「マル、飲むで!」
「えっ!ちょ、おおくら?なに?」

唐突な夜の訪問者に俺の目は点になった。
その手にはビニール袋。
缶ビールとツマミらしきものがいくつか覗いているのが見える。
事態を飲み込めずぽかんとしている俺。
それを後目に、大倉はずかずかと玄関に上がると
「おばさーん大倉ですー。お邪魔しまーす」と言って
さっさと二階に上がっていってしまった。
確かに大倉がうちに来るのは初めてではないし。
むしろ結構遊んだりするし。
別にそれはいいんだけど・・・。

「あれ・・・?」

今日って、やっさんとデートじゃなかったっけ?










キューピッド










「なに、ケンカなん・・・?」
「・・・ケンカっちゅーか。俺なんも悪くないし。あいつが悪いし」
「や、俺にはようわからんねんけど・・・」
「もう知らん。やっさんなんか」
「でも、デートだったんとちゃうの?」
「・・・もう知らん」
「おおくらぁ・・・」

勝手知ったる何とやら。
俺の部屋に入るや否や、どかっと床に座り込んで買ってきたものを広げて。
缶ビールを勢いよく空けたかと思うと、大倉は躊躇なく口を付けていた。
俺が止める間もなく。
・・・一応まだ19やん、ジブン。
まぁうちの中だからいいかな、とは思うけども。
その飲み方がどうにも無茶だから見ていられない。

「俺、いっぱい我慢したし、いっぱい頑張った。・・・なのにやっさんは認めてくれへん」
「・・・大倉?」
「なんでやろぉ・・・」

一通り文句を言って1缶飲み干したところで、大倉のテンションは途端に下がる。
次の缶を開けて今度はちびちびと口を付け、ぽつりぽつりと一人ごちる。
怒りが持続しないのは、きっと怒るよりも凹む方が大きいからで。

「今日、やっさんと出かけてん・・・」
「うん。昨日言うてたなぁ?やっさんも楽しみにしとったで」
「・・・・・・俺も」
「ん?」
「俺も、楽しみにしとってん・・・」
「・・・そか」

特にそれ以上は口を挟まず、相槌だけ打って耳を傾ける。
きっと今大倉が求めているのは、自分の気持ちをただ聞いてくれる相手なんだろうから。
何も相手の悪口を言いたいわけじゃない。
そんな空しいことをしたいわけじゃない。
しかもそれが愛しい恋人に関することなら当然。
きっと、ただ相手に言えなかったことを誰かに聞いて欲しいんだろう。

「お昼に待ち合わせてー、ご飯食べてー、映画見てー・・・買い物、して」
「うん」
「夕飯食べた後、ちょっとドライブして。・・・やっさん、なんやいつもより可愛かってん」
「・・・そうなんや」
「ん。なんや新しい服とキャスケットでな、ぎゅーってしたくなったし。
・・・したら怒られたけど」
「あー・・・そう・・・」

あれ、軽くのろけられたわ。
でもその表情は沈んだままだから。
きっと無意識の産物。
かわええなぁ、と思った。
見ていて微笑ましくなるくらい、可愛い二人。

ふんふんと相槌を打ちながら、ツマミのスルメイカを少しだけ摘んでいたら。
大倉の表情が少し拗ねたようなものに変化した。

「やっさんがあんまりかわええから。俺、やっさんの部屋行ったらもう我慢できんくなって」
「・・・ん?」
「やっていっぱい我慢したし。もう付き合って3ヶ月やで?」
「え・・・あ、」
「でも無理強いしたらあかんから。頑張ってそういう雰囲気作って、優しくしようとしたのに・・・」
「・・・それって、その、」
「俺まだ19やねん。好きな子抱きたいて思ったかてしょうがないやん。なぁ?」
「・・・・・・あー、うん、まぁ、せやなぁ」

そういう話題だったんや・・・。
これでようやく合点が行った。
いくらケンカをしたと言っても、わざわざ大倉がうちまで来た理由。

「やっさんかて、緊張しとったけど途中までは大人しくしとってくれててん。
なのにいきなりヤダとか言い出して。俺がいくら優しくする言うてもぜーんぜん聞いてくれへんくて!」
「そうかぁ・・・」
「挙げ句の果てに、たっちょんのケダモノ!とまで言われたんやで?ありえへんやろっ!」
「けだもの・・・」
「もーなんやねん!俺ケダモノか!ひどいわ・・・」

そうして一通り捲し立てた後、またテンションはどんどん下がっていくようだった。
確かに男からしてみれば、恋人にケダモノ呼ばわりされたら凹む。
しかも大事に大事にしてきた上でようやく・・・となればなおのこと。
見た目は大人びて見える大倉だって、自分で言うようにまだ19歳だ。
余裕がないのも確かだろう。
そして余裕がないからこそ、見えてないものもまだまだあるんだろうな、とぼんやり思った。

「なぁ、大倉。ちょっと考えてみてや」

あぐらをかいたまま頭を垂れている大倉の頭を、軽く手で弾くように撫でた。

「たぶん、ほんまはそんなこと思ってへんよ」
「・・・なに?」
「やっさんも。ほんまに大倉のことケダモノやなんて思ってへんて」
「そうなんかなぁ・・・」
「当たり前やんか」
「でも、じゃあなんであんなこと言うん・・・」

その二人のやりとりとか現場を見ていたわけじゃないし。
何より俺はやっさんじゃないからよく判らないけど。
あのちっちゃくてしっかり者の相方がどういう性格かは一応判っているつもりだから。
大好きな大倉を拒絶してしまった程の状態なんて。
きっとそれだけ尋常じゃなかった、それくらいは想像できた。

「やっさんも、余裕なかったんやないかなぁ」

大倉は顔を上げて俺をじっと見る。
目をぱちくりと瞬かせて。

「大倉、忘れてへんか?」
「え・・・?」
「抱かれる方は、どっち?」
「そら、やっさん・・・やけど・・・」
「俺らにはさ、まるで想像できへんやん。そっちの立場って」

説教がしたいわけじゃなくて。
ただ、好きだからこそ見えないものって確かにあるから。
大倉にはそれを忘れて欲しくないだけ。

「きっとな、怖いと思うねん。俺らが思う以上に」
「ん・・・せやな・・・」
「大倉がたくさんたくさん我慢して、たくさんたくさん優しくしようとして。
でもきっとそれを判った上で・・・それ以上に怖かったんかもしれへん、やっさんは」
「・・・・・・」
「大好きな大倉を拒絶してしまう程、怖かったんかもしれへん」

大倉はまた小さく俯いて。
黙って一つ頷いた。
背中を丸めて、大きな身体を縮こまらせて。

「・・・俺は、もう少しだけでも、我慢するべきやったんか?」
「んー・・・どうやろ。そこら辺は何とも言えへんけど」
「俺、やっさんに怖いことしたかったわけやない・・・」
「うん。判っとるよ。大丈夫。やっさんかて、ちゃんと判ってくれとるよ」
「でもな、・・・泣かせてもーた」

掠れたような声。
・・・お前まで泣きそうやん。
俯き加減の表情が随分としょげていて。
黙ってよしよしと頭を撫でた。

「・・・なに?」
「ん、こうされると安心するかなって」
「・・・・・・アホや」

でも、それだけ言っただけで。
大倉は特に俺の手を払いのけるでもなく、そのままじっとしていた。
何か考えているような様子。
もう言うこともなくなったのか、言うべき時間は終わったのか。
今その頭の中には、もう愛しい恋人のことしかないんだろう。
俺はそれに小さく笑って手を離すと、自分の携帯を手に取る。
かけたのは、当然小柄な相方の元。
何回かの着信の後、繋がった先。
僅かな沈黙を置いてから俺の耳に届いたその声は随分と掠れていた。
・・・たぶん、泣きすぎて枯れてしまったんだろう。

『・・・・・・まる?』

ああ、耳に痛いわ。
大倉に聞かせたらもっと痛いと思うだろう。
電話越しじゃ判らないけど、きっとその目はうさぎのように真っ赤に腫れているんだろう。

「あー、やっさん、いきなりごめんな?」
「えっ・・・」

俺の発した名前に、大倉はようやく俺が電話した相手が恋人だと気付いたようで。
がばっと顔を上げるとなんだか妙に不安そうな様子を見せる。
俺はそれに笑いかけてやりながら、電話向こうに話しかけた。

「さっき大倉が来てな」
『お・・くら、来たん・・・?』
「うん。なんやめっちゃ凹んどって」
『・・・怒ってた?』
「や、そうでもなかったけど。その分しょげとったかな」
『・・・俺が悪いねん。俺・・・』

今にもまた泣き出しそうな声。
そして携帯を耳に当てたまま大倉を見れば、やっぱり不安そうな、泣きそうな顔。

本当に、この二人は。
互いに互いを想いすぎて、その分自分を省みないから。
放っておけんわ。

「なぁ、やっさん」
『ん・・・』
「大倉、泣いてもーてん」
『えっ』
「えっ」

恋人たちの声がかぶった。
電話向こうからは狼狽えたような、もう半泣きなんじゃないかってくらいに震えた声。
そしてすぐそこには、何を言ってるんだと混乱したような、やっぱり泣きそうな顔。

俺にとっては友達で、同時に弟みたいな二人。
大事な大事な二人だから。
その頭を撫でて、優しい言葉をかけて、慰めてやることは容易いけれど。
きっとその役を俺がしてはいけないんだと思う。
最後に必要なのは、お互いだけなんだから。

「大倉な、やっさんが好きやから、悲しくて泣いてもーてん。
・・・やっさんも、そうやろ?」
『う・・ん・・・・・・っく』

なるべく優しく問いかけるけれど、ついには鼻をすする音が聞こえてきて。
ちらっと大倉を見ると、言葉はなくとも何か伝わったのか。

「ま、マルっ、代わって・・・」

慌てた様子で俺から携帯を奪う。
俺は少しだけ離れたところに座ってその様子眺めた。

「あ、あの、・・・やっさん・・・?」

大倉は何だか酷く緊張した様子で、恐る恐る電話向こうに話しかけている。
まるで中学生が初恋の相手にするみたいな様子。
本人からすれば大事なんだろうけど、こちらから見ていると何だか微笑ましい。

「や・・・俺なら大丈夫やけど・・・。
あっ、泣いてへんて!泣くわけないやん!あんなんマルの嘘やで!」

あ、早速バラされてしまった。
それでいいんだけど。

「うん・・・うん・・・俺こそ・・・なんやいっぱいいっぱいで、うん・・・ごめんなぁ・・・」

まるで携帯電話に向かって謝っているみたいだ。
やっさんの声一つとして聞き逃さぬようにと、耳を澄まして、その言葉ひとつにいちいち頷いて。

「俺、怖がらせたかったんとちゃうねん・・・。そんだけは、判ってな・・・」

きゅっと携帯を握りしめて。
そんな真摯な声で一生懸命に言葉を探す大倉なんて、初めて見た。

「うん、うん、俺ならだいじょぶやから・・・・・・・・・なぁ、泣いてんの・・・?」

大倉の言葉を聞いているだけでも、どんなやりとりが交わされているのか何とく判る。

広げられたツマミ、そして飲みかけのビールをテーブルの上に片づけた。
飲みかけのそれを手にして、ああ、そういえばと思う。
折角持ってきてもらったけど、俺はまるで飲まなかったな。
でも飲んだら運転できないし。
これでよかった、と思う。

それらを片づけてから、今度はハンガーにかけてあったジャケットを羽織り、
デスクに置いてあった車の鍵を手に取った。

「なぁ、俺、今からもっかい行くから・・・。や、タクシー拾うし・・・」

準備は万端。

「・・・そしたら、もっかい、しような?」

そう言って、最後には柔らかく微笑んで。
きっと溢れる愛しさを電話向こうにまで伝えただろう。
もうやっさんもきっと泣きやんだだろう。
そして愛らしく笑って頷いただろう。

俺は手の中で鍵を弄びつつ。
まるでこの可愛いらしい恋人たちの笑顔が伝染したみたいに、笑ってしまった。



さぁ。
これから夜の街に車を走らせよう。
二つの愛を結びつけるために。










END






ちょい久々倉安。ていうかやっさんほとんど出てないけど!(わあ)
何が書きたかったって、お兄ちゃんなマルちゃんですよ。判りやすく。
お兄ちゃんなマルちゃんは弟な倉安を見守ってあげればいい。
(2005.5.7)






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