イエス・ノー










学校の裏手にバイクを停めて、横尾は鬱陶しげに前髪をかきあげた。
人気の少ないそこは駐輪場などという場所では当然なく、そもそもこの学校はバイク通学は禁止だ。
しかしそれをわざわざ横尾に言う者はほとんどいない。
それは本来指導に当たるべき教師と言えども同じこと。
日頃ロクに学校にも来ず、他校のガラの悪い連中と喧嘩に明け暮れているような、そんなどうしようもない生徒は放っておくのが一番、下手に干渉しない方が身のため、そんな風に思われていたから。

持っているのも邪魔だからと一応羽織っていた詰襟の上着を脱いで肩にかける。
ところどころ泥や血で汚れ、ほつれたそれはもはや無残なものだ。
しかしそれを言うならば、その顔にもところどころ傷が見える。
特に鈍く痛む唇の端を、横尾は顔を顰めながらも手の甲で無造作に拭った。
そうすれば当然赤黒いそれが手の甲を汚すから、それを今度は手にした上着にこすり付ける。
それから面倒くさそうに歩き出した途端、背後から聞き慣れた、ふざけた調子の声がした。

「重役出勤ご苦労さんでーす」

それが誰かなんてわかりきっていたから、特に驚くこともなくゆっくり振り返る。
どこから現れたのか、むしろどこから嗅ぎつけたのか、まるで小動物のように軽やかな調子で跳ねるように横尾の前にやってきた、比較的小柄で細身な少年。
本来彫りの深く整った顔立ちに愛嬌のある笑顔を浮かべて横尾を見上げてくる。
その詰襟の上着は横尾のものと比べれば随分綺麗なものだが、その前は見事に開け放たれていて、あまつさえインナーのTシャツは目にも派手な柄モノで、十二分に校則に違反している。

横尾は向けられた言葉に特に反応するでもなく、少しだけおかしそうに笑って首を傾げてみせた。

「なんだよ、委員長直々にお出迎え?」

そう、横尾程ではないものの、そこそこに一般程度の校則違反をしているこの生徒は、横尾のクラスの学級委員長だった。

「そーいうこと。俺の横尾くんセンサーがビビっときたんだな〜これが」

そんなふざけたことを、これまたふざけた甲高い笑い交じりで言ってのけるこの生徒、河合郁人は横尾に話しかけてくる数少ない人間だったし、むしろ普通の友達以上に仲はよかった。
ただ周りからするとそれは少しだけ不思議な様に見えたようだけれども。

「つーか授業中じゃねーの?」
「あー、うん。窓開けて外見てたら、お前のバイクの音したから」

そう言って、河合は何気なく横尾のバイクのシートにその小柄な手をポンと置くようにやる。
その様に横尾はその特徴的な八重歯をうっすら見せて笑った。
まるで顎でしゃくるようにして自分が今さっき乗ってきたバイクを指し示す。

「バイクの音の違いがわかるって、お前そんなに詳しかったっけ」
「お前のバイクの音くらいわかりますー」
「変なヤツだな」

横尾はその大きな節張った手で、河合の柔らかな明るい色の髪を軽く撫でた。
その手の感触に河合はじっと見上げてくる。
そしてその大きな煌く瞳を細めると、少しだけ拗ねたようにぽつんと呟いた。

「・・・また、ケンカしてるし」

一瞬何のことかと目を瞬かせた横尾だけれども、それが自分の唇の端が切れているのを見ての台詞だったのだと気づくと、視線を逸らしながら親指でそこを隠すように拭う。
やはり今日は来ないほうがよかった。
想定外に集団で待ち伏せされてふっかけられて、一応全員返り討ちにはしたものの、それなりにこっちもやられてこのザマだ。

「しょうがねーだろ。俺から売ったんじゃねーよ」

無駄に喧嘩を売るのは性分ではないが、かと言ってふっかけられて黙ってやられてやる程お人よしではない。
何より、口などで言っても到底理解するはずもないような連中相手には力で思い知らせてやるしかないのだ。
そんな自分は別に嫌いではないし、周りからどう思われ何を言われようと気にしない。
ただ、河合のこういう心配気な眼差しだけはどうにも苦手だった。
その瞳に止めろと言われたら頷いてしまいそうな自分を、横尾は自覚していたからだ。

視線をあからさまに逸らしたままかったるそうにしている横尾を見上げて、河合は一つため息をつくとポケットから何やらハンドタオルのようなものを取り出した。
そしてその手を伸ばすと、タオルで横尾の汚れた顔を無造作にごしごしと拭う。

「んっ・・・」

その些か乱暴なやり方に横尾は思わず息を詰めたけれど、特に抵抗はなく好きにさせてやった。

「お前が売ったんじゃないのはわかってんの」
「ならいいだろ」
「でもケンカした日はお前学校来ないじゃん」
「今日は来ただろ」
「単なる気まぐれのくせに」
「悪いのかよ」
「悪いよ」
「・・・んでだよ」

いつもケンカをしたら、面倒だからと学校には来ない。
それなのに今日来たのはその顔が見たくなったからだ。
所詮その事実を伝えもしていないのだからわかるわけがないと理解していながらも、横尾は悪いと言われて少しだけムッとしたような表情を見せる。

横尾相手にここまで言えるのはこの学級委員長だけだ。
いつも明るくて人懐こくて仲間思いで周りには人が溢れていて、クラスの中心にいるような少年。
自分には不釣合いだと横尾はいつも思う。
けれどそんな横尾の内心の拘泥などものともしない、その真っ直ぐな強い瞳は何故か横尾だけを見つめる。
じっと映して、動けなくさせる。
まるで孤高の獣を仕留めにきた狩人のようだ。
本人にその気などないだろうけれども。

「たまには委員長の言うこと聞いてよ」

瞬き一つさせずじっと見上げて、うっすら開いた妙につやつやした唇でそんなことを言うのは、狩人と言うには些か無防備すぎるけれども。

「俺が寂しいから、学校来いよ」

思わず手を伸ばした。
顔を寄せた。
そして舌先で撫でるようにその唇に触れた。
最後には、小さな苦笑。

「・・・どんなわがままだよ、それ」
「委員長命令」
「どんだけワンマンなんだよお前」
「委員長の言うことは絶対なの!」

無駄に胸を張ってそんなことを言ってみせるのがおかしくて、横尾は目の前にあるその高い鼻を軽くつまんでやった。
そして意趣返しのように少し意地悪な台詞。

「お前に寂しい思いなんてさせないってヤツなら、他にもいんじゃねーの」
「んー・・・いるって言ったら、どーすんの?」

その手を外させながらも、窺うような視線。
まさかそういう返事が来るとは思わなかった。
ただそれはあながち冗談だけではないであろうことも知っていたから、横尾は軽く舌打ちして視線を巡らせる。
同級生から、下級生、上級生、果ては教師まで、河合は数多の視線の先にいるのだ。

「・・・お前抜けてるから気をつけろよ」

そのぼそりと呟くような言葉には、河合も呆れたような、同時に不満そうな顔をする。

「なにそれ。お前言うこと間違ってるっつーの」
「なにがだよ」
「そこはあれじゃん、俺だけ見てろーとかさ、そういうこと言えよなー」

ふふん、と何故か妙に得意げにそんなことを言ってみせるのにも、横尾はただ目の前の甘い色の髪を指先で梳くように撫でて呟く。

「・・・つーか、どうせ言わなくてもそうじゃん」

河合は一瞬きょとんした幼い表情で目を瞬かせる。
けれど一拍置いてから、その言葉と、そして撫でられるどうにも優しい感触とを直結させて、一気に耳朶を染めた。

委員長特権をフルに活用してわざわざ席を一番後ろの窓側にしてもらって。
いつ来てもわかるように窓を開けて。
授業もロクに聞かずにその憶えたエンジン音を聞き逃さぬゆようにとじっと耳を傾けて。
聞こえるや否や体調が悪いと言って教室を飛び出して走って。

横尾はそう言うけれどきっと知らない。
いつも周りに人が絶えない、その「横尾以外の人」なんて誰も目に入らないこと。

「・・・なんかお前、今日むかつく」
「なんでだよ」
「むかつくから、俺次サボる」
「いいのかよ、委員長サマが」
「だからお前も付き合えよ」
「はぁ?」
「委員長命令!」
「・・・あー、そういうことか」

横尾は肩を竦めて笑うと、目の前の唇にようやく自分のそれで触れてやった。
それに一瞬息を詰めながらも、河合はこくんと喉を鳴らしてその腕をギュッと掴む。
思わず瞑ってしまった目をうっすら開けようとしたら、その傍から尖った八重歯の先で下唇を甘噛みされてままならない。

「でもさ、学校から出たらもう委員長じゃないし、命令とか聞かねーけど」

耳元でそう言われた瞬間鼻をついた煙草の匂いに反射的に口を開きかけるけれど、結局すぐさま閉じてしまった。


イエスでもノーでも、この恋には勝てない。










END






233国勢調査リク第四段。
「横河で高校生パロ。横尾さん不良高校生」というリク。
不良高校生×学級委員長ってのも対比萌えでなかなかいいと思います。
しかし毎度うちの横尾さんは学校の裏で密かに猫にエサやってそうなヤンキーって感じだよね。
(2007.10.14)






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