今、眠りから覚めて
扉を開けた先、目に飛び込んできた光景。
大倉は咄嗟に息を飲んだ。
男のものとは思えない熟れたようなあの唇が、少しだけ荒れて開いた唇に確かに触れた。
それは口づけ。
そう呼んで差し支えないはずだ。
きっとあの唇はたいそう柔らかで良い感触だっただろう。
けれど口づけられた当の彼は反応しない。
眠っているからだ。
そしてそれでも目覚めもしない。
それを上から見下ろす切れ長の瞳、それに彩られた白い美貌は感情の少ない中にもうっすらと苦笑めいたものを布いていた。
まるで、キスで目覚めないお姫様を見つめる王子様のようだ。
大倉はぼんやりとそんなことを思いながら、いつの間にか乾いてしまった気がする喉から何とか声を絞り出した。
「・・・何してるんですか」
その声にさして驚いた様子もなく。
横山はふっとそちらを見ると屈めていた身を戻して立ち上がる。
そして当然のような顔でおかしそうに言った。
「ん?キスやろ」
「何、してるんですか」
「せやからキスやー言うてるやろ」
「・・・言い方変えます」
「おう」
「マルに、何してるんですか」
「全然変わってへんやんけ」
いいえ、十分変えましたよ。
大倉は言葉にこそしなかったけれど内心そう思っていた。
今あなたが口づけたのは、あなたの恋人では決してなく。
今あなたが口づけたのは、俺の恋人だ。
沸々と沸き上がるような感情と共に出て行きそうになる言葉達を何とか押さえ込む。
まるで確認するみたいにそう言ったというのに、その行動の咎められるべき事由を示してみせたというのに。
それでも全く気にした様子もなく目の前で平然としている先輩に、大倉は怒りとか苛立ちよりも恐れの方が先に立ってしまった。
この人は一体何をしたんだろう。
一体何をしたいのだろう。
何をしようというのだろう。
大倉はすぐにそちらに駆け寄って、未だ眠れる恋人を引き寄せて懐の中に閉じこめてしまいたかった。
その白い手にこれ以上触れられぬようにと。
けれど眠れる恋人は大倉のそんな内心での葛藤など知る由もなく、目を閉じたままソファーに身体を投げ出して安らかな寝顔を晒しているのだ。
呑気なその様子はいつもと変わりなく、大倉の心を和ませはするけれども。
同時に今は少し憎らしくもある。
「んな顔、すんなて」
それは一体どんな顔なのか。
何となく想像はついたけれども、自分では見ることなど所詮は叶わぬのだから。
大倉は横山を無言で見つめるだけ。
「・・・とったりせぇへん、て」
まるで宥めるような口調。
普段のからかうようなそれとは違い、妙に穏やかで。
それは結局なんだかんだと言っても目の前の相手が年上であり先輩であり、その実頼れる人だということを大倉に思い起こさせもして。
逆にますます大倉を内心恐れさせる。
それは杞憂なんかじゃなかった。
大倉はありもしない事柄に怯える程に繊細な男ではなかった。
つまりはそこには確かな事実があったから。
「なら、なんでですか?なんでキスなんかしたんですか?」
大倉は知っている。
丸山が以前横山と付き合っていたこと。
いや、付き合っていたというのは正確には正しくないのかもしれない。
二人は恋人同士ではなかったようだから。
それは丸山の口からも聞いていたことだ。
大倉は丸山に告白をして、それを受け入れて貰って、それだけでよかったから。
それ以上の詮索をしたくなかったから。
だから深くは訊かなかった。
詳しくは知らない。
けれど二人の間に、先輩と後輩、友達、メンバー、そんな関係以上のものがあったことは確かだ。
「んー・・・なんでやろな。センベツ、てとこかな」
「せんべつ・・・?」
「まぁ気にすんな。たいしたことやないわ」
「・・・そんなんで、納得しろ言うんですか」
あまりにも身勝手だ。
昔何があったかは知らないが、今は自分の恋人である人間に平然とキスなんかして。
それで何もないから気にするな、だなんて。
納得出来る方がおかしい。
大倉はじっと強い眼差しをその白い顔一点に向けていたけれど、横山はそれを軽く受け止めて常の無表情でやはり平然と言った。
「そうや。納得しろ。これからこいつと付き合ってくつもりならな」
咄嗟に言い返せなかったのは、結局は納得してしまったからなのだろうか。
それとも自分よりも余程理解したような口調で言われたからだろうか。
テンションの上がり下がりが激しくて、判りやすいように見えて。
そのくせ誰よりも謎めいた部分が多い恋人。
アホみたいに明るく振る舞う割に誰よりも感受性が強くて傷つきやすいことは知っている。
けれどその感じる部分を未だ図りかねる自分は、こうして判らない部分も無理矢理飲み込んでしまうしかないのだろうか。
小さく俯く大倉に、横山はふっと苦笑するとゆっくりと歩み寄っていってその広い肩を軽く叩いた。
「んな顔すなって。悪かった。俺が悪かったから、へこむなや」
「・・・へこんでないです」
「そうか?んならスネたんか?」
「・・・頭撫でんでください」
「よしよし、大倉はええ子やな」
「・・・全然関係ないでしょ」
「ええ子、てとこは否定せぇへんのや。うーわ、ずうずうしっ」
「・・・もう。なんなんこの人っ」
むっとして思わず顔を上げたらクスクスと笑われた。
それに眉根を寄せていると今度は軽く頭を叩くかれる。
「俺、これから待ち合わせあるからそろそろ行くわ」
「え、ちょ、」
「そろそろおまえらも出ぇへんと締め出されるでー」
大倉に反論の隙を与えず、横山はそう言ってさっさと荷物を手に出て行ってしまった。
結局納得出来るような言い訳は何一つとしてしてくれることもなく。
ただ大倉もなんだかんだと何か言い返せるような言葉も思いつかなかったのだけれども。
「はぁ・・・」
小さくため息をつきつつも、とりあえずソファーの傍まで寄っていってみる。
さっき横山がしていたように身を屈めてその寝顔を上から見下ろす。
未だ目を閉じたままの、黙っていれば端正と言っても差し支えない顔。
しかし大倉はそこですぐに気付いた。
「・・・・・・お前、起きてるやろ」
返ってくる言葉はなかった。
けれどもその身体は大倉のその言葉に確かに反応したようにごろりと身体ごと横を向く。
ソファーの背もたれに顔を隠すようにして身動いだ身体に、ますますの確信を得る。
「おい、なに狸寝入りしてんねん」
「・・・」
「どういうことか説明してもらうで。・・・なんやねん今の」
「・・・」
「誤魔化すつもり?どういうつもりなん?」
「・・・」
苛立ちが声に滲む。
けれども丸山はそれでも頑なに目を閉じて黙ったまま。
大倉はますます意味が判らなくなる。
「お前なんであんなんあの人にさせてんの?・・・まだ、あの人のこと、」
それは言ってはならないことのような気がしたし、実際言ったら何より自分が落ち込みそうな気がしたから嫌だったけれど。
うっかり口をついて出そうになったその言葉。
けれどそれは未だ瞳を閉じたままの丸山が小さな声で遮った。
「・・・おおくら、そんなんええから」
「え・・・?」
「ええから、もっとちゃんとこっち来てや」
よくはない。
むしろ今一番大事なことであるはず。
・・・大事なはずなのだ、けれども。
丸山がまるで気にした様子もなく自分を呼ぶから。
大倉は反射的に更に身を屈めてそろりと手を伸ばし、その顔を至近距離で覗き込む。
抵抗されることもなく、その目を閉じたままの顔はよく見ればなんだか楽しげに笑んでいて。
さっきから自分一人が悶々とした気分にさせられている気がした大倉は咄嗟にムッとする。
「・・・なに笑ってんねん、おいこら」
「大倉がなんや裕さんにええ子ええ子てされとったの、思い出して」
「・・・・・・」
「ええなぁ、あんなんしてくれる裕さんめったにないで」
「・・・・・・なにがええねん」
裕さん、と。
その妙に甘い独特の呼び方でさえ今はいらつく。
普段あれだけ幼稚な最年長にこんな場面で大人な面を見せつけられて、子供扱いされて。
妙な敗北感を味わわされた自分の気持ちを判っているのか、この恋人は。
大倉は妙にしょんぼりしたような苛立つようなもやもやした気持ちを持てあましながら、せめてもの仕返しのようにその顎をぐっと手で包むように掴んでやった。
「っんー、いたいてーたっちょーん」
「うっさい。なんやねんお前むかつくわ。ええ加減起きろ」
「・・・終わりにしたん」
「えっ・・・?」
大倉の手から途端に力が抜ける。
掴んでいた顎から滑り落ちそうになる。
けれど逆に丸山の手がそれを留めた。
未だ目は閉じたまま。
「ほんまのほんまに、あれで終わりにしたん。・・・まぁ、ほんま餞別て感じやねんな」
「どういう、意味・・・」
ぽつりと呟くことしか出来ない大倉に、眠れる表情はただ淡々と言葉を紡ぐ。
「俺裕さんのこと大事で、裕さんも俺のこと大事にしとってくれて。けど俺らのは恋とか愛とかそういうんやなかってん」
「・・・・・・」
「俺らな、二人してさみしくてさみしくて、一人でおれへんかってん。せやから二人でおった」
ただそれだけだった。
ただそれだけの関係だった。
互いに寂しさを埋めるために温もりを確かめ合うだけの。
まるで動物が身を寄せ合う程度の。
けれど今までの二人にはそれこそが何より大事だった。
「でもなぁ、裕さんがな、先に見つけてくれた。大好きな人」
その言葉に大倉は注意深くその表情を窺った。
もちろん未だ目を閉じたままのそれでは図りようもなかったのだけれども。
「あの人なら絶対に裕さんを幸せにしてくれるて、俺も思った。せやからほんま嬉しかってん。
けど裕さんは逆に俺のこと気にしてくれたから。ずっとな、俺のこと気にかけてくれとったから・・・」
横山の恋人は大倉も知っている。
むしろ何故今更そういう関係になったのかと少し疑問なくらい、昔からずっとその傍にいた彼。
けれど確かに根本で臆病な横山に愛を教えることが出来る人間がいるとしたら、きっと彼しかいないのもまた事実だ。
それは丸山ではなかった。
その事実は何故だか大倉の胸をぎゅっと締め付けたけれど、当の丸山は本当に嬉しそうだった。
「ほんで俺がようやく、見つけられたから、って。そう言うて・・・な、餞別」
ようやく見つけられた。
横山が彼を見つけられたように、丸山が見つけられた・・・それは。
「・・・それ、俺、て、思って、ええの」
途切れ途切れ、躊躇いがちに漏らした言葉。
丸山は目を閉じたままに、それでもふわりと笑んでこれ以上なく嬉しそうに言った。
「さっすが大倉。大正解やね」
「・・・なんやねんお前。アホか」
「そうやで。俺アホやもん。いまさらやん」
「威張ることちゃうわ。・・・俺以外の人間とキスとかしてんな、アホ」
「ん、ごめんな」
「ほんまやったらはっ倒しもんやで」
「ん、せやなぁ」
一応文句を言っているつもりなのに。
妙に楽しげな丸山が癪で、大倉は顎を掴んだ手に再び力を込めて自分の方に向かせる。
「・・・・・・消毒や」
「ん、っ・・・」
しっかりと合わさった唇。
それは丸山の方からも自ら応えたから。
柔らかで暖かな唇と唇の触れ合う感触に、大倉は思わず逆の手を丸山の身体に廻して緩く抱きしめる。
その長い腕の中、ずっと閉じられていた丸山の瞳がゆるゆると開いていく。
そして大倉を見つけて、笑った。
「・・・裕さんな、言うてたよ」
「ん?」
「お前を目覚めさせるんはあいつの役目やってんな、て」
「・・・当たり前や」
「おはよ、大倉」
「遅いわ」
おはよう。
長い長い眠りから今ようやく目覚めた、愛しい君。
END
やや久々の倉丸倉ー。
・・・ですが何やら今回若干問題作?問題作?横山さんがね!ね!
完全に横丸くさいこの感じ(笑)。当サイト的にあっていいのかこの感じ。
まぁ細かく描写してないから丸横でも通りそうではあるんだけども。
でもどちらかと言ったらやっぱ横丸のつもりで書きましたよ!(言った)
基本的にヨコ受け至上なわとさんですが、唯一自分で書いてもいいなぁと思えるヨコ攻めが横丸です。
つーかいい加減マルちゃんが受け過ぎるという話ですよ。そんなんしゃあないわ。
あとうちからリンクさせてもらってる某Mさん(バレバレ)の影響で横丸がきているというのもありまして。えへ。
何か横丸の裕さんてばちょっぴり悪い男でときめくんだものー。
とにかく丸横にしろ横丸にしろ二人がいちゃついてんのがたまらんなーと最近思うわけです。にゃんことわんこが。もうリバでいい。ユリでいい。
・・・て、なんで横丸語りになってんだよって話。
とにかくそんな二人の昔の関係がありつつも、やっぱりマルちゃんを本当の意味で幸せにできるのは大倉忠義ですよ!てことが言いたいの私は(ほんとですか)。
丸山受けの本命はいつだって大倉です。大倉こそあの京美人を幸せにできると!頑なに主張!
あ、ちなみに今回の話、ついでにヒナヨコですよ(余計な裏設定を)。結局なんだかんだと白いのは受けなのか。
ああでも横丸も書いてみたいなぁー。書いたらMさんに捧げます(こんなとこで止めて)。
・・・長。
(2005.9.23)
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