンションの上がりっぷりは有名で、普段から騒がしい男ではあるが、それは最早手が着けられない程のものになる。
それに加えて元々の性質が大層人懐こいので、たとえば観客に向かって手を振っている時など、近くに親しいメンツがいれば即ロックオンで寄っていく。
上がりきったテンションと楽しい気持ちを共有したいのだ。
それなのに苦情とはいくらなんでもあんまりではないのか。
しかもよりにもよって五関に言うだなんて。
それじゃまるで子供の悪戯を親に言いつけるのと同じだ。
河合は若干不機嫌な様子で再びベッドに転がる。
それをなんだか横目で面白そうに見ては、腰掛けたパイプ椅子でくるりとそちらに向き直る。
「投げキッスだって?」
「は?」
「藤ヶ谷。一公演の中で三回はされたって」
「や、だって藤ヶ谷って何回やってもきょどるし、きょどった挙げ句にぷいって顔逸らすからおもしろいんだもん」
「恥ずかしいんだってさ」
「あははー、たいぴーはいつまで経っても純だなー」
同い年の藤ヶ谷は顔立ちこそ男前だし背もそこそこあるし、その上キャラも面白い。
そのくせ妙に純粋で擦れていないところがあって、そのギャップがなんだか好きなのだ。
「あと、後ろから抱きついてくるって?」
「ん?」
「横尾。いきなり全力でしがみついてくるからびっくりするって」
「あー、だって横尾ってなんか安心するんだよね。飛びつきたくなる」
「抱っこちゃん人形みたいだってさ」
「なにそれ。いいじゃん、可愛いじゃん」
「自分で言うな」
「あはは!」
横尾はキスマイのメンバーの中でもとりわけ仲がいい。
歳は向こうが一つ上だけれど、よく買い物なんかも一緒にするし、気が合うし、一緒にいて安心できるのだ。
「それと・・・北山」
「北山ねー。でも俺北山にはそんなに絡んでないと思うんだけど」
もちろん仲が悪いわけではないけれど、藤ヶ谷や横尾に比べると、そんなにスキンシップは図っていないと思う。
首を傾げて考える河合に曖昧な笑みを向けつつ、五関は至極あっさりと呟いてみせた。
「あいつにちょっかいかけすぎだからなんとかしろ、って」
「あいつ・・・?」
「つまり藤ヶ谷のこと」
「藤ヶ谷・・・?藤ヶ谷にちょっかいかけんのが嫌ってこと?」
「そういうことかな」
「うわあ・・・北山嫉妬深いなー」
「ああ見えてな」
「別にほんとにチューしてるってわけでもないのになぁ」
あんなものは単なるその場のノリとテンションだけで成り立っている代物だ。
だから河合としてはまさか北山にそんな風に思われているとは思わなかった。
藤ヶ谷に対する態度を傍目から見ていると、好きな子をいじめるのが趣味としか思えないようなあの童顔大学生も、意外と可愛いところがあるんだなと思うと面白い。
ただそんなことを口にしようものなら、あの多彩なボキャブラリーから繰り出される容赦ない言葉にめためたにされるのは目に見えていたから、絶対に言わないが。
「でも、なーんかちょっとショック」
「ショック?」
「だってさ、そんな苦情って程嫌がられてたなんて。俺としてはほんのスキンシップのつもりだったのに」
転がったまま横顔をシーツに押しつけて呟く。
河合は周りの人間が大好きだし、いつだって好意を表現したいし、確かに悪戯のような面もあるにはあるけれども、その根本はやはり好意でしかないのに。
相手がそう受け取らなかったらそれは結局駄目なんだろうな、となんだかしょんぼりした気持ちで思った。
少しだけトーンの落ちたその呟きに五関はふっと苦笑する。
その実それは河合のその様子自体にというよりか、どちらかというとそんな顔をさせてしまった自身にだ。
ずるい手段を使っている自覚はあった。
「別に嫌がってるってわけじゃないと思うけど。苦情、って言い方はちょっと語弊があったかな」
「でもさー、事実どうにかしろって言われたんでしょ?」
「・・・まぁ、なんていうかな、別にそれ自体はいいらしいんだけど。・・・ああ、北山はともかく」
「ん?なに?どういうこと?」
軽く言い淀む様に不思議そうに目を瞬かせる。
眼鏡をすると当たってしまう程の長い睫は、五関の位置から見ても音がしそうだ。
「・・・俺がいけない、ってさ」
「へ?五関くんが?なんで?」
「俺がろくに構ってやらないから、そういうことをするんだって」
「な・・・ちょ、何言ってんの?え?マジであいつらそんなこと言ったの?」
「まぁ、そんなようなことを」
「信じらんない・・・ありえない・・・」
河合はいたたまれなさそうに顔を俯けると、そのままシーツに押しつけてしまった。
何故五関に言ったかといえば、それは子供の悪戯を親に言いつける、ではなくて。
正確には恋人に言いつける、だったわけだ。
「なんだよー・・・そんなの五関くんに言うことないじゃん・・・」
「俺もびっくりしたけど」
「・・・ごめんね」
「なんで?」
「だって、なんか、別に、五関くんなんも悪くないし・・・」
「ああ、それはいいんだけど」
「よくないよー」
あまり五関の手を患わせるようなことはしたくないのだ。
事実言うように五関はステージ上では全くと言っていい程絡んではこないし、こっちが絡んでいっても割と軽くあしらわれて終わることがほとんどだ。
けれどそれは何もステージ上に限ってことでもないし、言ってしまえばそれは普段からのことで。
確かに構って欲しいなとは思うけれど、五関の性質上早々できることではないことを河合は何となく判っていた。
それにどうしても構って欲しい時はこうしてプライベートで自分から半ば強引に来ていて、そうすればなんだかんだと五関も受け入れてくれるから、それでいいと思うようにしていた。
その手のことで五関に負担をかけたくない。
河合は可愛がられるのは好きだけれども、世話をされたいわけではないのだ。
未だ顔をシーツに押しつけたままブツブツとぼやいている様に苦笑すると、五関は静かに椅子から立ち上がってそちらに寄っていく。
河合が転がった隣に腰掛けるとスッと手を伸ばし、その髪を軽く梳くように撫でてやった。
「・・・なに?」
その優しく甘やかすような感触はそう多いものではなくて、河合は内心嬉しいような少し緊張するような心持ちでそうっと顔だけを上げてみる。
するとなんだか自分をじっと見つめてくる視線とかち合ってしまった。
妙に深い色を湛えた瞳が映す自分の姿が見える。
河合は思わず小さく唾を飲み込む。
いくらなんでも意識しすぎだと思うけれどしょうがない。
だって五関がそんな風に見つめてくる時はそう多くなくて。
具体的に言ってしまえば、それは自分がある種の熱に浮かされているような時しか・・・。
「構ってやろうか」
「え?」
「あ、買い物は行けなくなっちゃうと思うけど、そうすると」
「え?え?」
「あいつらにそんなこと言われるのもあれだし」
「・・・五関くん、なに言ってんの?」
まるで判らない、という風に窺うように見上げながら小声で言ってみる。
けれど河合は何も本当に判らなかったわけではなくて、普段にはない展開だったからつい確認してみただけだ。
五関はそれにもふっと表情で笑ってその長い指で河合の髪を梳くだけだ。
その意図みたいなものが見え隠れする中で、長くて綺麗な指が自分に触れているのかと思うと、河合は一気に身体の体温が上がっていくのを感じた。
その指が好きだ。その指に触れられるのが好きだ。
拒絶する理由なんて欠片もありはしない。
むしろ嬉しい。
けれど、少しの戸惑いがある。
「別に、ね」
「ん?」
「そのー、ほんと、ちがうし、うん」
「何が違うって?」
「だから、その、五関くんに構って貰えないからって、あいつらにちょっかいかけてるとか、そういうんじゃないし」
「うん」
「だから、そんな無理に、とか・・・いいんだけど・・・」
しどろもどろになる様がなんだかおかしい。
自分から仕掛けてくる時はいっそ大胆なくらいなのに、たまにこっちから仕掛けてみれば何も知らない子供みたいな表情を見せる。
じわじわと赤く染まる白い耳を見下ろして五関は「軽く犯罪者の気分だな」と冷静に思う。
たった二つの歳の差を妙に大きく感じるのは、何も河合だけではないのだ。
「・・・まぁ、そういう時もあるってこと」
そうだとも、違うとも、そのどちらでもとれるように曖昧に濁す。
五関は髪を梳いていた手で今度は頭をぽんぽんと弾くように軽く叩いた。
パチパチと目を瞬かせて見上げてくる小さな顔は、暫くそうやってじっと五関を見つめる。
そしてようやく口を開いたかと思ったらぽつんと呟いた。
「俺と、したいの?」
それ以外に表現を知らないみたいな、飾り気もなければ何一つ隠す気もないような、ある意味無垢な言葉。
五関は河合のそういうものに心を掴まれてしょうがない。
自分が内心だけで密かに拘っているような物事などなんの意味も為さない気さえする。
本当に必要なものはたった一つだけなのに、とそう言われているようだ。
それでも特に答えることもなく代わりにそのまま身を屈めると、薄い唇に自分のものでそっと触れる。
唇が離れて、身体を起こそうとした五関の首から背中にかけてその細い両腕がギュッと廻った。
離さないようにと力が込められる。
見ればその黙っていればきつい面立ちがふにゃりと緩んで、なんとも嬉しそうに微笑んだ。
「もー、いいやー」
「ん?」
「もーなんでもいいやー」
「なにが?」
「五関くんがこうしてくれるんなら、もーなんでもいい」
嬉しそうに嬉しそうに、本当に嬉しそうにしがみついてくる。
それはまるでこの世の幸せを全て独り占めしたみたいに。
河合は擦れてない藤ヶ谷のことをよく純だピュアだとからかうように言うけれど。
五関からしてみれば、河合こそよほど純粋だと思う。真っ直ぐだと思う。
自分には眩しいくらいに。
「・・・お前はほんとに単純だな」
「あ、呆れた。どーせ単細胞ですよー」
「そうは言ってないけど」
あー、なんかドキドキするなぁ、なんて。
少し冗談めかして言うのは、本当に内心緊張しているからだということは判っている。
それを宥めるように頭を撫でてやりながら、そのまま滑らせるように頬に触れたらまた嬉しそうに、少しだけ照れたように笑う。
五関は片手を河合の横について、まるで囲いこむようにしながらもう一度口づけた。
間近で見れば吸い寄せられそうな程強くて綺麗な瞳がゆっくりと細められて、そのまま閉じられる。
それを合図に五関は一瞬だけ眉を下げて苦笑した。
一瞬頭の奥を掠めるのはあの時の北山の言葉。
河合をどうにかしろ、と。
言いたいことを言うだけ言って、最後に少しだけ躊躇った後に、ぽつりと呟いた。
『・・・他の奴にちょっかい出してんのをそんなじっと見るくらいなら、最初から野放しにしないで捕まえとけば』
できるならとっくにそうしてる。
けれどそれは言葉になることなくただ頭の中でぼんやりと浮かんで消えて、ただ目の前の閉じた瞳にもう一度そっと口づけるだけ。
END
今回は初めて物語とは別の話で。すでにくっついてる話。なんかラブが書きたくて!
でもくっついてはいても、やはりどっかすれ違い気味な五河。
というかごっちがね・・・。私はごっちに何を夢見ているのだろう。
いやしかし恥ずかしいな!
こういうあからさまに年下受けな感じの子を書くのが久々過ぎてドキドキします。
(2006.5.14)
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