あくまのなみだ
ソファーに座っている若干俯き加減の後ろ姿を認めて、河合はゆっくりと近づくと思い切り両腕を回してその首筋に抱きついた。
途端にビクッと反応した身体。
振り返った瞬間見た表情は少しだけ強ばっていたけれど、それが河合だと知れるとすぐさま呆れたような、同時に安心したようなものに変わる。
『一体誰だと思った?』
そんな言葉が河合の脳裏を過ぎったけれど、そんなことはわざわざ訊かなくても判ることだったので言わなかった。
自分はあいつと同じくらいの背丈だから。
河合は妙に冷静に思いつつ、ふざけた調子でひゃらひゃらと笑いながら更に腕の力を強めた。
「ふーじーがーやー」
「も、なんだよ、鬱陶しいなお前はっ」
ちょうどその肩口辺りにある頭をぼふんと軽く叩かれる。
それにまた笑って頭を振ると、バカみたいな調子でその唇を尖らせて藤ヶ谷の褐色の頬に近づけてみせる。
「たいちゃんチューしよーぜチュー」
「ばっ、ちょ、顔近づけてくんなこら河合っ」
軽く焦った様子で頭をぐいぐいと押しやられる。
でもその力は本気じゃない。
だから河合も同じ程度の力でしがみついてふざける。
もしもこれが本気で抵抗されたら、河合は素早く即座に離れるだろう。
ありえないからそれは想像でしかないのだけれども。
「ったく、お前はほんと毎日毎日さー・・・」
呆れた調子で、鬱陶しげな仕草で、そのくせ結局頭を撫でてくる褐色の手の優しい感触。
河合はその肩口にしがみつくようにしながら小さく表情だけで笑う。
『優しい優しい藤ヶ谷は、そんなことしないもんな?』
心の声はまるで悪魔のそれ。
それなら相手は天使だろうか。
優しく純粋ですれたところなど欠片もない。
けれどそれに被るように実際出て行く言葉は、いつもと変わらず何も考えていなそうな、明るい調子のそれ。
「いいじゃん、おれ、今藤ヶ谷ブーム真っ最中なんだよ」
「なんだよそれー。ていうかお前いつも俺ブームじゃない?」
「愛されてんだよ。ありがたく思え」
「ありえねー。お前の愛なんていりませんー」
そう言いながら緩く河合の手を外させようとするその仕草に、河合は埋めていた顔をゆるりと上げて耳元で小さく呟いた。
「・・・じゃあ、誰の愛ならほしいの?」
これまた判りきっていた問いだ。
敢えて訊くなんてまるで意味のないこと。
言ってしまえば、せいぜいが藤ヶ谷を困らせることくらい。
・・・あとは、そう、自分が勝手に少しだけ傷つくくらい。
あー、俺、やっぱちょっとMっ気あんのかなぁ。
ぼんやりとそんなことを思いつつその顔を窺う。
すると予想通り、藤ヶ谷は小さく眉を下げて少しだけ戸惑いがちに、けれど僅かに照れた様子も見せて、俯きがちに唇を開いた。
けれどその唇が言葉を発する瞬間、楽屋の扉が開いて音が被った。
顔を見せたのは五関だった。
藤ヶ谷は反射的に口を噤んで、それから顔を上げて再び口を開いた。
「あ、五関くんおつかれー!」
「あーお疲れ」
今日はキスマイとA.B.C.の合同取材の日だ。
それぞれ一人ずつメンバーが組んで対談と写真撮影を行っていて、一組目の藤ヶ谷と河合はさっさと終えて戻ってきていたところだったのだが。
どうやら二組目も終わったようだ。
五関は鏡台の前で衣装の上着を脱ぎながら、目の前の鏡に背後の二人を映しながら言った。
「そういや藤ヶ谷、北山が呼んでたよ」
「えっ・・・あ、そう・・・」
「たぶんまだスタジオの方にいると思うけど」
「そ、そっか・・・うん、わかった、ありがと」
二組目は五関と北山だったのだ。
ならば何故同じように楽屋に戻って来ず、わざわざ五関に伝言など頼んで呼び出すのか。
藤ヶ谷はそう思ったし、依然として藤ヶ谷にもたれかかるようにくっついている河合とてそう思った。
ただ河合は、その理由もなんとなく想像はできたのだけれども。
単純に、俺が邪魔ってことなんだろうなぁ。
ほんとに嫉妬深い奴。
自信持てばいいのに、こんなに愛されてんだから。
普段無駄に強気なくせに肝心なところで弱気なあの童顔を思い浮かべて、河合は思わず笑ってしまった。
だから両想いなのになかなか上手くいかない、不器用な二人。
すると藤ヶ谷がそれに少しだけ不思議そうな顔をして、それからおずおずと河合の手を外させた。
続く展開はもう判りきっていたから、河合も今度は自分からもあっさり離れた。
「じゃ、俺、ちょっと行ってくるわ」
「はーい、行ってらっしゃーい」
離された身体はソファーの背もたれによりかかり、そのまま出て行く藤ヶ谷に軽やかに手を振った。
そうしてパタンと閉まるドア。
足音が向こうに消えていって、振っていた手がぴたりと止まる。
それでも依然として扉の方に身体を向けている河合の顔は鏡越しにも見えないけれど、五関はまるで関係ないとばかりに平然と言った。
「お前のそのバカって、いつになったら直るの?」
メイクを落としながらさして興味もなさそうに呟かれる台詞。
河合はそれに振り返っておかしそうに言った。
何も疑問に思わないような、そんなあっけらかんとした口調で。
「死んだら、直るんじゃないかなぁ」
それは逆を言えば、死ぬまで直らないということ。
そんなことをずっと続けるつもりなのか。
鏡越しに見えるその顔に小さくため息をついて、五関はそれでも振り返って直接向き合うことはしなかった。
そんな酷い顔、鏡越しでもなければ見れたものじゃない。
その日は夕方から小雨が降っていた。
河合は家族が皆出かけてしまった家で一人、借りてきた映画をまんじりと見ていたのだけれども。
期待していた程面白くもなかったその内容は、唐突な訪問者によって一気に記憶の彼方に葬られてしまった。
「ふじ、がや?」
背筋がぞくっとした。
自分の身体がみるみるうちに冷えていくのがわかった。
それは扉を開けた途端、びしょびしょに濡れた身体にしがみつくように抱きつかれたからだ。
「かわい・・・」
細くて長い両腕が弱い力でもって自分の身体に回っているのを否が応でも自覚して、河合はごくんと一つ唾を飲み込むと、おずおずと自分の手をその濡れた背中に回した。
見ればトレードマークとも言えるその右側だけ目にかかるくらい長い前髪が雨で額に張り付いていてしまって、その表情がよく見えない。
河合は恐る恐るそれを指でかきあげてやりながら、そうっと顔を窺う。
「藤ヶ谷?どうした・・・?」
藤ヶ谷がこんな状態になる原因なんて、ほぼ一つしかないのだけれども。
それでもお決まりのようにそう訊いた。
思えばこの恋をしてから、自分は判りきっていることばかりしなければならないようになった、と河合は頭のどこか遠くで思う。
緩く頭を撫でてくる河合の手に、藤ヶ谷は俯いたまま途切れ途切れに呟いた。
雨に濡れたせいなのか、泣かされたせいなのか、弱弱しいその幼げな声。
「お、おれ、おれら、もう、だめかも・・・」
「・・・なに、どして」
「き、北山、わかんない・・・」
「あいつになんか、言われた?」
「なんで、あんなこと言うんだろ、なんで、あんなことする・・・」
「藤ヶ谷・・・」
なんと言えばいいのか判らなくて、河合はまた優しく頭を撫でてやった。
こんなのは普段の自分たちじゃないと思う。
バカ騒ぎしてふざけあって笑いあって、たまにケンカしたりもする、そんな友達。
優しい藤ヶ谷が好き。
心の綺麗な藤ヶ谷が好き。
こんな世界にいるのに、誰よりも純心で真っ白な藤ヶ谷が好き。
けれどもそんなことはあくまでも自分の内心だけの話だったのだ。
二人の間にある関係にはまるで関りのないことだったのだ。
どんなに想っても無駄だと判っていたからこそ絶対に言わなかったし、気取られることすらしないように努めてきた。
お前はバカだなぁ、って。
お前だってバカじゃん、って。
そう言い合うだけでいいと思うようにしてきた。
それなのに。
「ごめん、河合、なんか、気づいたら、来ててさ、ごめん、」
「いいって。気にすんなよー。・・・俺とお前の仲じゃん」
そう言ってガシガシと、さっきよりか幾分乱暴に頭を撫でてやった。
自分より上にあるそれ。
本当はそっちからも撫でてほしいと思った。
藤ヶ谷に頭を撫でられるのが好きだから。
いつもみたいにしてほしいと思った。
けれどそれすらも本当は、望んではいけないことだと、やはり判っていた。
「ありがとなぁ、かわい・・・」
「・・・気にすんなー」
ぎゅ、と力をこめてしがみつかれる。
雨が服を伝って身体の奥にまで染み込んでくるような気がした。
肩口に感じたその感触には、きっとその涙も混じっているだろう。
河合は藤ヶ谷の濡れた背中をポンポンと軽く叩いてやりながら、ふっと雨空を見上げた。
この雨は、藤ヶ谷の涙なんじゃないかな。
河合はそんな詮無いことを思ってみたりした。
降りしきるのは天使の涙。
天使を泣かせるなんて許されないことなのに。
あいつだけは、それが許されるのか。
河合は悟られぬようにぎゅっと唇を噛んだ。
それでも自分が、他の誰が許さずとも、藤ヶ谷自身が許すのだろう。
それでもあいつがいいと、あいつしか駄目だと、そう言うのだろう。
判っている。
だから何も言わなかったし、何もしなかった。
でも本当は自分だってその手がほしかったし、せめて当然のように頭を撫でてもらいたかった。
いっそのこと奪ってしまえたらいいのに。
この恋をしてから、河合の中には悪魔が住むようになった。
哀れなまでに恋に落ちた悪魔が。
「な、藤ヶ谷ー・・・」
「ん・・・?」
「慰めて、あげよっか?」
「え?」
「あいつにひどいことされたんなら、俺が慰めてあげよっか?」
「か、河合・・・?」
赤い目を晒したその顔がゆるりと上がり、妙に幼げな表情が河合を見つめていた。
何を言っているのか判らない、まさにそんな感じの。
それはそうだ。
藤ヶ谷に判るはずもないだろう。
こんな愚かで醜いばかりの欲望なんて。
「俺は別にいいよ?経験あるし。上がいい?下がいい?」
「ちょ、なに、お前なに言って・・・」
「ああ、藤ヶ谷ってあいつ相手には下なんだっけ?うーん、じゃあどうしよ、同じように下がいい?」
「かわ、い、かわい、意味わかんねーって・・・」
「でもあれかなー・・・下って結構しんどいしね、逆に上のがいいかな?あ、俺慣れてるから気とか使わなくていいし!」
戸惑いを隠し切れない藤ヶ谷に、畳み掛けるようにベラベラと捲くし立てる。
そうでなければ挫けてしまいそうだったから。
惨めなまでのこの欲望の発露すらも。
身体だけでもいいから、なんて。
どこの三流ドラマだろう。
心がなければ意味なんてないのに。
身体だけなんてくれるわけもないのに。
この優しすぎる、目の前の男が。
「な、藤ヶ谷、大丈夫だよ。俺がいるから」
だからせめて今日だけでいい。
今夜だけでいい。
あいつを忘れてほしい。
俺のことだけ考えてほしい。
こんな感情すらもまるで三流ドラマのようだと思っておかしかったけれど。
そのくらい、いつのまにかこの恋は追い詰められて袋小路に迷い込んでしまっていた。
けれどずっと戸惑った表情で河合を見つめていた藤ヶ谷は、河合がそこまで言うと小さく息を吐き出して、スッと目を細めた。
中身に似合わぬ、元は整った男らしい顔が、河合をじっと見下ろす。
あ、そういう顔してればお前かっこいいじゃん、ぼんやりそんなことを思っていたら。
その褐色の手がゆっくりと持ち上がって、手のひらで河合の唇をやんわりと塞いだ。
「・・・ごめんな、河合。そんなこと言わなくていいよ」
口を塞がれているせいで何も言えなかった。
塞がれていなくてもきっと同じことだっただろうけれども。
「俺、だめだよな、大事な友達にそんなこと言わせて、だめだよな・・・」
「・・・」
「でも、大丈夫だから。俺がんばるから。お前はそんなこと言わなくていいんだよ」
「・・・ん、」
「お前は俺の大事な友達。・・・だから、もうそんなこと言わないで。大丈夫だから」
そこまで言ったところで手を離される。
最後の温もりすら離れてしまう。
けれどそこに浮かべられた笑顔が幼げで優しくて、河合も笑ってみせた。
同じようになんて到底無理だったけれど。
「・・・ほんとに、大丈夫か?」
「うん。なんか、お前見て安心した」
「なんだよそれー」
「なんか河合見てるとバカだなーって和む」
「うわ失礼な発言きたー」
「だから平気。・・・もう平気」
うそつき。
平気だなんて大嘘だ。
本当は、今だって北山のことばかり考えてグルグルして、心臓がばくばく言ってるに違いないのに。
「大事な友達」にこれ以上そんなことを言わせたくなかったから、そんな風に言ってるだけ。
優しい藤ヶ谷。
天使みたいな藤ヶ谷。
悪魔など寄りつかせもしない。
惨めな欲望すらもその優しさで拒絶する。
天使の優しさに傷つくのなんて、悪魔だけだ。
「やべ、もう俺もお前もびしょびしょだよ」
「ほんとだなー。もうパンツまでぐっしょり」
「雨もまだ降ってるし・・・。じゃ、ちょっとうち寄る?ご飯くらいはおごってやるよー?」
「あー、うん、でも、」
「気にすんな!ていうか俺今日一人だから寂しいの!」
「あ、まじで?・・・んー、じゃあ寄るわ」
「オッケー!おいでませ我が家!」
「なんかお前んち久しぶりだな〜」
雨から逃れるようにさっさと家の中に招き入れる。
扉を閉める瞬間、河合はもう一度だけ雨空を見上げ、すぐに閉めた。
まだ降り続ける雨は、けれど徐々に雨足を弱めている。
弱弱しいまでのそれは静か過ぎて、もうすぐ止むだろうと、もはや誰も気に止めはしない。
それは叶わぬ恋に息絶えるのを待つだけの、哀れな悪魔の涙。
END
すげえ問題作きたこれ、て感じでね。
ガヤフミガヤフミ言うてたけど、実際書いたらこんなんとか我ながら軽く衝撃です。
だがしかし本命は薄幸萌えのわとさんとしては、片思いフミトは否応なしに萌えです。
だって最近フミトのたいぴ大好きっぷりがほんとひどいんだもの!
そしてたいぴはどう転んでも、北山以外好きにならないというようなイメージが最近私の中で芽生えています。
(2006.9.22)
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