17.どこまで行こうか










「んー・・・・・・ほんなら、まぁ、しゃあないか」

村上は小声で、けれども車内の静まりかえった空間ならば確かに聞こえる程度の声で、一言そう呟いた。
裕が狸寝入りとまではいかないまでも、半分は起きているのに何故か起きようとしないことを村上はすっかり見抜いていた。
それは単に歳の差とか経験の差とかそういう物以外に性質の問題もあっただろう。
そしてそれが彼女だから、そんな理由もやはり否定できなかっただろう。

では何故裕がそんなことをするのか。
その理由が想像できないわけでもなかったが、敢えて深く考えることはしなかった。
まだその時期ではないだろうと思う。

村上はおもむろに車を降りると助手席側に廻った。
そしてまずはそちらの後部座席のドアを開けると裕の荷物を取り出し、それから助手席のドアを開ける。
シートにもたれかかるようにして俯き加減で目を閉じているその身体が一瞬震えた気がした。
それは急にドアが開けられたことによって入り込んだ冷気のせいだっただろうか。
村上はその白い顔をじっと見て、薄く笑ったかと思うとそのまま裕の背中と両膝裏にそれぞれ手をかけ、その身体を掬うようにして抱え上げてしまう。
裕の身体はそのまま車内から抱え出され、ちょうど顔が村上の胸元に預けられる形になる。
眠っているのだ、それは自然な形だろう。
そうは思いつつもやはりまた一瞬震えた柔らかな身体が微笑ましく、村上はきゅ、と軽く力を込めて抱え直す。
金色の髪がさらりと流れて村上の首筋をくすぐった。
ちらりと見下ろした先の顔はやはり俯き加減だったから、伏せられた睫が白い肌に作る陰影がよく判る。
今自分達を夜空から見下ろす月の光がまた良い具合にそれを照らし出して綺麗だと思った。
今度の写真集のロケーションはこんなのもいいかもしれない、村上はふっと思いながらそのまま目の前の家の方へ歩き出す。

門扉をゆっくりと開けて、玄関先へと歩いて行くと判る、家の中からはまだ灯りが漏れていた。
どうやら姉想いの弟がずっと待っているのだろう。
恐らくイライラしながら。不安を抱えながら。
村上は未だ見ぬ裕の弟の様子を想像してみる。
もう少し先になるかと思っていたが、いよいよご対面になりそうだ、と。


扉の前まで来た所で、村上はもう一度腕の中の裕を見下ろす。
ここで偶然を装ってでも起きてくれれば、自分はこのチャイムを押さずに済む。
まだ対面せずに済む。いずれはするにしろ。
ただ今するとなると、恐らく衝突が避けられないだろうから。
まぁそこら辺は自分がなんとでもしなければならない所だろう。何せ歳が違いすぎる。
村上はそんなことを思って暫しじっとその白い顔を見下ろすけれども、やはり目を開ける気配はなかった。
むしろ耳元がほんのり染まっているのがなんとも可愛らしくて思わず頬が緩んでしまう。
見た目とイメージに反して本当にウブな子だと思う。

ほんなら、まぁ、しゃあないか。
村上はさっき呟いてみせたのと同じことを今度は心の中だけで思い、少しだけ自分の身体を後ろに傾ける。
そしてより深く裕の頭を抱き込むように凭れかからせると、代わりに空いた右手でチャイムを押した。
するとすぐさま扉向こうで聞こえた物音。
ドアがバタンと開いて廊下をバタバタと走ってくるような。
それだけで村上は裕の弟の性質、そして姉に向ける想いみたいなものを感じた気がしてまた頬が緩んだ。

「ねえちゃんっ・・・!?」

目の前で勢いよく開いた扉。
そこから飛び出すようにして出てきた少年は、あまり裕には似ていなかった。
似てへん言うんはほんまやったなぁ、村上の第一印象はそんな感じだった。
黒目に黒髪で彫りの深い凛々しい顔立ちは確かに整っているけれども、裕とはまるでタイプが違う。
父親似と母親似という違いなんだろうか、村上はそう思いながらもニコリと人好きする笑顔を浮かべて言った。

「夜遅くにごめんなぁ?お姉ちゃん送ってきてんけど」

亮はそれに唖然と目を見開いている。
マネージャーから連絡があったとは言え、いつも以上に遅い姉の帰りに落ち着かなくてしょうがなかった所に現れたこの男。
見る者誰しもを安心させるようなその笑顔。
けれど亮は逆に酷く警戒した。
何せその男の腕の中では自分の大事な姉が眠っているのだから。

「・・・・・姉ちゃん離せや」

第一声がそれか、ともしもここに第三者がいたならそう思っただろう。
だが生憎と村上はそうは思わなかった。
むしろ予想通りの反応だ。

「ああ、ごめんごめん。車で送ってきてんけど、家着いても裕ちゃん起きひんから」
「ゆう、ちゃん・・・?」

亮のこめかみがぴくっと動く。
思った以上に判りやすい少年やな、と村上はそれにますます笑うから。
今度は亮の眉根が寄る。

「あんた、誰や」

既にこのものの1分のやりとりで、亮の中の村上の印象はかなり悪かった。
けれどその印象は次で更に最悪なものとなったのだ。

「あ、そうやね。申し遅れました、村上信五と言います。
職業は一応カメラマンで・・・仕事で裕ちゃんを撮らしてもろてます」

そう言って軽く会釈してみせる村上の言葉に、ひたすら眉根を寄せていた亮の顔がワンテンポ置いて驚愕したようなものに変化した。

村上信五。
村上。
むらかみ。

その名を亮は知っていた。既に知っていた。
それはついこの前、姉が眠りの中で夢の最中で呟いたものだ。

「あんたが・・・むらかみ、か・・・」
「ん?お兄さんのこと知ってるん?」
「・・・・・・はよ、返せ」
「え?」

低くぼそりと呟かれた言葉は小さすぎてよく聞き取れなかった。
村上が小さく首を傾げて聞き返すと、亮はギッときつい視線で見上げて村上の腕の中で眠る姉の手をおもむろに掴んだ。

「はよ姉ちゃん返せ言うてんねん!」

その勢いと射殺されそうな強い視線にはさすがに村上も面食らった。
けれども亮が勢い任せに掴んだ裕の手を引っ張ろうとするから、思わずそれを引き留めるように手に力を込める。
そのままだと裕が落ちてしまうと思ったから。

「ちょ、ちょお、亮くん?落ち着き?お姉ちゃん落ちてまうから・・・ほら、ちょお待ちなさいって・・・」

今降ろすから、そう宥めるように言うけれど。
亮は裕の手をぎゅっと掴んだままひたすらに村上を睨み付ける。
だいぶ興奮しているようで、頬が紅潮しているのが判った。
村上はさてどうしたものかと内心苦笑する。
けれどそこまで来てさすがにこの事態がまずいと思ったのか、腕の中で少し狼狽えたような声がした。

「りょお・・・?どしたん・・・?」

微睡んだような声は何も作ったものというわけでもなかったのだろう。
実際さっきは本当に寝てもいたのだし、それは嘘じゃない。
ただ村上が身体を抱え上げた頃にはすっかり目を覚ましていただろうから、今の村上と亮のやりとりはきっと裕にとってみれば心臓に悪いことこの上なかっただろう。

「姉ちゃんっ!何してんねん!遅いわ!」
「ご、ごめんて・・・でもほら、マルちゃんから連絡いったやろ?せやから・・・」
「そんなん知るか!しかもなんで・・・なんでこんな奴と・・・っ」

こんな奴てひどいなぁ。
村上が苦笑しながら呟くのを裕はちらりと焦ったように見上げる。
そしてあまりにも亮が興奮した様子で捲し立てるから慌てて村上の腕の中から降りた。
宥めるように身を屈めて亮の顔をそっと覗き込む。

「亮?ほんまにごめんな?心配した?」
「・・・したわ。ぼけ。遅いねん。遅い」
「うん・・・ほんまにごめんな?ご飯ちゃんと食べたか?」
「食べた・・・。姉ちゃんの分も、一応とってある・・・」
「うん。じゃあ食べるから暖めてくれるか?」
「おん・・・。今やる」
「ありがとな。・・・ただいま」
「おかえり・・・」

裕は躊躇なく弟の身体をぎゅっと抱きしめた。
きっと自分が今までになく遅く帰ってきたから本当に心配で寂しくて拗ねているんだろう、裕はそんな風に思ったのだ。
だからこそ村上にもあんな態度をとってしまったのだろう、と。
昔からこの弟は人見知りで、知らない人間にはつっけんどな態度をとってしまう所があるから。

確かに裕のこの思考は間違ってはいなかったのだけれども、状況判断としては正しいとは言い難かった。
姉に抱きしめられて自分からもおずおずと手を廻した亮は、裕の肩越しに見た村上に再びきつい視線を向ける。
ほんまに仲ええ姉弟やねんな〜、などと感心したように見ていた村上は虚をつかれたように驚いた顔をする。
しかしそれも一瞬で、気を取り直したようにふっと笑むと、一度ヒラリと亮に手を振ってみせた。
亮の眉間の皺は更に深まる。

「じゃあ裕ちゃん、俺帰るな」

けれど亮の視線もさして気にした様子もなく、村上はあっさりとそう言うとそのまま踵を返す。
裕がハッとして身体ごと振り返ろうとするけれども、廻された亮の腕にいつの間にか力が込められていてままならず、仕方なしに顔だけで振り返った。

「あ、あの、ありがと・・・」

ただそれだけ呟くしかできない裕に、村上はニコリと安心させるように笑うと手を振ってみせた。

「いやいや。ドライブ楽しかったで?裕ちゃんも楽しかったらええねんけど。・・・じゃ、またスタジオでなー」

そうして二対のまるで異なる種類の視線を背中に感じつつ、村上はゆるりと歩いてその家を後にした。


車内に戻ってエンジンをかけて。
夜の街を走りながら、村上はちらりと助手席を見る。
今は既に誰もいないそこ。
村上はそれに小さく笑った。

時間は限られている。
さて、自分はどこまで行けるだろうか。










TO BE CONTINUED...






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