飴玉
『この人こういうの得意なんですよっ』
そんな大声で言うことでもないから。
五関はさっきの収録時のことを思い出しながら、どこかぼんやりと思った。
シャツのボタンを一つ一つ留めていく手がゆっくりなのは、何も考え事をしているせいというわけでもなく、単純に腕がしんどいからだ。
普段からアクロバットやらフライングやら、恐らくジュニアの中でもかなり運動量が多い方だろうが、さすがに限界までの懸垂は堪えた。
チラリと横目でその対戦相手を見ると、未だ着替えもせず床に座り込んでストレッチをしている。
どうやら堪えたのは五関だけではないらしい。
「塚ちゃん、腕大丈夫?」
手を止めて何気なく問いかけると、塚田は大きく開いた脚の片方にぺたんと上半身を押し付けるようにしながら、視線だけをこちらに向ける。
「んー、結構張っちゃってる〜」
「俺も。懸垂って思う以上にしんどいよね」
「ほんとほんと。全然回数いかないの。自分でもガッカリ。ていうか五関くんに負けるなんてさ」
「それはごめんね。俺、実は負けず嫌いなんだ」
そんなことを平然と言っては、ふふ、と小さく笑ってみせる。
塚田は軽く目を細めて唇を尖らせると、わざとらしく呟いた。
「五関くんてほんと、おいしいとこでは本気出すよね〜」
しみじみと頷きながらストレッチを再開する塚田に、五関は思わず肩を竦める。
自分を更に上回る負けず嫌いに対して今の台詞はまずかったかもしれない、なんて冗談交じりで思いながら。
「なんかそれ、俺がでしゃばりみたいじゃない?」
「違うよ。五関くんのはでしゃばりじゃなくて、ずるいって言うの」
「・・・余計に人聞き悪くない?」
「だって事実だもん」
「でも、あそこは誰だって頑張ると思うんだけど」
それこそあんな場面で手を抜く方がどうかという話で。
むしろ手なんて抜こうものなら、誰よりも先にこの負けず嫌いの対戦相手が怒るのは容易に想像がつくというものだ。
塚田はなんにしても手を抜くということが嫌いなだけに。
「うん、手なんか抜いたらいくら五関くんでも怒るけど」
「やっぱり」
「それに、あれは俺の鍛え方が足りなかっただけの話だもん」
だから着替えもせずにストレッチして、いつのまにか腹筋に移行してるわけだ。
五関が着替える横目でそんなことを思っていると、塚田は何やら不意に思い出したように小さく笑った。
「五関くんの何がずるいかっていうのは、河合が一番よく知ってるかな」
前触れもなく出た名前に、五関は思わずそちらを向く。
それは今この楽屋にはいない、恐らくはどうせまたキスマイの楽屋にでも遊びに行っているであろう恋人。
収録が終わってもいつも楽屋に真っ直ぐ帰ってくるということがないから、結果的に先に着替え終わった五関にせかされて慌てて着替えるはめになるのだ。
慌てる割に毎回改められる様子が見られないのは、なんだかんだと五関が待っててくれるとわかっているからなのだろう。
そう考えると、一度くらい本気で置いていってみるのもいいのかもしれない。
そんなことを思いながら、五関は今言われたことの意味を考える。
「俺、そんなにずるいかな」
「自覚あるくせに〜」
「でも俺はあいつじゃないしね」
「じゃあ今度訊いてみなよ」
「やだよそんなの」
自分のどこがずるいのか、なんて訊くようなことではないだろう。
それに訊いたところで明確な言葉が返ってくるとも思えない。
「ほらね、そういうとこがずるいんだよ」
今度は含むように笑われて、何か反論しようかとも思ったが、止めた。
恐らくはきっと何を言っても同じだろうと思ったし、何より部屋の向こうにずっと聞こえていたあの特徴的なハスキーで通る声が、段々と近づいてきているのがわかったからだ。
そしてそれは塚田もわかっていたのだろう。
おかしそうに笑いながら不意に自分の鞄を引き寄せると、中から飴の包みを取り出す。
「河合ちゃんも物好きだよね〜」
ずるいのがいい、なんてさ。
その言葉にはもはや反応もしなかった。
特に相手もそれを求めてはいなかっただろう。
一番上のボタンを留めた流れで、その指先にまんじりと視線を落とす。
そんな大きな声で言うことじゃない。
そんな嬉しそうに言うことじゃない。
ましてや、待っててやるから早くして、なんて言葉に毎回あからさまにホッとして笑うなんて。
ばたばたと駆け込んでくる足音、そして勢いよく扉が開く音。
五関を見つけた時のその声。
「あっ!五関くんもう着替え終わっちゃった!?」
「遅いよお前。俺もう帰るよ」
「うっそ!まってまって!速攻着替えるからっ!」
「1分ね」
「せめて2分!」
「1分半」
「りょーかい!」
「あ、河合ちゃーん」
「はぁい!」
「飴あげる〜」
「あっさんきゅ!」
塚田が投げた飴の包みを振り向き様で受け取とると、河合は素早い動きで自分の荷物に駆け寄って凄まじい勢いで衣装を脱ぎ始める。
それを視界に入れながら、五関はそのまま椅子に腰掛けた。
一度くらい置いて帰ってみるのもいい。
けれどそうしないのは、何も甘やかしているわけではない。
それこそがずるさだ。
恐らく、置いて帰れば河合はしょぼくれて他の誰かと一緒に帰るのだろう。
そして次からはきっともう少し急いで帰ってきて着替えるだろう。
けれどそれをしない、ずるさ。
「五関くんも飴いる〜?」
「うん、いる」
「はい」
「ありがと」
受け取って無造作に口に放り込んだ飴玉は、思った以上に甘かった。
今河合の口の中にあるそれとどちらがより甘いのだろう。
口内で溶けていくそれがじわりと胸に広がった。
END
五関くんのずるさは反面の甘えであるような気がするという話。
ごっちのフミトへのあまえんぼをネチネチ追求していく心意気。
ていうかフミトがあんな嬉しそうにするから!(注:想像)
(2007.10.14)
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