Double 2
好きという気持ちは一つならただ純粋なのに、それが二つ重なるとどうしてこうも歪みを生じてしまうのか。
まるで盗人が土足で上がり込んでくるような唐突さと乱雑さで。
そのくせまるで蝶がひらりと花に舞い降りるにも似た甘さと柔らかさで。
触れた唇は温かかった。
いつも妙に艶々とした色の良い下唇は触れた瞬間微かに震えた気がした。
それがまた妙な可憐さすら感じさせて、五関はこの相手に対してそんな感想を抱いてしまった自分がどうかしてしまったのではないかとすら思った。
疲れたからと目を閉じて、隣に座ったその肩に顔を寄せていたから、眠っているとでも思ったんだろうか。
だからと言って男が男にキスをするなんていうシチュエーションはどう考えてもありえないものだ。
少なくとも五関の中ではありえなかった。
けれど思わず瞬きも忘れてその顔を凝視していると、相手もようやく事の重大さに気付いたとばかりに動揺を見せた。
遅いよ、お前。
思わずそんな言葉が浮かんだけれど、何故か口から出てはいかなかった。
未だそれなりに近い距離にあるその唇。
今触れたせいなのか、微かに濡れているそれから目が離せない。
長すぎる睫が忙しなく瞬いては視線を彷徨わせるのに、五関もかける言葉を迷った。
「・・・なに?今の」
きっと五関も思う以上に動揺していた。
それはその真意を計りかねるという意味であり、また今の自分の状態に対するものでもあった。
何故自分にそんなことをするのか。
何故自分は驚き以上の動揺を覚えてしまうのか。
また自分は一体どんな答えを相手に求めているのか。
「あっ、あ・・・えっと・・・あ、その・・・」
河合は口を開けたり閉じたりと忙しい。
けれど一向に言葉は形にならない。
ただ動作だけが異様に慌ただしかった。
相変わらず落ち着きのない奴、と。
五関は対照的に妙に落ち着いた感想を抱きながら、かと言って自身もさほど落ち着いていたわけでもない。
そんな河合をじっと見つめる目は今瞬き一つしていないのだ。
河合の一挙手一投足が目に焼き付いていくような気がした。
そして離れていかない。
もう何年も一緒にやってきた相方相手に今更何をと冷静に思う反面、熱を持ってしまったどこかがチリチリと音を立てているのが判る。
まるで何かが焦げ付くような音。
そう、燃えているのではなく、焦げ付いているのだ。
「ご、ごめん・・・あー、えっとー・・・」
ついには俯いて、その男にしては小柄な手を色をなくす程にきつく握りしめている。
血が集まっているのかいつもより赤みを帯びていた。
それにも視線はつい釘付けになる。
もう見慣れるどころか見飽きた程のそれ。
仕事でなら何度も何度もきつい程に握りしめてきた。
その感触は嫌と言う程知っている。
その手は小柄なだけでなく指も細く骨格も華奢で、手だけならまるで女の子のようだと思ったこともある。
「あー・・・つい、うっかりっていうか、なんていうか・・・」
苦しすぎる言い訳。
というよりか、言い訳にすらなっていない。
その妙に赤みを帯びた指先で、だいぶ伸びた毛先をいじるように耳元にかき上げる。
「お前はうっかりで男にキスするの?」
「う・・・ごめん・・・」
「ごめんじゃわかんないだろ」
「うん・・・」
言葉が見つからないのか、視線を彷徨わせながら、かき上げた髪を無造作にギュッと掴む。
すると耳朶から首筋辺りの髪までバサリと上がって、甘い色の残像が視界に残る。
ふわりと揺れる柔らかなそれは、きっと触れたら良い感触なのだろうと淡い想像すら抱かせた。
さっきからそんな詮無いことばかりに意識が行く。
河合のどんな容姿も仕草も見慣れたものばかりのはずなのに。
自分はどこかがおかしくなってしまったのだろうかと五関はぼんやりと思った。
だとすればそれは今さっき触れたあの唇のせいだ。
そのせいで自分はおかしくなったのだと、そう思いこみたかった。
だって今現実に触れた唇は少なくとも思い知らせたからだ。
その容姿、その仕草、その表情、ふとした拍子に垣間見える何もかも。
慣れたと思いこんでいた自分。
「あ、あのっ、なんていうかさ、その、まちがえちゃったっていうかっ・・・」
そうだ。
間違いだ。
そうでなければ触れることなどなかった。
自分はそんな風には触れられない。
なのに不用意に触れたりするから。
「・・・そう。じゃあ、誰と間違えた?」
「え・・・?」
「その首のとこ・・・それと間違えた?」
それをつけた人間と。
そうして自分の首筋、耳の裏辺りのそこを指差してみせる。
河合は一瞬何を言われたのかよく判らなかったらしく、目を瞬かせながら繰り返すようにただ同じように自分の首筋に触れている。
けれど触れているだけでは判るはずもないだろう。
その赤い痕。
もうだいぶ薄くなっているそれ。
そんな場所では確かに本人は気付かないだろう。
そして他人からだってそう簡単には気付かれない場所。
まるで柔らかな独占の痕。
けれど守るための印みたいな痕。
真っ直ぐな恋。
誠実な愛情。
守りたいから崩さない友情。
戯れみたいなキス。
温もりを分け合うみたいな抱擁。
軽口と共に混ざり合う吐息。
知っていたから何もしなかった。
好きだと言ったら何かが変わったか。
愛していると告げたら何かが変わったか。
変えることに意味はあったのか。
どうせその全てが手に入るわけでもないのに。
それなのに。
「・・・ごせき、くん?」
唾を呑む音が聞こえた。
髪をいじっていた手がふと離れ、座っていたソファーにかかった。
そう、逃げればいい。
逃げれば逃がしてやる。
けれど逃げないなら逃がしてはやらない。
「怒ってる・・・?」
恐る恐る覗き込んでくるその顔。
こう見えて人の感情の機微には聡い。
確かにこの感情の波は否応なしに何かを溢れさせてはいる。
それでも河合は気付かない。
存外河合も自分の気持ちで手一杯なのだろう。
「河合」
「あ、」
「お前はどうしてそうなんだろ」
「ご・・・ッん、・・・っ」
どさり、と。
何か重い荷物が落ちたような音がした。
けれど大の男にしては十分に軽いその細い身体。
首に手をやってそのまま押しつけるように倒したのだ。
衝撃はほとんどソファーが吸収してくれただろう。
ただ肺が少し圧迫されたのか、驚きの中に小さく歪んだ表情が見える。
「なんでそんなことするわけ?単なる悪ふざけ?」
「ちがっ・・・ごめん、ごめんなさい、ほんと、謝るから・・・」
河合は大きく頭を振って眉を下げると必死に繰り返す。
その様になんだか妙に残酷な気分になる。
チリチリと焦げ付くような音が耳の奥で大きくなる。
これはなんだろう。
理性が焼き切れる音?
本当にそうならいいのに、と五関はどこか遠くで思った。
理性なんて全部なくなってしまえばいいのに。
そうすれば単純で純粋でいっそ野蛮な衝動に身を任せ、独り占めするように奪うこともできたのに。
奪ったと錯覚することもできたのに。
元より誰のものでもないそれを。
好きだと真っ直ぐに言って奪えるような、そんな燃えさかる程の美しい恋ならよかった。
いっそ狂ってしまえる程の純粋な恋ならよかった。
けれど狂うには、鮮明に見えるものがありすぎる。
たとえばその向こうに見える相手の存在とか。
これは嫉妬?
いや、そんな熱いものでもない。
それならどうして今自分の心はこんなにも冷えているのか。
五関は深く息を吐き出した。
「謝ったって遅いよ。もうしちゃったんだから」
そう、遅い。
不用意に触れてしまうから。
そうしたらもう触れずにはいられない。
そして触れたなら、河合は気付いてしまう。
もしも同じような気持ちで触れる二つの手があったなら、気付いてしまう。
その意味に。
そして選ばざるを得なくなってしまう。
その二つの手のどちらかを。
二つの唯一を選ぶ。
なんて残酷な行為だろう。
「・・・そんなの、許してやらないよ」
見開かれた大きな目に映った自分の顔は、妙に冷静に見えた。
そして笑っていた。
繰り返されるのは睦言ではなく、ただ微かな疑問の声と荒い息遣いだけ。
「ぅ、あ・・・っ、なんで、なんでっ・・・」
「うるさい・・・」
「こ、れ・・・これって・・・だって、ッ」
「うるさいよ、河合」
「・・・・・・なんで、だよ・・・っね、すき、なの?」
汗ばんだ肌を上気させ、上がった息でそれでも問いかけてくる。
痛みに既に泣いた瞳がそれでもじっと見つめてくる。
「ね、おれのこと・・・っ」
「好きじゃないよ」
「じゃあっ・・・でも・・・」
「別に嫌いじゃないけどさ、好きでもないよ。
こんなこと好きじゃなくてもできるって・・・ああ、お前はまだ子供だから知らないのか」
「っ、ふ・・ぅ・・・」
途端に雫が腫れてしまった瞼から零れて落ちる。
それは急に動いたことによってそこが切れてしまったからか、それとも言った言葉で心のどこかが切れたのか。
とにかくその姿は哀れだった。
こんなのは愛じゃないと、確かにそう言える程に。
「・・・でも、これ、なんで・・・じゃあ、なんでぇ・・・」
「なんでって?」
「なんで・・・」
「理由が必要?」
理由があるとすれば、それは選ばせないためだ。
「あんた、は・・・すきじゃ、ないのに、するんだ・・・」
潤んだ瞳は目の前にある痛みからも逃げずに開いたままこちらを映す。
腫れた目はそれでも光を失わない。
きっといずれは答えを見つけ出すだろう。
けれど少なくともまだ見つけさせない。
「こんなの愛してなくてもできるんだよ。
そう・・・だから、そうだな。お前さ、横尾にもしてもらばいいよ」
「よっ・・・よこ、お・・・?」
その名を聞いて震える身体は、何も思いがけないことを言われたという反応でもない。
気付いてはいないのかもしれない。
けれどそういうことだ。
横尾に対する依存。
五関に対する希求。
「そう。どうせ似たようなことはしてるんだろ?」
守りたいから友情を崩せないあの真っ直ぐな恋は知っている。
「たぶん俺よりは優しくしてくれるだろうし」
だから自分は違う愛し方をする。
そうすれば河合は選べない。
揺さぶられる身体は波に攫われ喘ぎ、まるでもがくように細い腕を震わせて伸ばしてくる。
それを目前にしながらも取ってやることはしなかった。
「おれ・・・あんたが、さ・・・?すき、だったんだよ・・・」
「そう。でも俺は好きじゃないよ」
お前はあいつのことも好きだから。
お前があいつの手を離せるはずがないから。
「ほんと・・・は、おれは・・・」
「違うよ河合。ほんとも何もない」
「ちが、う・・・?」
「違うよ」
自分のことを好きだと言うのが真実ならば、あいつのことを好きだというのもまた真実で。
一つの心から生まれる二つの「好き」は共存できない。
いずれどちらか片方がもう片方に耐えられなくなる日が来る。
河合はそんなに器用な人間ではない。
一つの心に向けられる二つの「好き」は互いに身を削りながらも共存するかもしれないけれども。
だから気付いたら選ばなくてはならない。
五関はだから選ばせない。
たった一つの「好き」はそれ以外の何もかもを壊してしまうから。
本当は、その唯一の全てになりたいとも願ったけれど。
その身体に覆い被さるようにして、耳朶の後ろ側に唇を寄せると、薄い痕に上からきつく印を刻んだ。
END
五関さんサイド・・・なんですけど、結局フォローにもなってない気がするのは気のせいじゃないですよね。
結局なんか酷い人じゃねーのかコレ五関さん・・・。
んでも、なんだかんだと振り回されてるように見えて、実は一番酷いことしてんのは河合郁人なんだけどね。コレね。
というわけで、できたら最後フミトサイドで締めたいと思います。
なんかもうひどい結末にしかならなそうなんですけど・・・(うわあ)。
(2007.2.1)
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