3.伸ばした指先










何の変哲もないホテルの扉の前で10分以上あれこれと考えていた河合を出迎えた声は、予想通り至極普通だった。

「おかえり」
「あ、あー、うん、・・・ただいま」

部屋に五関がいるのを判っていたせいでカードキーを持たずに出たけれど、さっき塚田が連絡してくれたせいなのか、叩いた扉に五関はすぐ出てきてくれた。
河合が出掛けている間にシャワーに入ったんだろう。
五関の黒髪は少し湿っているようで、着ているシャツもさっきと違う。

「結構遅かったな」
「ん、なんか盛り上がっちゃって」
「そっか」

頷きながらさっさと部屋の中に戻っていってしまう後ろ姿をゆっくりと追うように続く。
二つ並んでいるベッド、その奥の方が五関の使っているものなのだが、それは河合が出掛けた時と違って掛け布団が捲れ上がっていた。
その枕元にはさっきと違って読みかけの本が開いたまま裏返しにしてある。
恐らくはベッドに入って読んでいたのだろう。
それに気付いて、河合は上着を脱ぎながらぽつんと呟いた。

「・・・先に寝ててよかったのに」
「待ってるって言っただろ」

けれど五関はそれに何でもなく返すと再びベッドに転がる。
それを横目で見て、河合はインナーのタンクトップ一枚になると荷物の中からタオルと着替えを取り出す。
自分もさっさとシャワーに入って寝てしまおうと思う。
明日も昼から公演があるのだからあまり夜更かしもしていられない。

自分に背中を向けた状態でごろりと転がった小柄な後姿を見ながら、河合は努めて明るく振舞う。

「うん、じゃあ、俺、シャワー入ってくるっ」
「おー」
「いい加減寝てていいからっ」
「んー」
「じゃっ!」

相手は見てもいないのにご丁寧に右手を掲げてみせる。
そうして相手の返事も待たず、タオルと着替えを抱えると無意味にダッシュで風呂場に向かう。
そんなに急がなくても相手はどうせ何も返してきはしないだろうと判っていたのだけれども。
それでも、そろそろ訪れそうな限界は身体を無闇に何かに急かしてしょうがなくて、河合はそれを一刻も早くシャワーで冷ましてしまいたかった。










「鏡よ鏡よ鏡さん〜世界で一番かっこいいのはだ〜あれ〜?」

タンクトップを脱ぎながら目の前にある鏡に向かって言ってみる。
そこには当然自分自身が映っているだけだ。
こんなところをグループのメンバー、もしくはキスマイの上のメンバーに見られようものなら、ほぼ100%の確率で「バカがいる」と白い目で見られること請け合いだ。

だが河合はたとえ言われたとしても気にしない。
それは何もこれに限ったことでなく、むしろ限る意味もなく、河合の普段の行動全般に言えることだけれども。
言ってしまえば、バカなことなんてとっくに判っているのだから。
判っていてもやる意味はあるのだ。
そして河合は、それしか方法を知らないのだ。
明るい声と明るい表情で、河合は鏡の向こうの自分をぼんやりと見る。

「・・・んー、もうちょっと肉つけたいなぁ」

自分の胸から腹にかけてを手で触って確かめてみる。
アクロバットで鍛えた身体は確かに綺麗に筋肉がついてはいるのだが、それでもやはり細いのは否めない。
筋肉隆々な父親ではなく華奢な母親の体質を受け継いだのか、河合の身体は元々肉がつきにくい。

「あー、かっこよくなりたいなー。強くなりたいなー」

河合郁人はいつだってバカなことばかり言っている。
それしか方法を知らないから。

「鏡さんはいつ言ってくれんのかなー」

バカなことばかり言って、鏡に指先で触れてみる。
その向こうの自分に触れてみる。

「それは河合郁人くんです!って・・・」

自分に自信がないわけではない。
自信はそれなりにある。持つようにもしている。
むしろ無理やりにでも持っていなければ、叶う可能性は欠片だってない気がするから。

「わかってよ・・・」

指先で触れた鏡の向こうの自分は笑っている。
笑っているけれど、その笑顔はなんだかぎこちなくて、いけない。

だめだ。
だめだ。
こんなんじゃ、だめに決まってる。
言ってもらえるはずがない。
もう無理だと判っていても、僅かな可能性にそれでも縋りたい。

「・・・おふろ、おふろ」

ふいっと鏡から視線を逸らし、そのままユニットバスの浴槽に足を踏み入れる。
一通り身体と髪を冷たい水で洗い流してから、なんとなく気が向いて湯をためる。
普段ならさっさと洗ってさっさと出るのが河合なのだが、今日はなんだかゆっくりしたい気分になった。

湯船の中身体を浴槽に預け、まんじりと熱を体内に感じる。
じわじわと浸透していくようなそれが心地よい。
あと少し浸かったら出て、髪を乾かしてから寝よう。

「さすがに寝たかな・・・」

呟いた声は指先に弾かれた湯の音にかぶる。
もう一度指先で掬うように弾いてみると、今度はそれが蛇口の銀色に跳ねてきらりと輝きを放ってから落ちる。
それをぼんやりと見つめながら、頭を浴槽の縁にことんと預けた。

バカなのなんて判ってる。
だってどれだけ態度に示しても受け入れられず、止めておけと言われても止められず。
拒絶だけはしない相手の優しさだか甘さだか判らないようなものに苛立つくせに、実際にはそこに僅かな縋れるものを見出そうとしている。
想えば想った分相応の何かが欲しいわけじゃない。
相応の何かなんていらないから。
せめて、判ってらいたくて。
どうにかしてそう頷いて欲しくて、バカみたいに足掻き続ける。

「しょうがないなぁ・・・」

しょうがないな、って。
そう言って呆れてもいいから。
お前は本当にしょうがない、って。
そう言って頭を叩いてもいいから。

「だってしょうがないもん、なぁ・・・」

せめてどうしようもないくらいにあなたを好きなこの気持ちを、認めて欲しい。
それすらもきっと贅沢なことは判っているけれど。
バカだから判りたくない。
ずっと判りたくない。

「あー・・・きもちい・・・」

さっき身体の熱を冷ますために冷たいシャワーを浴びたはずなのに、つい湯船に浸かってしまったせいで頭の奥まで痺れるように熱い。
うっすら細めた目で銀色に光る蛇口を眺める。
だんだんその銀色も歪んで見えてくる。
遠くで何か叩くような硬質な音が聞こえた気がしたけれど、よく判らない。
河合は一度ゆるりと目を瞬かせると、そのまま熱に任せて閉じてしまった。


『・・・い?・・・わい?』


遠くで声がする。
ああ、ほんとに好き。この声好き。
言ってしまえば全部が全部好きだけれど。
まるで子守唄を聞くようにその声を感じる。
どうせなら夢の中にまで連れていけたらいい。
せめてその声だけでも。


『・・・わい?かわい?・・・大丈夫か?』


うーん、あんま大丈夫じゃないかなぁ。
胸の辺りが苦しくてしょうがないもん。
五関くんがキスでもしてくれたら治るかもしれないけど。
河合は夢の中でまでそんなことを呟いて、意識を手放した。






『・・・河合?開けるよ?』

扉がゆっくりと開く。
どうせ河合のことだから鍵をかけていないだろうと思ったら、やっぱり。
開けると同時溢れ出すむせ返る様な湯気に目を細め、ユニットバスの浴槽と洗面台とを仕切る安っぽいカーテンに手をかける。

「・・・開けるよ?」

一応もう一度言ってから、その返事がないことを確認してゆっくりとカーテンを引いた。
そこには湯を張った浴槽にくったりと身体を預けて目を閉じた小さな顔があった。
普段シャープな印象のあるそれは、目を閉じてうっすら染まった今となっては歳相応かそれ以下の幼さを突きつけるだけだ。

「・・・」

五関は無言でため息をつくと、その場にしゃがみこむ。
目の前で眠るように目を閉じた薄赤い顔をじっと見つめて、そうっと手を伸ばす。
さっきは触れられなかったそれが今は容易く触れられる。
だからだめなんだ、とは思うけれど。
触れてしまうともうなかなか指先は離れなくなってしまう。
自分の皮膚に触れる濡れた熱い頬の感触。
そっと撫でたら、僅かに目の前の薄くて形の良い唇がつるりと光を弾いて、動いた。
それが形作った言葉が自分の名前であることに当然のように気づいてしまって、五関は熱い頬に触れたまま、搾り出すように呟いた。

「俺はどうしたらいい・・・?」

そんな言葉にすら、目の前の眠れる顔がうっすら微笑んだ気がして。
五関は堪らずもう一度同じセリフを呟く。
そしてその後続いた言葉は、ほとんど声にならず、唇が動いただけだった。


『お前にこれ以上触れるのが、怖いよ』










NEXT






(2006.5.22)






BACK