合わせ鏡










その日の収録でも、河合は楽しげに周りの人間と談笑したり、時にスキンシップを交わしたりと、一瞬たりとも落ち着く様子はない。
まさに今だって藤ヶ谷と横尾の間に挟まれては、きゃらきゃらと甲高い特徴的な笑い声を上げている。
藤ヶ谷の肩に手を廻したり、かと思えば横尾に抱きつくようにしてひっついてみたり、その人懐こさをいかんなく発揮しては、リハーサルスタジオにその存在感を放っている。
見ればその三人の周辺でも、もう少し年下のジュニア達がそれを笑って見ているし、もっと幼いジュニアにはそれに混ざりたそうにしている子もいた。
するとちょうどウズウズしていたらしい龍太郎が、ついにそこに飛び込んでいくのが見えた。
龍太郎はその小さな身体で河合の腰の辺りに飛びつくようにしてしがみついている
それを少し驚きながらも更に大きく笑っては、ギュッと抱き返して頭をぐしゃぐしゃと撫でてやるその小さな手は、人懐こいだけでなく面倒見がいいこともよくわかる。
そのすぐ傍には、まるで兄弟のような二人をまとめて子供扱いで笑って眺めつつ、河合の腕の中にいる龍太郎の頭を撫でてやる五関の姿も目に入る。

そう、あれはよくある光景なのだ。
言ってしまえばいつもの光景。
それをスタジオの隅で椅子に座ってぼんやりと見ていた北山は、突然視界を上下に遮るように振られた手にはたと目を瞬かせてその主を見た。
その見た目にそぐわぬ大きな手の持ち主は、愛らしい顔を子供のようにきょとんとさせている。
そう言えば今さっきまで二人でサッカーの話をしていたのだと思い出して、北山は思わず取り繕うようにわざとらしく身を起こし、椅子に座り直した。
うっかり途切れてしまったその話題を思い出しては何事もなかったように先を続ける。

「あー・・・っと、そんでさ、トッツー今度の試合見に行く?」

しかし戸塚はその言葉に更に不思議そうに小首を傾げ、少し顔を近づけると北山をまじまじと見つめる。

「だから、それ何日なの?って。今訊いたじゃん」

そう、ついさっきも話はそこまで進んでいたのだ。
ちょっと前までは結構な頻度で行っていたサッカー観戦も、最近の忙しさであまり行けていなかったから、久々にどうかという流れで。

「・・・あ、そうだったそうだった。えーと、そう、そうだ、13日!」
「金曜日?」
「そうそう」
「あー、無理だなー」
「あ、マジ?なんだ、そっかー」
「13日の金曜日とか縁起悪いし」
「そこかよ!?」
「・・・ていうのもあるし、ちょっと用事あるから」
「あ、そう。んじゃ、まぁ、また今度ってことでー・・・」

そう納得するように頷く北山を後目に、しかし戸塚は「んんー」と小さく考えるような仕草を見せてから、あっけらかんと言った。

「河合ちゃんでも誘ってみれば?」
「・・・・・・はぁ!?」

北山は瞬時に眉を寄せて信じられないような声を上げた。
その口から出た名前がまさに信じられなかった。
自分が無理だからと他に誰かを誘ってみればいいという提案は、特におかしいものではない。
しかしその挙げられた人物にはだいぶ問題がある。
何も北山や戸塚のように特別サッカーが好きというわけでもないのに。
それならば、一瞬半ば意識を飛ばしていたような僅かな間に、「その名前」が出るような理由が生まれてしまったのだろうか。それはもしかしたら自分の視線のせいで?
北山は思わずむっつりと眉を寄せると、戸塚を見てぼそりと呟く。

「・・・つーかさ、」
「ん?」
「なんで河合?」
「あ、なんか河合、一回生でサッカー観てみたいんだって。こないだなんかの時に言ってたなぁって、思い出しただけ」
「あっそ・・・」

言われてみればなんてことはない。
特に不思議なところなど見当たらない理由だ。
そう、自分がその名に過敏に反応してしまっただけなのだ。
北山はなんとなくばつ悪げに頷くと、誤魔化すように続けた。

「ていうかあいつ野球派じゃなかったっけ?なにいまさらサッカーとか」
「でも、それ言うならお前だってそうじゃん。野球も観に行ってるじゃん」
「そ、そりゃー・・・そうだけどさ・・・」

言われることはもっともだ。
北山は、今自分が喋ることは何もかも墓穴を掘ることのような気がして、そしてそう思う先から「じゃあ墓穴ってなんだよ」なんて、そんな自分に悪態をつきたくもなって、妙な苛立ちを覚えた。
視界の端には未だ龍太郎とじゃれあう河合の姿がある。
まるで半ば八つ当たりのようにそれを鬱陶しいな、なんて思って視線をやった矢先。

何故か視線がかち合ってしまった
向こうも驚いたようだ。
その猫のような瞳を見開いている。

河合はいつからこっちを見ていたのだろう。
ちょうど今だろうか。それともついさっきだろうか。それとももっと前?

「・・・北山?」

隣から不思議そうな戸塚の声がする。
覗き込まれるような気配もある。
けれど北山は今度は反応できなかった。
かち合った視線を互いに逸らせずにいたからだ。

本当はもう何度もあった。
普通には気軽に触れ合う場所で、そのくせ絶対的に縮まらない距離で、こうして交わった視線。
けれどそこから先に意味が生まれたことなど、ただの一度もなかった。
意味が生まれようとするその前に、河合が目を逸らしたからだ。
そう、今みたいに。

まるで見ていたこと自体が気のせいであったかのように、河合は再び龍太郎とじゃれあい、藤ヶ谷や横尾や五関と笑い合っている。
北山のことなど見ていない。気にしてもいない。
そんな風に、そんないつもの河合郁人の顔をこれでもかと見せつけながら。

北山はその瞬間、自分の心に燻っていた炎のような何かが、めらりと揺らめいたような錯覚を覚えた。

「・・・なぁ、トッツー」
「ん?なに?」

けれど本当に意味は生まれないのか?
そこには何一つとして?

本当は、意味など最初からあったのに?

「俺さ、正直、気になるんだよ」
「・・・気になるってー、誰を?」
「・・・・・・あれ」
「あれなんて名前のやつ、いないよ」
「・・・・・・河合」
「ふーん。河合ちゃんかぁ」

けれど戸塚はそう頷いただけで、北山の方も見ずにぼんやりしている。
北山も特に気にはしなかった。
ただ、じゃれあうその様をもう一度視界に映す。

人好きで、人懐こくて、自分が好意を持った人間と自分に好意を持ってくれる人間には無条件の愛情を示すような、ある種の博愛めいた様すら見られる河合が。
その大きな一等星のような瞳で真っ直ぐに相手を映し、いつだって人懐こく笑ってみせる河合が。
その瞳にとどまらせることを許さず、唯一で絶対の距離を保とうとする相手が北山だ。

もしもそれが単純に「嫌い」という感情に根ざすものだったならば、話は簡単だった。
けれど恐らくそうではないことを北山は薄々感じていた。
もし嫌いなら、見なければいいだけの話だ。相手にしなければいいだけの話だ。
あからさまではなく、けれど決して関わらぬように、関わられぬように、近づかなければいい。
自分とてそうするだろうから、わかる。
口にしてしまえば寒いとしか言いようがないと北山自身は思っているが、そこは「似た者同士」故に感じてしまう妙な確信だった。
それこそ思い込みだと言われればそれで終わり程度の理由。

あるいは、もしかしたら本当のそう思い込みたかっただけなのかもしれない。
ただそれを認めるのは酷く癪なことだった。
自分だけが、そんな、なんて。
北山にとってみれば到底認めたくないことだった。
そして何より、こんな自分をこんな気持ちにさせる、あの瞳が。
妙に強く切に向けられるのに、捕まえようかと思った瞬間に逃げる、あの瞳が。
それこそが、自分をこんな風にしているというのに。
視線を逸らされる度に確かに感じる胸の痛み、この確かな苛立ち。

「あの子はさ、押すと逃げるから」

不意に隣で呟かれた言葉。
北山は無言でチラリとそちらを見る。
普段周りから不思議だの理解しづらいだの思われているらしいこの一つ年下の友達は、だからなんだろうか、どうやら河合と北山のそんな理解しづらい関係を薄々理解しているようだった。

「だからってまぁ、引いても・・・どうなんだろ」

その横顔はなんだか無邪気に笑っている。笑い声を堪えてもいる。
何がおかしいんだよ、そう言おうとした言葉はなんとなく飲み込んで、北山は深く息を吐き出した。
その柔らかな茶の髪を片手でくしゃりとかき乱し、一瞬目を瞑って、また開けて、向こうにいるその姿を真っ直ぐに見据えて。








思えばその日の北山は朝からおかしかった、と河合は振り返るように思う。

いつもより妙に話しかけてくるし、笑いかけてくるし、軽いスキンシップさえある。
言ってしまえばそんな行為自体は河合にとっては日常茶飯事のことではあるのだけれども、いかんせんこの相手に関しては慣れないというのが正直なところで、妙に居心地の悪い気分を味わっていた。
何より北山自身が河合に対してそんなに積極的に寄ってくること自体があまりないことなのだ。
北山はああ見えて人との距離を気にするタイプだから、完全に無防備に誰かとじゃれあうということが意外とない。
完全に心を許せる相手というのが限られているのだ。
そしてそういう相手でないと安心できない。
だからそれは自分相手ならばなおのことなのだ、と河合は自ずと理解していた。
そう考えれば、これはどうせ単なる気まぐれのようなもので、さしたる意味はないだろう、結局そう結論付けて河合はその日を何気なく過ごそうとしていた。

その日の帰り、河合は五関と買い物に行くことになっていた。
本当は藤ヶ谷と横尾も誘ったのだが、生憎と二人とも用事があるとかで来られないらしい。
せっかく横尾に秋物を見立ててもらおうと思ったのに、と河合は少し残念に思った。
殊服に関して言えばそのセンスは横尾がピカイチだし、何より好みの系統が合うからアドバイスも貰いやすいのだ。
そういう意味で、五関だと趣味が違いすぎるという問題があるし、そもそも積極的に人の選択に口を出すようなタイプでもないから、恐らくは何を着ても「いいんじゃない」としか言わないだろう。

「・・・まったくさー、そんなんじゃ彼女できた時に呆れられちゃうぞー」

そんなことを呟きながら衣装から私服に着替えていたら、バッチリ聞き咎められてしまった。
河合より先に私服に着替えてしまって暇潰しにゲームをやっていた五関は、チラリと視線を上げて胡乱気な表情で河合を見る。

「は?なんか言った?」
「あっ。・・・いいえー」
「待っててやってる人に対して悪口とかどうなの」
「いやいやいや悪口とか言ってないって!」
「ふーん。まぁいいけど、早く着替えて。お前さ、口ばっか動かしてるから手が動かないんだよ」
「もうちょっとだから待ってって!・・・・・・あれっ?」

五関の心なしか冷たい視線に慌ててジーパンのベルトを締めたところで、河合ははたとした。
ベルトにかかった自分の指、その左手の中指に見慣れたものがなくなっていることに気づいたのだ。

「なに、どしたの」

急にその細い指を忙しなくいじりながら落ち着きなく視線をさまよわせる様に、五関は怪訝そうな顔をする。
しかし五関も自然とその左手の中指を見て、軽く眉を上げた。

「あれ、お前・・・」
「ゆ、指輪っ!」
「今日もしてた・・・よな」
「してた!あの、あの、黒のドクロのヤツ!うそ、どこで落としたんだろ・・・」

それは河合がついこの間ショップで一目惚れして購入して以来、毎日のように身につけてきていた指輪だ。
あまり見かけないデザインで、聞けばその一点しか入荷していないしこの先入荷するかどうかもわからないと店員に言われ、金欠だというのに奮発してしまった代物だった。
必死に記憶を引っ張り起こそうとする河合を助けるように、五関は落ち着いた声で尋ねてやる。

「それ、最後に外したのは?」
「えっと、衣装に着替えた時・・・?あれ?違うかな・・・えと、」
「衣装に着替えた時ならここにあるだろうけど」

普通に考えれば、それは衣装に着替える時だ。
それは毎日指輪をつけてきていたここ何日かでも同様だったから。
けれど今日の数時間前の記憶を掘り起こしてみても、それはなんだかあやふやだった。
確かに着替えた時に外したような気もするが、それはあくまでもここ数日の記憶のような気もする。

「・・・違うかも。もしかしたらトイレとか・・・」
「ああ、手を洗う時も外すか」
「そうそう、なんか今日はそこで外して忘れちゃったような気もすんだよね・・・でも自信ない・・・」

言いながら河合は自分の鞄をガサガサと漁り始める。
さすがに買ったばかりの、しかも相当奮発したお気に入りの指輪をなくすのはへこむだろう。
そのしょぼくれたような横顔を見て、五関は軽くため息をつくとゲームを置いて椅子から立ち上がった。

「じゃ、トイレは俺が見てきてやるよ」
「えっ、マジ?」
「手分けした方が早いから」
「ああ〜・・・マジ助かる!ありがと五関くん!」
「見つからないと出れないだろ」

これ以上待たされるのは勘弁、なんて軽い調子で言って五関はさっさと部屋を出て行った。
それを横目に「ああ五関くんやっぱなんだかんだ優しい」なんてしみじみ思いながら、河合は鞄を放り出して今度は鏡台の上を探し始める。
そこら辺に放り出してあるジェルやムース、その他様々な小物に紛れていないか、慎重にそれらをかき分ける。
しかし台の上を一通り見てもやはり見つからない。
河合はそこで一つため息をつき、念のためと思って床にしゃがみこむと、鏡台の下やソファーの下を覗き込んでみた。
部屋になければやはりトイレだろうか。
しかしトイレにもなかったとしたら、もう少なくとも今日のところは諦めるしかないかもしれない。
一応警備や清掃の人に伝えておけば、後日出てくる可能性もあるかもしれないし・・・と、そんなことを思いながら床に這い蹲っていると、楽屋の扉が再び開いた。
随分と早いけれど五関が戻ってきたのだと思い、河合はちょうどソファーの下に手を突っ込んだままそちらに声を向けた。

「五関くんあったー?こっちはダメっぽいんだけどさぁ・・・」

汚れた床に手をついたままため息混じりでそう漏らすけれど、何故か返ってくる言葉はなかった。
それに一拍置いて「あれ?」と小首を傾げた河合は、そのままの体勢でゆるりと顔だけで振り返る。

「五関くん?」

しかしそこにあったのは五関の姿ではなくて、同様に小柄だけれども、もっと童顔で甘い顔立ちをした男。

「北山・・・?」

北山は後ろ手に扉を閉めて立っていた。
既に身支度は整えていて、ステージ終わりには乱れていたふわりとした茶の髪も、すっかりスタイリングされて綺麗なものだ。

「よ、なんか大変そうじゃん」

そんな風に軽い調子で言っては、床に両手両足をついた河合をどこか楽しげに見下ろしてくる。
もうとっくに帰っていたと思っていただけに、河合は慌てて膝をついたまま上半身だけを起こしてそちらに向き直った。

「あ、あー、うん。ちょっとね。・・・なに、どしたの?あ、トッツー?トッツーならもう帰っちゃったけど・・・」

確かに普段からA.B.C.の楽屋にもよく遊びには来る。
けれど身支度を終えた状態でわざわざやって来る用事など、帰る方向が一緒だからといつものように戸塚を誘いに来るくらいしか、河合には思い浮かばなかった。

「いや、トッツーじゃなくて。これ」

北山は軽くそれを否定するように頭を振ると、その右手を開いて河合の方に向けてみせる。
一瞬何かと小首を傾げながらそこを凝視すると、その掌の上には今まさに探していた黒いドクロモチーフの指輪が転がっていた。
河合は驚きと共に一気に立ち上がる。

「あっ!そ、それっ・・・!」
「あー、やっぱ探してた?」
「めっちゃ探してた!うそ、どこにあった?」
「突き当たりのトイレ。一番奥の蛇口の横に置いてあった」
「あ〜・・・やーっぱトイレかぁ・・・。そうじゃないかと思ったんだよね・・・」

河合は安堵でホッと息を吐き出して頬を緩めると、それを受け取るべく自然と北山の方に歩み寄る。
これでこれ以上五関を待たせることもない、と。
けれどそこまで思ってからはたとした。

「・・・あれ、そういや五関くん会わなかった?トイレに探しにいってくれてるんだけど」
「いや。会わなかったけど?」
「あれ?そっか・・・入れ違いかな・・・」

そう言って首を傾げながら、それなら見つかったと早く報せにいかなければと、そう思った。
しかしそうして何気なく差し出した河合の小さな手に、その指輪は返ってこない。
依然として目の前の北山がその掌の上で弄ぶようにしているからだ。
河合はふと小さく眉を寄せて怪訝そうな顔をする。

「・・・ありがと。返して」

見つけてわざわざ持ってきてくれたのだからと、河合は一応礼を述べた。
だからそれ以上相手の何か思惑につき合わされる必要もないはずだ。
言ってしまえば、そんなかわいげのない思考になってしまうのも相手が北山だからなのだと、河合にはそんな自覚もあったけれど、それより今は相手の真意を量ることの方が重要だった。
微かな警戒心みたいなものを表情に滲ませる、一気に鋭さを帯びる猫のような瞳。
それを前に、北山は何故かその厚みのある唇の端を小さく上げると、軽く鼻で笑ってみせた。

「お礼は?」
「は?」
「指輪、持ってきてやったお礼だよ」
「・・・だから、ありがとって言ってんじゃん」
「そんだけ?」
「はぁ?なにおまえ、なんか寄越せっての?」

どんだけ卑しいんだよ、と。
それでも冗談を交えるようにして軽くバカにした調子で言ってみせた。
けれど北山は依然として唇の端を上げたまま、じっと河合を見つめて繰り返す。

「お礼。じゃなきゃ返さない」
「なんなんだよお前・・・ふざけんなって。それ大事なヤツなの。返せってば」

鋭い瞳がじわじわと険を帯びていく。
同時に、その奥には比例するように警戒の色が濃くなっていく。

まるで野良猫だな。
普段は人懐こい飼い猫でしかないのに。
北山は平然とそんなことを思う。

「大事な奴ならなおのこと、お礼くらいするのが普通だろ」

傍目からすれば意地悪どころか、もはや人格を疑うような台詞だ。
けれどそれに河合は怒ったり喚いたりはもうしなかった。
その揺らがぬ瞳をすうっと細め、ふいっと踵を返してしまう。

「・・・・・・じゃ、いい。もういい。それ、やるよ」

妙に冷めたような口調でそう言うのに、北山の眉根がピクリと動く。
そこには確かな苛立ちが浮かんだけれど、背中を向けた河合には生憎とわからなかった。

「いいの?大事な奴なんだろ?」
「だって返してくれないし。だったら、もういい。もういらない」

振り返らない、どこか頑なな細い背中。
その指輪を失うことよりも、目の前の人間と向き合うことの方が余程苦痛だとでも言うかのような。
気付けばそっちの方が痛い程の強い瞳で見つめてくるくせに。
こっちが見つめるのは駄目なのか。
見つめ合うのは嫌なのか。

なんて勝手な奴、と。
北山は嘲るように息を吐き出して、そのまま一歩を踏み出すと、一気にその距離を詰めた。

「そんなら、お礼は勝手に貰うわ」

その不穏な言葉に河合が勢いよく振り返る。
瞬間、振り返り様の河合の胸ぐらをその白い手が掴んだ。
強い力で一気に引き寄せられ、抵抗する間もなくそちらに身体が傾く。

「なっ、に・・・」

一気に近づくその距離に、河合は混乱を来しながらも反射的に右手を伸ばして、それを留めるように北山の肩を力任せに掴んだ。
加減のないそれに、北山の左肩がジンと痛む。
けれど北山もまたその手を離さず、止めず、河合のシャツの襟が伸びてしまう程に強く掴む。

「はな、せよ・・・」

そんなことを、ハスキーな声でまるで唸るように言う河合など、誰が見たことがあるだろう。
好意を持った相手だけではない、たとえ内心好きではない相手だとしても、河合はこんな態度はとらない。
河合はそのきつい顔立ちのせいで決してそうは見られないけれども、元々気の強い性格ではないのだ。
むしろ気は弱い方で、他人からどう思われるかを酷く気にするから、たとえ好きではない相手だろうとも決してこんな態度にはならない。
そしてそんな河合の性質を誰よりも理解できてしまうのは、きっと自分もそうだからだと、北山はわかっていた。

わかっていたからこそ、今の今まで動けなかった。
たとえ自覚していても動けなかった。
河合は押せば押す程引け腰になって逃げるタイプだ。
与えられすぎると、与えられなくなった瞬間を想像して不安になるからだ。
けれど、じゃあ引けばいいのかと言えば、決してそうでもない。
これが他の相手ならばまた違うのかもしれないけれど。
ここで引いても、北山と河合の距離は変わらない。
遠くなることこそないけれど、決して近づくこともない。

近づくことを頑なに躊躇うその姿は、まるで自分を映す鏡のようで、腹さえ立つ。
ただ、だからこそ視線を合わせることを厭うのが河合で。
今、それを終わりにするために、その鏡向こうに手を伸ばしたのが北山だった。

「そろそろ観念しない?」
「なにがだよ」
「欲しいなら素直にそう言えよ。見てるばっかじゃ手になんか入んないの。わかる?」

押しても引いても逃げるなら、もう押し切って捕まえるしかない。

北山は掴んだ胸ぐらを更にグッと引いて、間近に迫るそのきつく整った顔を半ば睨み付けるように、低く甘い声で囁く。
それにせめてと小さく顎を逸らすようにして、河合はそこから北山の顔を見下ろして同様に低く返す。

「・・・欲しいって、誰が?」
「お前が、だよ」
「人襲っといてなに言ってんだよ」
「襲う?・・・ああ、無理矢理ヤられんのが好みか、河合ちゃんは」

さすがM、なんて。
軽く嘲るようにそう言って、北山は不意に胸ぐらを離す。
そしてその脚で河合の腹を軽く蹴飛ばした。

「っ・・・」

咄嗟のことに腹の辺りを押さえ、河合はすぐ後ろのソファーにどさりと倒れ込んでしまう。
もちろん蹴飛ばすと言っても、精々が前に押した程度だ。
しかし脚で蹴られたのは確かで、シャツが汚れたことに河合は思いきり顔を顰めて目の前の童顔を睨む。
その視線を悠々と受け止めながら、北山はそのソファーに歩み寄ると身を屈め、今度こそ触れそうな距離で顔を近づけてみせる。
河合は咄嗟にまた何か口にしようとした。
けれど口を開いたところで止まる。
目の前の幼げな顔が、どこか複雑そうな表情で、自分をじっと見つめていたからだ。

「・・・きた、やま?」
「なぁ、限界だと思わない?お互い見てるばっかで、どうしようもなくてさ・・・」

河合の柔らかそうな下唇が微かに動く。
けれど声にはならない。
その動きをじっと追いながら、北山は思うのだ。
もうその唇に触れなければ、駄目だと。
そうでなければ、この胸の痛みも、妙な苛立ちも、きっとこの先も消えることはない。
もしかしたらそれは触れればよりいっそう増すことだってあるかもしれないけれど、それけれどもうこの距離を保つという選択肢は選べそうにない。
それならそれで、それごと全て一緒に抱えて持っていってやるとすら、思うから。

「なんか、もう、色々イライラして、めんどくさいしさ・・・」
「・・・めんどくさいから付き合うの、俺たち」
「そういうんじゃなくて、だから・・・」
「だからなんだよ」
「・・・お前、なんで俺にばっか言わせんだよ」
「ばっかって、お前別にまだなんも言ってないじゃん」

つやつやした唇が僅かに尖って、どこか不満気な調子で漏れる言葉。
なんだよわがままな奴、なんて思いながらも北山は内心落ち着かないでいた。
視線を忙しなくさまよわせる。
河合はその様にうっすら目を細め、言葉にならない息を漏らすと、一度唇を引き結ぶ。
それからもう一度微かに開き、何事か口にしようとした。

その時、背後の扉がもう一度開く。
それは今度こそ五関だった。

「・・・北山?河合?」

当然のように怪訝そうなその顔。
何故北山がこの楽屋にいるのか、そしてそれ以上に二人はそんな体勢で一体何をやっているのか。
そんな疑問が見えるような声音に、河合はその瞬間息を飲んで離れようとしたけれど、北山が咄嗟にその細い手首を掴んで引き止めた。
河合はそれにもまた息を飲んでじっと北山を見上げる。
けれど五関の方も気になるのか、チラリと視線を寄越しもする。

まるで展開は読めなくとも、二人の間の空気に何かしら感じるものがあったのか。
五関は軽く首を傾げながら、それでも落ち着いた様子で呟く。

「ああ、そうだ。指輪なかったよ」
「・・・そ、そっか。ありがと・・・」

北山に手首を握られたままにそちらを気にしながら、なんとかそう返された言葉。
けれど目の前の二人の様子など意に介さぬと言わんばかりに、五関はまとめておいた自分の荷物を手に持つと、平然と言う。

「じゃあ河合、行くよ」
「え、あー・・・うん、・・・でも、」

まるで北山の姿など見えていないかのような言葉には、河合もさすがに驚きと動揺を隠せない。
口を何度か動かしながら、自分の手首を依然として掴んだ北山を窺うように見上げる。
北山はと言うと、河合と向き合ったまま、つまり五関には背を向けたままに、細い手首を掴む手に力を込めて背後に低く呟く。

「・・・今、取り込み中なんだけど」

しかし五関はそれでも特に気にした様子もなく、当然のような顔をする。

「そっちこそ、こっちが先約なんだけど?」
「五関くんさぁ・・・」
「なに?」
「そんなに、俺の邪魔したい?」
「はは、お前さ、どんな自意識過剰?」
「それとも、守ってでもいるつもりなの?」
「守る?何から?・・・あ、友達を襲ってる奴から?」

冗談なのかどうかわかりかねるその調子。
北山はそちらに背中を向けたまま顔を顰め、ますます河合の手首に力を込める。
それに微かに痛みを覚えて顔を歪めた河合の表情を敏感に読み取ったのか、五関は少しだけ眉を顰める。
けれど北山は何も言わない。
五関はそこで口調を強めて言った。

「・・・それ以上何も言うことがないなら、離れろよ」

その瞬間、北山が手を離した。
そして僅かに俯いた。
けれどその代わり、今度は河合の手が北山の腕を掴んだ。

「かわい?」

北山は目を緩く瞬かせて目の前の顔を窺う。
それは咄嗟に反射的な行動だったのか、当の河合自身も驚いていた。
ただそれでも河合は手を離さず、少しだけ掠れた声で呟く。

「ごめん、ごせきくん・・・。今日は、やめとくわ・・・」

五関は答えない。
ただじっと河合を見つめ、判断に迷っているようだ。

「今度、埋め合わせするから・・・・・・ごめん・・・」

掠れた声。
けれどそれでもその小さな手が、目の前の、存外にしっかりした腕を掴んで離さない。
離そうとしない。

ずっと逃げ回っていたくせに。
欲しい欲しいと強く見つめながらも逃げていたくせに。
手を伸ばすことを恐れてばかりいたくせに。
けれど、もう逃げ道をここに用意してやらなくてもいいなら、それでいい。

数拍置いて五関はふっと表情だけで笑むと、特に気にした様子もない口調で言った。

「・・・あ、そ。じゃ、その埋め合わせとやらを期待してる」

それに河合がホッと心なしか頬を緩めたのを見てとると、そのまま楽屋を出て行った。


残されたのは再び二人だけ。
北山は、依然として掴まれたままの自分の腕をじっと見下ろしては、ぽつりと漏らす。

「・・・・・・で?どうなの?」
「は?なにが?」
「俺とつき合うのかってことだよ。・・・俺は、そういうつもりなんだけど」
「・・・俺の返事聞く前に既に決定なんだ。勝手なやつー」
「だからっ、今訊いてんだろ」
「ていうか・・・お前じゃないと、意味ないみたい」

きっとその瞳の奥を見つめる度に、自分の嫌なところ、見たくもないところが見えて来るに違いない。
実際今までだってそうだった。
だって自分達はあまりにも似すぎている。
そんな自分のような相手を優しく大事に愛せるような自信などなかった。
けれどそんなのは所詮無駄な抵抗でしかない。
嫌になる程似た相手。けれど当然決して自分ではない。
確かにそこに意味がある。相手でなければならない意味が。

河合は掴んだその腕をゆっくり引くと、不意に相好を崩して笑った。

「俺言っとくけど、独占欲めっちゃ強いから」

それに北山もようやくその顔立ちに見合う柔らかな笑顔を浮かべた。
河合の小さな手をするりと取ると、未だ持ったままだった指輪をはめてやる。
まるで契りを交わすかのような、その仕草。

「奇遇じゃん。俺もそう」
「浮気すんなよな」
「お前がな」

まるで鏡を合わせるように、その手と手が重なった。









END






233国勢調査リク第五弾。
「自分にだけはどうしても距離を縮めてくれない河合ちゃんに痺れを切らしたみっくんが行動を起こす、みたいな感じの。一気にキャラ変貌したみっくんから守るナイトもいたら素敵」というリク。
非常に難産だった!
というか、北河は考えれば考える程グルグルしてしまう(笑)。
しかも本人らはよっぽどラブラブなのに(最近酷いよ)、相変わらずうちの二人はツンツンカップルです。
ツンデレじゃなくてツンツン。
特にフミトがもう他の子相手では考えられない程にツンツンツンツンしてるもん(笑)。
しかも他の子の前では普通なのに、いざってとこでツンツン。
まぁ、なんていうか、てめーには負けねぇ、みたいな意味での意地の張り合いなんだけどね、詰まるところはね(そんな)。
ただ言う程豹変みっちゃん書けなかったなー。案外みっちゃん常識人なイメージなのであんなんが限界でした(笑)。
そういうとこで相当豹変するのは、私の中では横尾さんとトツです(なにその二人)。

しかしなんていうか、むしろ北トツシーンとナイト五関様の方に気合入ってる感じがモロばれですいません!(あー)
色々趣味を詰め込みすぎました。
次の北河こそ少しはラブにしたい。せっかくくっついたことだし!
(2007.10.14)






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