ある夜の猫の贈り物
「お邪魔しまーす!」
それなりに慣れた五関宅の扉が開くや否や、河合は五関の後に続きながらそう元気よく声を上げた。
その後ようやく五関も「ただいまー」と言いながら玄関で靴を脱いで上がったのだが、何故だかそこに返ってくる返事が何もない。
五関は首を傾げながら辺りを見回すけれども、やはり返事はない。
もう時間は夜で、いつもなら母に加えて姉と妹、そして場合によっては父だって帰ってきている頃合いだ。
けれど家の中は妙にシーンとしていて、人の気配というものがなかった。
「あれ?今日おばさんたちいないの?」
河合は不思議そうに言いながら、靴を脱いで荷物をその場に降ろす。
「や、特に何も言ってなかったと思うんだけど・・・おかしいな」
何となく嫌な予感を覚えて、五関はリビングに向かった。
当然のような顔で河合もその後に着いてくる。
しかしリビングにもやはり誰もいなかった。
眉根を寄せながらキッチンの方に向かう五関を後目に、きょろきょろと辺りを見回していた河合は、リビングのテーブルの上にあるメモを見つけた。
「ん・・・?あっ、五関くん!メモ!みんなおでかけだって!」
「は?マジで?聞いてないんだけど」
河合の大きな声に戻ってくると、五関はそのメモを受け取って目を通し、更に眉根を寄せた。
それは母からだった。
内容は至極簡単。
母は友達と夕飯を食べるので遅くなる、父は急な出張、姉は彼氏とデート、妹は友達の家に泊まり。
つまり今この家には誰もいないということだ。
すぐさま現状を理解して、五関は小さくぽつりと呟いた。
「・・・で、俺の夕飯は?」
「見事に忘れ去られてるね」
隣から覗き込んでくる河合の発言は珍しく的確で、五関は小さく溜息をついてそのメモを適当にテーブルに放る。
「先に河合が来るって言っときゃよかったかな・・・」
とは言え、今日元々来ることが決まっていたわけでもないで致し方ない。
こんなのは言ってしまえば事の成り行きというか、流れだ。
しかし当然のようにそう言う五関に、河合はその言葉の意味が判らず目を瞬かせて首を傾げる。
「え、なんで?俺来るとなんかあるの?」
「お前が来るって知ってれば、少なくとも父さん以外は家にいたよ」
「なにそれ?」
「お前はお気に入りだから」
「そうなの?」
「そうなの」
「えー嬉しいかも」
単純に喜ぶ河合を後目に、五関はなんだか曖昧な半笑いを向けた。
河合は五関家で何故かやたらと気に入られている。
母は河合が来る度にやたらと腕によりをかけた料理を振る舞うし、ことある事に河合を息子に欲しいと連呼する。
姉はまるで犬猫か何かのようにやたらと可愛い可愛いと頭を撫でるし、妹は思春期の目を輝かせて格好いいと言う。
最後の砦だったはずの父も、ついこの前河合が来た時五関がちょっと家を出ている間に交流を深めたらしく、「いい子だな」などと言い出すようになった。
家で飼っている犬さえも河合が来ると尻尾を振って喜ぶのだ。
彼ら五関家の人々に対して河合はやはり持ち前の人好きを発揮して「五関くんちの人ってみんないい人ばっかだよね」などと呑気に言うが、五関は当然五関家の一員なので知っている。
五関家の人間は密かに人の好き嫌いが激しい。
だから家族全員から気に入られている河合郁人という人間はかなり特殊だ。
それがいわゆる「遺伝」なのかと思うと目眩のする思いなので、五関はなるべく考えないようにはしている。
けれども五関が何年経っても敵わないと思わされる聡い姉は、薄々五関と河合の関係に感づいているようで、河合が帰った後必ずと言っていいほどやたらと底意地の悪い笑みを浮かべて「我が弟ながらいい趣味してるわ」などとのたまう。
そういう意味では、今日家族が誰もいなかったのはまぁよかったとは言えるのかも知れない。
自分の家族に相手が気に入られるのはいいことだと思うが、姉のあの感じだけは勘弁してもらいたいと思うから。
ただ、代わりに今日の夕飯という貴い犠牲が払われたわけだが。
「あー、どうせならメールくらい入れといてくれれば何か買ってきたのに・・・」
「今から買いにいく?」
「めんどくさいなー」
「めんどくさがりー」
「出前とるか」
「あっ出前いいね!ピザ!」
「ピザくどい」
「えー。じゃあラーメン」
「ん、じゃあ電話してくるから先部屋行ってて」
「はいはーい」
五関は部屋の隅に置いてある子機を片手に出前の電話番号を探す。
その視界の端で河合が荷物を持ち直してリビングを出て行くのが見えた。
子機を耳に当てながら自然と視線だけでその姿を追って、ぼんやりと思った。
ここまで来るとこの展開でさえも、まるで塚田のシナリオ通りのような気がしてくる。
ただそんな思考も、繋がった通話でどこぞに追いやられてしまったのだけれども。
「ごちそうさまでした!」
両手を合わせて満足げに言ってから、河合は贅肉など欠片もない締まった薄っぺらい腹をさする。
それからチラリと時計を見て、放ってあった荷物をおもむろに引き寄せると、中をガサガサと漁り始める。
基本的に物を入れっぱなしの河合のかばんの中は結構すごいことになっていて、お目当ての物を探すのも一苦労だ。
ついには中身をひっくり返して探し始める河合を、一足先に食べ終わってペットボトルのお茶に口を付けていた五関は何をするでもなく、若干呆れながらそれを見ていたのだが。
そんな中からようやく目当ての物を見つけて、河合は小さく笑ってそれを勢いよく取り出してみせた。
「はいっ!」
「ん?」
両手でそれを渡されて反射的に受け取った。
片手に少し余るくらいのそれは丁寧に包装されていて、端に落ち着いた色合いの字体でブランド名が入っている。
五関は一瞬遅れて、ああ、と気づいたように頷く。
その様子に河合はおかしそうに笑って首を傾げながら覗き込んできた。
「忘れてたでしょ」
「帰ってきて忘れた」
「忘れないでよ」
「そろそろ喜ぶ歳でもないし」
「21でその発言はまずいよ五関くん!」
「・・・まぁ、確かに」
「おめでとう!」
「ん、ありがと」
満面で笑ってやたらと大きな声で自分のことのように嬉しそうに言う河合に、五関の顔にも自然と笑みがこぼれる。
折角だから、と手渡された包みをゆっくりと開ける。
中から出てきたのは皮の長財布だった。
確か二人で出かけた時に見かけて、なんとなくいいなと思っていたものだ。
それを手でしげしげと確かめるように触れながら、五関は関心したように眺める。
「よく買えたね」
「ちょっとー、第一声がそれ?」
「いや、万年金欠の河合くんがよくぞ、と感動すらしているけど」
「やめてよ!俺だって今回くらいはがんばるよ!」
「うん。嬉しい」
「・・・ほんと?」
「嘘ついてどうすんの」
「そっかー。よかったー」
えへへ、と照れたように笑う河合を後目に、財布を再び丁寧に箱の中にしまっていた五関は、ふと散乱した河合の荷物の中にソレを見つけてしまった。
「・・・・・・河合?」
「ん?」
「お前、あれ、持って帰ってきたんだ・・・」
「あれ?」
「あれ」
「あれってなに?」
「あれだよあれ」
「どれ・・・・・・あ、耳と尻尾?」
それ以外に何があるんだよ、と五関は内心ぼやくように思いながら、さっきのことを否が応でも思い出していた。
しかし河合はまるで気にした様子もなく、むしろ楽しげにそれらに手を伸ばすとまるでおもちゃを手にした子供みたいに無邪気に笑う。
「これこれ、すごいよね!本物みたいに手触りいいんだよー」
「ていうか、なんで持って帰ってきてんの。・・・確か北山のなんじゃなかったっけ?」
「ああ、うん。でもなんかさ、塚ちゃんが言うには今日は持って帰っていいからって」
「・・・塚ちゃんが?」
嫌な予感が一気に増した。
さっき出前を頼む時に思ったことが半ば真実めいて思えてくる。
今回の一連の展開は全てあの癒し系笑顔の彼のシナリオ通りなのではないか、と。
「塚ちゃんがねー言ってたんだー」
その妙に光沢のある黒く艶やかな毛並みの尻尾を手に、まるで猫じゃらしのようにそれを振ってみせながら、河合は悪戯っぽく言った。
「五関くん誘惑だいさくせーん!って」
その声が、あの聞くだけならやたらと可愛らしいトーンのそれとダブって聞こえて、五関は思わず素で呟いた。
「・・・バカ?」
「あ、一刀両断」
「それ以外言いようがない」
「五関くんて猫嫌いなの?」
「そういう問題じゃないから」
「そっかー・・・じゃあ、俺が猫耳つけても嬉しくない?」
「お前ね・・・」
よく平然とそんなことが訊けるな、と呆れる。
嬉しいなんて言えるはずもない。
というかそんな趣味はない。
塚田は面白がっているだけだろうけれど、河合がよく判らない。
冗談で言うにしろ二度目はしつこいだろうと思う。
そこら辺面白いことが大好きな河合は、だからこそよく判っていそうなものなのに。
いい加減自分の誕生日にここまで振り回されるのも癪だ。
五関はそんなことを思って、軽く目を眇めると少し意地悪気に言ってみる。
「じゃあお前、実際そんなの見て俺が嬉しいとか可愛いとか言ったらどうすんの?」
「そうだなー・・・」
けれどそうしたら、河合はなんだかふと妙に強気な笑い方をした。
本来ならきつく整ったその顔に見合った笑い方。
意志の強さを底に滲ませた鋭い瞳で、五関をじっと映す。
河合はたまにこういう顔を覗かせるのだ。
それはまるで、子供の皮をかぶった何かがふと気まぐれにその姿を見せるような。
五関はそれに心密かにドキリとさせられる。
けれど河合は声音だけはいつもと変わらず、気持ちハスキーな声に高いトーンを載せて軽い調子で言う。
「そしたらねー、このかっこで、今日は大サービスしちゃうよ?」
「・・・からかってる?」
「まさか!俺はいつでも本気ですー」
「どうだか」
「五関くんはあんま信じてくれないけどさ、ほんとにね、俺はいつでも本気なんだよ」
「・・・」
信じてないのはどっちだか。
そんなことを思いながら五関が無言で見つめた。
すると河合はそのままゆっくりと近寄ってきて、足を投げ出して床に座っていた五関の上を跨ぐようにして太股の上に乗っかってきた。
かなり細身の方だとは思うが、それでも身長差がほとんどない以上やはりそれなりの重みがかかってくる。
自然と自分のすぐ目の前の上に来る顔をじっと見つめて、五関は低く呟く。
「重い」
「肉つけろって言うくせに」
「なに、やる気満々ですか河合くんは」
「ご名答ー」
「あーあ」
「これ、嬉しくないならしないけど」
その跨る膝の上に無造作に置かれた黒い耳と尻尾。
まさか本気で自分が喜ぶと思って持ってきたんだろうか、と五関は今更に思う。
「ていうか・・・俺、そんな趣味あると思われてんの?」
「ううん、五関くんてそういうの興味なさそう」
「わかってんなら、」
「でも雰囲気で乗り切ったらいけるかなーって」
「雰囲気って・・・」
「誕生日だから!」
「意味わかんないから」
別にすること自体はいいのだけれども、何もそんなことをせずとも普通にすればいいのに。
そう言おうとした五関を遮るように、唇にふっと柔らかな感触が触れて、すぐ離れて、僅かに濡れた唇が間近で呟いた。
「・・・誕生日だから、俺がいろいろ、したいの」
じっと覗き込んでくる顔。
そこから視線をちらりと落とせば、黒いそれらはそこにある。
けれど視線をすぐに戻せば、その頭には同じものがついて見えるような気がした。
「・・・」
五関は自然と手を伸ばし、その頭に触れて、無言で軽く撫でてみる。
今は何もついていないそれなのに、まるで猫が飼い主に撫でられて身を竦ませるようにする河合を見て、五関は心の中である種の折り合いをつけるように大きく息を吐き出した。
河合の言う通り、今日は誕生日だから、ということで。
「・・・俺が変態になったらお前のせいだな、確実に」
「やだなに言ってんの。五関くんなら大丈夫だよ!」
「猫耳って・・・」
「そんな変態な五関くんでも愛してるから!」
「・・・・・・」
「じゃ、つけるね!」
「・・・・・・鳴かすよお前」
ウキウキと耳と尻尾をつけ始める河合に思わずぼそりと低く言ってやる。
けれど軽い脅しのつもりで言ったやったというのに、河合はむしろ嬉しそうに笑ってちゅっと唇を押しつけてきた。
「・・・ん、発情期の猫を甘く見ない方がいいよ?」
口付けの最中に見た笑みはさっきのあの妙に強気なそれで、かと思えば唇が離れてそんなことを言った笑みは無邪気なそれで。
二面性とは違う、河合郁人という人間の奥にあるそんな色々な貌に魅せられる。
五関は河合を跨らせたまま、気持ちラインの尖ったその顎を片手で軽く掴んで引き寄せる。
けれど再び唇と唇が重なる寸前で止めて、じっと見つめる。
それにきょとんとした様子でうっすら開いた唇を舌先で舐めて、顎を掴んだのとは逆の手で腰を抱き寄せた。
「今日はあらかじめ言っとくけど」
「ん・・・?」
「泣いても、知らないよ」
こんな台詞、河合には脅しにもならないことは既に十分判っているのだ。
むしろそれは自分に向けての自制の台詞でもある。
けれどやはりそんなものは、その嬉しそうな声と無条件の気持ちに軽く受け止められてしまって全く意味を成さない。
そしてそれこそが本当は何よりも愛しい。
「うん、泣いても嬉しいから大丈夫」
「・・・ほんと、バカだな河合は」
そういう俺も十分バカだけど。
内心だけでこっそり呟いて、五関はその黒い頭を撫でた。
髪に混じって感じるその艶々した人工的な耳の感触に、また一瞬だけあの黒幕の笑顔を思い浮かべるけれども。
それもすぐさま消えてしまって、残るのは目の前で笑う文字通り猫みたいな恋人だけ。
誕生日の夜は今までになく長くなりそうだ。
END
更に続いていたごっち誕話。
マジで猫耳でやっちゃうつもりらしいですよこの人!
いかにしてごっちに諦めさせてその気にさせるかが勝負でした(そこまで)。
ふみきゅんの誘惑に陥落するごっち。
というか五河は誘い受けもいけるから楽しいわー。
まぁフミトはなんちゃって誘い受けなので、いざ本番になったらダンディの手の内ですけどね!
ダンディが本気になったらそりゃあもう。
あ、フミトが五関家の人々に気に入られているという凄まじい捏造夢は相変わらず趣味です。
でも前に過去記事でごっちママがステージ上のフミトを見て「この子はもっと歌わせるべきよ」的なことを言ったとかなんとかって、ごっちが言ってたから!
なんだよごっちママからそんな気に入られてんのかよフミト!(萌!)というのが100倍くらい妄想されてこんなんなりました。
まぁいいじゃん五関家の長男の将来の嫁なんだからさー(平然)。
というわけで更に続くのかなこれ・・・。
(2006.6.24)
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