Night in Delight










「ドンペリ入りまーすっ!」

店内によく通るハスキーな声が響く。
手にしたボトルの栓を勢いよく抜くと、そこからは白い泡が一気に溢れ、金色に輝く液体が飛び散る。
けれどそれを気にした様子もなく、むしろその様が綺麗でいいとばかりに楽しげに笑っては、テーブルの上の細長いグラスに注いでいく。

「よーしそれじゃ乾杯しますかっ」

本来きつく整った顔を惜しげもなく崩して口を開けて笑い、細い指先でグラスを持ってウインクしたこの男。
河合郁人。
ホストクラブ「Night in Delight」のナンバー3だ。






「最近ねぇ、パリに行ってきたの」

その真っ赤なマニキュアの塗られた指先を弄ぶようにしながら紡がれる言葉は、どこか媚を含んで艶めいて、薄暗い部屋にしっとりと響く。

「いつもの社長のお供なんだけどね」
「いつもご苦労様ですねぇ」
「ほんと。早く帰ってここに来たかったもの」
「あはっ、俺もお待ちしてましたって」
「ほんとに?」
「だってもう二週間ぶりですよー?二週間ぶり!」
「あら嬉しい。寂しくてつまらなかった?」

それなりに妙齢と言っていい彼女は嫣然と微笑んでは、隣に座る河合をじっと見つめる。
その瞳にはなんともいえない、余裕と熱っぽさとを混ぜ合わせたような、ここへ来るような人間特有の色がある。
彼女は某有名企業の社長秘書をしていて、懐はそれなりに暖かい。
そしてこのホストクラブの常連であり、河合しか指名しないことで有名だった。
恐らく河合の客の中では三本指に入るお得意様だろう。

彼女は爪の伸びた指先で河合の顎先を軽くつつくようにして笑う。

「私が来ていない間に、他のお嬢さんやお姉さんに懐いたりしてなかった?」
「やだなー。犬や猫じゃないんですからー」

その感触に軽く肩を竦め、河合はそれでも笑顔で小首を傾げてみせる。
実際のところ、そんなやりとりは今日で連続三日目だったけれども。
けれどそれなりに場数も経験も積んでいるであろう妙齢の彼女はそれをわかっているのかどうなのか、ふっと笑んでは赤い唇の端を歪めてみせる。

「だって郁人は、望まれれば誰にでも可愛い顔を見せるもの」

当然のように落ち着いた調子でそんなことを言うのに、河合は少しだけ困ったように笑ってみせた。
河合の常連客は割合それなりに歳もいっている女性が多い。
だから金払いはいいし、割り切って付き合ってくれる場合がほとんで、やりやすい。
けれどその反面、妙に聡くてやりにくいという面もある。
河合は少しだけ考えるような仕草を見せてから、そちらに軽く顔を寄せて真っ直ぐに彼女の顔を見た。

「んーと・・・ごめんなさい」
「あら、なにがごめんなさいなの?」
「ほんとは、昨日もおんなじこと言われちゃった」
「・・・しょうがないわね、正直なんだから」

けれど彼女は明らかにそれで機嫌をよくしていた。
河合の大きくて星のように煌く、それでいてまるで綺麗な獣のような鋭い瞳が、真っ直ぐに自分だけを映す。
それはドンペリなど比べようもないくらいの贅沢であり、言いようもない喜びなのだ。
その瞳を自分だけのものにしておきたい。
河合の常連にそれなりに地位も財産もある妙齢の女性が多い理由はここら辺にあった。
もはや物欲などほとんど満たされてしまっているのだ。

彼女は河合の瞳をどこかうっとりと見つめると、何かが滴るような声で囁いた。

「ねぇ、もう一本ドンペリ頼みましょ?」
「あれ、まだ残ってますよ?」
「早くナンバー1になってほしいのよ、郁人に」
「あははっ、どうだろな〜。うちには宏光と渉がいるもんで」

年下から年上まで、女性の全てがストライクゾーンと名高い不動のナンバー1。
そして一見近寄りがたい雰囲気がどこか危険で、年若い女性を虜にして止まないナンバー2。
彼らがいる限りは、そう簡単にトップに立つことはできないだろう。
郁人は単純にそんなことを思ってグラスに口をつけた。

「もう、あなたは欲がないわね。一番になりたくないの?」
「なれるもんならなりたい気はするんですけどね。一番は好きだし」
「だったら・・・」
「でもねー、そうやって俺が一番になるために頑張るってことは、もっとたくさんのお姉さんとお喋りしなきゃなんないわけですよ。ね?」

目の前に人差し指を立てて、目尻を下げながら笑ってみせた顔がどこか無邪気で、彼女は一瞬毒気を抜かれたような気になって、すぐさま苦笑した。

「ばかな子ね」
「あっ、それよく言われるんですけど」
「・・・でも、そういうとこが可愛いわ」

彼女はうっとりと呟くと、河合の胸元まで開いた白シャツの襟を指先で摘むと、そのまま身体ごと顔を寄せた。

「このまま私のものになればいいのに」

そう言って、彼女はその真っ赤な唇を河合の白い襟におもいきり押し当てた。
河合は特に抵抗するでもなく、そのままじっとしている。
ただうっすら目を細めて唇の端を歪めていた。
その本来整ったきつい面立ちが強調される笑みだった。
けれどその顔は今唇を襟元に寄せている彼女には見えない。

「こうやって時々会うから、楽しいんですよ」
「・・・ここぞってとこでつれない、そういうとこも可愛いわよ」
「あはっ、だから俺、あなたのこと好きなんだよね」

河合は相手が自然と自分を離すまでずっとそのままでいた。
それから彼女がある程度満足した様子で離れると、ドンペリと奢りのフルーツを取ってくると言って席を立った。







店の奥に行くと、そこには珍しい顔があった。

「・・・あーれれ、二週間ぶりくらいじゃない?」

ソファーに腰掛けて成績表にじっと目を通しているスーツの男。
一見した感じは真面目そうなビジネスマンに見えなくもないが、その実醸し出す雰囲気が堅気とは違う。

その男はこの店のオーナー。
五関晃一。
普段はあまり店には顔を出さないが、店の人間には誰からも信頼を置かれている。

五関は入ってきた河合に一瞥しただけで、すぐさま再び手にした紙に視線を戻す。

「たまには顔出さないと、店の人間に忘れられるから」
「ほんとほんと。俺忘れるとこだったもん」
「お前には三日前に会ってるだろ」
「ベンツの中でねー」
「送ってやったのにその言い草?」
「そんでそのまんま帰ったしねー」

オーナー様はお忙しいことで、と河合はつまらなそうに言う。
五関の店で働いているとは言っても、実際のところは早々会えるわけでもない。
他にもいくつか店を持っている五関は多忙で、早々プライベートで会える時間も持てないのだ。
だから今五関が言った「三日前」だって、ちょうど帰る時間がかぶったからと車に乗せてもらっただけ。
結局家に寄ってくれることもなく、キスの一つもなし。
公私を分けると言えば聞こえはいいが、こんな店をいくつも持っている割には生き方がストイックな人だと河合は常々思っていた。
まぁ、単に自分を構うのがめんどくさいだけかもしれない、とも思っているのだけれども。

「河合」
「はいはーい?」

紙に目を通していた五関が何気なく呼ぶのに適当に返す。
すると視線はこちらに向くこともなく、そのくせソファーの隣を叩いて促された。
その犬か猫でも呼ぶような仕草が若干気に食わない。

「・・・俺、まだ接客中なんだけど。ドンペリとフルーツ持ってかなきゃ」
「客、誰?」
「いつものお姉さん」
「社長秘書の?」
「そ」
「じゃあ、5分くらいは平気」

依然としてこちらは向かず、ただ平然とそんなことを言う。
客商売だというのに、そこら辺の適当さがまたわからない。

「ちょっと、そんなんでいいの?超お得意さんだよ?」
「似合うと思って、って言ってピンクの薔薇でもつけてやればいいよ」
「ピンクのバラー?こう言っちゃなんだけど、ちょっと違わない?」
「だからいいんだよ。外してる感じが逆に可愛いって思われるだろうから」
「・・・うわー、セコすぎ」
「賢いって言ってくれる」
「はいはい、オーナー様の言うとおりにいたしまーす」

河合はそう言って、勢いよくその隣に腰掛ける。
すると五関はようやく紙から視線を外して河合の方を見た。
そして無言で自分の襟元を指差してみせる。
河合は一瞬なんのことかわからなかったが、その仕草に自分の襟を見てはたとした。
その開いた白い襟元にべったりとつけられた真っ赤な口紅の痕。

「そういうのは、あんまり感心しないね」

なんでもない風にそう言われて、河合はなんとなく視線を逸らした。
別にこの程度のことはままあることなのだけれども。

「目敏すぎ・・・」
「あからさまなお手つきは他の客が嫌がる」
「わかってますよー。でも、あそこで機嫌損ねんのもさー・・・」
「夢中にさせるのはいい。でも入れ込ませすぎないこと。・・・言わなかったっけ?」

何かと思ったら結局お説教か。
ますますつまらない気分になって、河合は軽く唇を尖らせて抵抗するようにそっぽを向く。

「ベッドの上で言われたことなんて憶えてませーん」
「あっそ。じゃあ、今憶えて」
「むりむり。俺いま忙しいの。オーナーに構ってる暇ないの」
「ふーん?」

若干反抗的なそんな態度に軽く眉を上げて笑うと、五関はさりげなく手を伸ばし、河合の一箇所跳ねた柔らかな髪を撫で付けるように触れた。

「意外と仕事熱心」
「お仕事ダイスキですからー」
「それは結構」

楽しそうな顔。
髪に触れる指の感触に、河合がされるがままで思わずぼんやりとそんなことを思ったら、その手がふと離れて今度は白い襟の赤い痕をこするように触れた。
見ればその赤い痕がこすれて滲んで少し薄れていた。

「でも、俺に構う暇は作ってもらわないと。俺が拾ってきたんだから」

それこそ猫じゃん。
けれどそれを言うなら、この猫は本当は誰にでも可愛い顔をしたいわけじゃない。
そんなことを内心だけで思って、河合は自分から顔を寄せた。
きっちりと締められた襟元とネクタイには隙などない。
だからその白い耳朶に躊躇なく噛み付いて歯を立ててやった。
さすがにそれは予想外だったのか、五関はその僅かな痛みに軽く顔を顰める。

「っ、つ」
「終わるまで待っててくれたら、いくらでも構ってあげるよ。・・・ついでにベッドでにゃーんて鳴いてあげよっか?」

意趣返しとばかりに挑発的に笑ってそんなことを言うと、河合はさっさと立ち上がる。
五関は噛まれた耳朶に指先で触れながら、その顔を見上げて楽しげに笑い返した。

「じゃあ、その時は噛まないように少し躾けないと」










END






前言ってたホストパラレル!
・・・って、せっかく全員設定したのに結局五河しか出てねーじゃん!ていう。
しかもちょっと方向性がアレだよね。うわー。こんなフミトって。うわー。
まぁ五関さんもうわーですけど。五河そろって・・・。
あと他の子を出すと長くなるっていうね。
でも北藤編くらいは書きたいね。
とりあえず五河が二人そろって爛れ気味ですいません。二人にそろって夢見がちですいません(恥)。
(2007.8.12)






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