僕が強く手を繋いだら君は弱く目を瞑る
「おつかれさんですー」
毎週木曜深夜の生放送。
放送時こそ眠い眼を擦りながら何とかといった体で喋っていた横山は、放送が終わるや否や途端勢いよく立ち上がって荷物をまとめだす。
それはまるで学生が授業を終えた様にも似て、ますますこの二十代も半ばにさしかかる男の子供っぽさを表しているようで、周囲のスタッフは皆一様におかしそうに笑っている。
けれども横山の目の前に座っていた村上だけはなんとなく釈然としないような表情で、未だ椅子に座ったままじっと横山を見ていた。
横山とは逆に放送時こそ、明るく通るがいささか大きすぎる声と大袈裟過ぎる喋りを、実際にはリスナーには見えもしないお得意の笑顔と共に深夜の電波に載せていたというのに。
番組が終わった途端その表情は不満そうなものに変わり、何か言いたげなその視線が無言で横山に向けられた。
「あーおつかれさんー。また来週〜。
あ、楽屋くんそれかたしといてなー。
ちょおK太郎さん、そのマスクもう変えた方がええで、ほんまくさいし。
ほんならガイさんアレお願いしますよ?今度こそ忘れんといてくださいよ?」
しかしその視線に確かに気付いているのに、横山は全く気にも留めない。
というか敢えて気に留めようとしない。
そうして周囲のスタッフと平然といくつかの言葉を交わし、着てきたジャンパーを羽織ってキャップを目深に被る。
「ほんならお先失礼しますー」
小さく欠伸をかみ殺しながら一通り挨拶をして。
そこでようやく横山は村上の方を見る。
村上はようやく立ち上がってジャケットを羽織り、テーブルに外して置いてあった腕時計を手首にはめているところだった。
ラジオの日は二人で東京に泊まるのが常だ。
必然的に目的地は同じであり、一緒に帰ることになる。
だからこそ横山はいつもの如く促すように村上を見たのだが、今日は本当に視線をやっただけで声をかけることもしない。
腕時計をはめて顔を上げた村上と目が合ったのを確認するとさっさと出て行ってしまった。
村上はそれにそっと人知れずため息をつく。
自分のこの態度の理由を相手が判っているなら、それは好都合であり、同時に手強い。
ふと視線をやった時に気付いた、テーブルの上に置き去りにされたシルバーリングは今日の忘れ物だ。
それを掌にきゅっと包んで村上はその後を足早に追った。
走って追いつく頃にはスタジオ前のロータリーだった。
どうせ一緒のタクシーに乗ってホテルまで行くのだから、何もそんな急いで、しかも自分から逃げるように行かなくてもいいだろうに、と村上はようやく見えたその後ろ姿を見て思った。
「ヨコ、・・・ヨコ!」
「・・・なん」
ようやく振り返った顔は別段不機嫌そうというわけでもない。
けれどさっき散々欠伸をしていた割には眠そうな様子もあまり見られなかった。
春も近づいてきたとは言え深夜の外気の冷たさに眠気なんて吹き飛んでしまったからだろうか。
透けるような白い顔が冷たい風にさらされて少し赤みを帯びているのが見えた。
「ほら、忘れもん」
「お・・・ありがとな」
「お前はほんまに毎週一個は必ずなんか忘れるなぁ」
「外してたこと自体忘れてたわ」
特に気にした様子もなく受け取った指輪を左手の人差し指にはめると、横山はそのまますぐ傍に止まっているタクシーの方に身体を翻す。
その拍子に目の前で風になびいた明るい茶の髪がキャップから覗いて、妙な残像のように目に残る。
村上は咄嗟に引き留めるようにその白い手を掴んでいた。
「・・・ヒナ?」
怪訝そうに振り返る顔。
けれど村上はそれにすうっと目を細めるだけで何も言わず、今度は掴んだ手を引いて後部座席のドアが開いたタクシーにそのまま乗り込む。
「ちょ、・・・ヒナっ?」
自然と横山は引きずられるような形で乗せられてしまい、咄嗟のことに抵抗もままならぬまま、奥に座った村上の方に倒れるようにしてシートに身体を載せた。
そのままドアは閉まり、村上は横山の方を見ることもなく運転手に行き先を告げている。
その強引な程の力に握られた手が少しだけ痛んで、横山は緩慢に身体を起こしながら、軽く睨むような視線をすぐそこにある顔に向けた。
「おい、なんやねん。痛いやんけ」
「ああごめんな。加減できんかってん」
言葉こそ謝ってはいるけれども、その調子はどうにも平然としていて、形だけのものでしかなく。
むしろその真意は完全に別の所にあると横山にもすぐに判った。
睨むように見る自分に返される視線はいつもと変わらず穏やかながら、常にない強い色があった。
それに気付いた横山は、展開が自分の思った以上であることを悟った。
少し機嫌を悪くして拗ねる程度かと思っていたのに、これは思った以上に根が深い。
村上は基本的に明るく快活で滅多に根に持つタイプではない。
けれどもほんの一握りのことに関しては、誰も判らないような所で異様なまでの執着を示すことがあるのだ。
だから村上の行動に何かしらの文句をつけてやろうと思っていたのを咄嗟に止めて、横山はそのまま身体を引くようにして距離を置こうとする。
「・・・ええわ、もう」
「なに言うてんの。なんもええことないで」
けれどそれを見越したように再び腕を掴まれて引き寄せられ、それを封じ込められてしまう。
ふっと顔を傾げれば唇すら触れてしまうことのできそうなその距離は、既に自然なものではない。
車内の閉鎖空間とは言え前には一応運転手もいるというのに。
そんな最低限のラインすら踏み越えそうな気配を漂わせる相手に、横山は小さく眉根を寄せてそっと息を吐き出す。
「なんやねん・・・なに怒ってんねん、ヒナ」
「怒ってへんよ」
「怒ってるやんけ。怒ってへんなら離せよ」
「嫌なん?」
「いやとかそういうんちゃうやろ」
判っている。
村上が一体何に腹を立てているのか、横山には既に判っていた。
言ってしまえば、さっきそれを話した時・・・まだ番組が開始して数分の時点から。
だからあまり刺激しないようにとさっさとホテルに帰って寝ようと思っていたのに。
掴まれた腕はそのままに、視線を暗い車内の足下に落としながら横山は小さく呟いた。
「たまたまやんけ」
「・・・なにが?」
「言わんかったのなんて、たまたまやろ・・・」
吐息混じりで言う横山の俯きがちな白い横顔を暫しじっと見つめて、村上はぽつりと呟いた。
それは面白くなさそうな。
少しトーンの落ちた声音で。
「たまたま、な」
「・・・なんや、そない不満か」
「不満やね。なんで嘘つくの?」
この気の置けない仲であるからこそ、喧嘩など今まで数え切れないくらいしてきた。
けれどそれでも普段から横山にはやたらと甘い物言いをする村上には珍しい、底に潜む何かをじとりと垣間見せるように咎める口調。
それはまるで何か言いようのない大罪を犯したような気にさせて、横山の眉根に皺を刻む。
「うそってなんやねん。言いがかりやめろよ」
「嘘やんか。俺にだけ言わんかったんやろ?どうせ」
「・・・・・・んなことあらへん」
「そうかそうか。
ほんでおまえがそないどうもならんくなってる時に、俺だけなーんも知らされんと呑気にしとったわけやね」
これまた珍しい嫌味口調は村上らしくもなく、どうにも居心地の悪い気分にさせられる。
けれど身体を離そうとしても未だ掴まれたままの腕ではどうにもできない。
思わずぼやくように投げやりに言うしかできない。
「せやから・・・たまたま、おまえやなかっただけやて」
一ヶ月にも及ぶ舞台の関係で東京に来たのはいいものの、その中で横山は財布を紛失するという不幸に見舞われた。
それは横山の日頃の行いというか、いい加減さが祟っている部分があることは確かに否めないけれども。
それにしたって現金、カード類、身分証明書の類が全て入ったそれを地元から離れた場所でなくしてしまったというのは、やはり不幸としか言いようがない。
現金はまだしも、カード類、特にキャッシュカードが使えないことが横山の東京生活に大打撃を与えた。
再発行しようにも地元から離れた東京では無理だし、かと言って連日の舞台では大阪に帰っているような暇もない。
だから仕方なく横山は何人かのメンバーやスタッフに頭を下げ、最低限必要な金を借りて乗り切ったのだった。
しかしそんな予想外の苦境を強いられた東京生活を終え、今になってこんなことになるとは横山も思わなかったのだが。
思わなかった横山がいけなかったのかもしれない。
予想しておかなければならなかったのかもしれない。
横山は本来ならまず真っ先に頼るだろうと誰もが思う相手に、村上に、財布を落としたというその事実以外は、何一つとして告げていなかった。
「もうええやろ、終わったことやねんから。しつこい」
それに、人に金を借りて凌いだ、なんて自慢げに言うようなことでもない。
隠して当然のはず、横山は言い訳めいて呟くけれども村上はそれに頓着することもなく、掴んだ腕を更に自分の方に引いた。
「・・・終わってへんよ。まだ」
「ちょ、おい、」
「あんな、ヨコ」
「なんや・・・」
「俺な、結構むかついてんの。わかる?」
「・・・わかるか。離せよ」
「終わるまで離せへんよ、悪いけど」
「なにがやねん」
言葉こそ気丈に返しつつ、横山は内心村上の感情の動きを読むことでいっぱいだった。
声を荒げるか盛大に拗ねるかあからさまに機嫌を悪くするか、それともまるで親がするみたいに叱るか。
横山が予想しうるそのどれかの反応だったならまだ対応もできたというのに。
予想しえない反応はなかなかに緊張する。
その常にない抑え込んだような口調は、けれど存外自分の本音を言いたがらない村上の素の部分に呼応しているような気がした。
それだけ自分はまずい部分に触れてしまったのではないかと今更思う。
腕を掴んだのとは逆の手が、横山の頬にそっと触れた。
指先だけで辿るように確かめるように。
村上は普段からその言動、仕草、態度、それら全てで甘やかして優しくして大事にしている。
横山を柔らかなもの暖かなもの綺麗なもの全てで包んで守ってやりたいとすら思っている。
それは村上の真実だ。
けれど真実はその一面だけではない。
物事にはなんだって側面がある。
そしてきっとそれこそが何より大事なこと。
村上が横山に向ける柔らかなもの暖かなもの綺麗なもの、それ以外の、村上本人が普段見せたくない向けたくないと思っているもの達の中心にひっそりとあるもの。
そこにあるただただ強い一点の感情。
「終わるまでは離せへんの」
頬に触れていた指がするりと顎をとって、固定する。
ふとした拍子に、それは横山の何気ない行動によって顕在化してしまったもの。
「なんやってまずは俺に言うてくれればええってこと、わかってもらうまでな。離せへんの」
柔らかな調子。
けれどその言動に潜む身勝手さを見逃す横山ではない。
「・・・えらそうに言うやん。俺はなんかあったら必ずおまえに言わなあかんのか」
決してきつい調子ではないけれども、小さく眉根を寄せて掴まれた腕を引こうとするその仕草に、村上は逆に肩を掴んで引き留めるようにして至近距離で顔を見つめる。
その穏やかな瞳の奥にはやはり強い色が見える。
奥底に潜む、どうしようもない程に強い独占欲。
「あかんねん、ヨコ」
「なにがあかん・・・」
「俺相当あかんと思う」
「なにが・・・」
「お前が俺の知らんとこでそない大変なことになっとったて、今聞いただけでもう、あかんわ」
「せやからもう終わったことやて・・・そない言う程大変やなかったし。おまえ大袈裟やねん」
「ちゃうよ。実際大変かやったかどうかとか、大袈裟かどうかとか、どうでもええねん。
俺に言うてくれんかったことがね、あかんの」
「・・・せやかて、」
「なんで言うてくれんかったん?」
横山は内心少し戸惑う。
そのままひたすらに強い調子で身勝手なことをのたまうのならば、徹底抗戦することもできる。
けれどもその強い色を載せる言葉は同時に何処か弱い調子を垣間見せるからどうしていいのか判らない。
こんな時ばかり普段見えない本音を覗かせる。
それは横山からしてみれば少しずるいとさえ思う。
人が、自分が、憧れるような強さを持っているくせに。
どうせ俺なしでは生きられないだろうと、まるで笑顔でそう言うように、いつだってその全てで当たり前のように甘やかして守ろうとするくせに。
そのくせ時折見せるのだ。
本当は俺はお前がいないとダメなんだ、と。
「おまえは、・・・あかんねん」
「俺があかんの?」
「・・・ちゃう。俺があかん」
「お前が?なんで?」
「俺があかんから、・・・あかん」
「ようわからんよ、ヨコ」
村上とてきちんとした説明など求めていないのかもしれない。
きっぱりと真実を口にしてくれる人間でないことくらい判っているから。
ただ判って欲しいだけなのだ。
ふと手を離したらそのままどこかへ行ってしまいそうな恐れを常に抱かせる、このふわりとどこか足が地に着かないようなイメージのある、なんだか曖昧な輪郭を持つ恋人に。
いつだって自分が傍にいることを。
しっかりとした造りの手が、掴んでいた肩からそのまま背中の方に廻されて、横山の身体を緩く抱き込む。
少しもたれ掛かるようにしながら、肩口に頭を預ける。
横山は前を見てハンドルを握る運転手に自分達の今の状態がどう映っているのか気になったけれども、それでもそうっと添えるようにして自分からも手を廻し、軽く抱き留めた。
「なんか、あかんやん、俺」
「せやから何があかんの」
「ほんまダメになるやん」
「何がダメやの」
「おまえに頼りすぎやねん、正直」
「・・・今更やんか」
「今更でもあかんわ。俺どんどんダメ人間になるやんか」
「せやから言わんかったて?」
「まぁ、いろいろやけど」
「なんやそれ」
でも本当。
頼りすぎだと思ったのは本当。
頼れば頼っただけ嬉しそうに頼らせてくれるだろうから。
だから言わなかったのは本当。
申し訳なく頭を下げた年下のメンバー達にも村上に対する箝口令を敷いたくらいなのだ。
金を一時借りるくらい本当はなんでもない。
村上とて笑って「ええでええで」とあの調子で言ってくれて、それで終わりだろう。
けれどその積み重ねなのだ。
その少しずつ少しずつ積み重なったものは、既に10年を数えようとしている。
何が怖いと訊かれたら、その腕の中でしか生きられなくなること。
「・・・お前の言うことな、わからんわけやないねんで」
村上のくぐもった声が肩口から聞こえた。
ちらりと視線を向ければ焦げ茶色の髪が視界一杯に映る。
「でも俺は、正直、その方がええて思ってまうねん」
お前が俺なしでは生きられなくなってしまえばいいと。
それは酷く身勝手で馬鹿げた話かもしれないが、村上の中では真実でもある。
実際にはそんなことはありえない、いくら口でなんと言おうと、なんだかんだ横山は一人でも生きていけるだろう。
だからこそ願うのだ。
自分の存在をもはや拒絶できないレベルまで刻み込んで、それも柔らかく包むように、自分から離れたくないと思わせる所まで依存させたい。
「言うてよ、ヨコ。なぁ」
そしてそれは、裏返せばどうしようもない自分の依存であることを、村上はとうに知っていた。
横山にそんな想いを抱いた時から知っていた。
だからどうしようもないという自覚はあるのだ。
けれどあっても最早どうにもできないのがこの恋だと気付いたのは、もう何年前の話だろうか。
この10年ですっかり逞しくなってしまったその身体を抱き留めながら、けれど横山は何処かそれを頼りなくすら感じる。
泣き虫で頼りないヒナちゃんはすっかり大人になって男らしくなった。
どうしようもない自分をいつだって抱きしめてくれるくらいには。
けれど変わらないものはそれでも沢山あって、きっと自分に向けられる色々なもの達の根本は昔のままなんだろう。
「ヒナちゃん」
「ん・・・?」
強すぎる相互依存の先にあるものが何なのか、横山はいつだって想像する。
想像せずにはいられない。
だけどこうして腕を伸ばされたら抗えない。
抗いたくもなくなってしまう。
そうして自分からも腕を伸ばしてしまう。
その身体を逆に抱き込むように自分から抱きしめて、横山はわざとらしく声を上げて笑った。
「なんやヒナちゃん酔ったんかー?
しゃあないなーおまえはほんまにー。もうちょっとで着くから、吐くんだけは我慢しー?」
あはは、と笑って村上の頭を乱暴に撫でたり背中を叩いたり。
それはきっと運転手の目を気にしてのものだっただろうけれど、同時に横山が今村上に返した答えでもある。
「・・・んー、よこちょーきもちわるいー」
だから村上もそれに乗る。
ぐだぐだとくだを巻くように間延びした声をさせて横山にしがみつく。
まさに酔っぱらいがするようにひゃらひゃらと笑い声を上げて。
けれど服の裾を掴んだ指先の強い力は酔っぱらいのものなんかじゃない。
ぴたりと密着した身体にはもうほとんど隙間もない。
それは二人の関係そのままであり、その距離はもはやゼロに等しい。
それを実感して、村上は酔っぱらいにはない強い力を込めながらも、まるで酔っぱらいがするように少し目元を赤く染める。
「よこー」
「なんやーほらもうちょっとやでー」
「帰ったら子供つくろー」
「こっ!・・・・・・おー、おー、そやな、ゲームな、しよな」
「んー」
「ゲームゲーム・・・」
「んー」
子供作るゲームてなんやねん。
我ながら厳しい取り繕い方をしてしまったと、村上の耳元でぶつぶつと小さく声が聞こえる。
村上がそれに吹き出すように笑ったら、あほおまえなに言い出すねんこら、と耳をきゅっと引っ張られた。
それにまたひゃらひゃらと笑った。
子供作るんでもなんでも、なんでもいいから何かして、できることはなんでもして、何があっても離れられないようにしたい。
ひゃらひゃらと酔っぱらいの体で笑いながら、村上は酔ったフリをする目元を更に赤く染めた。
END
弱村上ブームがいつまで経っても去りません(どうにかして)。
ほんとは横誕企画用に書いてたんですが、いくらなんでもお祝い企画でこれはないだろ、と思ってサイト用に変更。
前にレコメンで話してたユウユウお財布なくしちゃいました事件のアレですよ。
村上には何故か言ってなかったユウユウと、それを放送で聴かされて盛んに「言ってや!」と連呼していた村上を邪推。
だってもうまさか旦那にだけ言ってなかったなんて嫁・・・(もわわん)。
最後の方の村上の問題発言もこれまたレコメンですよ。だってあんな子供欲しい発言されちゃ。
しかし最近こんなんばっか書いてる気が。
(2006.3.7)
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