BESIDE










もう辺りもすっかり暗くなった頃、マルが突然にうちに来た。
今まで一度だってそんなことはなかったから、おかんが下の階から俺を呼んだ時にはまさかと思ったけど。
半信半疑で階段を駆け下りた先の玄関には、情けなくも眉をへにゃりと下げたマルがばつ悪そうに立っていて。
その顔はなんだかちょっとだけ泣きそうにも見えた。

「・・・なに、いきなり」

我ながら、もう少し優しいことが言えないのかと嫌になる。
明らかにへこんでいる相手に対して酷くそっけない声音。
でも思えば、マル相手に何か優しくできた試しなんて今まで一度もなかった。
そしてまたそんな自分がどうしようもない奴だと思う。
ほんとはしたいくせに、出来ない自分が。

「んー・・・ごめんなぁ、こんな時間に」
「別に、ええけど」

たぶん弱っているだろうに。
俺のそんな態度も気にした様子はなかった。
気にする余裕もなかったのかもしれない。

「ちょっとな、今頭ん中ぐちゃぐちゃで・・・。一人でおるんがな・・・」
「辛なったんか」
「・・・ごめんな」
「ただ謝られてもどうもできんわ。・・・どしたん」

未だ玄関先。
上がらせてやるべきだろうと思いつつ。
何となく、どう言って、どう理由をつけて上げたらいいのか、なんて。
そんなくだらないことが頭を過ぎって、ついそのまま。

「・・・やっさんとな、ケンカしてもうて」
「やっさん?・・・珍しいな」
「うん・・・。俺が悪いねん」

困ったように、眉を下げて笑う。
別に笑う必要なんてないのに。
ここまで来て気を遣う必要なんてどこにあるんだか。
あまりにもこいつらしくて、正直いらつく。
・・・そして、弱ってる相手にいらつく自分は、最悪だ。

「お前がやっさんを怒らしたん?」
「ん・・・あんな、ちょっとな、最近うまくいかんことがあって」
「うん」
「そんでちょっとイライラしとって・・・。そんでまぁ、自分じゃ隠しとったつもりやってんけど、」
「・・・やっさんにはバレとった?」
「そう・・・。そんでな、言われてん。何か悩んでんねやったら俺に言いや?って」

あいつらしい言葉だ。
あの優しくて、お節介で、気にしいで、周りから愛されることに長けたあいつらしい・・・。

「やっさんがそうやって気ぃつかってくれたのにな。
俺、ほんま余裕なくて、ひどいこと言ってしもたんよ」
「・・・なんて言うたん」
「うるさい、ほっとけや、って。せやから俺な・・・お前んとこ、・・・」
「ふーん・・・」

確かに普段のマルからすれば、らしくない言葉かもしれない。
ヤスと同様に優しくて、それ以上に気を遣う奴だから。
そんな言葉はきっと本意ではなかったんだろう。
それだけ余裕がなかったってことなんだろう。
それは想像するまでもなく、今のマルの表情を見れば判る。
今にも泣きそうな程しょぼくれた、情けない顔。
自分を心配してくれた大事な相方を傷つけてしまった後悔を、これでもかと露わにした表情。
そしてそんなマルを、どこか遠くで冷静に見る俺がいる。

「・・・別に、気にすることちゃうやろ。そんなん」
「え?」
「ひどいこと言うたと思うんなら、さっさと謝ればええし。・・・そもそも、あいつもあいつやで」
「なに・・・どういう意味?」

しょぼくれた表情から、少し怪訝そうな表情へ。
失敗したかな、と思った。
ただその弱音を聞いてやりさえすればよかったはずなのに。
俺はどうにもそれができなくて、心の奥底に鬱積する何かをじわりと表出させてしまっていた。
これは単純に言えば、嫉妬なんだろう。

「悩んどる人間にかける善意全てが薬になるとは限らんていうこと。きっと知らんねんな」
「大倉・・・。あのな、んー・・・」

冷たくもとれる俺の言いぐさ。
それに少し驚いたような顔で、やっぱり困ったような顔で。
マルは何か言葉を言いあぐねる。
相談される方が困らせてどないすんねん、と俺の中の僅かな良心的な何かが咎めるけれど。
正直、俺はそんなにお優しい男じゃない。
あいつと違って。

「俺にはあいつの方が理解できん」
「・・・・・・」

本当は、嘘だ。
そんなのは嘘。
ヤスの言いたいこともしたいことも、よく判る。
そんなに悩んでいるのに、自分の内にだけ溜め込んで。
そのくせ笑って誤魔化して、馬鹿みたいに空元気を見せて。
そんなに苦しそうにするなら、いっそ自分に打ち明けてぶつけてくれれば・・・。
お前の助けになりたい。
お前の力になりたい。
その気持も行動も、嫌になるくらいに判る。
・・・俺だって、気付いてた。
お前が何かにぶつかって悩んでることくらい。
でも何も出来なかった。
だから、自分には出来ないから、妬んでいるだけ。
あんな風に優しく、まるで包むみたいに。
そんな風に愛することが出来ないから。

「・・・マル、あんな、悪いけど」

もう帰って貰おうと思った。
折角俺を頼ってきてくれたっていうのに酷い話だけど。
今日はもう無理だと思った。
心の中のどろどろした何かが溢れてきそうで。
こいつの隣にいられる最後の砦を、自分で壊してしまいそうな気がして。

「大倉」

小さな声で呼ばれた。
少し頼りないそれ。
いつの間にか逸らしていた視線をゆっくり戻す。
そこにあったのは、随分と寂しそうな顔。
ああ、やっぱり俺は駄目なんだろうか。
いつもそうだ。
ヤスみたいに、笑顔でいさせてやることができない。

「大倉。俺はな、今日お前に相談にきたわけやなくて・・・」
「・・・ああ、そっか。そらすまんかったな」

とんだ愚か者だ。
弁えているつもりだった。
望みすぎないつもりだった。
何一つとして望まず、何でもなく、ただその隣にいればよかったはずで。
俺を頼ってきてくれた、なんて。
馬鹿げた勘違いに過ぎなかった。
俺に相談なんてしても大したいいアドバイスが返ってくるわけもないことは、こいつだって判っていただろう。
人と親しくなることに長けた奴なんだ、それこそ相談する相手なんて沢山いる。
俺はいつのまにかどんな役割を望んでいたのか。
あいつのようには絶対になれないのに。

「ちゃう・・・ちゃうよ、大倉」
「なにがちゃうねん・・・」

弱った声。
来た時のままの。
だから帰れって言いたいのに。
・・・言いたくないけど、言わないと。
そんな声を俺は優しく包んでやることも出来ないんだから。
それどころか、余計に傷つけるくらいしか・・・。

その時、居間の方からおかんに呼ばれた。
俺に電話だとか何とか。
今それどころじゃないと思ったけど、この空気からいったん離れたかったせいもあって。
俺はちらりとマルを見て、ちょっと電話行ってくるわ、と一方的に言い残して居間へ行った。
その間に帰っていてくれれば、なんて情けないことを思いつつ。



『マル、来てるやろ?』
「・・・・・・なんやねんいきなり」

電話に出た途端にそれ。
俺の機嫌は急降下。
恐らくは今俺が一番聞きたくなかった声。

『ちょ、そんな不機嫌そうな声せんでも・・・』
「第一声にそんなん言われたら機嫌も悪くなるわ。うっとうしい」
『・・・ごめん』

半ば俺の八つ当たりでもあったのに。
本気で申し訳なさそうに謝ってくるから、それ以上は強く出れない。
ある種の才能だろうと思う。
ヤスとマルの共通点はここだろうなとぼんやり思った。
俺には決して持てない善良さ。

「謝られても困るし。・・・マルなら来とるけど」
『・・・そっか。や、ちょっと気になってな?さっきマルとな・・・んと、』
「ケンカしたんやろ?」
『ん・・・。俺もついカッとなってもーて・・・。反省しとるわ・・・」
「あいつも反省しとるみたいやで。随分とへこんどった」
『そか・・・』

罪悪感を露わにした声。
二人して同じような反応。
このコンビは似たもの同士だなと改めて思った。
今すぐこの電話を切ってしまいたい。

「やっさんに、うるさいとかほっとけとか言ってもーた、って。しょぼくれとった」
『・・・・・・そう言うてんの?』
「は?」
『マルは、それで俺が怒ったと思ってんの?』
「や・・・俺に言われても知らんけど。そう言うとったで」
『・・・・・・』
「やっさん?」

急に黙り込まれても困るんやけど。

『・・・マルが、』
「え?」
『あいつが・・・あんなん、言うから・・・』
「なに?全然わからへんねんけど」

まるで一人ごちるように呟かれても。
意味わからん、と思って一瞬受話器を離しかける。

『・・・大倉、お前が羨ましい』

やっぱり一人ごちるようなそれ。
けれど俺はすぐさままた受話器を耳に戻した。
耳を疑うような言葉。
誰が羨ましいって?
他ならぬ俺が羨ましいと思ったお前が、なんで?

「ヤス・・・?」
『お前が羨ましいよ・・・。
俺がどんだけあいつの力になりたくたって、頑張ったって、結局ダメやもん・・・』
「・・・・・・」

その声があんまりにも悲しそうで。
俺は何も言えなかった。
俺には言う権利がない気がした。

『うるさい、ほっとけや、・・・・・・大倉んとこ行きたい』
「えっ・・・」
『・・・そう言うたんやで、あいつ』
「おれ・・・?」
『そう、お前や、大倉忠義や。
俺がどんだけ、何を言ったって、目の前に俺がいたって、・・・お前に会いたいて、そう言うたんやで?』

今にも泣きそうな声。
そして見えないけど、きっと泣きそうな顔。
その言葉を言ったマル本人もそうだったんだろうか。
・・・そうだ。
さっき訊ねてきたあいつは、まさにそんな顔をしていた。
でもそれは、弱っているからだと思っていた。
大事な相方とケンカして、傷つけて、傷ついて。
だからだと・・・それをただ誰かに言いたくて来たんだと。
弱った目を俺に向けていたのに、そこに映っているのが自分だとは気付かなかった。

『ずるいわ・・・お前・・・。
俺はお前みたいに黙って傍におることなんて、できへんねんもん・・・』

少し声が震えているのが判る。

「・・・泣いてんの?」
『・・・泣かへんよ。お前の前では』
「電話やからわからんけど、別に」
『嫌や。・・・ライバルに弱みは見せられん』
「ふーん・・・ライバルなんや」
『・・・勝手に思っとるだけやけど』
「そうでもないで」
『・・・なんで笑ってんの。感じ悪いわ』
「なんでもない」

ちょっとおかしくなってしまった。
だって俺たちはお互いにお互いを妬んで、コンプレックスを抱いていたんだから。

「なぁ、やっさん」
『ん・・・?』
「もう電話切ってもええ?」
『なにお前・・・ちょっとは労ろうとか言う気ないんか?ほんま感じ悪・・・』
「あいつ待たせとんねん。・・・帰ってもーたら困る」

さっきは帰ってくれと言おうとした。
この電話をしにいってる間に帰ってくれればなんて思いもした。
でもそんな事実を知らされたら、もう駄目だ。
気付かなかった俺が悪い。だけど。
他ならぬ俺のとこに来たっていうんなら、帰すわけにはいかない。
ようやく理由ができた。

『ふぅん・・・。じゃあ、ちゃんと慰めたってな』
「あー、慰めるっちゅーか・・・」
『お前はお前のやり方でええねん。・・・せやからお前なんやろ』
「・・・やっさんはさぁ」
『なに』
「お人好しすぎるわ」
『・・・よう言われる』

苦笑混じりな言葉。
やっぱりヤスみたいにはなれへんなぁ、と改めて思ってから電話を切った。



すぐさま玄関の方へ走った。
さっきの空気じゃ帰ってしまっていてもおかしくはない。
けれどマルはまだ、いた。いてくれた。
玄関に遠慮がちにぼんやりとしゃがみこんで。

「マル・・・?」
「・・・あ、お帰り」
「あー、うん。・・・やっさんやった」
「えっ。な、なんて?」
「んー・・・マルこっち来とるかって。心配しとったみたい」
「そ、か・・・。明日謝らな・・・」
「ん。それがええと思うわ」
「・・・」
「・・・」

そこで会話が途切れてしまった。
俺は何か言わなくてはと、しきりに思考を巡らせる。
さっきヤスから聞いた言葉。
それをどう感じて、俺は何をどう言うべきなのか。
いまひとつまとまらなくてごちゃごちゃする。
それが顔に出て、顰められてでもいたのか。
マルは俺をちらりと見ると、また眉を下げて困ったような、寂しそうな表情をする。

「・・・大倉」
「ん・・・?」
「俺、帰った方が、ええかな」
「あ、いや・・・」
「あんな、俺、・・・お前んとこ行きたくて、会いたくなって・・・来たんやけど」

さっきのヤスの言葉が、まさに今本人の口から放たれて。

「あかんかなぁ・・・?」

あかん、なんて言う理由はどこにもない。
お前がそう言うのなら。
ただそれでいいと言うのなら。
俺がいいって言うのなら。
・・・ほんとは、いいって言わなくても、言ってくれなくても、帰したくなんかなかったけど。
そんな、どの言葉も結局は言わずに飲み込んで。
ただその手をぎゅっと掴んだ。
そしたら、泣きそうなくせに、そのくせ。
これ以上なく嬉しそうに、笑ってくれた。

なんや。
こんなことでよかったんか。

これでようやく理由ができた、やっぱりそう思う俺は大概情けない。
理由なんかなくたって、ここに来て、傍にいてほしかった。

「・・・上がってけば」

だって俺の隣は、いつだってそのために空けてある。










END






また懲りずに・・・。
折角前回珍しくほんわか爽やかめに書けたというのにね、これだよ。
今回はなんか倉丸倉というよりは倉丸ですね。ほとんどね。まぁ倉丸倉と言い張るけども。何となく。
しかもまぁ見事に楽器隊内三角関係ですいません・・・。しかもマルちゃんが頂点だよ。
倉丸←安だよ。こんなの書くの私くらいだよ。マルちゃんモテモテ。
ああでも一応この山田はちゃんと丸安ですよ。安丸ではないですよ。
安田はマルちゃんの彼女になりたいんだよ(どうなの)。
ほんと安田の扱いが悪くて申し訳ない・・・。そして大倉が微妙に情けなくて申し訳ない・・・。
マルちゃんすら申し訳ない・・・。楽器隊大好きです(ほんとに)。
(2005.4.20)






BACK