路地裏の子猫たち










事後特有の倦怠感を引きずったまま、河合はぼんやりと目の前の癖のない黒髪を見下ろして指先で触れた。
なんとなく眠れなくてただまんじりと過してもうどのくらい経っただろう。
自分と違ってまるで色を抜いたことのない髪は痛みも知らず、真っ直ぐにさらりと流れる。
本人はヨーロピアンブラックだなんて言っていたけれど、つまりは何の手も加えていないその自然な色は、その実何よりも彼自身を映しているような気がした。

「・・・かわい?」

飽きるでもなくずっとそんなことをしていたら、その髪の下にある顔がもぞりと動いて緩慢に目を開けた。

「あ、起こした?」
「ていうか、起きた。・・・なにしてんの?」
「あー、なんか眠れなくて」
「元気だね。さすが若い」
「いっこしか違わないじゃん」

戸塚は小さく欠伸を噛み殺すとごろんと転がって、上半身だけを起こした河合をじっと見上げる。
その涼しげで穏やかな目元がゆるゆると瞬く様を河合も見下ろす。
暫し絡み合う視線。
けれどそこには特に焦がれるような熱いものはない。
ただ互いに哀れむような、そんな妙にひんやりとしたもの。
さっきは互いの身体にあれだけ熱を生み出していたというのに。

「河合」
「ん?」
「帰らないの?」
「どこに?」
「五関くんとこ」
「・・・うん」
「なんで?」
「・・・今日は帰んないの」
「そうなんだ」
「そう」

判りきっている答えを導くための、判りきった問い。
それは何もいじめたいわけではなくて、ただお決まりのこと。
判りきっているのに毎回同じことを訊く。
判りきっていても毎回同じことをするように。

「トッツーこそ帰んないの?」
「うん」
「塚ちゃん、いいの?」
「・・・うん」
「そっか」
「そ」

お決まりの会話。
それは行為をする前でも、している途中でも、今みたいに終わった後でも、それはその時々だけれども、言うことは結局同じ。
まるで浮気してる同士の会話みたいだね、なんて。
そう言って笑い合ったのはいつだっただろう。
けれどそんなことを言って笑ったのは恐らくたったの一回だけ。
お互い虚しくなるだけだとすぐに悟ったから。

こんな関係、浮気でもなんでもない。
言ってしまえばこれは報われない者同士の傷の舐め合いでしかない。

「ていうか、ねぇ、トッツーさぁ」
「なにー?」
「たまには俺も上がいいー」
「えーやだよ。痛いじゃん」
「俺だって痛いよ!」
「やだやだ。河合下手そうだし」
「うわむかつくー!トッツーだってそんな言う程うまくないじゃん!」
「お前こそむかつくなー!お前がやるよりは絶対いいって!」
「あのね、知らないでしょ?めっちゃ痛いんだよ?死ぬほど痛いんだよ?」
「ふーん。その割に最後の方は結構気持ちよさそうだったけどー?」
「・・・そんなことないよ。トッツーの気のせい」
「気のせいかー。そんなこと言うんなら・・・・・・・もっかいやっちゃうよー」
「うわっ!と、トッツー!」

声を上げて笑いながら戸塚はがばっと起き上がると、そのまま上から覆いかぶさるように河合を押し倒した。
まるで子供みたいな仕草。
黙っていれば鋭利な美貌が驚いたように間抜けたものになっている様をさもおかしそうに見て、その身体をシーツに押し付ける。
そういう顔をしていれば可愛いのに、なんて思いながら。

「とっつー・・・」
「なに?」
「明日しんどいって、絶対」
「確かにー。俺フライングしたら腰痛くなりそう」
「ていうか俺がしんどいから」
「まぁねぇ」
「そもそもなんで俺が下になったんだっけ。不公平じゃない?」
「河合のが可愛いから」
「えー、トッツーのが可愛いじゃん」
「あはは、褒めてくれてありがとう。じゃあ河合は美人さんかな」
「もーどっちでもいいよ・・・」
「でもお前が下ね」
「なんでだよっ」

まるで音がするんじゃないかと思う程長い睫が不満気にパチパチと瞬くのを見て、戸塚はゆるりと頬を緩めると静かに呟いた。
今河合が可愛いと言ってくれた顔をやんわりと歪めて。

「・・・俺が下になるのは、あの子の前だけって決めてるの」

穏やかに笑いながらそんなことを言う顔を、河合は押し黙ってじっと見上げた。
そっと手を伸ばして真っ直ぐな黒髪に再び触れる。
まるであやすようなその感覚はひとつ違いとは言え年下には思えなくて、戸塚はそっと苦笑した。

「トッツー、それって結構ずるいよね」

けれどそんなことを言いながらも、河合の小ぶりで綺麗な手はやわやわと戸塚の髪を撫でる。

「うん、ずるいね」
「そんなのさ、俺だってそうしたいのに」
「でも河合は嫌がらなかったじゃん」
「俺はトッツー程潔癖でもないから」
「俺、潔癖なのかな」
「そうなんじゃないかな。だから俺にしたんでしょ?」

代わりを求めるなら、傷を舐めて貰いたいだけなら、女だってよかったはずだ。
けれど戸塚はそうしなかった。
同じような境遇を持つ誰よりも近い仲間を、河合を選んだ。

「女の子は嫌なんだよ」
「トッツーのわがまま」
「知ってるよ」
「そんで下は嫌ってさぁ」
「綺麗なままでいたいんだよね。だって塚ちゃん絶対そういうの嫌いだもん」
「・・・わがままー」

こんなことをしておいて、いまさら綺麗もなにもない。
けれど河合は言わなかった。
自分とて同じようなものだから。
もしも自分達の関係を知る第三者がいたならば、二人揃って愚かだと、そう烙印を押すだろう。

呆れたように笑って自分の髪を撫でる河合のその手をとって、戸塚はそっと口付ける。
髪を撫でるのも手に口付けるのも、どちらも意味合いは同じだ。
傷を舐め合っているだけだ。

「河合はいいこだよね」
「なにいきなり。ていうかいまさら?」
「ちょっと騒がしいけど」
「めちゃくちゃ余計」
「でもほんと、可愛いし美人だしいいこだし、騒がしいしちょっとバカだけど、そこがチャームポイント?」
「ちょっとトッツー」
「なのになんで五関くんは河合を抱いてあげないんだろうね」

細い面立ち、その頬を指先で撫でるようにして触れる。
その先から僅かに歪んだそれがそれでも綺麗で、戸塚はぼんやりと眺めた。

「・・・それ、きついって。やめてよ」
「ん、そりゃそうか。ごめんね」
「そんなの言ったらトッツーもじゃん」
「俺?」
「可愛くて優しくて純粋で、ちょっと根暗でネガティブでテンションの上がり下がりが激しいけど、そこがチャームポイントなのに」
「ちょっと河合、言いすぎ」
「なのになんで塚ちゃんは・・・ってね、おんなじだよ」

敢えて皆まで言わなかったのは河合の優しさだろう。
今自分を優しいと言ってくれたけれど、河合の方が自分よりも余程優しい奴だと戸塚は思う。
河合は自分達の中で一番年下だけれど、いつもみんなから騒がしいだのバカだの言われているけれど、その実ここぞというところでは一番しっかりしているしみんなを引っ張っていこうとするし、それができるだけの強い人間だ。
もちろんその強さなんて、本人がそれこそ血を流す思いで必死に保っているものだということは薄々知っているけれど。
河合は弱さを認めたら負けだと思っている人種だ。
そして自分は弱さを端から認めてそこに逃げている人種だろう、と戸塚はぼんやり思った。

「・・・俺ら、性格とか全然違うと思うんだけど」
「ん・・・?」
「なのに、なんでだろな?こんなとこで一緒だなんてさ」

自嘲気味に笑って自分を見下ろしてくる顔。
河合はふっと伏し目がちに息を吐き出すと小さく呟いた。
普段のテンションの高い大きな声からは信じられない程、静かに。

「諦められないからだよ」

諦めようとするなら、こんな風に同じような境遇の奴は選ばない。
お互いの境遇を片時も忘れず、お互いに刻み込んで、けれど刻み込んだ先からその痛みを和らげるように舐め合って、せめて独りにならないようにとこんな虚しいことを繰り返す。
お互い本当に求めるものは違うのに。

「そっか・・・そうだなぁ・・・」

目を伏せて小さく息を吐き出す河合の額にゆるりと触れてから、戸塚はそのままその身体に覆い被さって、その肩口に顔を埋める。
河合はそれを怪訝そうに受け止めながらも、細い腕を戸塚の肩口に回して撫でる。

「トッツー・・・?」
「・・・俺ら、バカだよね」
「うん・・・」
「バカだよ、ほんと」
「うん・・・だから、お似合いなんじゃないかな」
「はは、確かに」

その力ない笑い声に紛れて一瞬震えた肩に気付いて、河合は廻した腕に無言で力を込める。
そして自分もまたそこに縋るようにしてしがみつく。


薄暗い部屋の中。
求め合うなんて言うにはあまりにも力なく頼りない二人の姿。
それはまるで降り止まぬ雨の中、拾い上げてくれる暖かな手を待ち続ける二匹の子猫。











END






まさか戸河なんてね、と我ながら思いますが。
しかも前提が五河で塚戸っていう・・・。こんなしょっぱなから問題作大丈夫かな。
あんな可愛いエビちゃん達をこんな爛れた関係にしてる私はその内怒られる気がしてなりませんが、なんか妄想が色々と膨らんでしょうがなかったのです。
ていうかトッツーファンに怒られるよなこれ。
あーそうそう、色々悩んだ結果、結局トッツーと塚ちゃんは塚戸で落ち着きました(あーあ)。
過去記事読んでたらやっぱトッツーは受けのような気になってきてね。ていうか塚ちゃんが攻めだったね。
というわけで私が書く戸河は基本的に五河と塚戸前提なんじゃないかなと思います。
どっちも攻めに片思いする一途な子たちなのです。
だって明らかに五河も塚戸も受けっこの方が攻めっこ大好きじゃね?と思ったら止まらなくなりましたよ。
・・・ていうかなんかカプじゃないよねこれね。
(2006.5.26)






BACK