雨降る夜にはその手を繋いで










真夜中に雨の音で目が覚めた。

ああ、まだ降ってるのか。
五関は目を擦りながらどこか遠くにその音を聞く。
そろそろ明けてもいいだろうに、今年の梅雨はどうにも長い。
朝からずっと降り続けてきたこの雨のせいで、結局今日の予定も台無しだったのだ。
おかげで久しぶり過ぎるオフ日だというのにどこにも出掛けられず、一日中家に籠もっているしかなかった。
そして五関以上に今日のオフ日を楽しみにしていた恋人は、静かな雨音をBGMに窓の外を眺めて、若干ふて腐れ気味に終始部屋をごろごろと転がっていたのだったが。

隣に眠っていたその姿がない。
眠る時にはいっそ暑苦しいくらいにくっついていたというのに。
今五関の隣の半分空いたベッドは寝乱れたまま放置されている。
トイレだろうかとも一瞬思ったが、ふと触れてみたシーツには既に温もりが感じられなかった。

そのままぐるりと辺りを見回す。
けれど見当たらない。
自然と雨音がする方に視線をやる。
部屋から直接ベランダに続く窓は閉まっているけれども、よくよく見ればその雨粒が伝うガラスの向こうに人影らしきものが見えた。
まさかとは思ったけれど、五関はすぐさまベッドから降りてそちらに向かった。
この部屋の静寂の中にあろうとも、フローリングの床に自分の足が立てる音はあまり耳に入らない。
それよりもずっと響く雨の音。
しとしとと、まるで心の中に忍び込んでくるような静かな音。

窓際まで歩み寄ると、ゆっくりと窓を開けた。
雨音が増す。
こちらに背を向けてベランダに座り込んだその姿が否が応でも視界に飛び込んでくる。
じっと上を向いては空を眺めて、一体何をしているのだろう。

空から降る雨粒は全てに等しく、当然のようにその身体も濡らしていた。
最近短くした茶の髪すらもしんなりと大人しく、たった一枚の薄いタンクトップは既に肌と同化しそうに見える程水を含んで肌に張り付いている。
綺麗なラインをした首筋にうなじから雫が伝う様が目に入って、五関はそこでようやく口を開いた。

「暑いんなら、シャワー入れば」

思うよりそっけなく響いたその声。
けれどその後姿は気にした様子もなく、そして振り返るでもなく、空を見上げたまま常と変わらぬ調子で言った。

「暑いわけじゃないんだけどさ」
「じゃあ、何してんの」

風邪引くよ、と言おうと思ったけれど。
この蒸し暑い中なら大丈夫だろうか。
そんな問題ではないことを、既にその後姿を見た時点で薄々感じ取ってはいながらも、五関はなお思った。

「なんかまだ降ってるなーと思って」
「それでわざわざ濡れる意味がわかんないんだけど」
「楽しいじゃーん」
「それはなに、お前がいちいち肌蹴たがるのと似た理屈?」
「あはっ、そんな感じかも」

昼の顔と夜の顔、という言葉をたまに聞くけれど。
この場合、昼に見えないものが夜覗くと言った方が正しいように思う。
淡い月光の下だからこそ見えるものが確かにある。
夜の闇に紛れようとするからこそ判るものが確かにある。
そんな時、五関はいつも言い知れぬ、ある漠然とした予感を抱く。

「楽しい?」
「うん、割と」

依然としてこちらを向かない。
静かな雨音が絡みつくようで鬱陶しい。

「河合」

名を呼ぶことには意味がある。
ないように見えても、いつだって。
だからそれには濡れた肩も反応した。
けれどそれでも振り向かないなら、もう一度呼ぶだけだ。
そして言うだけだ。

「戻ってこいよ」

濡れた顔だけがゆっくりと振り返る。
その顔は妙に表情がなかったけれど、五関の顔をまじまじと見るといつものように明るく笑った。
けれど頷きはしなかった。

「やだ」

その二文字を紡いだ唇すらも雨に濡れている。
次々と空から降る雫に浸されていく。
五関はうっすら目を細めて深く息を吐き出す。
そして動いた。

真夜中の雨に連れて行かれてしまう前に。

「あ、五関くん、濡れちゃうよ?」

躊躇なく雨のベランダに足を踏み出して、その濡れた腕を掴んだ。
瞬間、感じたその冷たさに眉を潜める。

「さっきからずぶ濡れの奴に心配してもらわなくても結構です」
「えー。心配してんのにさぁ」
「お前はまず自分の心配すれば」
「俺は大丈夫!」
「なにその無駄な自信」
「いつものことだから!」
「・・・あっそ」

呑気にきゃらきゃらと笑ってはそんなことを言う。
好きだ好きだと言うくせに、酷い奴だと思う。
河合はたまにこうして五関を拒絶する。
たぶん本人は気づいていないのだろうけれども。

自身も徐々に雨に濡れていくのを感じながら、五関はふと空を見上げる。
さっき河合がずっとずっと見ていたそこを。
けれどそんなところには何もない。
少なくとも目に見えはしない。
そんなものをじっと見つめて何になる。

そっとしゃがみこめば同じ高さになる目線。
間近で瞬いた睫が雨粒を弾く。
弾かれた雫は他の雨粒と混じって、頬を伝い首筋を伝う。
そして鎖骨辺りに流れて落ちて、肌の他の部分と明らかに色の違う、うっすら赤く滲んだようなその痕をも、浸す。

五関はそれを目の当たりにすると、既に濡れてしまった自身の手をゆっくりと伸ばして、河合の目を覆うように当てた。
少しだけ驚いたように、河合は自分の目元に被せられた五関の手に自らのそれで触れる。

「五関くん?見えないよ」
「いいよ別に」
「なんでー」
「なんでも」

見えないものまで見ようとするなら。
見えないものまで見えてしまうなら。
それで自分を拒絶するなら。
もういっそ、何も見なければいい。

「五関、くん、見えない」
「いいって言ってる」
「よくない・・・五関くん見えないもん」
「いつも見てるからいいじゃん」
「今も見たいよ」
「・・・それなら、いくらでも見せてやるけど」

目を覆い隠していた手をゆっくりと離した。
代わりにその至近距離で河合をじっと見つめると、その頬を伝う雫を、やはり濡れた自らの手で拭った。

「部屋に戻ること。そんでシャワー入ること。わかった?」

河合は一瞬きょとんと不思議そうに目を瞬かせた。
けれど次の瞬間には、その言葉の意味がようやく判ったといった調子で、ふにゃりと笑った。

「・・・じゃあ、じゃあ・・さ?」
「なに」
「五関くんも一緒に入ろうよー」
「・・・狭いんだけど」

呆れたようにそう言いつつ、今度こそ手を引いて立ち上がる。
弱くはあったけれども、ようやくそちらから返された手の感触。
五関は小さく頭を振ってその黒髪から雫を払う。
後ろからなんだか楽しげな笑い声がした。

「五関くん、水も滴るいい男だ」
「いらない褒め言葉をどうも」

雨は未だ止む気配は無い。
けれどどれだけの雨がその心に忍び込んで濡らそうとも、決して連れて行かせはしない。










END






いろんな意味で夢見がちでいろんな意味で恥ずかしいですけども・・・。
うちのフミトはなんていうか、五関くんと一緒にいたいなぁずっと一緒にいたいなぁって思ってるんだけど、一方ですごく現実をわかってもいるから、ふとした拍子に離れたくなっちゃうの。一緒にいたいっていう気持ちが大きすぎる反動で。
でも五関さんはそんなこと許せないわけで。何故なら自分のものだから。
私の思う五河はバカップルな一方で根底がドロドロです。
(2006.8.6)






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