線香花火










浅いながら眠りを貪っていた俺の耳に届いた着信音。
意識が一気に引き上げられる感覚に軽く苛立って、一瞬無視してやろうかと考える。
けれどこんな非常識な時間に電話をかけてくるような相手はむしろ一人しかいない。
腕だけを布団から出して携帯を取り、ディスプレイを見ればやはり予想通り。
それはさして驚くことでもない。
唐突な電話は何もこれが初めてではなかったから。

「・・・もしもし?」
『おー寝とった?』

さして申しわけなさそうでも何でもなく、いつも通りの調子。
俺が電話を取ることなんて当たり前みたいな。
だからと僅かな抵抗でもあるかのように出来うる限り不機嫌そうに返してみても、さして効果は得られそうもなかった。

「寝てましたよそりゃ・・・。今何時や思ってんですか・・・」
『俺の時計やと夜の1時23分やな』
「俺のもそうですよ。・・・何です、一体」

何かあったのか。
それとも単なる気まぐれか。
どちらにしろ、こんなことを訊いたって素直に答えるような人じゃないことは判っていた。
けれどだからと言って最初から訊かずにいるのも癪だ。
少なくともそういう俺の気持ちくらいは判って貰いたい。
そんなことを思いながら、すっかり覚醒してしまった頭を持てあまして半身を起こし、ぼさぼさの髪を手でかきあげた。
特に寝起きというわけではないのかもしれないが、元々少し舌足らずなその声は電話越しでも随分と甘く響いた。

『なぁ、亮』
「はい?」
『花火せーへん?』
「・・・・・・は?」

いつも俺の理解の上を行く年上の恋人は、また突拍子もないことを言い出した。
確かにいつものことと言えばそうだけど、だからと言ってそれはいつまで経っても慣れるものじゃない。

『せやから、花火』
「ちょ、何言うてんですかあんた、」
『10分後におまえんちの近くの土手集合な』
「ちょっ・・・ま、横山くんっ!?」
『はよ来いよー。このクソ寒い中待ってんの、結構しんどいねん』
「はぁっ?あんた今どこにおるんですか!」

その声音から読み取れることは少ない。
電話向こうが随分と静かだから、俺と同じように自宅の部屋からかけてきているものとばかり思っていた。
その静けさは確かにこの時間であれば屋内であろうと屋外であろうと関係ないのかもしれないけれど。
すぐさまベッドから起きあがり、窓を開けてみれば判る。
春が近づいているとは言えまだまだ外は十分寒い。
しかもこの真夜中だ。
晴れた夜空を照らす月明かりが、キンと冷えた空気をより一層澄んだものにしているようだった。
こんな中、一人で土手に?

『んじゃ、10分やで』
「待って横山く・・・っちょ、おいっ!人の話聞けやっ!・・・・・・切れたし」

本当に、俺の話なんて聞きやしない。
一方的に切られた電話を思わずベッドに放り投げる。
掛け布団に受け止められたそれを暫しの間・・・言っても精々が一分か二分程度ぼんやりと眺めた。
自然とため息が漏れる。
今さっき開けた窓から冷たい風が吹き込んできた。
ちらりとそちらを見れば、恐らく明日か明後日には満月になるであろう僅かに欠けた月が煌々と輝いていた。

「・・・何してんねん、ほんま」

こんな寒空の下、花火?
酔狂にも過ぎるってものだ。
しかもこんな真夜中に。
・・・そうは思いつつ、俺は壁にかけてあった上着と放り投げた携帯をとり、部屋を出た。

本当に判らない人だ。
あの人の考えていることなんて、昔も今も判りはしない。
どれだけ理解したくても。
他人から理解されることを厭い、恐れるあの人は。
なかなかそれをさせてくれようとしないから。

「はぁ・・・さむ・・・」

外気の冷たさに身を竦めつつ。
両親を起こさないようにと静かに家を出て、走った。

あの人のことは判らない。
けれどそれでもいい。
理由なんて判らなくても。
そうやって呼ぶ相手が、俺であるのなら。











寒いせいもあって、全力で走ったら10分もかからずにその土手についた。
そこから見下ろせる川は結構汚れていて、昼間こそ見れた代物じゃないけれど。
今は夜の闇のせいなのか、ただ水面に月明かりが反射してキラキラと輝いていて綺麗だった。
それを視界に入れつつ、何処にいるだろうかと辺りを見回しつつ降りていく。
すると少し先の川縁に、夜に映える小さな閃光のようなものが見えた。
バチバチと人工的に輝くそれは、そのすぐ傍に白いシルエットを浮かび上がらせていた。
宵闇に映える白は、まさにその人のもの。
すぐさま土手を駆け下りてその傍に走り寄った。

「横山くんっ」
「おっ、早いやんけ」

小さく息を切らせた俺に、しゃがみ込んだ体勢から見上げてきたその表情は何だか楽しそうで。
手にした花火をくるくると円を描くように廻してみせた。
よく見れば花火は両手に握られていて、その様は夏休みの子供そのもの。
とは言え、今は冬だしこの人はとっくのとうに大人なわけだけど。

「何してはるんですか」
「花火やろ」
「アホちゃいます?こんな真冬のこんな真夜中にそんな一人で・・・そうや、花火やろうとか言うてたくせにもう勝手に一人で始めとるし・・・」
「あー、暇やってん。待ってんの」

何て自分勝手な人や。
・・・とは今更過ぎて言えず、一つ深くため息をついて同じようにしゃがみ込む。
一応きちんと用意してきたらしいバケツの中にはもう沢山の花火の残骸が放り込まれていて。
そして恐らくコンビニか何かで買ってきたであろう花火セットには、もうほとんど中身が残っていないようだった。

「もうあらへんやんか」
「あー、うん。おまえが遅いから」
「・・・俺、10分のところを7分で来たんすよ?なんやねんその言いぐさ」
「うそうそっ。冗談やって。・・・んー、意外とな、早くてな」
「は?どっちやねん」

遅いからとか早いからとか。
思わず眉根を寄せると、その花火の閃光に照らされて浮かび上がる白い顔はおかしそうに笑って頭を振る。

「ちゃうちゃう。花火がな、早いねん」
「あー、そういうこと・・・」
「思ったより早く終わってもーてん。ほんまはメインの打ち上げ花火をおまえにやらせたろー思うたんやけど」
「はぁ、そりゃどうも」

セットパックの中に入っている小さな打ち上げ花火のことだろう。
本物とは比較にもならない、チープでささやかな代物。
けれど確かに市販のものの中では一番大物だし、友達なんかとやれば結構盛り上がるもので。
・・・ああ、でも。そうか。
この人は、それを・・・。

「・・・一人でやったんすか?」
「あ、おまえ今俺のこと寂しいやつやーて思ったやろ」
「まぁ」
「しゃあないやん。他のが早く終わってもーたんやから」
「俺を待ってればええのに」
「んー・・・」

何気なく、そして当然のように言った一言だったけれど。
段々と消えていく花火、そしてそれでも夜の闇に消えることのないその白い顔は。
その横顔をこちらに向けたままで呟いた。

「こーへんかったらアレかなーて・・・思うて」

ポチャン、と。
消え落ちた花火の残骸が、バケツの水に投入された。

「・・・何言うてんねん、あんた」

低い声音が自然と出た。
ちらりとこちらを見た顔は特に感情を映さず、ただそれでも浮かび上がるようにそこにあった。

何でそんなことを言う?
あんたが呼んだくせに。
あんな当然のような調子で、俺が拒むはずなどないと判っているかの如く。
俺にはその選択肢しかないと思わせておいて。
何で、今更そんな風に狡い言葉を吐くんだ。

「あんたが呼ぶから、俺は・・・っ」
「・・・ごめんな」

静かな口調。
この人には不似合いな。
けれどこの夜の月明かりの元には酷くお似合いの。
それが妙に俺の感情を逆撫でる。

「なんでそこで謝んねん・・・。横山くんは、何か俺に悪いことしとる自覚があるんか?」
「ごめん」
「そんだけ言われたって判らへんわっ・・・」

ごめん、なんて。
あんたには言って欲しくない。
何一つ謝って欲しくない。
俺があんたのことを好きで、それでやっていること全て。
他の誰よりも必要とされているのだと、そう感じてやっていること全て。
やんわりと・・・けれど奥深いところで確かに、拒絶されているように感じてしまうから。

「・・・なんかな、花火やっとったら色々考えてん」

いつの間にかその腕をきつく掴んでいた。
横山くんはそれを振り払うでもなく、ただ僅かに俯きがちに息を吐き出す。

「ほんま、予想以上に早いねんな。燃え尽きるのなんて」
「横山くん・・・?」
「ほんまに早いわ。・・・なんもかんも、終わるのなんてあっちゅうまで」

今日の、僅かに満月からは欠けた月夜。
この人は一体何を考えたのか。
未だ展望の見えきらないその将来か、それともいつだって何処か不安定な俺との関係か。

吐き出される息は白く、けれどすぐさま消えていく。
寒空に吹く冷たい風に攫われるように。

「笑ってええで。・・・色んなもんがな、いつ終わってまうんか・・・たまに怖なんねん」
「アホか・・・誰が・・・」

誰が笑うか。
あんた自身だって笑えていないのに。
そんなどうしようもなく寂しそうな表情で。
この寒空の下一人で、そのくせ俺を呼んでおいて。

「なーんかな、あんまりにも俺辛気くさー思うて。亮でも呼んでパーッと花火でもやろー思っててんけどな」

横山くんはふっと相好を崩すと、軽く首を傾げるようにして俺を覗き込んだ。
その拍子に揺れた薄金茶の髪がふわりと揺れて残像を作る。
宵闇に浮かび上がるこの人は何だかふわふわとした曖昧な輪郭で。
この夜の冷たい風はそれすらも攫っていってしまいそうで。
俺は腕を掴んだこの手を、未だ離すことが出来なかった。

「おまえが来る前に終わってもーた。ま、俺が悪いねんけどな」
「・・・終わってへんやん」
「うん・・・?」
「全然、何も終わってへん」

終わってなんかいやしない。
何一つとして。
確かにあんたは俺よりも少し多く生きてきて、少し多くのことを経験してきて。
少し多くの失望を感じてきたのかも知れないけど。
終わりなんて、まだ少しも訪れてはいないはずだ。
俺にはちゃんと判るんだ。
だって、ずっとずっと、あんただけを見つめてきたんだから。

「花火、まだ残ってんで」

腕を掴んだのとは逆の手でビニールの袋をたぐり寄せれば。
そこには厚紙の下、僅か残った線香花火。
それを二つ手にとってその眼前に掲げるようにしてみせる。

「侯隆。やろか」

そう言って笑ってみせたら、横山くんは一瞬だけ虚を突かれたような表情をして。
視線を俺の顔からその線香花火へとゆっくり移す。
暫しぼんやりとそれを見つめた瞳が、やがてやんわりと撓んで。
ともすれば風で吹き飛んでしまいそうな程頼りないそれを、そうっと一本手に取った。

「・・・久々や。線香花火なんて」

そう小さく呟いては頬を緩めるのを微笑ましく思いながら、転がっていたマッチで火をつける。
少しの間火をかざしていると、やがてチリチリと小さな音を立ててささやかな光が生まれる。
さっきやっていた花火と比べるとそれは本当に小さなものだったけれど、その表情はさっきよりも余程嬉しそうだった。
そのささやかな光にぼんやりと照らされた白い頬が僅かに色づいている。
それが愛しくてしょうがなくて。
ひたすらに小さな光を見つめるその視線を取り戻すかのように、頬にそっとくちづけた。

「ん・・・亮?」
「綺麗やな」
「せやな、線香花火も悪くないな」

僅かに色味の増した頬をして、自分の持っている線香花火を俺が持っていた一本に近づける。
横山くんのものから移って俺のものにも光が生まれ、二つ分の光はささやかながら夜の闇に更に煌めく。

「あ、こうやってくっつけとった方が綺麗かもしれん。光が大きなって」

自分のものと俺のものとをくっつけて、そんな風に無邪気に笑う。
その様こそが、俺は綺麗だと思ったんだけど。
そんなことを言えば途端に照れてその無邪気な笑顔を引っ込めてしまうに決まっているから、心の内に留めておく。

「あー・・・やっぱりや。この方が長持ちすんねんな」

けれどその光だって、いずれは落ちる。
落ちたその後にはまた夜の闇が広がる。
それは仕方のないこと。
けれどだからこそ、せめてその瞬間に、あんたがそれを一人で実感してしまうことのないように。

「・・・なぁ、こっち見て」
「ん?・・・ぅ、ん」

身体を僅かにそちらに寄せて。
薄く開いたその唇を、自分のもので柔らかく塞いだ。
横山くんは一瞬驚いたように軽く目を見開いたけれど、すぐさまそっと目を閉じた。
触れ合った唇は冷たく、けれど触れ合っていれば次第に暖かくなる。
深められていけば、それは熱くもなる。

そして線香花火はいつの間にか落ちてしまっていた。

俺たちはそれでも月明かりの下、互いの熱を温もりに変える。
満月には僅か欠けた月は不完全な形ながら、それでも俺たちを照らし煌々と輝いていた。










END






なんだかリリカルなおはなしに。恥ずかしい。
でも基本的にこういうのが一番書きやすいですね。リリカル作家なので(自称)。
うちの横山さん基本的に暗い子なので割と常に中身はこんな感じです。
でもってにっきどさんはいつもそんな横山さんに対して一生懸命だといいです。
亮横は何となく、不安定なんだけど離れられないみたいな感じがいいです。
しかし季節はずれだな・・・。
(2005.3.11)






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