好きなままじゃ伝えられない
俺はあんたを嫌いになりたいと思ったことが何度もある。
「・・・なに?突然」
「突然・・・でもないんだけどさ」
「そうなんだ。でも聞いたのはたぶん初めてだよ」
終わった後も、煙草を燻らせるでもないその白くて長い指先。
無造作ながらも何処か流れるような動きをするそれは、この身体に触れる時でさえ寸分の躊躇いもない。
「・・・反抗期?」
唇の端がうっすら上がるのが見える。
その長い指が唇に触れるのを感じる。
指先が微妙な力加減で、何かを確かめるようにこすりつけてくる。
それに抗うように唇を開いて吐息を漏らす。
「俺、もう19なんですけど」
「ああ、あと一年でようやく大人になるんだっけ」
「あと一年しかないんだよ」
「そうだね」
「どうすんの?」
「何が?」
「・・・」
唇に触れていた指先がそのまま緩やかに移動して、頬に触れ、耳朶に触れ、首筋に触れ、最後に髪を巻き取るように触れる。
この人はこういう時意外と触りたがる。
そんな時俺は身動きが取れない。
体も、心も。
『お前が大人になったら解放してやるよ』
既に声変わりを終えていた、それでも高めの声で、落ち着いたトーンで。
耳元に囁かれたその言葉を俺は今でも鮮明に憶えている。
幼さ故に目の前の無知な恋心にしがみつくことしかできなかった俺を、まるで見えない糸で絡め取るようなその声と、手が。
今もなおあの始まりの瞬間と変わらぬそれらが、今目の前にも事実としてある、この心さえも事実として離さない、そのくせに。
「あと一年しかないよ」
「そうだね」
「どうすんの」
「別にどうもしないけど」
「・・・そう言うと思った」
遊びならまだよかったのに、と思うようになったのは最近だ。
それも成長の内かと思えばなんとなく皮肉にも感じる。
我知らず吐き出した細い息は、その薄い唇に掬い上げられて呑み込まれた。
何の躊躇いもない。
この身体に、この心に、それら全てに触れることには何の躊躇いもない、この人。
「お前、男でよかったよ」
そして何の躊躇いもなくそんなことを言う。
触れて、触れて、あらん限りに刻み込む。
この身体にこの心にこの愛しさに。
「・・・女の子だったら責任とってもらえんのにな」
「そう、さすがに傷物にしたらまずいしね」
「やり逃げってひどいよね、マジで」
「逃げはしないけど、別に」
「じゃあ、責任とれよ」
瞬きもせずじっと見つめると、薄く笑う。
この瞳が好きだとたまに言っていた。
この瞳が自分で染まるのが好きだと言っていた。
「お前が大人になるまでなら、とってもいいよ」
そんな酷い囁きと共に近づく唇に、それでも瞼を閉じてしまうのは俺がまだ子供だからだろうか。
触れる少し冷えた感覚に震えずにはいられないのは、だからなんだろうか。
まるで迷子の子供がするみたいにふらりと手を伸ばせば必ず握ってくれる、けれどそれすらも、今だけ。
「・・・いつ、おれのこと、すてるの?」
「捨てたりしないよ」
「でも、おれがおとなに、なったら、」
「捨てるんじゃない。解放してやるんだよ」
まるで子供に言い聞かせるみたいな優しい声音。
けれど手を握ってくれるのとは逆の手が後ろ毛を掴む力は酷く強い。
思わず喉の奥を引きつらせたら、ふと笑んだ気配。
けれど少しだけ掠れた声音。
「お前がずっと子供ならいいのに、とは思うけどね」
微かに震えて開いた唇は言葉を形作れなかった。
だから伝えることなんて到底できなかった。
でも、あんたは知らないんだよ。
俺はもうとっくに子供なんかじゃないのに。
夢見るように恋をしていられた頃とは違うのに。
あんたがいつか俺の手を離すことなんてとうに知っているのに。
この体と心に恋した全てを刻みこんで。
もうこの先何があっても、たとえ誰と出逢ったとしても、俺があんたを忘れぬようにと、忘れられぬようにと。
いっそ呪いにも似た魔法の手で触れていることを知っているのに。
俺はあんたを嫌いになりたいと思ったことが何度もある。
その手に抗いたいと思ったことが何度もある。
けれど抗うことなんてできないと判っている。
俺はもう子供じゃないから。
「・・・ねぇ、キス、しよ」
「いいよ」
嫌いになれたらよかった。
そうしたら、行かないでと言えたのに。
END
相変わらず五関さんが酷い人ですいません(土下座)。
でも余裕ぶってて実は余裕がない五関さんでもある。
(2006.2.26)
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