瞳の国の住人
「・・・トッツー、なにしてんの?」
ツアー中のホテルの一室。
バスルームからいい気分で出てきた河合が目にしたものは、カーペットの床の上で必死に腕立て伏せをしている戸塚の姿だった。
大きな両手をぺったりと床につけたうつ伏せに近い状態のまま、どこか緩慢な動きで上がったり下がったりしていたその身体。
しかし河合の声がするや否や、それは一瞬派手に反応した後、凄まじい勢いで向こうに転がっていった。
その勢いに河合の方が逆にびっくりしてしまう。
「えっ、なに!?」
「・・・みっ、見られたか・・・!」
どこか漫画めいた大袈裟で苦々しげな調子でそう呟くと、戸塚はサイドテーブル近くまで転がった身体をようやく起こした。
頭にタオルを載せたままきょとんと立ち尽くしている河合を前に、そのサラサラした黒髪を大きな手で乱暴にかきむしりながら、あぐらをかく。
「しまった・・・没頭しすぎた・・・」
そう呟いて小さくため息をついた姿に、河合はそこでようやく何をしていたのかを悟り、思わず声に出して笑った。
頭に載せていたタオルを首に下ろしながら楽しげにそちらに近づくと、その場にしゃがみこむ。
「あー、もしかしなくても、鍛えてたんだ?」
それに返ってくる言葉はなかった。
ただばつ悪げな視線だけが窺いがちに向けられる。
それがまたおかしくて、河合は思わず笑ってしまう。
「・・・河合ちゃん、笑いすぎ」
「あっはは、ごめん!マジごめん!」
そう言いながらも依然として笑っている河合に、戸塚はまた一つばつ悪げにため息をつく。
戸塚は決して細身なわけではなく、割と肉付きはいい。
けれどその割にはあまり力がなくて、常々それを気にしていたのだ。
ジュニア内では抜群の運動神経を誇るA.B.C.のメンバーだけあって、戸塚も一般レベルをはるかに超えた能力はある。
けれどそれでもメンバー内では明らかに一番非力で、疲れてくると力のなさが如実に影響して自分の身体を支えきれなくなることがあるのをいい加減どうにかしたかった。
何より単純に男として、非力など克服したいに決まっている。
「まぁまぁ、いいじゃん。いいことじゃん?」
楽しそうな顔で、けれどからかうのとはまた違う笑顔を浮かべ、河合は両膝を抱えるようにして覗き込んでくる。
けれど戸塚の視線はその顔よりも少し下、膝を抱えたその腕に向かった。
細い両腕。
ダンスでは綺麗に伸び、舞って、どこか優雅ささえ見せる。
アクロバットでは軽やかに力強く床を弾き、その身を跳ばせる。
フライングでは相方の手をしっかりと握り、華麗に宙を飛ぶ。
自分よりもずっと細い両腕で、たくさんのものを掴む。
そこに自然と視線を釘付けにされたまま、戸塚はぽつんと呟いた。
「・・・あー、河合ちゃんには内緒でムキムキになる予定だったのになー」
「えっ、俺知ったらだめなの?ていうかムキムキってとっつ、」
「だめなの」
「え、なんでなんで」
不思議そうに瞬く瞳が綺麗だな、と戸塚は思った。
きつく鋭く、強い意志を感じさせるように真っ直ぐで、けれど実は下がった目尻がどこか愛らしさすら感じさせるそれ。
けれどその綺麗な瞳に映る自分の姿はいつだって気にかかってしょうがないのだ。
それがキラキラと自分に向けられる度に、その割合を増していく度に、反比例するようにもどかしくて堪らなくなるのだ。
じっと視線を落としていたその腕を、まるで確かめるようにゆっくりと、けれど指から手のひらまで覆うようにしっかりと、掴んだ。
「・・・細い、腕」
「とっつ・・・?」
不意に掴まれた腕に、河合は小さく息を呑んで覗き込むように窺ってくる。
特に振り払われることこそないけれど、明らかに緊張しているのがわかる。
目だけをパチパチと盛んに瞬かせながらも、身体はじっと固まってしまったように動かないその様が、まるで小動物のようだ。
それは最近ついに越えた一線で縮められた距離によるものなのかと思うと、なんだか可愛く思えたし、同時に更なるもどかしさも覚えた。
河合が小動物ならば自分は一体なんなのだろう、とそこまで考えて止めた。
「河合ちゃんは、ほんとに、細いね。・・・手も、ちっちゃい」
腕を掴んだのとは逆の手で、今度は手のひらを自分のもので包み込むようにきゅっと握ってみる。
それにも特に抵抗はなかった。
ただこくんと細い喉が上下したのが見えた。
きっと少しの抵抗を考えもして、その上でじっとしているのだろう。
河合はいつまで経っても戸塚に対して理解が追いつかないと思っているから、その分を補うようにやたらと従順になる瞬間がある。
できる限りで受け入れてみれば、少しでもわかるかもしれないとでも思っているのだろう。
たとえば、今がまさにそうだ。
「ほんとに細いし、ちっちゃい」
戸塚の顔に似合わぬ大きな手に、反面その男にしては小さな手はすっぽりと包まれてしまう。
包んだまま、まるで温もりを共有するみたいに擦り合わせてみる。
するとそれはすぐ傍から熱を生み出して、常よりも高い温度を持つ。
それはまるで、初めて一線を越えたあの瞬間のように。
声は必死に押し殺していた。
自分のものではないようなあられもない声が堪えられなかったのか。
それとも、何一つとして誤魔化すことのできないその瞬間に漏れる、ただひたすらに求めてしまうような本音を抑えたかったのか。
きつく噛まれて赤く腫れてしまった唇が、いつも以上の鮮烈な赤色でもって視界をいっぱいにした。
それを自らの唇でやんわり解いて開かせたら、震える吐息と共に掠れて漏れた自分の名前。
堪えても潤んで仕方のないその綺麗な瞳いっぱいに、自分が映っていた。
滴る雫に濡れた宝石みたいだった。
その瞬間を思い出すと愛しくて、でもやっぱり、もどかしくて堪らなくなる。
もっと、もっと、俺は、もっと。
「強くね、なりたいんだ・・・」
けれどそう呟いた声の調子は弱かった。
それでも今ある精一杯の力でその細い腕を掴み、小さな手を握り締める。
きつく、きつく、力を込めて。
河合はこくんと唾を飲んで、ゆっくりと息を吐き出す。
きっと痛いんだろうな、とぼんやり思う。
けれどそれでも望むのだ。
もっと強い力を。
抱きしめて、たとえこの先どんなことが自分達に降りかかろうとも決して離さない、そんな力を。
本当は単純な力の話なんかじゃない、もっともっと、強い心を。
「でも、細い細いって、言うけどさ・・・」
不意に呟かれた言葉に、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
河合がじっとこちらを見ていた。
その瞳がどこか潤んで見えるのは、掴まれた腕が、握られた手が、あの時のように熱いからだろうか。
「力は俺のが、あるんだよ?」
「・・・うん。そうだよね」
「腕相撲なら100回やっても100回勝てるし」
「でも、そこは1回くらい勝っときたいな〜・・・」
その言葉に思わず眉を下げて苦笑すると、河合はその微かに潤んだような瞳を緩く瞬かせて、なおじっと見つめてくる。
なんだか穴が開きそう、なんて思う程の瞳。その力。
そう、勝てるわけがない。だって力は向こうの方がある。
戸塚はいつもそう思うからこそ、いつだって願うし・・・願うだけではないのだけれど。
「それに俺だってさ、ビリー隊長やってるし」
「あー・・・そう言えば、そうだったっけ」
確か北山にDVDを借りて横尾と一緒にやっていると話していた。
けれどそんなことを今言われてようやく思い出す程に、特にそれから変化も見られなかったのだ。
戸塚のそんな反応に過敏に反応してか、河合は軽く唇を尖らせる。
「・・・まぁ、どーせあんま成果出てませんけどー」
「あっ、いやー、河合ちゃんはほら、体質的な問題だって!きっと!」
「・・・それってさ、もう絶対無理ってことじゃん。俺だめってことじゃん・・・」
「あー、あー・・・いや、人間努力だよ、たぶん・・・」
「たぶん、ねー・・・」
見るもしょんぼりとする河合が、そう言えばいくら食べてもいくら鍛えても肉がほとんどつかない、そんな自身の体質をそれなりに気にしていたことを今更に思い出す。
それこそ戸塚が自らの非力さを気にする以上にそれはコンプレックスなのだ。
思えば、さっきからそのコンプレックスを刺激するようなことばかり言ってしまっていたようにも思う。
相手に向ける気持ちが大きければ大きい程に、それは当の相手を傷つけることにもなり得る。
けれどそれを理解していながらも改めるつもりがない自分は、もしかしたら酷い人間なのかもしれないと、戸塚は思った。
そしてそう思いながらも、戸塚はもうその手を離せない。離すつもりがない。
だってようやく手に入れたのに。
掴んだ腕に、握り締めた手に、あらん限りの力を込める。
河合はそれでも振り払わないから。
もっとずっと強い力を持ちながらも、それでも。
「・・・でも、そう言えばトッツーさ、一回俺に勝ったことあるよ」
「えっ?・・・うそ?」
「あー、憶えてないかー・・・」
「うそ、いつ?あった?」
そんな、戸塚からすれば劇的な勝利をまさか憶えていないだなんて。
眉根を寄せて首を盛んに捻る戸塚を見て、河合は不意に身体を傾けてきた。
腕を掴まれ手を握られているから、ほとんど身動きできない状態で、こてんと戸塚の肩口に頭を預けるように。
今肌の触れ合う腕と手よりは僅かに低いその温度と、触れる柔らかなその少し湿った髪の感触と、鼻腔に感じるその微かな匂い。
触れていた部分が更に温度を上げた気がする。
「かわい、ちゃん?」
自分の肩口にあるキャラメル色の頭に視線をやると、伸びた髪から覗いた耳朶がうっすら染まっていた。
まるでその時の気持ちを表すメーターみたいなそれ。
ついズルをするみたいにそっと顔を近づけて唇で触れたら、更に赤みを増した。
どこまでもめいっぱい、真っ赤にさせたい。全て染めてしまいたい。
その瞬間唇に感じた温度に妙な渇きまで覚えた。
「これじゃ、だめかな・・・」
肩口から聞こえるくぐもった声。
迷って躊躇って戸惑って、それでも「ここ」を望む声。
「とっつー・・・」
「・・・名前が、いい」
「・・・・・・しょう、た」
ハスキーなその声が熱っぽく掠れて、どこか稚く紡がれる名前が胸を満たす。
たとえ望む程に理解できなくても精一杯で愛情を示そうとする。
だからそんなに強くなろうとしなくていいと、そんな風に伝えてくる。
力が足りないなら自分が寄ればいいのだと。
やっぱり河合ちゃんは、俺より強い。
自分の肩口に預けられた頭、その柔らかな髪の感触を戸塚は頬で感じる。
「かっこいいね、かわいちゃん」
「ん、・・・とっつ?」
埋められていた顔を上げさせて、その柔らかく熱い唇に自分のもので触れた。
「かわいいね、ふみと」
唇が触れる程の距離だから、その瞳いっぱいに自分が映るのが見えた。
戸塚はそこに自分の笑顔を映してみる。
河合がよく好きだと言ってくれるそれを。
可愛いと言って笑ってくれるそれを。
自分にとっても大事なそれを、歪ませたくない。
だけど。
「目、閉じないでね」
囁いた先でその瞳が少し潤んだままに、やんわり撓む。
綺麗なその瞳はきっと、どれだけの歪みを映しても、なおどこまでも綺麗なままで。
END
最近トツフミが連載でも少クラでもなにやら半端なくラブ感を醸しだしているので(というかトツのフミ愛が異常なので)、ついに出来上がってるトツフミいってみました。
ネガネガカップル本領発揮!みたいな感じで楽しかったです(ちょっと)。
五関さんと違って戸塚くんは突き進むからね。しかも後ろ向きに突き進む感じ。
(2007.10.14)
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