『よこやまくんは、天使みたいですね』
まだまだあどけない、大層可愛らしい顔と声で。
それを言うならむしろお前の方だと、そう言いたくなるような表情で。
そんなことを言ったあいつ。
歳以上に小さな身体でじっと俺を見上げては、まるですごいものを見たような、そんなキラキラした穢れない瞳で。
確かにそんなことを言った、あいつは。
俺にとってはとてもとても可愛らしくて、同時に怖い存在でもあった。
あいつが可愛かった。
無垢な幼さと同時に、確かに内包されたその器の大きさを感じさせるところも。
歳と顔に似合わぬ小憎らしい態度をとってみせるくせに、俺には妙に懐いてまるで犬猫のようにくっついてくるところも。
けれど同時に怖かった。
その幼さ故に、ただ俺の容姿を見てそう言ってきているのだろうとは思っても。
無垢なくせに何処か強く全てを見通すかのような瞳が。
繊細なくせにどうしてか揺らぐことを知らぬその瞳が。
俺が綺麗なのは所詮外側から見える器だけで、中身はただの臆病で強がりの、これ以上傷つきたくないばかりに全てを見限った弱い人間だと。
その無限の可能性を秘めた瞳で、今まで必死に押し込めてきた自分の全てが暴かれてしまうような、そんな気がして。
『亮ちゃん。天使なんてな、どこにもおらへんのやで?』
その頃の大人と子供のような身長差では、見上げ続けるのは辛いだろうと思って腰を屈めてやった体勢で。
まさに大人が子供に言い聞かせるようにそう言った。
それに不思議そうに、そして僅か不満そうに瞬く純粋な瞳。
その小さな小さな手がキュッと握られて、何故か力が込められていたようだったけれど。
幼い唇は確かに何かを言いたげだったけれど。
やはり幼さ故なのか、言葉が見つからなかったらしく。
それ以上は特に何も言うことなく、こくんと小さく頷いてみせた。
俺はただ、それに頭を撫でてやった。
いいこいいこ、と。
そのままずっと可愛い亮ちゃんでおって、と。
ささやかで、かつ自分勝手なことを内心で思いながら。
天使の秘め事
「・・・あーあ。なんでこんなんになってもーたんやろ」
「なんすか。いきなり失礼やろ、それ」
しかもこの状況下で、と。
錦戸はベッドのシーツに俺の身体をきつく押しつける。
俺を強引に押し倒し、シャツを無理矢理剥ぎ取った後で。
「この状況下だからやろ。あー昔はあんな可愛かったんにー俺の亮ちゃーん」
「うっさ。一体何度言えば気が済むんすか、それ」
「おまえがまた可愛くなるまで」
「なるかっちゅーねん。だいたい、いつまでも過去にしがみつくのは年寄りの証拠やで」
「なんやとおまえ!誰が年寄りやて!?」
「今年で24の横山侯隆」
「歳言うな!しかも本名言うな!」
本当に可愛くない。可愛くなさすぎる。
出逢ったあの頃から早数年。
ちっちゃくて本当に可愛らしくて、みんなから「亮ちゃん亮ちゃん」と可愛がられていた錦戸は。
俺の後ろをちょこちょことくっついてきては、「よこやまくんよこやまくん」と懐いてきた錦戸は。
成人を迎えた今となっては、こんな風に可愛くないどころか憎たらしい言動ばかりするようになった。
「時間は残酷やなぁ・・・」
「ほんま失礼ですねあんた。しまいにはどつきますよ」
「ほんならどつき返したる!」
「・・・ガキか」
「誰がガキやって?」
「あんたや、あんた。きみたか」
「せやから本名呼ぶなって!」
「なんでやねん。裕は芸名やんか」
そんなことを言いながら俺の鎖骨の辺りに這わされるその指は、細いけれど節張った、すっかり大人の男のそれで。
身体もすっかり大きくなって、出逢った頃は30センチ以上あった身長差も、今やほんの数センチになってしまった。
顔つきも愛らしかったあの頃からは信じられない程に端正で男らしく凛々しい、最近では色気すら感じさせるものに変化した。
匂い立つようなその男の色香に落ちない女はいないのではないかと、思わずそんなことを思ってしまう程に。
元々早熟なせいもあったけれど、出逢った頃からほとんど変わらない・・・変わったとすれば、ただ単純に歳を取っただけの俺とはまるで違う。
心も身体もあの頃からろくに成長していない俺とは、違う。
「・・・横山くん?どしたん?」
押し倒されたままの体勢で。
ぼんやりと錦戸の顔を見上げながらそんなことを思っていたら、怪訝そうに見下ろされた。
「あ・・・いや。なんでもない」
「ふーん?・・・あんたのなんでもないは、必ずなんかある時やからな」
錦戸は軽く唇の端を上げてみせる。
そんな底意地の悪い笑い方、一体どこで憶えたん?
思わずそんなことを訊きたくなりつつ、俺はさりげなく視線を逸らした。
「別にー?たいしたことやあらへんよ」
「たいしたことやあらへんなら、言うて」
「せやからたいしたことやあらへんから言わんねん。何遍も言わすな」
「・・・侯隆、俺から目ぇ逸らすな」
「んっ・・・」
低い声音。
そして強引な力。
顎をぐいっと掴まれ、無理矢理そちらに向かされた。
再び合った視線。
俺はまた逸らしたくて堪らなくなるけれど、それはもう許されそうになかった。
子供から大人へと、まさに劇的に成長したこの男の中で唯一変わらないその意志の強い瞳が、俺を縛り付けて止まないから。
けれどそれは一体いつからだっただろう。
こんな風に、押さえつけられて、縛りつけられて、視線を逸らすことも許されず・・・それでも離れられなくなってしまったのは。
「なぁ、なに考えとった?」
じっと、瞬きもせず。
そう見下ろしてくる黒い瞳。
俺の何もかもを知らずにはいられない。
俺に関することで自分が知らないことがあるのは許せない。
嫉妬深く、独占欲の強い男。
まさかこんな風に成長するとは思わなかった。
いや、もしかしたら俺が知らなかっただけで、元々そういう素質はあったのかもしれないけれど。
「おまえはほんま・・・しょうもないな・・・」
「しょうもないのはどっちやねん。俺に隠さなあかんようなことなんか」
でもきっと、言うたら怒ると思うで。
もしかしたら拗ねるかな?
そうは思ったけれど、これ以上隠し通すのは賢明ではないと判断する。
これ以上は、きっと身体に直接訊かれることになるだろうから。
今既にシャツを剥かれたこの状態じゃ、なおのこと。
これまた俺の知らないところでびっくりするくらいのベッドマフィアに成長していたこの弟分は、俺に対しては容赦の欠片もないだろうから。
いい加減体力も下り坂な昨今、腰が立たないくらいに犯されて泣かされるハメになるのは正直勘弁だった。
「・・・亮は、おっきなったなと思っただけ」
「は?」
「せやから、そんだけや」
至極素っ気なく。
それだけ言って身体ごと横を向いた。
一瞬沈黙が降りる。
錦戸の表情は見えないから、怒っているのか拗ねているのかもよく判らなかった。
けれど次いで俺の髪に触れた錦戸の、その指が。
ひどく柔らかく、かつ何処かいやらしく・・・まるで愛撫するかのようにゆるりと動く様に、内心鼓動が跳ねた。
「・・・なんや、そんなことか」
「そんなことて、おまえ・・・」
その言葉の真意がよく判らなくて。
思わずそちらを見ようとしたら、逆に阻まれた。
半俯せ状態でシーツに押さえつけられ、表情の見えない体勢で上から覆い被さられる。
錦戸の艶めいた黒髪が視界の端に映った。
一時期僅かな間だけ色を抜いたことがあったけれど、やはり錦戸には黒髪が一番似合う、そんなことをぼんやりと思っていたら。
近づいた唇が耳元に落ちてきて。
鼓膜に直接響くように低い声音を送り込まれる。
「あんたはほんま、今さらなことを言いますね」
「・・・せやから、言うたやろ。たいしたことやあらへんて。人の話聞け、ボケ」
「せやな。あんたはほんま、いつまで経ってもそれやんな」
怒っているのか拗ねているのか。
それともそのどちらでもないのか。
見えない表情にも、読めない声音にも、それはよく判らなくて。
ただ俺を押さえつける方とは逆の手が、肩胛骨のくぼみをするりと撫でる。
「あんたはいつまでも変わらへん」
「ん、にしきど・・・?」
「出逢った頃から、そのまんま。綺麗で、アホで・・・・・・やっぱ綺麗なまんま」
「なんやねんそれは・・・」
反論してやりたかったけれど、何だかそれもままならない程に。
錦戸の手が、唇が、俺の背中に這わされる。
まだ戯れ程度のそれだけれど。
時折薄く吸い付くような仕草を見せる、その薄くて官能的な唇が。
俺の鼓動をどんどん速くする。
「認めたくなくないん?それとも、認められへんの?」
「んっ・・・は、にしき、ど、」
何度も何度も撫でられ、口づけられる。
何故か肩胛骨の辺りばかり執拗に。
「でもな、俺がこうなったんは、全部あんたのせいやねんで?」
「・・・人の、せいか」
「せやかてほんまそうやねんから」
不意にうなじ辺りの髪をかき上げられ、耳朶の裏に唇を落とされる。
きつく、きっと痕が残るであろう程に吸い上げられる。
かと思えば、再び肩胛骨の辺りを柔らかく撫でられる。
まるで緩急をつけるようなそれに小さく息を飲む。
「出逢った時から、ずっと。あんたのために。あんたを守れるように」
「な、・・・・・・」
告げられたその言葉に、二の句すら告げられなくなる。
密かに混乱する頭は色々なことを巡らせては、けれどそれ以上有意義な結論など導き出せずに頓挫する。
この年下の恋人は、出逢ってからの数年間、そんなことを考えて成長してきたのか。
その劇的な、子供から大人への成長は。
それら全ては俺のためだったなんて、そんな馬鹿げたことを・・・。
「・・・侯隆、もうここまで来てもうたんやから」
「んっ、いた、錦戸・・・っ」
「俺のこと、拒絶するなんて許さへんで?」
「亮っ・・・」
首筋にきつく歯を立てられ、噛みつかれた。
そのまま食い破られるのではないかと一瞬思ってしまうくらいの痛みに、思わず喉がひくんと小さく戦いた。
それに気付いたのか、錦戸は薄く笑いながら、今度はそこを舌で愛撫するように舐め上げた。
「ほんまにあんたは変わらへん。綺麗で、綺麗で。・・・肌もずっと、真っ白なまんま」
「・・・ほんなら、噛むなや。痕になるやろ」
「白いからこそ痕つけたなんねん」
「おまえは犬か」
「犬はこんなんせんやろ」
「っ・・・」
ゆるゆると滑るように舌が背中を這う。
それはまるで獲物を食らう前の獣の舌なめずりにも似て。
その先を予感しては、言いようもない官能と興奮とが身体の奥からじわりじわりと沸き上がってくる。
それらを教えたのは決してこの年下の恋人ではないけれど。
それらが最早ただ一人のものでなければ沸き上がらないものだとこの身体の奥に刻み込んだのは、こいつだ。
「あんたにとっては、俺はいつまで経っても『可愛い亮ちゃん』なのかもしれへんけどな」
「んな、こと・・・言うてへん・・・」
「さっき言うたやん」
「言うてへんわ・・・」
「言うたも同然」
触れられるだけで身体が熱くなる。
たとえ口で何と言おうとも、いざ身体は抵抗できないのは、つまりそういうことだ。
それが判っているから。
錦戸は決して急くことはなく、じわりじわりとなぶるように俺を追いつめていく。
「ええよ。・・・いやでも意識せざるを得んようにしたるから。なぁ侯隆?」
「りょ、・・・・・・」
「ん?なに?」
「・・・も、ええ」
「またか。・・・まぁ、後は一回ヤってから訊くわ」
「・・・あほ」
「んー?」
「亮のあほ・・・ぼけ・・・」
「こんな時に悪態ついてもかわええだけやねん、あんたは。いい加減学習しろや」
くつくつと、さもおかしそうに笑って。
またしつこく肩胛骨の辺りを指で撫で、唇を落とす。
「・・・翼の名残、か」
小さく小さく呟かれたそれを、何処か意識の奥で聞く。
よく意味は判らなかった。
出逢ってから数年。
子供から大人へと成長したお前が。
一体あの時何を思って、今まで何を思って生きてきたのか。
やっぱり判りはしない。
出逢ったあの時お前が言った言葉の意味も、今の呟きの意味も。
判りはしない。
けれどお前も判っていないことがある。
教えるつもりもないけれど。
あの時、ただただ幼く、俺をじっと見上げてきたお前。
俺が優しく頭を撫でている間にも、無言ながらじっと見上げてきたその強い瞳。
その時から、きっと俺は心の何処かで思ってもいた。
その瞳は真っ直ぐに、常に揺らぐことなく。
自らの信念を強く抱き、真実を決して見誤ることはなく。
そうしていつの日か暴き立てられ、俺が俺でいられなくなる日が来たのなら、その時は。
俺は心も身体も何かも、その全てをお前にやろう、と。
END
天使シリーズ第一弾。・・・シリーズ?
何となく、にっきどさん夢見がち的な感じ・・・。ていうか天使て(我に返る)。
にっきどさんはアレで意外と横山さんに本気で憧れて本気でうっとりだといいと思います。
いや、小説の中では普段よりも更に俺様度高いですけど。傲岸不遜て感じですけど。
でも実は夢見る少年。恋する少年。
少年にっきどが天使のように美しい横山さんに恋に落ちちゃった辺りを書きたかったんです・・・(オマエが一番夢見がちだよ)。
次はにっきど視点で。
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