今ここにあるその全て
「あ〜・・・ブタ、食いたい」
ぼそりと呟く声は間延びしていてどこかだらしない。
村上が隣を見ると、そこにはぐったりとソファーに身を沈めた小柄な身体がある。
過去最高に伸びた髪は頭の両側で綺麗に結わいてあって、おまけにそれは可愛らしい花のポイントがあしらわれたゴムでくくられていた。
さっきからこうしてやる気なさそうにぐったりしていたすばるの髪を、安田がまるで幼い少女が人形で遊ぶが如く弄くりまわしていたのを村上は目撃している。
元から小柄で華奢で大きく切れ上がった目を持つすばるは、そうしていると本当に少女のようにも一見見える。
けれどよくよく全体を見ればやはりそれは些かくたびれたおじいちゃんのようにも見えるのだから、渋谷すばるという人間は特異な存在であると改めて思うのだ。
実年齢で言えば、それは少女でもおじいちゃんでもなく、ちょうど今日25歳になったばかりのれっきとした成人なのだけれども。
「ブタ食いたいなー・・・」
ブタ、かぁ。
と、村上はふと考える。
豚肉料理で美味しい店と言えばどこだろう。
焼肉、ステーキ、鍋・・・と、伝説を作る程のタダ飯ヒストリーの中を、「豚肉料理の美味しい店」というキーワードでもってフルスピードで検索をかける。
その細身過ぎる身体が示す通り、普段食にほとんど興味を示さないすばるが珍しく限定して何かを食べたいというならば、可能な限り美味しい物を食べさせてやりたいと村上は思った。
しかもそれが今日ならば尚更だ。
今更肉をつけろなんて言わない。
そういう体質なのも、そしてその体型が食生活よりもむしろ精神面から来るものであることを、長い付き合いの中で知っていたから。
むしろそれがあってこその渋谷すばるだということを知っていたから。
だからただ美味しいものをたんと食べさせてやって、うまいと笑顔の一つでもくれればいい、なんて。
そうして村上が「ああ、俺ってええ男やな」と素で思いつつ、何軒かの店をリストアップしていたら、隣ですばるがもう一度呟いた。
「ブター・・・・・・うまそー・・・」
ブタ。うまそう。
うまそうな、ブタ。
村上はそれを隣で聞いてなんとなく単語を入れ替えてみる。
次にその視線の先を何気なく追ってみる。
するとそこにあったのは、白子豚・・・もとい、横山の姿だった。
横山はすばるの小さな呟きにも視線にもまるで気付いた様子はなく、さっきから椅子に座って携帯ゲームに夢中だった。
その白い横顔は真剣そのものだったが、だからこそ自然と空いてしまうぽってりした唇が妙に間抜けている。
今日は雑誌の撮影の日だが、そう言えば控え室に来て早々メンバーとの会話すらもそこそこに、その小さな機械と格闘し始めたのだった。
年下のメンバーから順番に撮っているので出番はもう少し先になるだろうから、確かに攻略もはかどるかもしれない。
さっきからやたらと静かなことを考えると、割と順調に進んでいるようだ。
そしてそんな横山を、さっきからすばるはじっと見つめていたということになるわけで。
その呟きはひたすらに横山を指していたということに他ならないわけで・・・。
「・・・すばる?」
「あー?」
「食いたいの?」
「あー??」
「ブタ」
「あー・・・」
「ブタ、食いたいの?」
「あー・・・そやなぁ、食いたいなぁ・・・」
念のため訊いてみる。
呆れるくらいだらけた返事が返ってくる。
けれど実際村上は呆れもしないし、めげもしない。
この程度は慣れている。
この二人と誰よりも長い時間を共にしているのだから。
その関係が特別であることも、そして今がちょうどその関係が「微妙な周期」にあることも知っている。
この二人はやたらとシンクロ率が高く通じ合う時期と、その真逆の時期が不定期に入れ替わるのだ。
「・・・な、」
その視線を遮るように、真正面から覗き込んでみる。
するとぼけっと間抜けた表情を晒していたその顔は、元の鋭い印象を僅かに取り戻すかの如くムッと眉根を寄せた。
くるんとカールした睫が不機嫌そうに揺れて瞳が眇められる。
「なんやそのぶっさい顔。ジャマやねん」
「な、食いたいの?」
「・・・なにがやねん」
「アレ」
「どれ」
「アレ」
あっさりと指差してみせた先は、当然すばるが見つめていたのと同じ。
別に隠していたつもりもなければ逆にひけらかしていたつもりもないすばるとしては、改めて言われると若干鬱陶しいしばつが悪い。
けれど根本的に村上相手に無駄な抵抗をするつもりはないから、ただこくんと頷いて、呟いた。
「アレ、食いたい・・・」
「よっしゃよっしゃ」
「・・・あ?」
よっしゃよっしゃて、何がやねん。オッサンか。
怪訝そうな顔をするすばるに向けてニコリと満面で笑ってみせると、村上はソファーから勢いよく立ち上がる。
そうして依然として黙々とゲームを進めている横山に、迷いないどころか、むしろ勇んだ調子で近づいていった。
そんな姿をやはり怪訝そうに、そしてぼんやりと見て、すばるは思わずぼそりと呟く。
「あいつ、なんや最近ガニ股になってへんか?ほんまオッサンやな・・・」
そら歳もとるはずや、と妙にしみじみ思っているすばるを後目に、村上は手元の液晶画面に夢中の横山の肩をポンと叩く。
けれど横山は反応しない。
今それどころではないようだ。
村上はもう一度叩いた。
今度は少し眉根が寄って、顔こそ動かないものの鬱陶しげな表情をした。
さらに村上はもう一度叩き、今度は加えてその白くて柔らかな頬をぷに、と軽く摘んだ。
それにはさすがに横山も手を止めて、ポーズボタンを押すとゲーム機をテーブルに置く。
元より切れ長でつり上がった目が更にギュッと険を帯びて、目の前の見慣れた笑顔に向けられる。
「なっんやねん、おまえ」
「よこちょ、ちょこっとものは相談やねんけどな?」
「・・・いやや聞きたない」
「言わせてやー」
「いやや。その笑顔がごっついややから、いや」
おまえその笑顔ほんまうさんくさいからどうにかせぇよ、と。
横山は、誰もが癒される可愛らしいと褒め称えるその笑顔に躊躇なくそんなことを言う。
眉根を寄せ、ついには唇が尖らせる様は本当に子供じみている。
・・・と、視線の先のやりとりをぼんやりと眺めてすばるは思った。
そしてそんなことを思っていたら、目の前で村上がおもむろに横山の手を掴んだのが見えた。
あ、腕ぷにってなった。
ほんまブタやなー。食い込んでるやん。
更にはそんなことを思うすばるの瞳には、唐突なことに目を白黒させる横山と、そんな横山を笑顔のまま強引に立ち上がらせて連れてくる村上の姿がどんどん近づいてくる。
ついには、ソファーに身を沈めるすばるのすぐ目の前まで、その白い柔らかそうな腕がやってきた。
白くて柔らかくて、美味そうな腕。
それは村上の焼けた手に掴まれたままに、すばるの前へと差し出されたのだった。
「・・・・・・あ?」
一瞬の沈黙を置いてから、すばるはただそれだけ疑問系で呟いた。
それに村上は白い歯を見せてますます笑うと、こくんと一つ頷いた。
白い腕を掴んだのとは逆の手ですばるの手を掴むと、自分が白い腕を離すのとは逆に、それを握らせる。
「はい、プレゼント」
「あ?」
「はぁ?」
今度の疑問の声は被った。
ここまで来れば村上のこの読めない行動の意図が一体何なのか、すばるにも、そして横山にも判る。
・・・判るけれども、どうしてこの男はこう、その最短距離を全力で突っ走るような方法をとるのだろうか、と。
そうして二人は思考も被っていた。
けれど当の村上は、自分が手を離してしまっても、すばるの手が横山の白い腕をちゃんと掴んでいるのを見るとやはり笑った。
なんとも嬉しそうに笑った。そして頷いた。
「俺からのプレゼントな」
年下のメンバー達は皆、村上は横山とすばるに甘い、とよく言う。それはもう口を酸っぱくして言う。
けれども実際のところ、その反面で、横山とすばるは村上に甘いとも言える。
何故なら結局「村上やからしゃあない」で全て片づけてしまうからだ。
もちろん全力の悪態と共にではあるが。
「・・・ヒナちゃんよ」
「なんです?」
「おまえな、調子のんなよ?」
横山は、村上に代わって腕を掴んでいるすばるの手を離させるようなことはせず、ただそのままの体勢で唇を尖らせて目をつり上げる。
とりあえず気にくわないのは確かなので何か言わなくては気が済まないのだ。
「ほんっま調子のんな。調子ええねん」
「なにがですのん横山さん」
「おまえ、後から思いついといてなんやねん」
「ん?後から?」
「めっちゃ俺とかぶってるゆーねん!」
「かぶってるー?」
「・・・プレゼント!」
一瞬空いた間が、微かに白い頬を染めた赤の正体だ。
それに即座に気付き、村上は堪えきれず声を上げて笑った。
うわこいつむっちゃむかつく、と悪態をつきながら、横山はチラリとすばるを横目で見た。
ぽかん、と。
不思議そうな顔で横山と村上とを交互に見るすばる。
横山は、自分の腕を掴んだままのすばるの手を、逆の手のひらでぽん、と軽く叩くように弾いてうっすら笑ってみせた。
村上は生憎と大笑いしていて気付かなかったが、それこそが二人の周期が入れ替わる瞬間でもあった。
ただ横山の顔はすぐに逸らされて、未だツボに入ったように笑い続ける男への悪態に再び代わるのだけれども。
すばるは暫しそんな二人を眺め、さっきと変わらぬ体勢のままでいた。
それからようやくぽつんと呟く。
「・・・オマエら二人ともなに言うてんねん。プレゼントて、そらすでにオレのやんか」
つまりはこういうこと。
こんな愛しい全てが今もなおここにある、それこそがプレゼント。
END
すば兄25歳のお誕生日おめでとう〜!
というわけでお祝いの昴横です。でも昴横ってより三馬鹿です。
なんていうか思う以上に村上が出張ってどうしようもなくなった(笑)。
最近三馬鹿っていいよね・・・と改めて実感したからかなー。
これからも素敵な男前すば兄でいてね。
(2006.9.22)
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