空を飛ばなかった鳥
「ヤスッ・・・逃げろ・・・っ!」
「や、おおくらぁっ・・・!!」
どうして。
どうして大倉が。
どうしてこんなことに。
道路の垣根を挟んですぐ向こう側。
物陰から音もなく襲ってきた男数人に取り押さえられながら。
咄嗟に俺を突き飛ばした大倉は、苦しげに眉根を寄せながらもあらん限りでそう叫んだ。
大倉の強すぎるその力によってみっともなく地べたに尻餅をついた俺は、目の前に広がる光景にただ目を見開くしか出来なかった。
どうして。
どうして大倉・・・。
「はよ逃げろ言うてるやろっ・・・!」
「いややぁっ!なんで、なんで大倉っ・・・。一緒に逃げようて言うたやんかっ!」
大倉を取り押さえる男達の内の一人が、俺の方にゆっくりとやってくる。
俺はそれにびくんと身体を揺らすだけで。
起きあがることすらも出来なかった。
「ヤス!」
「おっ・・・くら・・・」
「さっき、決めたやろ?せやからお前は逃げろ。・・・お前が、逃げろ」
「や・・・なんで・・・せやって、それは、」
さっき。
確かに決めた。
子供みたいなじゃんけんで。
でもそれは、次にコンビニに入ったらどちらがジュースをおごろうか、なんて。
そんな程度のものだったはずなのに。
いつのまにこんなことに?
どうしてこんなことになってしまった?
それは、俺たちがこの出口のない鳥籠に入れられた時から?
目の前で捕らえられる大倉を呆然と見る。
けれどそんな視界の端には容赦なく迫る男の影。
相手はもはや俺が逃げることを諦めたと思っているのか、にやつくだけで急くことはしなかった。
あと僅かで男が手を伸ばせば届いてしまう距離。
それでも俺の視線はその男ではなく、向こうの大倉に向けられていた。
ついさっきまで俺に微笑んで、この手をきゅっと握ってくれていた。
二人で逃げようと。
そう言って強い力を込めてくれた・・・。
「ヤス・・・ヤスっ・・・・・・やっさん!」
「あ・・・あ、」
「頼むから・・・俺の行動を、無駄にせんで・・・。頼むから、逃げて」
「っ・・・!」
もはや懇願にも似たその声音。
それでも微笑みかけてくれるその表情。
俺はまるで何かに打たれたように一気に起きあがり、そのまま全てを振り切るように踵を返して全力で走り出した。
背後では何か怒声のようなものと、追いかけてくる複数の足音と。
それすらも振り切るように無我夢中で走った。
息が続かない、脚が震える、頭の奥が痛む。目頭が熱くなる。心臓が壊れそうだった。
それでも走った。
走って走って・・・どのくらい走ったのか、そもそも一体どこを走っていたのか、それすらも判らないくらい。
やがて追いかけてくる足音がどんどん減っていって。
気が付けば、その足音は自分のものだけになっていた。
そこで脚も限界に来たのか、不意にもつれて身体ごと地べたに倒れ込む。
「っ、つ・・・う・・・」
派手に転がったせいで、膝と腕と手をすりむいた。
気付けば顔もぐしゃぐしゃに濡れていた。
鈍い痛みに息を荒げながら、ゆっくりと顔を上げる。
いつの間にか辿り着いていたのは、見たこともない場所だった。
俺が・・・俺たちが、いつからかこの場所に入れられてから初めて見る場所。
ビルのひしめき合うこの鳥籠の中とは思えない程に何もない、閑散とした場所。
まるでブラウン管の向こう側に見た平野のような。
その遙か向こう側に続くものは、何か青く広がる空間。
この鳥籠の中にはありえない、それはきっと、空と呼ばれるもの。
抜けるようなその青は、今まで見たどんなネオンの明かりよりも美しかった。
半身を起こしぼんやりとそれを見上げる。
そうだ。
きっとあそここそが。
ありえないと思われてきた、この鳥籠の出口。
自由な世界の入り口。
一瞬だけ胸に灯る希望。
けれど同時に思い出す絶望。
あの自由な世界を目指してきたんだ。
何度も何度も苦しい思いをして。
絶対にいつか、この鳥籠を出ようと何度も誓って。
でもそれは、俺一人の誓いでは決してなかったのに。
誓いを交わした手は俺のものよりも大きくて。
交わした視線は俺のものよりも高くて。
『いつかやっさんを、外に連れてったる』
そんなことを言っては微笑んで。
いつだって暗く立ちこめていた俺の心の空に、陽を差してくれた。
そのあいつがいない。
いなきゃいけないはずの、そのあいつがいない。
けれど皮肉なことに、目の前には憧れ続けた本物の空が広がっていて。
俺は今一人でその前にいて。
「たっちょん・・・たっちょ・・・ごめんなさい・・・・・・たっちょん・・・」
返ってくる言葉などないと、無意識で判っていながら何度もその名を呼んだ。
泣くのを我慢することさえもう出来なくなって。
ただ顔をぐしゃぐしゃにしたまま、それでも枯れぬ涙を流しながらその名を呼んだ。
けれどそうしたら、俺の望みを叶えてくれたんだろうか。
それとも単なる運命のいたずらだったんだろうか。
ポケットに入れていた携帯が振動する。
慌てて取り出してみれば、ディスプレイに映るのは愛しい恋人の名前。
「っ、大倉!?大倉っ!たっちょん・・・っ!」
何度も何度も呼んだ。
電話越しならばせめて届くはず。
もしかしたら来てくれるかもしれない。
そんな詮無いことを思いながら。
望んだ声はきちんと返ってきた。
何処か舌足らずで子供っぽい、けれど穏やかで愛しくてしょうがない。
『・・・やっさん?』
「たっちょん!たっちょん!なぁたっちょっ・・・」
『いっこ、言い忘れたから』
「たっ・・・」
『絶対外に出てな?』
どうしてだろう。
折角また声を聞けたのに。
言葉を交わせたのに。
大倉は俺の言うことなんてろくに聞いてくれない。
まるで一方通行な。
それは電話なんかじゃなくて、まるで録音したテープを流しているような。
まるで、遺言のような・・・。
『どうか、幸せになって』
この上なく優しい声だった。
まるでベッドの上で、毛布の中で、睦言を囁くような調子で。
そんな風に言わないで。
そんな風に言われたら、俺は何も言い返せない。
ただただその声に温まって、返せる言葉なんてなくなってしまうんだから。
もしも判ってやっているのならずるい。
判っていないのだとしたらひどい。
だから俺は、結局何も言えなかった。
一人にしないでって。
俺を一人にしないでって。
そんなことも言えなかった。
俺が何も言えないまま、その電話は途切れてしまった。
「あ・・・あああ・・・っ!」
それが最後の電話だったと。
気付いた時には遅かった。
もうかかってきはしないだろう。
かけることもできないだろう。
後悔なんて何の役にも立たない。
さっき俺は大倉を置いて逃げたんだから。
そして今の大倉の言葉にも、何一つ言えなかったんだから。
いつでも俺の傍にいてくれた。
その身体全てで、俺のちっぽけな身体を包んでくれた。
『俺にはこれしかできんから』
そんなことを言って。
何でも出来るなんて言われながら、実際には何一つとして出来ていない俺を愛してくれた。
守られていたのは俺の方だ。
いつだって、どこでだって。
なぁ大倉。
その温もりを俺の存在意義に変えてしまったのはお前なのに。
その手を離されて、一人で幸せになれなんて。
「・・・約束、する」
我知らず言葉がこぼれ落ちた。
さっきは言えなかった言葉。
止められぬ涙もそのままに。
ふらりと立ち上がり、遠い向こうの空に・・・何故か背を向けた。
「約束する。おまえのために、俺は・・・」
「・・・ヤス?」
不意に背後から声をかけられて反射的にびくんと身体を揺らす。
けれど一瞬してからすぐに気付く、それは聞き慣れたもの。
恐る恐る振り返れば、そこにあったのは大倉程ではないけれど長身の、抜けるように白い肌をした人。
「よこやまくん・・・」
「やっぱヤスか。お前も逃げて来れたんやな・・・」
どこか疲れたようにそう言う横山くんは、俺らよりも先にこの世界にいた人。
もういつからいるのかは俺もよく知らない。
ただよく話してくれていた。
外には自由な世界があって、自分はそこに大事な奴がいるのだと。
だから絶対にいつか外に出てやると。
「横山君も逃げられたんですね」
「ようやくな。・・・でも、他はみんなダメやった」
「・・・・・・」
「すばるも、マルも、内も、・・・最後に亮も、みんなダメやった・・・」
結局、俺だけや。
そう言って自嘲気味に笑った。
今上がった名前全て、大事な仲間達。
昨日みんなで計画を立てて、今朝一緒にアジトを出発した大事な友達だった。
誰が逃げられて、誰がダメだったとしても、恨みっこ無し。
そんなことを言って、たとえ強がりだろうと笑い合ったのはほんの昨日のことだったのに。
もう随分と遠くへ来てしまった気がする。
「・・・おおくらも、」
「ダメやったんか・・・?」
「はい・・・」
「そ、か・・・」
自由を求めたみんな、連れ戻されて。
また明日からは出口のないこの鳥籠の中に閉じこめられる。
黒い空を見上げて、自由を求めて、永劫の拘束を受ける。
「・・・なぁ、出よか。ヤス」
「・・・・・・」
「そろそろ出んと・・・ここ、確か制限時間があんねん。もうそろそろ出口が閉じてまう」
「・・・・・・」
「・・・ヤスっ」
俺は俯き黙りこくったまま何も返さない。
少し苛立ったように横山くんの白い手が俺の肩を揺する。
それにようやく顔を上げ、小さく頬を緩めた。
「横山くん、外に待ってはる人がおるんですよね?」
「え?あ、ああ・・・せやな・・・」
「確か村上くんて・・・何度も話してくれた」
「・・・ああ。たぶん今、外で待っとってくれとると思う。・・・もうずっとずっと、俺のこと、待っとってくれててん」
そう呟く表情は小さく笑んでいるのみだけど。
本当に嬉しそうな様子だけは伝わってきた。
折角綺麗な顔をしているのに、そこにいつも暗い影を落としてほとんど笑ったことのなかったこの人が。
こんなにも嬉しそうに笑っている。
「嬉しいですか?」
「そら・・・・・・会えるからな」
「そ、ですよね・・・」
そうだ。嬉しいんだ。
大好きな人に会えるから。
だからこそ、嬉しいんだ。
この人は自由な外の世界と、大好きな人と。
それがイコールになっているんだ。
「横山くん」
「うん・・・?」
「村上くんと、幸せになってくださいね?」
「やす・・・?」
「そんで、たまーにでええから、俺らのことも思い出して下さいね?」
「ちょ、待ておまえ・・・何言うて・・・」
俺の言いたいことが判ったのか。
途端に狼狽え出すその表情に、ありったけで笑ってみせた。
ううん、別に無理しているわけじゃない。
「俺は行きません」
自分でもびっくりするくらい、するりと言葉が出た。
さっきもそう言えればよかったのに。
「あほ・・・何言うてねんおまえ・・・」
横山くんは呆然としたような表情で、信じられないように呟く。
「折角、折角逃げられんねんで?この世界から、やっと・・・っ!」
「うん。判ってます」
「判ってへんわ!この機会逃したら、もう逃げられんかもしれへんのやぞっ!」
「ほんま、判ってます。・・・でもね、横山くん。俺気付いてしまったんです」
当たり前のことなのに。
今更気付いてしまったんだ。
「憧れ続けた外の世界。でもな、一人で行ってもしょうがあらへんの」
「や・・・」
「そこには大倉はおらへんの」
俺を包んでくれる腕も、囁いてくれる声も、向けてくれる微笑みも。
たとえどれだけ自由でも。
たとえどれだけ憧れたそれであっても。
そこに大倉がいないのなら、それはこの鳥籠の中よりも辛いものなんだって。
気付いてしまった。
俺は一人で幸せになんてなれない。
大倉がいなきゃ、幸せになんてなれないんだ。
「俺、約束したんです。大倉と」
「やくそく・・・」
「絶対幸せになるって」
「せやったら・・・せやったら、おまえっ」
もうきっと横山くんにも判っていただろう。
いつだって俺と大倉を見ては微笑まし気な表情をしてくれたこの人なら。
「せやから幸せになるために、戻ります。俺は行かへん」
横山くんからそれ以上の言葉はなく。
ただ小さくこくんと頷いて。
俺の頭をそっと撫でて。
それだけでは飽きたらぬように、一度だけぎゅっと抱きしめてくれて。
遙か向こうの空の方に走り去っていった。
暫くぼうっと空の方を眺めていると、青かったそれが黒く染まっていくのが見えた。
やがて全て黒く染まってしまった空はいつもと変わりない。
この鳥かごの出口が、自由な世界の入り口が、閉じてしまったんだろう。
それを確認してから俺は踵を返し、今来た道を歩き出す。
なぁ、頼むから怒らんといてな?
・・・ううん、怒ってもええから。
お前はアホや、全然人の話聞いてへん、って。
そう言うて不機嫌そうな顔してもええから。
その腕の中に戻ったその時は、どうか強く強く抱きしめて。
その鳥は、自分の幸せが自由な空にはもうないと知っただけのこと。
END
何の話だっていう・・・。パラレル?
でも前フリもなんもないのでよく判りませんね。
とりあえずアレです、例の裏ジャニね。パパラッチのやつね。案の定ね。
あんなアルティメットドラマチック倉安を見せつけられたらしょうがないですよ。あーもう。
作中の倉安の台詞は微妙に本物から引っ張ってきてます。
あんなこと言われたら大変。倉安ってばすごすぎる。
そして最近ブームである大倉の「ヤス」「お前」呼びを導入してみました(笑)。
いいな〜これからそうしようかな〜。
(2005.3.17)
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