猫の居場所
携帯向こうの喧噪に響く耳慣れた大きな声に、横山は思わず耳を疑った。
「・・・なんやて?」
『すまんっ!ほんまにすまん!どうしても抜け出せそうにないねん!』
「おまえ、今日俺が誰に呼ばれてここ来てんのかわかってんのか?」
『俺!俺です!俺がヨコちょにうち来て欲しくて呼んだんです!』
「わかっとるやんけ。ほんでなんや?飲み会で遅なるて?おまえナメとんのか?」
『ほんっまごめんて!まさかこない規模でかいモンやと思わんかってん!なんやお偉いさんがぎょーさんおるし・・・』
「どうせまたタダ飯がっつり食うてんねやろが」
『おん!それは基本やしね』
「・・・・・・そのまま死ぬまで食うてろ」
『え、あっ、ちょ、ヨコっ!?ヨ、』
焦ったような声を遮り、まるで叩きつけるような勢いで通話を切る。
とは言えそれは携帯だから通話ボタンを指先で小さく押すだけで済むものだったのだけれども。
逆にそれでは不満だったのか、横山は通話を切った携帯の電源を落とし、更にソファーの上に投げつけた。
少し勢いをつけ過ぎたせいかそれはソファーの上に跳ねて床に転がり落ちてしまう。
カシャン、とフローリングの床にぶつかる小さな音がして、まずかったかと一瞬思ったが最早取りに行く気にもならなかった。
「・・・ふざけんなよ、ほんまに」
誰もいない恋人の部屋。
そこに空しく響く自分の声に気分は滅入るばかりだった。
今現在ドラマ撮影のため別仕事の多い村上が久々に夜のスケジュールが空いたからうちに来ないかと、そう言ったから。
横山は夕方までのグループでの仕事を終えた後わざわざ村上の家までやってきたのだ。
少し前から一人暮らしを始めた恋人の部屋に真新しい合鍵で上がり、一人家主の帰宅を待っていた横山にかかってきた電話は、けれど先程の通り。
ドラマ共演者やスタッフその他スポンサーまでも交えた飲み会に連れて行かれてしまったらしい村上は、持ち前の人懐こさと社交性で瞬く間に気に入られ、そのおかげですっかりその席から抜け出せなくなってしまったのだった。
見なくても想像がつく、その光景。
電話向こうの喧噪、そして時折聞こえる「村上ー」だの「ヒナー」だの、馴れ馴れしい呼ばれ方。
そして何より当の村上本人が横山と電話をしつつもその合間に隙なくやたらと愛想の良い対応をしているのに、横山はいい加減腹が立って仕方なかった。
おまえが会おうというから来てやったのに。
もう一時間以上一人で待っていてやったというのに。
そっちは楽しく飲んで騒いでお偉いさんに気に入られてタダ飯を食って。
挙げ句の果てに遅くなるときた。
何様のつもりなのだ、あのコウモリ野郎は。
「・・・俺はおまえの嫁かなんかかっ」
イライラして思わず口をついた言葉。
けれどそれは、逆にこの事態が自分にとってどれだけのものなのかを思いしらせるだけだった。
久々に会えることがなんだか嬉しかった、なんて。
今となっては考えるだけで嫌になる。
今朝村上から誘いのメールが来て、返して、今日仕事中に散々メンバーから今日は機嫌がいいと言われ続けた、そんな自分が嫌になる。
そんなのは所詮自分だけだったのかと思うと悔しくてしょうがない。
そしてそんな自分は一体どれだけあの男が好きなのかと思うと、どうしようもない気持ちになった。
「ほんまにあいつ一回シメたる・・・・・・や、秘蔵のサッカービデオ上書きしたろか・・・」
不穏な台詞を呟く声は、けれどどうにも力なく。
我ながらきっしょいくらいへこんどる、と横山は自覚してため息をつく。
一人でいたってしょうがないから帰ろうか、一瞬そうも考えた。
まだ電車は十分にあるし、この際当てつけにでも誰か他の奴の所に行くという手もある。
けれどそんなことをしたって今のこの気分が上向きになるとは到底思えなかったし、何よりここから動きたいと思えなかった。
元々今日は泊まるつもりで来たのだから。
横山はつけていたテレビを消した。
このまま待っているつもりならばむしろつけているべきなんだろうけれど。
いつ帰ってくるとも知れないと判ってしまった以上、何だか観る気も失せてしまった。
下手をすると午前様かもしれない。
正直、酔っぱらって帰ってきた村上を笑顔で出迎えてやるなんてことはまず無理だろうと思う。
・・・笑顔で蹴りをかます、なら出来るかもしれないが。
だからとにかく、帰るという選択肢を自ら放棄した以上、今の横山が選べたのは不貞寝だけだった。
暇潰しも今や気乗りしないのだからもうそれしかない。
寝室にずかずかと入り、扉も閉めずにベッドに勢い良く倒れ込んだ。
僅かにベッドサイドの灯りだけを灯した室内が横山自身と周囲だけをぼんやりと照らす。
機能的に整頓された部屋ときちんと整えられたベッドはとても村上らしい代物だ。
今更取り立てて気にするにはもう通い慣れてしまったそれだったが、こうして一人でぼんやりしていると改めてそう思う。
横山一人しかいない今のこの部屋は当然静まりかえっている。
村上に対して言いたい文句は山ほどあったが、さすがに当の相手もここにいないのに独り言を言う気にはならない。
むしろ言えば言う程余計に腹が立つだけだ。
何せここはその腹立たしい相手の部屋であるわけで。
ここにはあの腹立たしい程いつも笑顔の男の私物に溢れているわけで。
全てがあの男の物なわけで・・・。
これ以上むかついたらなんか壊してまうかもしれん、なんて不穏なことを思うと同時。
横山はそんな空間に一人で転がっている自分がひどく空しかった。
ずっと会えなくて寂しかったのに、なんて言うつもりは毛頭ない。
そんなのは思うこと自体が女の子にしか許されないものだと横山は思っていた。
そしてさっきの連絡がもしもメールだったなら、まだ大丈夫だったのかもしれない。
恐らく村上のことだからどうせならメールよりは電話で、と思ってのことだったのだろうけれども。
横山にとってみれば、電話越しにあの喧噪の中に溶けこんだ村上の様子を思い知らされたことが何よりきつかった。
ただこの感情は今初めて知ったものではなく今までだって何度も感じてきたものであることを横山は自覚していた。
けれどもなるべくなら見ないようにしてきた。
それは横山が直視したくない自身の弱さだからだ。
依存から来る怯えという名の弱さ。
「はぁ・・・」
我知らずため息が漏れた。
どうせだから村上のベッドで大の字になって爆睡でもしてやろうかと思ったのに。
仕事で疲れているはずの身体はどうしてか眠気を誘ってくれない。
思わず枕にぼふっと顔を押しつけて無理矢理視界を真っ暗にしてみた。
けれど圧迫感があるだけで効果はまるでなく・・・・・・むしろ、逆効果だった。
ここは村上の部屋。
ここにある物全てがあの男の物。
このベッドも、そして枕だって。
当たり前のようにあの男が普段日常生活で使っている物だ。
まずかった。
意識してしまったらもう終わりだ。
当たり前だ。
当たり前なのに。
ここにある全てにその存在を感じてしまって何とも居たたまれない気持ちになる。
顔を押し当てた枕からは村上が使っている整髪料の匂いすら微かに感じ取れる。
横山は思わず眉根を寄せてベッドの上で身体を丸めた。
「うそやん・・・」
自分自身に呆れたように呟いていた。
意識したらどんどん色んなものが身体の奥からある種の感覚を引きずりだしていくのが判ったからだ。
下半身が疼くようなそれ。
まるで奥からじわじわと燻るような。
中学生でもあるまいし、そうは思いつつも横山は自分の身体に両腕を廻してぎゅっと抱きしめた。
もちろん横山とて健全なる成人男子だ。
その手の性衝動は当然あるし、それを自分一人で収めることだってもちろん日常的にあることだ。
けれどそれは専ら自室にこもって行うのが常であるし、それ以外の場所で、なんて横山の中の「普通」という概念では考えられなかった。
しかし今この身体の奥から沸き起こる感覚は紛うことなくいわゆる性衝動であり、そのくせこの場所はそれを収めるに適した自室ではないのだ。
そう言えばこの部屋に一人でいることなんて今までなかったな、と横山はどこか遠くでぼんやりと思った。
だからなんだろうかとも思うけれど、いい加減24にもなってこれはないだろうとぼやきたくもなる。
恋人の匂い一つで欲情するなんて、ありえない。
「・・・」
ありえないとは思うけれど、今実際自分の身体がどんどんその衝動に駆られていっているのは確かだ。
自分の身体なのだから当然判る。
横山は暫く無意味に辺りにきょろきょろと視線を彷徨わせた。
そこは当然見慣れた部屋でしかないし、今ここにいるのが自分だけなのはさっきから十二分に判っている。
どうせ家主である男だってあの様子では当分帰ってきやしないだろう。
そうだ、あいつが悪い。
あの男が悪い。
愛想ばっかり良くて抜け目なくて誰とだってうち解けて、気に入られて、自分を放り出して帰ってこないあいつが悪い。
あいつさえ帰ってきていればこんなことにはならなかったのだ。
こんなことをこんな場所でしなくても済んだのだ。
横山は内心で努めてそう自分に言い聞かせた。
ただそれは裏返すと今自分が何を望んでいるのか、何を求めているのか、肝心のそれを横山が自覚することはなかったけれど。
「ん、・・・」
身体を緩く丸めながらくつろげたジーンズのファスナーから手を忍ばせて、横山は小さく吐息を漏らす。
ゆるりと指を滑らせて、その腹で挟み込んでゆっくり擦り上げるようにしてじわじわと刺激を与えていく。
すると段々と奥から熱がせり上がってくるような感じがして、それを更に押し上げる感覚で既に勃ち上がりかけた先端部分を少し強めに押す。
「は、ぁ・・・」
ぞくりとする感覚が徐々に押し寄せてくる。
ゆらゆらと身体中を波がゆっくりと満たしていくようなそれ。
横山は肌がうっすらと汗ばんでいくのを感じてもどかしげに軽く身を捩り、片手で鬱陶しそうにシャツのボタンを外して前を開ける。
そして肌が空気に触れる感覚が何だか気持ちよくて、先走りで濡れた指先でゆるゆると自分の胸に触れる。
まだ密やかに眠っている胸の突起が指先で濡れて空気に触れた傍から新たな熱を生んでいく。
それに一つ深く息を吐き出しながら、扱いていた下肢の中心に更に力を込めた。
「ん、・・ふ・・・」
自らが生み出した熱がじわじわと足の先から頭のてっぺんまで犯していく。
横山は切れ長の目をうっすらと細め、僅かに身を捩らせるとシーツに顔を埋めた。
すると鼻孔から吸い込んだ匂いに身体の奥が一際敏感に反応したのが自分で判った。
「っ、」
慣れた匂い。
村上の匂い。
大きく息を吸い込んで、すぐさま熱を閉じこめたような息を震わせながら吐き出す。
白いシーツに薄金茶の髪が踊るように揺れて散る。
部屋には自分しかいないのに何だか頭の奥にはあの明るい声が聞こえるような気がした。
更には今自身の熱を慰める自分の手すらも、目を閉じればあのしっかりとした浅黒い手に感じてしまう。
横山は思わず片手でぎゅっとシーツを握りしめ、既に勃ち上がってぬるりと濡れた先端を逆の手できつく押し込めるように刺激した。
「・・・っ、ひ・・な・・・」
ほとんど吐息のような掠れた声は、切な程一心に求めるように空気を震わせて。
僅かに色づいた白い身体は白いシーツの上で一度大きくびくんと跳ねると、やはり白い熱を手とシーツとに吐き出してからだらりと弛緩した。
横山は射精感にきゅっと目を閉じて肩を上下させながら息をつく。
事が済んでようやく意識が戻ってくると、今は一体何時なのだろうとふと気になって目を開ける。
この部屋の時計は確か扉の横の台の上に・・・・・・と、横山はゆるりと視線だけを扉の方に向けた。
そして絶句した。
「・・・っ!」
いつのまにか音もなく。
開けっ放しだった扉にもたれ掛かるようにして立っている男に、横山はまさに文字通り絶句した。
いつ帰ってきたというのか、この部屋の主はその人懐こい顔に満面の笑みを湛え、僅かに首を傾げるようにして横山を見つめていたのだから。
白いシーツの上、乱れた身体で横たわり、白い熱の残骸にまみれたそれを、さも楽しげに。
「ただいま?」
明るい声はいつも通りの代物。
その笑顔だって然りだ。
けれどだからこそ横山は一瞬頭が真っ白になったし、一体何を言ったらいいのか判らなかったし、どうしたらいいのか判らなかったし、そもそも自分は一体何をしていたのかすらも判らなくなりそうだった。
ただ一瞬にして乾いてしまったような気がした・・・いやそれは実際気がしただけなのだが、そのぽってりした唇は小さく戦慄きながらただ僅かに空気を漏らして呟いていた。
「なん、で・・・」
言えたのはそれだけだったけれども、それで十分その意味を理解した村上はさすがと言うべきか。
微かに笑い声を漏らすと手にしていた荷物をその場に置き、ゆっくりと横山の方へ歩いてくる。
「なんでて?ここは俺んちよ?」
「やって、おま、」
「あの後なんとか断り入れて速攻帰ってきてん。タクシー飛ばしてな」
「・・・なんで、」
「なんでて?そらお前をこれ以上待たしたら可哀相や思うて」
「なん、で、おまえ・・・」
「さっきからなんでばっかやねぇ?横山さん。・・・一人で寂しい思いしとるかなて思って帰ってきてみたら、なんや可愛いことやっとるから見てただけやけど?」
村上はさすがだ。
いつだって言葉の足りない、思考とは裏腹にそれを言葉で表せない、そんな不器用な恋人を誰より理解しているだけのことはある。
だからこそ今だって横山が一体何に驚いて、何に困って、何を恐れて、何を恥じ入っているのかよく判っていた。
その白い手がぎゅっとシーツを握りしめて更に色をなくしているのを見て村上はふっと薄く笑う。
「よう一人でちゃんと出来たやん。いつもあんな風にしてんの?」
子供に尋ねるような穏やかな訊き方がカンに障る。
横山は精一杯眉をつり上げて村上を睨み上げると、せめて脚を閉じながら吐き捨てるように言った。
「・・・いつから見とった、この、のぞき魔」
「そらすまん。でもほんなら、人んちでそんなんやっとる方もどうなん、て話になるけどな」
「っ・・・」
「ああ、別に怒ってるわけやないねん。ごめんごめん。そない怖い顔しんといて。えっとなー、いつからて言うと・・・お前がシャツの前開けた辺り、かな?」
自分でも意識していない行動もあるだけに、横山は眉根を寄せながら思い起こす。
けれど良いのか悪いのか、今村上が言い当てた行動は確かに自分でも憶えていて。
「ちょ、・・・めっちゃ頭の方やんけっ!」
「ああ、そうなん?やー、速攻帰ってきたんはええけど、リビングにはおらんしなーて思うて・・・・・・って、そや」
村上はふと思い出したように言葉を切ると、小さく眉根を寄せてベッドサイドに歩み寄った。
それに何事かと僅かに引け腰で見上げてくる白い顔にゆるりと手を伸ばし、頬に触れる。
「っ、・・・?」
自分の指一つにぴくんと反応してしまう今の恋人の状態は推して知るべしだ。
そんなことは今さっき見ていたから十分に判っている。
だからこそ、村上は迂闊な恋人に大きくため息をついた。
「あんたね、やんのは別にええねんけど、不用心過ぎるわ」
「へ・・・?」
「玄関の鍵、かかってへんかったで?」
「えっ、あ、うそやん・・・」
「嘘なんてついてどないすんの。びっくりしたわ」
「あれ・・・閉めたと思ってんけどな・・・」
おかしいな、ときょとんとした表情で呟く表情は稚い。
それは今のその濡れた身体とは随分とギャップがあって、村上はまたため息をつく。
危なっかしいにも程がある。
「アホ。あんたが迂闊なのなんて今更ですけどね、せめて戸締まりくらいはちゃんとして」
「・・・したつもりやってん」
「つもりじゃ意味あらへんやろ。・・・ほんまドキッとしたわ、一瞬」
最近はだいぶ物騒な世の中になった。
それなりにセキュリティのちゃんとしたマンションだからまずないだろうとは思うけれども、万が一ということもある。
帰ってきて開いている扉に気付いた時に感じた冷や汗は忘れられない。
しかも急いで部屋に上がってみれば、そこにあったのはこんな恋人の姿だったのだから。
村上は横山の全身をくまなく見下ろすと僅かにトーンを落として呟いた。
「そんな状態で泥棒にでも入られたらお前、ヤられても文句言えへんで」
「っな、誰がやっ!おま、俺は男やぞ!」
「関係あるかい。犯罪者には常識なんぞ通用せぇへんの」
しかもそれでなくても横山には不思議な魅力がある。
単に容姿が美しいというだけではなく、中性的とも違う、妙に男性的な部分と女性的な部分が入り交じった両性的な魅力があるのだ。
そんな肉感的な白い身体がこんな風に濡れ乱れてそこにあったら、否が応でもその気になってしまう男は確実にいる。
そして一旦欲情してしまった男などケモノと同じだ。
同じ男ならそれくらい判るだろうに。
その不可思議な魅力のせいで普通の男なら遭うわけもない目に遭ってきた経験があるくせに、その割には今ひとつ自覚の足りない恋人に村上が頭痛のする思いだった。
「・・・ええ加減気をつけてくれへんと、俺も怒るで?」
ベッドサイドに腰かけながら顔を近づけて、じっと見つめる。
自分の傍にいる時ならば守ってやれる自信はある。
けれどそうでない時のことを考えればもう少しくらいは自覚して貰いたい。
村上の低い呟きに横山は一瞬目をぱちくりと瞬かせたけれど、その意味を理解していくにつれその切れ長の瞳はきつく眇められて再び村上を睨め付けた。
「おまえ、ようそんなこと言えるな・・・。誰のせいや思ってんねん、こんなんっ・・・」
「・・・ああ、怒ってんの?」
「怒ってへんとでも思ってんのか?」
元々がきつい目元に冷たい美貌をした横山だから、こういう風に怒りを湛えた時の表情はなかなかに迫力がある。
人によってはその一睨みで竦み上がってしまうだろう。
またその元来の不思議な魅力は怒りという感情にも呼応するらしく、村上にとってみれば可愛い白猫であっても、見る人間が見ればそれは白虎にも見えるのだ。
ただそれでも村上にはやはりそれは拗ねた白猫にしか見えないのだけれども。
「せやね。それは俺が悪かった」
「・・・ふざけんなよ。そんだけか」
「ほんまごめん。断りきれんかってん。待たせてほんまごめん」
村上はそう言って頭を下げた。
このことに関しては本当に自分が悪かった自覚はある。
だから素直に謝った。
そもそもがこれは完全に自分が迂闊だった、と村上は思う。
元々が少しだけ顔見せ程度で参加してすぐに出てくるつもりだった飲み会に、思う以上に引き留められてしまった。
しかもそれが友達同士の席ならいざ知らず、ドラマの共演者、それは言ったら大先輩ばかりで、更にはスポンサーのお偉いさんまでいたのだから抜けてくるのにもなかなか勇気が要った。
けれど仕方なしにかけた電話は、携帯の向こうからすら迸るような怒りと、同時に何だか妙に寂しそうな最後の声と、一方的に切られた通話で村上に事態の重さを思い知らせたのだ。
本能的にまずいと思った。
状況判断を完璧に誤ったと。
怒りに任せて罵るだけ罵ってくるくらいなら良かったのだ。
後で宥めすかして機嫌をとる方法はいくらでもある。
けれども怒りよりも落ち込みの方にテンションが行ってしまった時の横山はまずいと村上は嫌という程知っていた。
今回は元々が自分から呼んだわけだし会うこと自体が久しぶりだったのだから、そのくらいは予想しておかねばならなかった。
実は人一倍寂しがりで妙なところで繊細な恋人の性質を判っていたのに、間違えてしまった。
そうしていくらかけ直しても繋がらない携帯に苛立つままに村上は荷物を引っ掴むと、目の前で話していた大先輩に一つ深く頭を下げて帰らねばならない旨を大声で告げ店を出て、すぐさまタクシーを捕まえたのだった。
「・・・ごめんな、一人にして。許して?」
ゆるりと身体を傾けて、白い頬に手を伸ばしそっと撫でる。
未だ僅かに熱を湛えたそこを確かめるように、宥めるように。
更にそうっと唇を寄せて薄く開いた赤いそれに口づければ切れ長の瞳がすうっと細められ、こくんと頷くと、閉じた。
「・・・も、ええ」
「ほんまごめんな」
「も、ええて・・・」
「おん、ありがと。・・・でもねぇ、これはほんまびっくりよ?」
「え・・・?」
柔らかな空気に波立った感情が落ち着いたのを見計らい、村上はひっそりと唇の端を上げると楽しげに呟いた。
そこで横山はようやく思い出す。
今のこの現状はむしろ自分に不利であるのだと。
いつのまにか村上はシーツの上に横たわった横山の上に覆い被さるように上から見下ろしていたのだ。
まるで逃げ場がない。
「一人でシてるのなんて初めて見たわ。新鮮」
「あ、たりまえ、やろっ・・・そんなん、普通見せへんわ・・・ふつう・・・」
「そうやね。普通は見せへんわ。・・・まさか、俺のこと呼びながらシてくれるなんて、なぁ?」
その笑顔はいつもと変わりないはずなのに、何故だか妙に意地悪く見えて。
横山はひたすらに視線を逸らすしかなかった。
「・・・しらん、そんなん、」
「あれ?知らんの?やったら無意識なん?ヒナ、て可愛い声で言うてくれてたのに?」
「っ・・・」
「アレは正直クるなぁ。・・・あない可愛い声で俺のこと呼んで、どんなやらしいこと想像しながらイったん?」
「ちが・・・っ」
囁くような意地悪な声音に横山は目を伏せてぎゅっとシーツを握りしめる。
何も違うことなどないからこそ何も言い返せない。
むしろその時のことを思い出しては身体は再び疼きだしてしまう。
だってあの時想像した声も手の感触も、そして匂いも。
今はすぐそこに現実としてあるのだから。
「ええやん、今更隠さんでも。・・・まだまだ濡れとるし」
村上のしっかりとした手が何気なく横山の下肢の辺りを彷徨うように触れる。
それは直接中心にこそ触れないけれど、横山のくつろげた前から手を差し入れると微妙な感覚で太ももの辺りを撫で廻してくる。
そのもどかしい感覚に燻る火種を煽られて横山は身を捩って腰を僅かに引く。
「さわん、なっ・・・」
「あー、まだ全然て感じやねんな。・・・むしろこれからか?」
その白いどこに触れたとしても村上の指先一つに小さく反応しては熱を呼び起こす身体が愛しい。
村上はうっそりと笑うと下肢からはあっさり手を離し、代わりに上から覆い被さるようにして身体を押さえつけた。
それに怪訝そうに目を瞬かせながらも横山は何とか両脚を閉じようと震える脚を動かす。
けれど軽くそこに自らの脚を割り入らせて固定しつつ、村上は横山の右脚からするんとジーパンを引き抜いてしまう。
その行動に横山は小さく息を飲んで身を固くする。
「な、・・・に、すんねん」
「なにて。するんでしょ?」
「・・・言うてへん」
「あれ、大丈夫なん?そのまんまで」
「・・・なにがや」
「ヨコの身体、まだまだこれからーって感じやん。そのまんまやったら辛いでしょ?って」
「言うてへん・・・」
「口は言うてへんけど、・・・こっちは言うてるんとちゃうん?」
「っ、ぁ・・・ッ」
再び勃ち上がりかけた中心をちょいと指先で弾かれて。
横山は小さく身体を震わせながら潤みかけた切れ長の目で睨み上げる。
追い詰められた自分を何とか奮い立たせるみたいに。
けれどそれはもう快楽を芽吹かせたものに他ならず、村上は戦慄く赤い唇をぺろんと舌先で舐めると至近距離で笑いかける。
「こういう時にそういう目はあかんて、前にも言うたやろ?・・・いじめたなるわ」
「あほ、か・・・どうせ、なんもせんでも、・・・するやろっ」
「あはは、よう判ってるやん。ヨコはねぇ、不思議やねんなぁ?素直やないからかな?」
「・・・どないせぇっちゅーねんっ」
「ええよ、せやからそのまんまで。ヨコはなーんも気にせんでええの。・・・そのまんまで、可愛がったるから」
「っ、んんっ・・・!」
言うが早いか強引に口づけられて反射的に目を瞑ってしまう。
絡められた舌から更に絡まる唾液にそのまま酔わされそうになる。文字通り。
口内に広がる味にうっすら目を開けて吐息混じりで抗議しながら見上げた。
「んっ・・・こ、の、・・・よっぱら、い・・・」
「・・・ん?ああ、でも言う程は飲んでへんで?」
「酒の味する・・・さいあくや・・・」
「でもあんたお酒好きでしょ」
「酒は好きやけど、・・・おまえから酒の味するキスは、いやや」
既に紅潮した顔でぼしょぼしょと呟かれる言葉がまた無意識なんだろうけれど、随分とわがままで可愛らしい。
村上はふっと笑うともう一度触れるだけで口づける。
「可愛がりたいんといじめたいんは、紙一重やね」
「ん、え・・・?」
「・・・なんでもあらへん」
よく聞こえなかったのか小首を傾げる顔に笑いかけると、村上は少し身体をずらしてその白い胸の突起に吸い付くようにして唇を寄せる。
既に快楽の芽吹いたそこは固くなりかけていて、舌で嬲るように舐め上げれば顕著に反応してピンと立ち上がる。
その生暖かい感触とピリっと走る小さな刺激に横山は思わず身体をずり上げながら、村上の茶の髪を緩く掴んで離させようとする。
「ん・・ッ、そこ、やめろ・・・」
「えーやん、もう結構キてるし」
「は・・っなす、な、・・・」
「ん?離すな?」
意味が違うのを判っていながら村上は唇の端を上げ、舐めたのとは逆の突起を今度は指の腹で押しつぶす。
横山はそれに小さく嬌声を漏らすのを止められなくなる。
「ッ、あ、・・・あほっ、ちゃ、ちゃうくて・・・」
「離すなて言うたやん」
「はなす、な、・・・こすれ、る・・っ」
「んー?」
「や、やっ・・・」
わざと舌で嬲りながら喋るから、微妙な具合で擦れる突起は固く張りつめては色づいて、可哀相なくらいに横山から快感を引きずり出していく。
そしてそれは奥から全身へと熱を伝わらせていくように白い肌を薄桃色に染め上げて。
何よりも顕著に下肢の中心が鎌首をもたげて先を促すように震えながら白濁を滴らせていた。
けれど村上は敢えてそこには一切触れず、ただ胸を弄り廻しながらその様を観察するように眺めるだけだ。
「いやー、もうどこもピンピンやねぇ。張りつめてもて」
「ぁ、・・・は、・・う・・・」
まるで何でもないことのように言われる台詞だからこそ、横山は余計に客観的に自分の身体の状態を思い知らされる。
そしてそれを自覚することでますます反応しては震え色づいていく白い身体と上擦る声に、村上はくつくつと笑って愛おしげに頬を撫でる。
自分の下で快楽に震えて睫を濡らし身体を濡らす恋人は、それが普段からはまるで想像がつかない姿だからこそ、言いようもない庇護欲と同時にどうしようもない嗜虐欲を煽るのだ。
横山は子供の無垢さと大人の色香を同時に内包した希有な人間だろう。
そしてその奥にあるのは人一倍寂しがりで自分だけを求めて止まないような一途な心なのだ。
愛しくないはずがない。
そうして村上はこの存在を自分の腕の中に閉じこめられる幸福をいつだって噛み締める。
「・・・ヨコ?」
既に嬲られすぎて触れるだけで痛みを伴うようになっていた突起を、更に人差し指と中指で挟み込む。
そのまま覗き込むようにすれば、途切れ途切れに小さく声を漏らしながらも、まだ僅かに理性の光が残った瞳は揺らぎつつ見つめ返してくる。
まだ完全には落ちていない。
だからこそ楽しいと村上はまた笑うと、放っておいた下肢の中心に不意に手を伸ばして指を絡めるとぎゅうっと根本を締め付けるように握った。
「・・・ーッ!?」
それに一瞬目を見開いて声なき悲鳴を漏らした横山はあまりの衝撃に一気に果てそうになるけれど、締め付けられた根本では熱を吐き出すことは許されなかった。
そのせいで出口を失った熱が身体中を暴れて白い身体を内側から蝕む。
「ぁ、あ、・・・っはな、せ・・っ」
何とか離させようと村上の手を掴むけれど、震えて最早力らしい力など入っていないその手では到底無理だ。
その間にもまた胸の突起を甘噛みされて、ますます熱は暴走するばかりで、横山は最早悲鳴にも似た高い声を漏らして頭を振る。
「やー・・・っ、も、やめ、やめて、ややぁっ・・・」
ふるふると頭を振られる度に儚げに揺れる薄金茶の髪が薄暗い辺りに残像を作る。
キラキラ揺れるそれに目を細めながら、村上は濡れた唇の端を自分で舐めとって薄く笑う。
「・・・ほんまに?」
「や、や、・・・いや、も・・・おかし、なる・・・っ」
「ほんなら、どうしてほしい?」
「あ・・・」
優しい優しい物言いは、けれどまるで悪魔の囁きのようでもあり。
快楽に痺れつつある頭はそれをまるで甘美な何かのように受け取って。
それが酷いものだと判っているのだけれど、横山はひたすら浅い息を繰り返し、途切れ途切れに艶やかな声を漏らし、何とか白い腕を伸ばして鍛えられた肩にしがみつく。
「・・・なんで、いじわる、すんねん」
「意地悪?ちゃうやん」
「いじわるやん・・・も、おれ、むりやって・・・」
「俺はねぇ、ヨコ?ヨコに言うて欲しいの。判る?」
しがみついてくる手はそのままにしてやりながらも、村上は白い顎を掴むとそのまま覗き込むようにして囁く。
「お願いしてみ?その可愛いお口で、俺に、どうして欲しいか」
その囁きは甘美過ぎる。
だからこそ落ちるのが悔しくて、横山は最後の抵抗を試みる。
「・・・おやじ、か、おまえ、ほんま、」
「ふふ、まぁね。よう言われますんで。・・・でもそのオヤジにいいようにされて感じとるお前は相当やらしいけどなぁ」
根本を掴んだ手に力を込めつつ、ガリ、と胸の突起に歯を立ててやる。
あまりに愛撫されすぎたそこは少しだけ血が滲んだようで、その痛みと快楽とに切れ長の瞳からぼろっと雫がこぼれ落ちて、見開かれる。
「ッん、やめ、いたいっ・・・もうややってぇ・・・ッ」
「ほら、言わんの?・・・ええねんで?俺はいくらでも付き合ったるから。このまんま突っ込むか?」
「や・・・もう、いき、たい・・っ」
最早閉じることも叶わなくなった赤い唇から伝う透明の雫をぺろりと舐めとって。
腰を強く抱いて引き寄せてやると耳元に唇を寄せた。
「・・・で?」
「ひ、なぁっ・・・、おねが、い・・・っ、いか、せて、やぁ・・・」
村上はそれに満足したようににっこり笑うと一つ優しく口づけを送り、根本をそのまま扱き上げるようにして解放してやる。
「よくできました」
「・・・んーッ、は、・・っ」
そのまま村上にしがみついて横山は二度目の熱を吐き出した。
我慢させられたせいなのか、一度目よりも量が多かったのか。
それは村上の手と横山の下半身とシーツとを濡らし、その感覚に横山は顔を顰める。
けれどそんなことを構っていられる程に余裕がなくて、弛緩した身体はそのままベッドに崩れ落ちそうになって村上が寸でのところで受け止めた。
村上は既に前戯だけで火照りきってしまった身体に笑みつつも荒く息をする顔を覗き込む。
「・・・大丈夫か?」
「あ、ほ・・・だいじょぶに、みえんのか・・・」
「まぁ、見えへんけど」
「あほ・・・やりすぎやわこいつ・・・調子のりよってからに・・・」
「あはは、ごめんごめん。ヨコが一人で可愛いことしとるの見てもーたからつい、なぁ」
「つい、でこんなんされてたまるかぼけ・・・・・・ぼけ・・・」
「まぁまぁ。たまにはええやん」
「なにがたまに・・・やねん・・・・・・しょっちゅう・・・やん、け・・・」
「そうか?・・・て、ヨコ?眠いん?」
どれだけ消耗していても自分を罵ることに全力を注ぐ辺りさすがは横山裕だと妙な所で感心しつつ。
しかしその言葉がどんどん途切れ途切れになっていき、更に潤んだ瞳も次第に細まっては閉じていきそうになる様に、村上は思わず苦笑する。
確かに前戯に時間をかけすぎたのは自分だが、ここで寝られてしまうと男としては少し困る。
何せ村上自身はまだ何もしてもらっていないのだから。
けれど本当に眠そうに緩く目を瞬かせて自分にもたれ掛かってこられては、さすがに受け止めて子供にするみたいに背中を撫でてやるしかない。
今の横山は最早子供と大人の同居ではなく、完全に子供だからだ。
「も、つかれた・・・きょう仕事ハードやったし・・・」
「あー・・・そか、それもそうやんなぁ・・・」
「おまえかえってこーへんし・・・」
「・・・ごめんて。せやから急いで帰ってきたやろ?」
「むかつくねんおまえ・・・サッカーのビデオ、上書きしてやろかとおもた・・・」
「・・・それだけは止めて。勘弁して。頼むから」
「おん・・・かんべん、したる、・・・かえってきたし、な・・・」
「・・・ありがと」
しがみついてすり寄せられる温もりに、村上はただあやすように髪を撫でた。
大層な自惚れかも知れないけれど。
こいつは俺がおらんくなったら死んでまうんやないかな、とそんなことをぼんやり思いながら。
「ヨコ、寝てええで?」
「ん・・・。おきたら、おまえにもしたる、から・・・」
「あはは、うんうん。待ってるわ」
「おん・・・まってろ・・・」
「ん、おやすみ」
そのままゆるりと閉じられた瞼にそっと唇を落として。
村上はその力の抜けきった白い身体を両腕で強く優しく抱きしめた。
そうしてふと思い出す。
宴の席を立つ際咄嗟に勢い任せで言った、猫が家で待っとるんで帰らせて貰います、そんな言葉。
それじゃあ猫ちゃんの手土産に、と大先輩から持たされたチーズの詰め合わせ。
今自分の腕の中で眠る白猫は好きだろうか?
まぁまずは起きたらとりあえずそれを食べようか、そんなことを思って村上はゆっくり目を閉じた。
自分より丈のある身体を抱きしめて眠るのは少し大変ではあるけれど。
寂しがりの猫は、いつだって抱きしめていてやらないと。
END
夏のにゃんにゃん企画第二弾、雛横ですよー。
もうなんだろうねこれ。
とりあえず前戯だけで終わってしまったという衝撃事件です。
本番までいかなかったよ。村上さん前戯を楽しみすぎ。おかげさまで本番ないよ。
何か村上さん=おっさんという意識が根強くあるので、まぁ前戯をねちっこくやればいいんじゃないの?みたいな(ひどい)。
とりあえずまた何かゆうちゃんいじめみたいなエロになってますけども。
それにしても私は毎度ユウユウを猫扱いしすぎ。
(2005.9.16)
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