Refrain the Rain










『雨ってさぁ、意外と好きなんだよね』


買い物がおじゃんになったって、そうむくれてたのはどこのどいつだよ。
いつもみたいに呆れたようにそう言ってみせた。

でもあいつはいつもみたいに明るく笑うわけでも、ましてや拗ねるわけでもなくて。
フローリングの床に寝転がったままガラス戸の外を眺めて笑ったんだ。
ガラスを伝う雫を大きな瞳に映したその仄かな微笑み。


『だってなんか、五関くんみたいじゃない?』


意味が判らなかった。
だけどあいつがそういうことを言うのは意外とよくあることでもあった。
いつも表面的にはバカにしたような呆れたような、しょうがない奴、なんて風で接してしまうから外には見えなかっただけで。

素直に訊けばよかっただろうか。
「なんでそう思うの?」って、そう言ってみせたら本当の答えをくれただろうか。

いつも判ったつもりでいたから訊いたりしなかった。
言葉を誰より欲しがる奴だって知っていたくせに。
誰より欲していたのに・・・本当に欲しいものは言えない奴だって、そう知っていたくせに。


『静かで優しい感じ。ちょっと冷たい感じもするけどね、ほんとは優しい感じ』


普段の大声や騒々しさが嘘みたいに、そうやって静かに喋る時。
ハスキーな声はなんだかとても穏やかで耳心地が良くて好きだった。
そういうあいつの声こそ何よりも優しいものだと思った。
本当は誰より健気で一途な心根を映したような、そんな優しいもの。


『そういうのがね、好き』


そう言って綻ぶように柔らかく笑った。

言わなくても判ってくれていたのは向こうだったのかもしれない。
言葉にもせず判っていたつもりだったのかもしれない。

かもしれない。
かもしれない。
そんな後悔ばかり。

今ガラスの向こうに降る雨は、さっきからそんな言葉をひたすらにリフレインさせる。



最後は笑顔で泣き顔だった。
どっちかにしろよ、なんて。
俺は結局いつもの自分すらも崩せなくて、そんなことしか言えなかった。

ありがとう、と言った。
ごめんね、とも言った。
俺は、今更言うなよそんなこと、って。
自分こそ、そんなことしか言えなかった。

本当は引き止めたくてしょうがなかったくせに。
何を躊躇した?
みっともないとでも思ったか。
あくまでも相手に追いかけて追いすがって欲しいと、そう思ったか。

違う。
違った。
行くなって、そうも言えたはずだ。

今までだって、好きだとか愛してるとか、言わなかったわけじゃない。
安易に口にするのは好きではなかったけれど、時にはそういうものが必要だとも判っていたから。
だけどそんなことじゃない。
本当にもっと必要な何か、あいつのために、そして自分のために、もっとずっと必要だった何か。
俺は一度たりともそれを言葉にできなかった。


この降り続ける雨をあいつはどう思うのだろう。
今でも好きだとそう言えるのだろうか。
この胸の内を浸して濡らし続けるようなそれを。
もうずっとこんな空模様。
それでも好きだと、そう言ってくれるのだろうか。


コツンと指で弾いたガラス戸。
その音は静かな雨音に滲んですぐ消える。

繰り返される雨音の中で胸に満ちていく感情。
ひんやりとしたそれで気付かされるその熱。


雨が優しいだなんて。
それは、その雫をそう受け止めてくれるものがあったからだ。
その雫でこそ生きられると、そんな風に笑って咲く、たった一輪の花があったからだ。
太陽もなく雫ばかりをその身に受けていたら、いずれ溺れてしまうと判っていたのに。
それでも離れることなく傍で咲く花があったからだ。


ガラスに強く力を込めた指先の向こうで雫が伝う。


『でも、また明日晴れたら買い物行きたいなー。ていうか雨でもいいからさ、車で行こう』


ああでも、どうしようか。
今日も雨だ。
雨ばかりだ。
晴れやしない。
車を出してもいいけど、一人じゃ気が滅入る。


『ね、五関くん』


もう泣き顔も思い出せない。
その笑顔ばかり。
たとえびしょ濡れになっても笑っていたあの顔ばかり。


本当はとっくのとうに見つけていた、本当に必要なもの。
けれどそれは言葉になることはやはりなく、代わりに雨となって指先にぽたりと落ちた。










END






(2006.11.13)






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