ある恋の終わり
好きだと真顔でそう言ったら、酷く驚いたような顔をして。
目を逸らしながら「似合わんわ、ぼけ」と小さく呟いて。
白い頬を微かに染めては「お前なんぞに先こされた」と消え入りそうな声で言った。
ずっと一緒にいてくれるかとそう訊いたら、そんなことを訊くなと悪態混じりで返されて。
その白い手に引き寄せられると柔らかな唇が自分のものに押し当てられて。
切れ長の淡い色の瞳がほんのりと撓んでそこに自分だけが映されたのが判った。
好きだった。
愛してた。
大事だった。
友情も恋愛感情も仲間意識も同志としての志も全部いっしょくたにして、こいつだけだと思える相手だった。
永遠を信じていたわけでもないし、心変わりを考えていなかったわけでもない。
けれど自分達の強い絆の前にあるものはその程度の脆いものではないということを、事実として知っていた。
単純な恋だけで結ばれた関係ではなかったからこそ信じられるものだった。
大きな夢があった。
大事な仲間達と叶えるべき夢があった。
そのために自分達二人はどれだけでも頑張れる、どんなことだってできる、そう確かめ合った。
一等星のように強く輝き、同時にだからこそ酷く脆いあの親友を支えよう。
色とりどりの可能性を秘めながらも、まだまだ穢れを知らず幼いあの弟達を守ろう。
何より大事なこの居場所を守るため、だからこそ自分達二人はお互いを守らない。
常に背中を合わせ、そこにいることだけを確認して、傷だらけになっても血を流しても、互いの存在を支えにいつだって強く在ろう。
そう固く誓い合った。
そこに成り立った上での愛情だったから、絆だったから、だからこそ何物よりも強かった。
ただの恋だけで結ばれた関係ではなかった。
そんな甘いだけの感情ではなかった。
何物よりも強い絆と誓いの上に成り立っていた。
本当に強い、強い・・・強すぎて。
だからこそ、恋はいつしか二人を苦しめるようになってしまった。
「・・・おまえ、言えよ」
俯いたままの白い頬が微かに震えるのが見えた。
柔らかなその感触を感じたくてそっと指を伸ばしたけれど、村上は触れられなかった。
触れたら言えなくなってしまうと判っていたからだ。
代わりにふっと息を吐き出して表情だけで薄く笑うと、どこかおかしそうな調子で言った。
「最後も俺なん?最初俺やってんから、最後はヨコ言うてや」
「いややそんなん。最初がおまえなら、最後もおまえやろ」
「ずるいなー。ほんま、いっつも俺に言わせんねんから」
好きだ好きだ愛してるずっと一緒にいよう離さないいつだっていつまでだって。
もう数え切れないくらい囁いてきたそんな愛の言葉達。
それら全てを上から塗り潰すような、そんな言葉を今更言わせようだなんて。
目の前で俯いたままじっと息を押し殺して身動ぎ一つしない横山をぼんやりと眺め、村上はその白い頬やシャツから覗く白い首筋が、もはやいっそ憎らしくすら思えた。
けれどせめて向こうから持ちかけてくれてよかったと思う。
終わりを匂わせてくれてよかったと思う。
見て見ぬ振りをしさえすればずっと浸かっていられたぬるま湯を、全て排水溝に流して捨ててしまうような、そんなこと。
きっと自分にはできなかっただろうから。
その最初の賽を投げる役目を自分がするのはあまりにも辛すぎたから。
唯一無二の相手に終わりを気付かされる、その時の傷つく瞬間の表情なんて、自分は見たくなかったから。
だから横山が持ちかけてくれて、気付かせてくれてよかったと村上は思っている。
自分の表情なんて自分自身では見えないから、どうでもいいことなのだ。
強ばった丸い肩をさすってやりたい。
揺れる金色の髪を撫でてやりたい。
所在なさ気に開いたり閉じたりする白い手を握ってやりたい。
さっきからそんな単純な衝動ばかり。
そんな単純なことすらも、もうできないと判っているからだろうか。
呟くように漏れた自分の言葉も、なんだか妙に覇気がない気がした。
「なぁ、発表いつやって?」
「・・・明日。社長からさっき連絡もらった」
「そっか。もう明日か。・・・ほんなら、今日しかないねんな」
「そうやで・・・」
白い手がギュッと固く結ばれる。
更に色をなくすそれを見て、きっとこの光景を忘れることはないだろうと村上は感じていた。
明日、グループのデビューが発表される。
夢は叶う。
もっと大きな舞台に駆け上がる。
味方は増える。
光が道を照らす。
敵も増える。
闇が見えてくるようになる。
自分達の小ささを思い知らされるだろう。
自分達の更なる成長を追い求めなければならないだろう。
事務所内では伊達に苦労してきたわけではない。
だからその喜びは誰よりも大きいし、その困難さも誰よりも予想している。
ともすれば簡単に潰されてしまう。
けれどそう簡単に潰されるつもりなどない。
それならば、今までよりも、もっともっと大きな力で揺るがぬ決意で、この居場所を、そこにいる大事な仲間達を守らなくては。
恋だけじゃなかった。
だから信じてこれた。
だからここまでやってこれた。
恋だけじゃなかった。
だから二人はここまでだった。
恋だけじゃない、恋よりもっと大事な譲れぬものが互いにあって。
互いにそれは同じもので、同じ方向を見つめていて、お互いを見つめるよりもそれを共に守ることが大事で。
村上は腕を伸ばした。
今度こそ、その身体に触れた。
抱きしめもした。
けれど同時に耳元で囁いた。
「今日で、終わりにしよな」
ぴくんと一度反応した柔らかな身体。
腕がゆっくりと廻ってきて、頷いたような気配。
その甘くて僅かに舌足らずな声が、小さく引きつったように漏れたけれど、言葉にはならなかったようだ。
ただその腕に力が強く強く込められて抱き返される。
金色の髪が頬に触れる感触がくすぐったくて、村上はやんわりと頬を緩めた。
この先もきっとこうして抱き合うことはあるだろう。
それは舞台の上で、舞台の裏で、互いを励まし合い、時に慰め合い、想像し得ないような困難を前に、大事なものを二人で守るために互いの手を取り合い立ち上がる。
それでも最後なのだ。
こんな風に愛しさにいっそ目を眩ませて、相手だけを守りたい愛したいとそう願うような、そんな抱擁は。
白い手が背中の上を這うように伝って首筋に廻った。
そこにきつく爪を立てられて小さく痛みが走る。
その代わりと言うかのように、目の前にある白い耳朶に歯を立ててきつく噛んだ。
せめて小さな痕程度でも残せればいいのに。
せめて恋したその証を残せればいいのに。
終わりの言葉を紡いだから、二人はもう何も言うことはできない。
だからただ明日が来るまで、せめてこの恋の記憶を互いに刻んで、誰にも見えない深い場所に隠しておこう。
それはある恋の終わり。
きっとこれからはもっと近くでもっとずっと一緒にいる、そんな二人の恋の終わり。
END
(2006.11.13)
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