月下美人の誘惑
「お前、それ普通に着てるんだ」
「それ?」
「それ」
「これ?」
「そう、それ」
そう言って五関がどこか感心したような、半ば呆れたような口調で呟いて指差した先。
そこには風呂上がりの河合が黒いバスローブを着込んで立っている。
髪が湿ってぺったりとしているから、それは最近黒に染め直したのとも相まってなんとなくいつもよりも幼く見える。
けれどもその反面着ているのは、繰り返すように「バスローブ」なわけで。
言わばステレオタイプというか、ドラマや映画のイメージで言う「大人の男」の象徴のようなそれは、確かにこのミーハーな年下の恋人は好きそうだと五関はしみじみと思う。
そしてそれをわかった上で成人祝いにそれをプレゼントしてみせたあのカリスマスターの先輩はさすがだと思わされる。
実際プレゼントされたステージ上でも、そしてステージが終わった後だって、河合の様子はもはや笑って頷いてやるくらいしかできない程の喜びようだった。
「すげー嬉しい!」といったい何度聞かされ、そのバスローブを見せられたことか、と五関はつい一ヶ月程前のことをしみじみと思い返す。
もちろんそれは成人という節目を、尊敬する大先輩に、しかもそのステージ上で祝って貰えたことが喜びに拍車をかけているであろうことはよくわかっていた。
けれどそんな話題のプレゼントのその後についてはさすがに思い至らなかった。
恐らく大事にしまってあるんだろうくらいのことしか思っていなかった。
なにせまさか日常的に着るようなものでもない。
少なくとも一般的な日本人、しかも五関や河合くらいの年若い男性が普通に着るような代物ではない。
しかしながら今、河合は自室で風呂上がりに平然とそれを着ているのだ。
「んふ、かっこいいっしょ?」
「ふぅん・・・。でも、なんか落ち着かなくない?スースーしそう」
「あ、そう思うでしょ?でもなんか慣れるとね、ちょっとイイ気分なんだなーこれが」
「まぁ、お前は元々露出狂だしね」
「露出狂言うなって!・・・でもまぁ、開放的でセレブな気分にはなるねー」
「セレブねぇ・・・」
五関が思わずまじまじと上から下まで見る中で、何故かご機嫌な河合はその黒い手触りの良さそうなバスローブに身を包み、何やら腰に片手を置いて軽いポーズまでとってみせる。
ゆったりとした袖口からは細い腕が覗き、裾は膝から下、細いふくらはぎまですっぽりと覆っていて、ステージ上で着ていたのを見た時も思ったが少しばかりサイズが大きめのように見える。
実際には恐らくサイズの問題よりも、河合の肉付きが薄く骨格まで細い、そんな華奢な身体のせいだろう。
同じようにバスローブを貰っていた藤ヶ谷の方は、サイズが一つ上らしく丈こそ同じくらいだったが、ああ見えて肉付きは割といい方なので綺麗に着こなしていた。
加えてそこら辺、恐らくスタイルの問題もあるだろうとは思う。
何せ藤ヶ谷はスタイルが抜群にいい。
そしてその反面河合は華奢な上に手足もあまり長いとは言えない、極端に言うと幼児体型なのだ。
だからこそ、今得意げにポーズをとっているその真っ黒い上等なバスローブに身を包んだ姿も、どこか背伸びをして見える。
それは「着られている」と言ってもいい。
しかもその細い腰で絞られたローブと同色のリボンがだいぶ余っていて、後ろで縛れなかったのだろう、前で文字通りリボン結びにされているのがどうにも笑いを誘う。
バスローブをリボン結びはないだろう、と思わず突っ込みたくもなる。
もちろん本人としては二十歳になったことだしと大人の男をイメージしているのだろうけれども。
なにせ人並み以上に男らしさや格好良さ、そして大人っぽさというものに憧れを抱いているから。
しかしそれにしても、と五関はなおもしげしげと目の前のバスローブ一枚の姿を見やる。
「それ、ほんとに毎日着てるの?」
「あー・・・毎日ではないな、さすがに」
「あ、そうなんだ」
「うん。基本はジャージ」
「なんだよ。じゃあどんな時に着るわけ?」
当然のようにそう言った五関に、河合はそのまま楽しそうに表情だけで笑ったかと思うと、まるで跳ねるような勢いでベランダの方へ向かう。
せっかく上等で大人びたそんなものを着ていても、その様がまるで大人を感じさせない。
・・・もちろん、それがイコール色気の欠片もないのかと言えば、そんなこともないのだけれども。
それはステージ上の河合を知っている者ならば誰もがそれなりに同意するだろう。
そうは思いつつ、それでもやはり浮かれた様子でベランダの戸を開け、背伸びをして何か掴もうとしている細い後ろ姿は成人したとは思えない様だ。
五関がその様に何かと不思議そうに見ていると、河合は何かを両手に持ってくるりと振り返る。
その拍子、チン、と軽く硬質な音がした。
それは河合が左手で持ったワイングラス二つが小さくぶつかって立てた音だったようだ。
そして右手には一本のワインボトル。
どうやらベランダに置いて冷やしていたらしい。
確かにこの季節だし、特に河合の家の周辺は山で夜は特に冷え込むからもってこいだろう。
「じゃじゃーん!・・・こういう時に、着るんです」
河合は本来きつく整った顔を崩して得意げに笑うと、そのベランダの桟の部分に腰を下ろし、ワインボトルとグラス二つを脇に置く。
開け放たれた戸の向こうには綺麗に澄み切った夜空が見える。
柔らかな月明かりと冴え渡る星空は、都会の空よりも、そして五関の地元の空よりもなお美しかった。
だから河合の家に来るのが実は好きだ。
こんな環境こそがこいつを育てたんだなと、そう思えることが何よりも。
五関は軽く肩を竦めてうっすら笑いながらも、ゆっくりとそちらに近づく。
「・・・へぇ、ワインね。さすがのベタ好き」
「なんとでも言って。こういうのマジで憧れてたの」
「バスローブにグラスで赤ワイン?じゃあ、あと上等なソファーと白いペルシャ猫がいないと」
「ああー、そうなんだよ。あとそれが揃えば完璧なんだけどね」
生憎とこの部屋には上等なソファーも白いペルシャ猫も置ける余裕がないの。
特に拗ねるでもなく、河合はなおも上機嫌で、脇に置いたワイングラスの片方を手に取って軽く掲げ、その向こうに五関を映しては悪戯っぽく笑う。
それになんとなくつられて楽しい気分になってくるから、今夜はなんだか不思議だ。
思えば河合の家に来ると割とこういうテンションになっている気もするが。
二人で天然で涌いている温泉に行ったり、タヌキの親子を捜しにいったり、本気で一晩中星を見上げて過ごしたり。
けれど、そんな中で生まれ育って今も住みながらも、それでもなおそんなステレオタイプの大人っぽさに憧れたりもする辺りが、河合のらしさだと思う。
その両方が同居しているのが河合郁人なのだ。
「でもそう言えば、前に潤くんもコンサート中に誕生日祝いでそんなことやってたな。ちょうど俺らが見させてもらった回で」
「あ、憶えてた?」
「憶えてるよ。お前が気持ち悪いくらい興奮してたから」
「だっても〜・・・あの時の松本くんちょーかっこよかったもん!バスローブに片手にワイングラス、片手に猫・・・まぁぬいぐるみだったけどさ?そんでソファーって!もう似合いすぎじゃん?」
「はいはい。お前の潤くん大好きぶりはもうだいぶ飽きたよ」
「俺は飽きてないよ!もういくらでも言える!松本くんだいすき!松本くんになら抱かれてもいい・・・!」
ワイングラス片手に、逆の手で自らの身体を抱きしめるようにして、そんなふざけた調子で声高に言ってみせる。
澄んだ夜空に響き渡るそんな昔から変わらぬ憧憬の告白に、五関は依然として薄い笑みを布いたままに軽く首を傾げた。
「じゃ、もう俺が抱かなくてもいい?」
特に何か強い感情を込めるでもなく、なんでもないようにそう言った台詞だった。
河合は一瞬驚いたようにきょとんと目を瞬かせてから、自らの身体に廻していた手を慌てて解く。
思わずワイングラスを両手で持って、目の前に立っている五関をチラリと窺うように上目で見る。
「・・・やだ」
「俺は潤くんみたいに格好良くないし」
「格好いいよ」
「身長ないしさ」
「ダンス上手いから問題なし」
「MJウォークとかできないし」
「GKウォークすればいいよ」
「できないって」
「とにかく五関くんがいいの」
「じゃ、なに?松本くんだいすきって・・・やきもちでも妬いて欲しいの?」
「・・・どうせ妬かないでしょ?」
「そうでもないけど」
「あるじゃん」
「ないって」
「あるー」
なんとなくばつ悪そうな顔をしながらも、河合は気を取り直すようにしてワインボトルの栓を開ける。
そしてワイングラスを持ったのとは逆の手でボトルを持つと、それをゆっくりと傾けて赤い液体をグラスになみなみと注いでいく。
「手酌って。お酌ぐらいしてやるのに」
五関は軽く呆れたように言いながら、その隣にゆっくりと腰を下ろす。
それを軽く横目で確認して、河合はボトルを降ろすとワインの注がれたグラスを改めて持ち直し、五関の方に掲げて笑う。
至極ご機嫌そうなその笑みは、その本来整った人形のような造りの顔を強調させる類のもので、さっきまでまるで背伸びしていたようなイメージを途端に払拭する。
「はい、かんぱーい」
「はい、・・・って俺の分がないんだけど」
河合は自分の分を注いで小さく口を付けているけれど、もう片方のグラスは未だその脇で空のままだ。
しかし別段忘れていたわけでもないようで、当然のように頷いては、一口目で濡れた赤い唇を同じ色の液体で更に潤す。
「まずは俺が先に飲むの」
「なんだよそれ」
「これがしたかったんだもん」
「これ・・・?」
桟の端に背を預けて凭れかかり、五関の方を向いて軽く脚を組んで座っているその体勢は、既にバスローブが着崩れ始めている。
生地が黒いから、垣間見える白い胸元と脚はいいコントラストになる。
そして赤い液体、それに濡れた唇。
なんだか本当にご機嫌な様子で笑っては、五関をじっと見つめ、ちびりちびりとグラスに口を付けている、その様。
まるで向こうの澄んだ夜空で煌めく星々の光がその瞳に本当に宿ったようだと、五関は思わずそんなことを頭に思い描いた。
「・・・なんか、あれだね」
「ん?」
「オカズにされてる気分」
「えー・・・オカズって。人聞き悪い上に下品だなぁ」
「じゃあツマミ?」
「まぁ、五関くんならチーズかな。カマンベール的な」
「・・・それは喜んでいいの?」
「んふ、大好物」
「あ、そ。それは光栄なことで」
逆側の桟の端に同じように身体を凭れさせると、五関は腕を組みながら逆にその姿を眺める。
すると河合はグラスの中身が半分程度になったところで、置かれていたもう片方の空のグラスを手にとって渡す。
五関がそれを受け取ると、そこにボトルからゆっくりと赤ワインを注ぎ、改めて自分のグラスと当てて硬質な音をさせた。
「・・・じゃ、改めて、かんぱーい」
「ん、かんぱい」
澄んだ空気にそれが響くと、河合はワイングラスを一気に煽って残りを飲み干した。
五関の眼前に反った喉が晒されて、細いからこそ強調される喉仏が動くのが鮮明に見える。
「すごい勢い。まるでワインに見えない」
「ん〜でもこれおいしいでしょ〜?」
「うん・・・味とかよくわかんないけどね」
「あはっ、おれもおれも」
「で、もう一杯いく?」
二人の間に置かれたワインボトルを、今度は五関が手にとってみせる。
けれど河合はそれにゆるりと頭を振る。
そしてまたご機嫌そうに笑う。
キラキラした瞳が撓んで、頬が少しだけ紅潮して。
「月と星の下でさ、ちょっと大人っぽいかっこして、五関くんとワイン飲むんだ」
「うん・・・?」
「ずっと憧れてた」
だから今、俺すっげー幸せ。
そう言って、河合は桟に凭れたままに、既に空になったグラスを唇に押し当ててふにゃりと相好を崩す。
五関はその姿に緩く唇の端を上げて笑みを返すと、まだ中身の入っている自分のグラスを河合の方に近づけ、その唇に押し当てられている空のグラスに当てる。
澄んだ夜空にもう一度響くその音はこの先の合図。
そこに続くのは耳元に漏れる濡れた囁き。
「じゃ、大人になったらしいお前を、もっと大人っぽく幸せにしてやろうかな」
「・・・あっは、やーらしーな」
「大人ってのはやらしいものだよ」
「うん、やらしいのだいすき」
「そうだと思った」
「うん・・・すき」
重なった唇から伝わった最後の言葉。
残されたのは、月明かりの下で重なる二つの影。
END
いまさらなバスローブネタ。
バスローブネタと言えば、ガヤフミとトツフミは余所様で拝見してハァハァしまくったので、あとは五河を自分で書くしか!ということで。
でもほんとに書きたかったのは誘い受けふみきゅんと、内心まんまと誘われちゃってるごっちでした、っていう・・・はずいな。
うちの五関さんほんとムッツリで困るわ(そんな)。
でもムッツリ攻めS攻め大好き二条わとです!(胸を張って)
あとフミトの住んでるとこはほんと山ばっかで大自然らしく、タヌキとかいたりして、むしろほんとに妖精の住まう地だと勝手に思ってるわとさんです。
ていうかあの子はその森から生まれた妖精でしょ?(真顔)
(2008.3.6)
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