Double 1










どうして教えてやらなかったんだろう。






それはまるで、今そこがステージ上であるかのように。
ジャケットを脱ぎ、インナーのシャツを脱ぎ、左手首の黒革のバングルを外し、腰のベルトを抜き取り、ファスナーを下ろし、ジーパンを脱ぎ捨て、最終的には下着まで脱いでしまった。
もはや何一つとして身につけていないまっさらな姿。
いや、ただ一つだけ、胸元で照明に当てられて光るシルバーのネックレスだけがその存在を主張していた。
けれどいくら脱ぐのがお決まりのような人間でも、ステージ上でそこまで脱いだら大騒ぎになる。
ただ生憎とここにいるのは横尾だけだったから、特に騒ぐような人間はいなかった。
当の横尾はと言うと、ぼんやりと目の前光景をあぐらをかいて眺めている。
まるで動揺していないかと言えば、それは嘘になるのだけれども。

鍛えられた細くしなやかな身体。
それをさらけ出すことに恥じらいの一つも見せればまた違うのだろう。
けれども、そのままゆっくりと近づいてきて特に躊躇いなく横尾の膝に乗りあがってくる様には、むしろエサに釣られて寄ってきた猫か何かのような錯覚を覚える。
その煌くような一対の鋭い瞳に下から覗き込むように見上げられた。
自然と近づいてくる顔、その後頭部に大きな手を回して支えてやると、次いで柔らかな下唇が触れる。
軽く吸い付くようにして触れてからやんわりと離れると、横尾はその身体に両手を回し、膝の上に抱きかかえるようにしながら尋ねた。

「・・・どした?」
「ん?」
「いきなりマッパってお前、露出狂も極まった?」
「や、だってやりやすいじゃん、この方が」
「・・・やるって、お前」
「やろーよ」
「・・・なんで」
「え、なんでって訊かれるとは思わなかったなー・・・」
「そりゃ訊くだろ。ていうかほんとに意味わかってんの?」

そんなあっけらかんと言われても、はいそうですかとは到底頷けない。
確かに今までだって戯れのようなキスならしてきた。
時にお互いの熱を慰め合うことだってあった。
男同士で不健全なことこの上ないとは思うが、そこはむしろ男同士だからこそ判る部分はたくさんあって、その上気が合うもの同士ならばなおのことで。
いわば単なる若さの衝動を手っ取り早く鎮めるような、そんな程度の意味の触れ合いだった。
だからそれ以上の、ある種の一線を越えたことはなかった。
それはそうだ、横尾と河合はあくまでも親友であって、恋人同士なんていう関係では決してなかったのだから。

けれど河合は今、その一線を越えようとしているのだ。
横尾に何一つとして特別な言葉など告げることもなく。
ただ気まぐれみたいなこの一瞬で。
それがこの今の関係をどれほどに変えてしまうのかもまるで省みずに。

「五関くんとさ、キスしたの」

しかし横尾が求めていたものとはまるで違う答えを返されて、一瞬反応できなかった。
そこに出た名前は予想だにしないもので、けれど考えてみれば当然のようでもあって、横尾をなんとも複雑な表情にさせた。
そんな横尾を後目に、河合はもたれかかるようにして身体を預けながら、その時のことを思い返す。

「あ、俺の方からしたんだけどね。なんか超不意打ちって感じで」
「なにしてんだよお前は・・・」
「あは、驚いた?」
「驚くだろ、そりゃ」
「さすがの五関くんも驚いてたしねー」
「だろうな」
「俺もうっかり、って感じだったからさ、思わず我に返ってきょどっちゃってさ」
「お前なぁ・・・」
「んでも、さー・・・たぶん、俺以上に五関くんのがきょどってたね、あれはね。
いや、表情とかは全然変わってなかったけど、なんとなく雰囲気でわかるっていうか。伊達にずっと一緒にいないしね!」
「あーあ、かわいそ・・・」
「いや、でも、俺のがかわいそうだって」
「なんでだよ」
「だって五関くん、すごい怒ったもん」
「・・・五関くんが?」

あの、不真面目な人間には厳しいが基本的に温厚で滅多なことでは怒らない、歳の割にやたらと落ち着いた彼が?
たとえ河合にだって、呆れることは多々あっても怒鳴りつけるようなことは一度としてなかった彼が、怒った?
それはなんだかあまり想像がつかなくて、横尾はそのまま首を捻る。
そんな横尾を前に、河合はまるで猫が伸びをするように細い両腕を目の前の首に絡ませてくる。
けれど河合はそんな誘うような仕草をしておきながら、そのくせ色っぽいとは言い難いあっけらかんとした様子で言った。

「お仕置きされちゃった」
「は・・・?」
「まさかそっちの初体験がアレとはさすがに思わなかったなー・・・」
「ちょ、待てよ・・・」
「もー、あんまりにも痛くて泣きそうだったし、次の日なんてろくに動けないし。女の子って大変なんだね」
「お前・・・なんだって?」

横尾は目を剥いて目の前の顔を凝視する。
支えるために身体に回していた両手を河合の頬に固定するように当てた。
その目を真っ直ぐに見て答えさせるために。
けれどそんなことをせずとも、河合は逃げも隠れもしないとでも言うかのように、じっと身じろぎ一つせず横尾を見つめた。

「うん、だから・・・なんていうかな、穏便な表現で言うと、てごめにされちゃった、っていうか?」
「穏便って・・・んな表現、いらねーよ・・・バカか・・・」
「いや、でもさ、五関くんだし」

相手が誰だろうと、たとえそれが誰よりも信頼する相方だろうとも、そんな問題じゃない。
河合が言っていることが、横尾が考えるそれだとするならば、それは。

「・・・お前、わかってんの?それ、強姦、て、言うんだぞ・・・?」
「それは違う」

否定の言葉は瞬時に返ってきた。
さっきのふざけた調子とはまるで違う、どこか強ばったような言葉。
見ればその唇が固く引き結ばれて、鋭い瞳が横尾を半ば睨むように見ていた。
けれどそれもすぐさま緩み、小さくふにゃりと目尻を下げて笑ってみせると、河合は再び横尾の首に腕を絡めてしがみついてきた。
耳元で紡がれるどこかおかしそうな調子の言葉。

「俺は全然嫌じゃなかったから。・・・だから、それは違うよ」

まるで想像がつかない。
あの温厚で誠実で、そっけなく見えてとても優しい彼が、その実誰より大事にしている相方にそんなことをするなんて。
もしも本当にそんな行為に至る理由があったとすれば、そこには少なくとも最低ある種の事実が必要なはずだ。

「・・・五関くんは、お前のこと、」

好きなのか?

横尾はそう問おうとした。
そうでなければ成り立たない。
一時の、その程度の些細な怒りなんて感情でそんなことをする人間じゃない。
だからそれしかありえない。
いや、たとえそれがあったとしても、彼らしくもないことに変わりはない。

けれど河合は更に横尾に強くしがみつき、声を潜めて呟いた。
耳元で空気の多く混じった言葉が聞こえた。
その言葉尻が微かに震えた気がする。

「俺のこと好きなの?って、訊いたらさ・・・好きじゃない、って」
「なんだよ、それ・・・」

一瞬息を呑んだ。
眩暈がした。
そして同時に頭痛を覚えた。
その時の河合の心を思うと、言いようのない痛みを覚えた。

「お前のことなんて好きじゃないって。嫌いではないけど、別に好きでもないって。
・・・こんなこと、愛してなくてもできるって」

段々と小さくなっていく声。
どうしてと、横尾は今ここにいない彼に問いかけたかった。
どうしてそんなことをしたのか・・・いや、むしろどうしてそんなことを言ったのか。
たとえ河合の気持ちを知らなかったとしても、あんまりすぎる。

「まぁ、いいんだけどさ・・・俺は嫌じゃない、っていうか、むしろ、嬉しかったしさ・・・」

痛いのには割と強いしね、なんてふざけた調子で言うのが痛々しい。
ずっと長い間一途に想ってきた相手に、そんなことをされて、そんなことを言われて、これではあまりにも報われない。
そんなことを思って横尾が思わずぎゅっとその身体を抱きしめたら・・・けれど河合はその腕をやんわりと解いた。
そしてその代わりというかのように、もう一度覗き込むようにして横尾に口づけてくる。
横尾は一瞬、河合がこんなことをしようとしたのは、容易く自分との一線を越えようとしたのは、傷ついて助けを求めてきたからなのだと思った。
けれど口づけの最中に見たその表情に、はたとした。

「かわ、い・・・?」

河合は笑っていた。
横尾の腕の中で笑って、今触れ合ったばかりの自らの唇の端を舌先で舐めた。
それはまるで獲物を前にした獣の舌なめずりのようだ。

「・・・愛してなくてもできるなら、横尾もしてよ」
「は?なに言ってんだよ、お前・・・」
「だって五関くんが言ったもん。
愛してなくてもこんなことできるって。横尾にもしてもらえばいいって」
「なっ・・・」

あの人は何を言ってるんだ?
一体河合に何を言ったんだ?
横尾は混乱する頭をもてあましつつ、目の前で自分を縫い付けてくる鋭く煌く瞳の前に、思考を霧散させられてしまう。

「そうなのかもね。・・・だって、だから俺、五関くんにしてもらえたんだしさ」

たとえ好きにはなってもらえなくても、愛してはもらえなくても。
そんな想いが込められた、どこか乾いた響きの言葉。
横尾は、どうして、と喉の奥に何かが詰まったような苦しさを覚えた。

どうして彼は教えてやらなかった?

「横尾なら俺よりずっと優しくしてくれるだろって、言ってた」

違う。違うはずだ。
そんな容易くしていいことじゃない。
その心を思うならそれはなおのこと。
好きな人としか、そんなことをしてはいけないんだって。

どうして彼はこいつに教えてやらなかった?
横尾は叫びだしたい気持ちで思った。

「愛してるかどうかは知らないけど、たぶん俺よりはお前のこと好きでいてくれてるから、って・・・」

けれど苦しい気持ちと同時に、廻した自分の両手に強い力がこもったことに、横尾は気づいた。
その肌に吸い付くように、その細い身体を守るように・・・けれど同時に逃がさぬように。
その意味を、今ここにはいない彼は既に知っていたのかもしれない。

「そうなのかな?・・・うん、でも確かに、お前といると、安心すんだよね・・・」

肩口にすり寄せられる頬がなんだか子供みたいだった。
安心ならいくらでもさせてやる。
けれどそのためにこんなことをするのは間違っている。
ただそれを招いた、少なくとも一因が自分にあることに、横尾はようやく気づいた。

眼下にはしがみついてくる河合の細い首筋。
何気なく指先でかきあげた焦げ茶の髪に隠れていた耳朶の後ろ側に、濃い赤い痕が見えた。
更にその下に、少しずれて重なって見える、うっすらとした別の痕。
二重につけられたその痕の意味。

上にあるのは彼の痕。
そして下にあるのは・・・自分の痕だ。

「なぁ・・・好きにしていいよ、いいから、・・・好きって言ってよ」
「・・・」
「嘘でもいいから、俺のこと、好きだって、すげー好きだって、言ってよ」

どうして?
どうして彼は教えてやらなかった?
本当に好きな人間としか、こんなことをしてはいけないんだって。
けれどそれは自分も同じことだと、横尾は目の前の身体を抱きすくめながら苦々しい気持ちで思った。

先に教えてやらなかったのは自分だ。
友情の仮面をつけて、奥底にある醜い欲望を見られたくなくて、教えてやらなかった。
キスも、抱擁も、熱を慰め合うのも、その身体に痕をつけるのも、決して友情ですることではないのだと。

彼も自分も教えてやらなかった。
だから河合は本当の「好き」という気持ちを見失ってしまった。

「・・・河合?」
「ん・・・?」
「すげー、好きだよ」
「うん・・・俺も。すっげー好き」

請うて返ってきた「愛の言葉」に、そんなにも嬉しそうに顔を綻ばせて笑うのなら。
せめて、彼は言わない、言えないであろう言葉を望むだけ与える。

彼はまた河合を抱くのだろうか。
そして傷つけるのだろうか。
自分もまた同じように抱くのだろうか。
そして慰めるのだろうか。

それは二人ともが言えなかったから、教えられなかったから、招いたこと。

細い首筋に唇を押し当てて、横尾はきつく目を閉じた。










END






色々と問題がありすぎますけども!
とりあえずこのまんまだとあんまりにも五関さんが酷い人っぽいので、ごっちサイドも書くと思います。
・・・なんかもう色々すいません(アワワ)。
(2006.12.7)






BACK