僕の花
ある月の綺麗な晩。
満開の桜がはらはらと舞い散る幻想的な夜。
俺は裕さんの家に呼ばれて二人で飲んでいた。
宵闇の漆黒と、月の白い光と、桜の薄紅色と。
それらが混じり合う光景がひっそりと窓から覗いている。
開けっ放しの窓からはそよそよと風も吹いてくる。
わざわざ外に花見に出かけずとも、この部屋は室内からこんなものを拝めるのだからすごい。
つまみにして酒を飲むには絶景と言っていいだろう。
事実、さっき室内に大量に持ち込まれた缶ビールは結構な勢いで消費されていく。
身体に染みこんでいくアルコールと、目に映る美しい景色と。
それらを一緒に楽しめるなんて、春ってなんて素敵な季節なんだろうとしみじみ思う。
けれど・・・。
ちらりとフローリングの床を見る。
俺が今どうにもこの幻想的な夜に浸りきれないのはこの惨状のせい。
そこら中にちらばるビールの缶。
繰り返すように、この通り缶ビールはさっきから消費される一方だ。
しかもほとんどは俺が飲んだものではなかったりするのが、現実。
「まーるー。おまえ飲んどるかー?飲んでんのかーっ?おーいっ」
床に視線を落としていた俺の顔を覗き込んでくる白い顔。
酒のせいなのか、頬が紅潮しているのがよく判る。
元々、ほんとは白人なんじゃないかってくらい色の白い人だから、酔って赤くなるとよく判る。
白に差す頬の赤みが、何だかちょっと色っぽいかも、なんて思ったりしつつ。
ケラケラと笑いながら俺の髪をぐしゃぐしゃといじってくる様が酔っぱらいそのものなので、思わず苦笑する。
今日はいつもよりハイペースやなぁ。
「あー、はい。飲んでます。飲んでますよー」
ほら裕さんかんぱーい!なんて。
さっきからあまり減っていなかった俺の缶を、裕さんの持ったそれにカツンとぶつけて飲んでみせるけれど。
喉を通っていく苦みはどうにも温く、俺をじとっと見る裕さんの赤い顔は僅かに拗ねたようなものに変化していく。
「おーまーえーはーなぁ!」
「は、はいー?」
「そやって、てっきとーに返事しときゃーおれが満足するやろーとか思ってんねやろー」
「そんなこと思ってませんてっ」
「おまえはいっつもそうやねん。人が誘いかけてもへらへら口先ばーっかで返事しよってからに」
やばい。からみだした。
しかも日頃のことを持ち出されると俺も耳が痛い。
あながち言いがかりではないだけに、余計に。
「そんなつもりはー・・・。いやほんますいません」
とりあえず謝っておこう。
缶を床に置いてぺこりと頭を下げるけれど。
それはどうやら余計に裕さんの機嫌を損ねたらしく。
そのいつも以上に赤い唇をつんと尖らせると
酒のせいで僅かにとろんとした目を据わらせて、自分の前を指さした。
「謝ってすんだらケーサツはいらんねん!おらマル!ちょおここ座れ!」
「はい?な、なんですか?」
「ええから座れ!正座や!」
「あーはい・・・」
散らばる缶を少し脇に退けてから。
大人しく言われたとおりに正座する。
裕さんは依然として缶を手にしたまま、正座した俺の前に更に近づいてくる。
どかっと片膝を立てた体勢で座り、一口ビールを煽って。
缶を持ったのとは逆の手を床について自分の身体を支えるようにしながら、こちらに身体を傾けてくる。
ちらりとそちらを見ると、さっきよりも至近距離で覗き込んでくる、その赤みの差した白い顔。
何故か無言で、ただじっと俺を見つめてくる。
その綺麗な顔。
キャラやない、と言ってはその容姿を褒める類の話題は敢えて自分から避けてくるけど。
改めてぼんやり思ってしまう。
ほんま、きれいな人や。
本人に言えば殴られるだろうし、他人に言えば笑われるだろうから言わないけど。
少なくとも黙っていれば、この人の美しさっていうのは何処か清楚な印象を受ける。
白いイメージ・・・これは単に色白だからっていう、俺の単純な思考から来ているのかもしれないけど。
黙って見つめてくる、その僅かに尖らせられた赤いぽってりした唇は可憐ですらあると思う。
本当に申し訳ないとは思うものの、こればかりはしょうがない。
好きな人の綺麗な顔をこんな間近で見せつけられたら、不謹慎な気持にもなってしまう。
「あの、裕さん・・・?」
「・・・おまえ、間近で見ると結構男前やん」
「・・・・・・は?」
「オトコマエ」
「えっ!?え、あっ、お、俺ですか!?」
「・・・とか言ったら嬉しいか?」
「・・・えーと、」
「どないやねん」
「あー、えと、まぁ、嬉しいですー。はい」
「言うわけないやろアホ。お前が男前やったら少なくとも日本人の半分以上は男前や」
「はぁ・・・」
この人は一体何が言いたいんだろう。
口が悪いのは普段からだし、酔ったからというわけでもないだろう。
ただちょっといつも以上に舌足らずな口調ではあるけども。
・・・それがちょっとだけ、いやかなり、可愛いけども。
「なににやけとんねんおまえ。アホ言われてにやけんのか。変態かおまえ」
「いや、これはちょお別のことを・・・」
「あー?別のことぉ?なんで俺が話ししてんのに別のこととか考えんの?最悪やわ」
「あっ、すんませんっ。いやほんま、あの、」
「・・・うそやし」
「はい・・・?」
「うそや言うてんの。別にどうでもええわ、お前がなに考えとってもな」
「裕さん?」
本当に、何が言いたいんだろう。
さっきまでは随分とご機嫌な様子でビールを煽りまくっていて。
俺が思わず飲むのを躊躇うくらいなハイペースで酔っていたというのに。
俺の態度が機嫌を損ねてしまった?
でも怒っているのとも少し違う気がする。
その様子に戸惑う俺を後目に、裕さんはまた新しい缶を開けて一口煽る。
勢いよく飲み干された後に吐き出される息は少し熱い。
「あー・・・飲まなやってられんわ、ほんま」
少しおちゃらけたような口調。
正座した脚がジンとする。
それを僅かに崩しつつ、そうっと手を伸ばしてその缶を自分の手に取る。
油断していたのか、酔って力が入らなかったのか。
あっさりと缶を俺に取り上げられた形になった裕さんは、唐突なことに一瞬きょとんとして。
すぐにじろりと俺を睨め付ける。
「・・・なんやねん」
「あの・・・裕さん」
「せやからなんやねん。ビール返せ」
「そろそろ、飲み過ぎですって」
「・・・おまえに関係あんのか」
「せやけど、」
「いちいちうざいねん」
一瞬カチンときた。
確かにその機嫌を損ねたのは俺が原因かもしれないけど。
でもだからって、・・・。
「・・・すいません」
「なにが」
「俺が悪かったです。せやから、機嫌直してください」
「・・・・・・」
かちんときた。それは確かだ。
でも俺は怒れない。この人に対して怒ることなんて出来ない。
しかも、俺にだって少なくとも一因があることならなおさらに。
そんな無茶な飲み方をして、理不尽に絡んできて、俺を苛立たせたとしても。
それでも怒れない。
だからいつもそんな酷い態度をとられるんだって、よく他人にそう言われるけれど。
「・・・ほんまにそう思うてんの?おまえ。自分が悪かったて?」
「はい。ほんまにほんまです」
「へぇ・・・」
ふっと薄く笑うその顔。
綺麗な切れ長の瞳のせいで、いっそ冷たいくらいに見える表情。
まるで試されているような気分になる。
お前は俺の全てを本当に許せるのか、そう言われているような。
それでもいい。
試されてもいい。
むしろ本望なくらいだ。
俺はどうしようもないくらい不器用で。
言葉でも態度でも、いつもこの人にろくに伝えることが出来ないから。
逆に、試されて困るようなことなんて何もないんだから。
俺はあなたに捧げた気持しか持ってない。他には何もない。
だからそうやって試されて、伝わるのならいっそ嬉しい。
ただじっと見つめた。
それしか出来なかったと言ってもいい。
けれど裕さんは、それで満足したのか、どうなのか。
小さく小さく呟いた。
「・・・・・・おまえ、もったないなぁ」
「え?」
咄嗟にその言葉が理解できなくて。
その真意を探るように送った視線は、けれどすげなく逸らされてしまう。
裕さんはそのままごろんと床に倒れるように横になる。
「裕さん?眠いんですか・・・?」
「おまえはなぁ、もったないわぁ、ほんま」
「ゆうさん・・・?」
俺の言葉になど応える気もないらしい。
けれどそれは確かに俺に向けられていた。
またじっと俺を見上げてくるから。
酒のせいか、潤んだ瞳で。
俺は心の中でもう一度謝る。
その瞳に心拍数を上げてしまった自分を。
「おまえ、俺にはもったない」
今度の言葉は理解できた。
理解は出来たけど、したくない言葉だった。
「なに・・・言うてはるんですか・・・」
「おまえさぁ、ほんまは可愛くて優しくていかにも女の子らしい女の子、好きやろ?」
そう言ってうっすら笑う顔も綺麗。
あなたの表情は全てが綺麗だけど。
その全てが愛しいけれど。
でも時には、胸に痛いものもある。
「ちっちゃくて守ってやりたいような、かわいい、かわいい・・・」
本当に、この人はなんでそんなことを言うんだろう。
「せやからな、もったない・・・」
「なんで・・・?」
「なんで?・・・さぁな。自分でもようわからん。酔ってんねやろ、おれ」
独特の甘くて舌足らずな笑い声。
けれど笑えない。
そんな言葉、笑えませんよ、裕さん。
「・・・酔った勢いでも、そないなこと言わんでください」
転がった身体に覆い被さるように身を屈め、至近距離でその顔を見下ろす。
紅潮した白い頬に指先でゆるりと触れる。
すると笑いが一瞬にして収まる。
ぴくんと小さく反応した身体は僅かに身動いで、潤んだ瞳はぼんやりと瞬き、俺を見上げるばかり。
「ゆうさん」
ほら、だから俺はいつも怒るなんて出来ない。
そんな寂しそうな光を奥に湛えた瞳を向けられたら。
いつだって人の中心にいるのに、多くの人に慕われるのに、いつだってひとりぼっちみたいな孤独な瞳。
白くて、赤くて、金色で。キラキラしてて。まるで花のようなあなた。
でもいつだって独りみたいにそこで揺れている。
「ゆうさん・・・」
その赤に誘われるようにそっとくちづける。
裕さんは何も言わない。抵抗もしない。
ただそっと瞳を閉じて、俺に片手を伸ばす。
その手を取って首に廻させ、逆の手を腰に廻して抱き起こした。
少し遠慮がちに抱きしめる。
いっそ心配になるくらいにされるがままな様子に、そっと覗き込めば。
ゆるりと、花びらが開くようにもう一度目を開けた。
近くに感じる吐息は少し酒の匂いがした。
「・・・酔ってんねん。後で忘れろ」
今度は向こうから触れた唇。
酒の味がする。
なのに何故かとても甘いのは、それがこの人の味だからなんだろうか。
「俺だけ、見とれよ」
「裕さ、」
「たとえ他におっても、俺だけにしとけ・・・」
「ん、・・・」
酒の匂いのする熱い息を零して、俺にもう一度くちづけたかと思うと
今度はぺろんと俺の顎を舐めた。
その官能的としか言いようがない仕草に、腰に廻した手がぴくっと反応してしまう。
それに普段ならきっと「変な想像したやろ」とでも言って人の悪い顔をするところだろうに。
けれど今はただ、紅潮した顔でふわりと笑うだけ。
まるで花びらが揺れるように。
酔っているのは本当だろう。
酔っているからこその言葉なのも本当だろう。
けれどそれこそが本音。
酔ってなければ言えない、この人の本音。
怒ることなんて出来やしない。
むしろ謝らせて欲しいくらいだ。
だって判ってあげられない。
ここまで言わせて、ここまでさせて。
俺にはこの人が常に抱える大きな不安を、少しも判ってあげられない。
どうしようもなく鈍くて不器用な俺には。
歯がゆくて悔しくて、自分に嫌気が差す。
「・・・酔った勢いや、ほんま。もう忘れろ」
「・・・はい」
この人が言うことに逆らった何かが言えるわけもない。
でも。
「裕さん、あの、」
「んー?」
「俺は裕さんが思うよりずっと、ひどいですよ?」
「は・・・?」
きょとんとしたその瞳。
にこっと笑いかけると、なに?と首を傾げてくる。
すれてるように見せて、ほんとは幼いまでに純粋なあなたの心が大好きです。
たぶんあなたは知らないだろうし、俺にはそれを伝える術が見つからないけれど。
でも本当だから。
他なんて、もう俺にはありえない。
「ほんまはね、どうやったら裕さんが俺んとこにおってくれるかなーって、
いつもそんなんばっか考えてますもん」
「なんやそれ。いつも?」
小さく笑う。
甘い蜜のような声で笑う。
それがいつもここにあるように、俺はそんなことばかり考えているのに。
「そうそう。そうなんです。いっつも裕さん裕さーんって」
「さっきも?」
「ん、さっきも」
「あほやろおまえ」
「あーすいません」
「しょーもな・・・」
「好きなんです」
ぴくっと肩が揺れた。
更にはその薄金茶の髪も揺れて、さらりと流れる。
そうしてこちらに向けられる瞳はきっと、
長く孤独を感じすぎて麻痺してしまって、なかなか信じることが出来ないんだろう。
「好きなんです。好きやから、裕さん」
「・・・おまえも、酔ってんの?」
「俺はちゃいますよ。缶ビール2つで酔うわけあらへん」
「ふぅん・・・。素面でようそんなこと言えるわ・・・」
ぼそりと呟くその言葉尻をさらうように、窓から小さく風が吹きこんだ。
それを少しうっとうしそうにする裕さんのその髪に、はらりと舞い落ちたもの。
薄金茶に薄紅色。
宵闇の中、白い月の光に舞う、桜の一欠片。
「あ・・・ついとる」
「ん?」
「ほら、桜の花びら」
指先でとって見せると、それをうっすら笑いながら舌先で舐めとられた。
ざらりとした感触にまた煽られて、苦笑するしかない。
「裕さーん・・・」
「花見はもうええやろ」
「それは・・・・・・ん、ぅ・・・」
またくちづけられる。
今度は舌を差し入れられ、深く。
その拍子に、何かが俺の口の中に・・・・・・ああ、きっと今の桜の花びらだ。
そう思ったのもつかの間、それは絡み合う唾液と共に、こくんと俺の喉を通っていってしまう。
そうしていったん離された唇はさっきよりも赤い。
桜よりもなお赤く色づいては、俺を誘う。
「・・・確かに、見るんはもうええかも」
それに何か言おうとしたのか、開きかける唇を再び塞ぐ。
見るのはもういい。
見るだけじゃすまない。
それだけじゃもう、伝えられない。
あなたは俺の白い花。
いつも美しく不敵な強さを見せ、周りの人間を引き付けて止まないくせに。
時折まるで桜のように、儚く散ってしまいそうな様を垣間見せる。
触れたら容易く散らしてしまいそうだからこそ、躊躇うけれど。
どうしても散るのなら、せめてどうぞ俺の腕の中で。
その花びらの一枚たりとも逃さず全て受け止めて、飲み干すから。
「ま、る・・・」
「はい」
幾度となく繰り返されるくちづけの中。
浅く息をして俺をじっと見つめる瞳。
潤みながらゆるゆると撓むそれに、少なくとも今、孤独は見えない。
俺が映って見えるから。
それだけでいい。
それだけで嬉しい。
「なぁ・・・おれも、・・・やで」
「・・・はい」
ちゃんと聞き取れなかった二文字は、聞き返さないから。
だからただそうやって笑ってほしい。
俺にだけ、花のように笑って。
END
またなんか夢見がちーな。
もうありえないくらいの丸横熱に抗えませんでした。好きだ!
マルちゃんはね、本気で裕さんのことを真っ白なお花だと思っているんですよ(わー)。
い、いいじゃん・・・そんなマルちゃんかわいいじゃん・・・。
・・・でも恥ずかしいのは全て私のせいです。
そして丸横の裕さんはすぐ誘いたがるのですがどうなんだろう。
(2005.4.14)
BACK