15.信頼と信用
「あ、すばるや」
スタジオに着くと、廊下の途中にある喫煙所で見慣れた小柄な後姿を見つけて、裕はそれを覗き込むように寄っていった。
同じ事務所ながらすばると会うことはそう多くない。
事務所一売れっ子で多忙で、そもそもが相手はアーティストであって仕事の土俵が違うから、一緒になる機会などそうないのだ。
だから久々に会えたことが純粋に嬉しかった。
後ろからかかったのんびりした声にすばるは煙草を灰皿に押し付けると振り返り、なんだか楽しげに唇の端を上げて笑う。
「なんやオマエ、また太ったか?」
「・・・・・・太ってへん」
第一声がそれかと思わず小さくむくれる。
裕は基本的によく食べるし、年頃の女の子が気にする程には細身の体型に固執しているわけではないのだが、やはり仕事柄もあるし全く気にしていないわけではない。
それに平均よりも太りやすく、食べた分がストレートに身体に反映されてしまうから、その辺はさすがに自覚もある。
小さく呟くように言うその表情がおかしくて、すばるはニヤニヤと続けた。
「なんやその間。・・・ほんまに太ったやろ」
「太ってへんっ」
すばるのような成人男性が裕のような年頃の女の子に言うにはあんまりな台詞ではあるが、そこら辺はすばると裕の気の置けない仲故だ。
「まぁ、ガリガリの骨みたいな女よりはええで」
「・・・あかん。ちょおお菓子我慢しなさいて社長に言われた」
「社長直々か。珍しいやん」
思わず眉を上げたすばるの脳裏には、社長の読めない笑顔が浮かんでいた。
エンターテインメントビジネスの先駆者でありやり手の企業家である彼の手腕というものは、一口では到底言い尽くせない程に多岐に渡る。
けれどもすばるが取り立て尊敬の念を抱くのは、その原石を見つけてくる審美眼だ。
彼はオーディション以外にも、自ら街にふらりと出向いて直接新人を見つけてくることがよくある。
しかもそうして拾ってきた人間程磨かれて輝きを放ち、この世界で成功を収めているのだ。
すばるもまたその一人だった。
そしてそんな社長が少し前に拾ってきた原石が裕だ。
それは今まさに磨かれる途中の宝石。
本人は知らないだろうが、すばるは社長が裕に特別目をかけているのを知っている。
それはその家庭環境のせいもあるんだろうけれども。
すばるがそんなことを思い出しているのを後目に、裕は裕で言われた時を思い出しているのか、小さく眉根を寄せるとぽってりした唇を尖らせてぼそぼそと呟く。
「ユーは出逢った時は白猫だったのに、最近白子豚に見えるね、て言われてん・・・」
「うわー・・・言うなぁ・・・。さすが社長」
すばるもさすがにそこまでは言わない。
思わずその様を思い浮かべては苦笑してしまう。
「・・・言い過ぎやわ。デリカシーないわあの人」
「なんや、仕事でなんかあんのか?」
特別フォローするつもりはないがなんとなく気になった。
いくら太った太ったとは言ってもそれは実際には大袈裟な話で、実際には精々が「痩せてはいない」といった程度のものだ。
それに裕は元々の身体つきが丸くて柔らかだから余計にそう見えるというのもある。
何より裕の魅力はその冷たい程の美貌を持ちながら、まるで赤ん坊のように柔らかな白い肌に豊満な身体つきというのが売りなのだから、それは言ってしまえば個性の内だろう。
すばるの疑問に裕は唇を尖らせたままふてくされたように答えた。
「写真集、出すんやて。こんど」
その言葉でようやく合点がいく。
毎月の雑誌の仕事に比べると、写真集というのはグラビアアイドルにとってはとりわけ大きな仕事で、その売り上げが将来を左右すると言っても過言ではない。
裕はまだ仕事を始めて一年程度の新人だから当然写真集など初めてだ。
つまりそれは裕にとって最初の大きなチャンスだろう。
「マジでか。よかったやん」
「・・・よかったんか、これ」
「よかったに決まってるやろ」
「でも、めんどくさい」
「・・・オマエなぁ、仕事やろ?」
せっかくのチャンスを「めんどくさい」の一言で片付けようとするこの妹分にすばるは思わず呆れる。
確かに、そもそも裕がこの仕事を始めたのには止むに止まれぬ事情があるし、好きでやっているわけではないことは知っているけれども。
それにしたってチャンスは誰にでも巡ってくるわけではないし、欲しくてもチャンスを得られない人間も沢山いる。
これは裕本人の持って生まれた魅力ももちろんあるだろうけれども、そこには他の人間が多く携わって初めて得られた代物なのだ。
すばるは小さく眉根を寄せるとじっと裕の顔を覗き込む。
「わかっとるやろ?ワガママ言うな。やる気出せ」
「・・・わかっとるて。ちゃんとやる」
「せやで。ちゃんとやれ」
「でもな、しばらく家を空けなあかんて・・・」
「ああ・・・そういうことか」
写真集の撮影というのは大抵がどこか景色のよいロケーションで何日間かかけて行われるのが常だ。
雑誌の撮影のようにスタジオに来て撮ってその日に帰れるという代物ではない。
それをマネージャーの丸山から聞かされて、裕は正直嬉しいというよりか気乗りしない気持ちの方が大きかった。
「亮がおるのに」
「アイツかてもう15やろ?何日か一人で留守番くらいできるやろ」
「あかん。亮を一人になんかできん。あぶないやんか」
「オマエ過保護すぎやで」
「あかんねん。・・・亮がさみしがる」
「・・・あ、そ」
それは亮やなくてオマエやろ、とすばるは内心だけで思ってため息をついた。
相変わらず行動理念と思考の全てが弟中心だ。
裕の境遇を思えばそれは致し方ないことなのかもしれないし、実際の所弟の方とて姉がこの仕事で家を空けるなどと許すはずがない。
「・・・んで?ちなみにカメラマンは?」
なんとなく弟から話題を逸らそうと思って何気なく振ったのだが。
その瞬間ぴくっと反応した裕に、すばるは思わずそちらをまじまじと見つめてしまった。
「キミ?」
「・・・あー、あの、・・・村上さん、やって。さっき言われた・・・」
何故かぼそぼそと小声で呟く様も気になったが、それ以上にその名前。
「よりにもよってヒナか・・・」
すばるは思わず苦々しげに呟いた。
対照的に裕はきょとんと目を瞬かせる。
「ひな?」
「・・・村上のこと。あだ名やねん」
「ヒナが?なんでヒナなん?」
「昔ヒナって名前についとった女優さんに顔が似てたんやて。今は全然ちゃうけどな。どこがヒナやねんて話やわ」
「ヒナかー。なんやかわええな」
「かわいないわあんなん」
「あーおっさんやもんな」
「せやで」
「でもすばるもおないやないん?」
「あんなんと一緒にすな」
「一緒やないんか」
「ちゃうで」
「・・・そか。おっさんやもんな」
何か楽しいことを思い起こすみたいにそう繰り返しては、なんだかくすりと小さく笑った裕の表情は一瞬だったけれども、なんだかとても・・・綺麗で。
確かに元々綺麗な顔立ちをしてはいるけれども、そういうのとは違う、なんというか、表情が綺麗というのだろうか。
少なくとも出逢って今まで見たことのないようなそれに思わずすばるの目は釘付けになった。
同時、すばるは少なくない自身の経験からなんとなく予感がしていた。
それはあの、信頼はしているけれども信用はしていない、あの太陽のような笑顔の男の手癖の悪さを知っているからこそのものだった。
「・・・キミ?」
「ん?なにぃ?」
「オマエ、・・・」
「んん?せやからなに?」
すばるは少し迷う。
言うべきか言わざるべきか。
わざわざ自分が首を突っ込むようなことではない気もするし、そもそも裕が本当に・・・そうかどうかも判らない。
ただ、ずっと弟だけだった裕の中にあの男の存在が入り込みつつあるのは確かな気がした。
これは単なるカンでしかないし、だいたいが本人にも自覚があるのかどうか微妙なところだ。
そして何より、あの付き合いの長い、親友と言っても過言ではないあの男の真意が一番判らない以上、今何か口出しするのは得策ではないかもしれない。
繰り返すが、すばるは村上を信頼してはいるが信用はしていない。
特に女絡みであの男がしてきたことを考えると、信用などできるはずもない。
すばるは暫く考えてから、自分と同じくらいの高さにある頭をぽふっと手で撫でると唇の端をあげて笑った。
「やっぱ太ったなー。一緒にジム行くか?」
「・・・なんやねんすばるむかつく。絶対いかんし」
またむくれる白いほっぺたを見て、すばるは内心自分も亮のこと言えんくなってきたな、と思った。
あれが弟ならば自分は兄だろうか。
・・・自分はただそれだけでは、ないけれども。
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