その夕焼けの朱はいっそ恐ろしいほどに深く、僕を飲み込もうとするけれど。











この世界でただひとつ










「あ、下校の歌」
「下校の歌?」

最寄り駅までの帰り道。
隣を歩いていた戸塚が突然思いついたように声を上げる。
つられるように立ち止まる塚田に頷いて、戸塚は横断歩道の向こう側に見える小高い丘の方を指差す。
そこに見える空は既に薄暗い朱に染まっている。

「うん。聞こえない?ほら、向こうの方」
「・・・・・・あ、聞こえた!」
「ね?」
「蛍の光だね〜」
「そういう曲名だっけ?」
「うん。でも下校の歌だよね」
「そうそう、学校でさ、夕方になると流れるじゃん?」

学校が終わってからも子供達はグラウンドで友達と走り回って遊ぶ。
ただ何も考えずにじゃれ合って時に泥だらけにもなったりして。
けれどやがてそこに流れるこのどこか哀愁漂う曲で、子供達はもう家に帰る時間だと気付く。
そして辺りを見回せばそこは既に一面朱く染まった世界が広がっているのだ。

「あー、もう帰る時間かーって、ちょっとつまんない気持ちになるんだよね、これ聞くと」

戸塚はそう呟いて朱い空を大きく仰ぐ。
それにつられるように一緒に顔を上げながら、塚田は納得したように頷いた。

「ちょっと思い出すね、ちっちゃい頃とか」
「でしょ?」
「うん。でも俺、結構その後も夜まで遊んだりしてたなぁ」
「え、そうなんだ」
「うん。そんで遅く帰ってお母さんに怒られたりしてたよ」
「意外だなぁ。塚ちゃんてそういうイメージなかった」

戸塚は小首を傾げてそちらを見る。
依然として空を仰いだままにその横顔が笑う。
その笑顔は見慣れたものだけれど、今は朱く染まっているからなんとなくいつもと違うようにも見える気がして、戸塚はその横顔をなんとなくじっと見つめてしまった。

「意外とやんちゃしてたんだよ、これでも」
「へ〜・・・。俺はそういうの全然なかったな」
「トッツーのおうちって結構厳しいんだよね、確か」
「うん・・・門限とかね、ありえないくらい早くてさ。
他の友達がまだ遊んでるのに俺だけ帰んなきゃいけないとか、しょっちゅうで。つまんなかったなー」

あの朱い夕焼けの下、一人輪の中から離れて染まった空に追い立てられるように帰るのは、決して楽しいものではなかった。
戸塚が呟いてまた空を仰ぐと、代わりに今度は塚田がそちらを見る。
その顔が満面ではなく穏やかに笑んだ。

「でも、うちはうちでいいよね。
今が忙しいからよく判るけど、家族みんなで食べるご飯って、すごくおいしいし」
「うん。それは俺もよくわかる。やっぱ母さんのご飯が一番おいしいもん」
「ね」
「あーそんなこと言ってたらお腹すいてきたなぁ」
「どっか寄る?」
「マック行こう!」
「じゃあ予定変更〜」

そうして再び歩き出す。
そんな二人の頭上で空はますます色を深めて暮れていく。
二人の黒い髪もまたその色に飲み込まれるように染められて同化していくようだ。
見れば長く伸びた二人の影だって、同じ。
戸塚はそれに気づいてふと呟いた。

「ねぇ、逢魔が時って知ってる?」
「えーと・・・昼と夜の境目の時間だっけ。ちょうど今くらい?」
「うん、そう。でね、魔物が辻を通る時間なんだってさ」
「魔物?」
「そう、魔物」
「魔物かぁ。なんか怖いね」
「うん、でもどんな魔物なのかちょっと気にならない?」
「う〜ん・・・」

唐突な話題、そして唐突な問い。
けれど塚田は特に気にした様子もなく、その問いについて考えている。
戸塚が唐突なのはいつものことなのだ。
そしてその自分だけの思考と世界に入り込んでしまうのも。
いつだって大事なのはそれ自体ではなく、そこに至る過程。
塚田にはそれがよく判っていた。

「魔物っていう響きの感じからすると、妖怪っぽいイメージだよね」
「日本昔話的な?」
「そうそう、そんな感じ」
「ぬらりひょんみたいな感じ?」
「ぬらりひょんは鬼太郎じゃなかったっけ」
「俺的に鬼太郎は日本昔話に含まれるんだよね」
「そうなんだ」
「だってあの漫画版のさ、世界妖怪と日本妖怪の決戦なんて超燃えだったんだから!」
「そうなんだ〜」

鬼太郎なら鬼太郎で、もうちょっとメジャーな妖怪もあるだろうに、と思わなくもない。
それに生憎と鬼太郎の漫画版を読んだことがない塚田にはその燃えがよく判らないが、戸塚があんまりにも楽しそうに語るので頷きながら聞く。
そうやって自分の好きなものについて話す戸塚の目は心なしかキラキラしていて、そういう戸塚の無邪気な顔が子供みたいに可愛くて塚田は好きだ。

「でも、ぬらりひょんがこんな時間に出てきたら怖そうだね〜」
「いや楽しいって!ぬらりひょんだったら俺サイン貰うな」
「そうかな〜怖いと思うけどなぁ」
「だから・・・そういうのだったら、よかったんだけどね」
「・・・トッツー?」

塚田は窺うようにその顔を見る。
薄暗い朱に照らされたその顔はもはやこの距離でもわかり難いくらいだ。
この時間は夜よりも余程様々なものを見えなくさせる。
そう、逢魔が時とは神隠しが起きる時間であると、どこかで聞いた。
塚田がそんなことをぼんやりと思い出していたら、視線の先の戸塚は小さく笑った。

「なんかね、目には見えないんだよ」
「目に、見えない?」
「そう。目には見えないんだけど、なんかいるの。そんで追っかけてくるの」
「トッツーを・・・?」
「俺はねぇ、走って逃げるんだ。
でも相手も同じくらいの速度だから全然振り切れなくて。だから逆に捕まりもしないんだけどね」
「・・・・・・」

塚田は黙って聞いていた。
その言葉をどう聞くべきか考えながら聞いていた。
その沈黙を「意味が判らない」という風にとったのか、戸塚は少し苦笑して首を傾げてみせる。

「信じられないよね。でもほんとなんだよ?
友達と遊んでてもさ、俺は一人だけ帰らなきゃいけなくて、でもそうすると追いかけられて、怖くて逃げて、なんとか家についてホッとするんだ」

その何かから走って逃げて、捕まりはしないけれどいつ何時捕まるか判らなくて、その正体の見えない追い立てられる不安を心にぎゅっと抱えて。
「それ」が何か自分でもよく判らないから誰にも言おうとはしなかったし、事実誰にも言えなかった。
誰か助けてと、心の中でそう言ったことはあったけれども。
そんな声なき声はこの世界では誰にも聞こえない。
だからこそ戸塚は、今自分がそれを話してしまったことを少しだけ不思議に感じていた。
今がちょうどその時間だからだろうか。
隣にいるのが、彼だからだろうか。

「もうちょい足速かったら振り切ってやれるんだけどねー」
「トッツー」
「生憎と、俺の足は徒競走でいつも2番か3番ていうイマイチ目立たない感じだからさ」
「ねぇ、トッツー」

塚田の顔を見た。
そちらから見て戸塚の顔がこの朱でよく見えなくなり始めているように、戸塚からも塚田の顔はもっと近づかなければ見えづらくなっていた。
だから戸塚はこの時間が嫌いだった。
いつもよりも距離を感じてしまう。
相手が遠くに見えてしまう。
そしていつかいなくなってしまうように感じてしまう。

「ねぇ、トッツー?」

けれど塚田は呼びかけてくる。
その声で、その名を。
そしてその手は戸塚の手を無造作に掴んだ。
見た目にそぐわぬごつごつとした手を感じてなんだか少しだけホッとした。

「それは、今でもなの?」
「え?」
「今でも、追いかけられてるの?」

話したのは初めてだった。
だからそんな問いが返ってくるとは思わなかった。
咄嗟にどう答えていいのか判らず言いあぐねていると、その手が指を絡めるようにして握ってきたから、思考より先に相手の顔を見ることに意識が行ってしまう。
さっきよりも顔がよく見えるようになっていた。
戸塚はその場から一歩も動いていない。
塚田が近づいたのだ。

何も答えなかった。
戸塚は決して何も答えはしなかった。
けれど塚田は何もない答えに対して答えをくれた。

強い力を込めて握られた、その手。

「じゃあ、こうしてれば、大丈夫だ」

特に何のフォローというつもりで言ったわけでもないんだろう。
その、特に頓着なく笑顔で向けられた言葉には嘘がない。
それは些細なことだからこそ余計に思う。
塚田の言葉にはいつだって嘘がない。
だから好きだ。
決して周りから言われる程「いい子」というわけではないし、特筆して優しいというわけでもないし、純粋かと言われればそうかもしれないが無垢なわけではない。
ただ、だからこそ、その嘘のなさは凄いといつも思わされる。
それは塚田の強さだと思う。
そしていつもそれに救われる。
戸塚は握られた手をおずおずと握り返す。

「塚ちゃんなら振り切れそうだよね。足速いし」
「うん、任せて!」
「あ、でも、俺と手繋いでたら、逃げ切れないかも」
「大丈夫だよ。それならトッツー抱っこして走るから」
「塚ちゃんパワフルだなぁ」
「伊達に鍛えてないからね〜」
「うん、じゃあ、俺は抱っこしてもらってる間、塚ちゃんのこと応援する!」
「あはは、いいねそれ。トッツーに応援してもらえたら頑張れそうだなぁ」

そう言って笑う顔はとても近くて、この朱く染まる世界の中でも、てらいなく戸塚に向けられる。
握った手は少しだけ恥ずかしくもあるけれど、きっと今ここでは他の誰にも見えない。

この時間は嫌いだけれども。
それでも大丈夫。
この世界で唯一、この手を握ってくれる人がいる限り。










END






初の塚戸。
恐れ多くもトッツー大好きゆりさんに捧げさせていただいたもの。
だがしかしどうだろうこれは・・・。色々手探りです。
とりあえず、トッツーにとって塚ちゃんは太陽でありヒーローであるといいなという夢です。
あの子はネガティブっこで不思議っこなので、そこら辺のあの子だけの世界に入ってきて手を差し伸べられるのは塚ちゃんだけだといいよね!という感じで。
(2006.6.24)






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