さいごのひと
朝起きたら、とても肌寒くて。
ぶるりと震えた肌を片手でこするようにしながら毛布をたぐり寄せた。
もう春だっていうのに今日の寒さはなんだろう。
何も身にまとっていない肌に直接触れる毛布の感触は暖かかったけれど。
同時に少し妙な寂しさみたいなものを感じさせる。
まるでそれを埋めるように毛布にくるまった。
白いシーツの上で膝を抱えて身じろぎしながら、毛布から顔だけを出して窓の外を見る。
ぼんやりと曇った空は灰色で。
まるでこちらに押し込めてくるようで少し気が滅入る。
特に何処かに出かけようと思っていたわけではないけれど、何となく憂鬱でため息が漏れた。
起きた時から聞こえてきていたシャワーの音が止まった。
きっともうすぐ出てくるはず。
あいつはいつも髪なんてろくに拭かず、身体を拭くことすらもそこそこに。
タオルで適当に身体を拭うだけで出てきてしまうから。
もっとちゃんと拭かんと風邪引いてまうよ、って。
俺が何度言ったって、ふわ、と笑って頷くだけ。
仕方なしに俺が拭いてやれば、嬉しそうに俺を見つめるだけ。
拭き終わったで、って。
そう言って見上げたら、優しくキスをしてくるだけ。
思い出してしまえばして欲しくなる。
キスも、それ以上も。
小さく息を吐き出しながらシーツに転がる。
毛布だけでは妙に寂しい。
それはあいつがここにいないから。
昨日の夜、俺の意識が落ちていく最中その両腕で強く抱きしめてくれた。
強くて暖かなそれ。
今朝起きたらその腕がなかったから。
寒くて、寂しかった。
でも、すごいなって思う。
俺が少しでもそう感じたら、この長い両腕はすぐさま俺を抱きしめてくれるんだから。
「・・・やっさん、おはよ」
「ん、おはよ」
ギシ、とベッドのスプリングが悲鳴を上げる。
その大きな身体が俺に覆い被さるようにしながら、両腕で毛布ごと俺を包んだ。
ほんわかと漂う湯気が触れる。
髪の濡れた感触が俺の頬を撫でた。
「シャワー入っててん」
「びちょびちょや。拭かなあかんていっつも言うてるやろ?」
「うん」
ほら、また。
ふわりと笑って、それだけだから。
俺は抱きしめられたままゆるりと起きあがる。
放り投げられていたタオルを手にとって、髪から順に丹念に拭いてやる。
ベッドに座った状態だからとりあえず上だけ。
最近ドラムセットを買って毎日練習しているせいか、随分と厚みの増したその上半身。
ただでさえ身長で負けているのに最近では筋肉でも敵わなくなってしまった。
その大きな身体の前では俺はどれだけ小さく見えるんだろうか。
とうに判っていたことだけどちょっとだけ悔しくなって、拭くついでにその胸を小さく叩いた。
けれど大倉は俺の唐突な行動も特に気にした様子はなくて。
何か犬猫にいたずらされた程度の反応で笑うだけ。
「ん?なに?」
「・・・ええ身体になったなぁ」
「そう?よかったわ」
ただそれだけ言って。
それ以上は言うこともなく。
柔らかく笑って頷く。
どれだけ何を頑張ったって、ひけらかすこともない。
ただ俺にそう言って貰えたことを喜んで、笑うだけ。
すごい男だって改めて思う。
好きだって思う。
「おっきいな、たっちょんは」
「ん・・・やっさんのおかげ。やっさんのため」
「俺?」
見上げたら、それを合図にしたみたいにくちづけられた。
重なった唇は思う以上に暖かくて。
その感覚は何故か涙が出そうに幸せで。
ああ、まだちゃんと拭き終わってへんのに。
そう思うけど、離したくなくて。
俺は自分からねだるみたいに両腕を首に廻した。
「ん、・・・どしたん?」
緩く甘いくちづけの中。
小さく顔を覗き込まれる。
しがみついて離れない俺の背中を優しく撫でて。
穏やかな声を耳元で囁いて。
そこにある愛がとても強く、優しく、深く、心を包み込む。
「たっちょんは、」
俺はこの頼りない腕でしがみつくことしか出来ないけれど。
「これからもっともっと、おっきくなってくんやろな」
日々変わっていくその姿。
まるでその背に翼を生やしたみたいに、見る者を魅了していく。
それがどんな物よりも愛しい。
「もっともっと、いろんなとこ行って、
いろんなもん見て、いろんな経験して・・・おっきくなってな?」
その頬を両手で包んだら。
何故か少し眉を下げて、また一瞬唇で触れられた。
そして俺の手に頬がすり寄せられる。
まるで甘えるみたいな仕草。
「今日のやっさん、変や」
「そんなことないよ」
「・・・やめてや。そんなん、言わんで」
うん、ごめんな。
それは心の中でだけ。
おでことおでこをくっつけて。
互いの熱を共有するように触れ合った。
どこだって触れられる。
お互いの身体で触れていない部分はないってくらいに。
どこからだってその熱は伝えられる。
愛、なんて。
そんな形のないものだって、全部伝え合える気がした。
なのにどうして。
「やっさん・・・?なんで泣くん?」
「ごめ、・・・」
「やっさん、やっさん、」
それなのにどうして涙が出てくるんだろう。
この心の中に満たされるもの全て暖かいものばかりなのに。
じわりと沸き上がってくる滴は留めようもない。
頬を濡らす感触は止めたくても止められない。
「何が悲しいん?何がやっさんを泣かすん?俺に言うて。俺が全部何とかするから」
そう言って俺の涙を拭うその手は強くて頼り甲斐があって。
俺の濡れた瞼と、そこから送られる視線をしっかりと受け止めてくれる眼差しは
とてもとても、男らしくて。
さっきの甘えるみたいな仕草とはまるで違う。
けれどその両方が、俺には何より大事。
「悲しくなんかあらへん・・・。なんにも泣かされてなんかおらんよ」
「でも・・・でも、泣いてるやん」
「悲しいんとはちゃうから・・・」
「なら、なんで?」
全部言ってほしいと、その綺麗な瞳が言ってる。
うん。全部言ってしまいたいよ。
でも俺にも何て言ったらいいのかわからないんだ。
「たっちょん、好きやで」
「・・・俺も好き」
大倉は少しだけ納得できないような、そんな曖昧な表情で。
けれど確かにそう言った。
それだけで嬉しい。
「ん、好きやから・・・そんだけ」
「そんで泣くん?」
「うん・・・おれおかしいねん」
「ほんまやで。・・・どんだけ泣き虫やねん」
「うるさいわ・・・勝手に出てくんねん・・・」
「俺のこと好きすぎて泣いてまうなんて。・・・かわいすぎるわ」
ぼやけた視界に大倉のうっすら笑う顔が映った。
好きで。
あんまりにも好きすぎて。
愛が大きすぎると失うことが怖くなる、なんて。
そんなのはドラマの中だけの話だと思っていた。
今だけを見て生きて行くには、あまりにも愛しすぎてしまった。
でもその先を見るのは怖くて。
結局今しか見れなくて。
その温もりを確かめては安堵するばかり。
もはや手では限界だと思ったのか、舌先で涙を舐めとられた目尻は
更に熱を持って滴をこぼす。
大倉は舐めとったその唇で俺にくちづけるから。
今度のキスはしょっぱい味がした。
「泣き虫やなぁ、ほんまに」
「も、うっさい・・・ほっときゃ乾くねん」
「乾かんから舐めてんのに。あんまり泣くと干からびてまうで?」
「なにそれ。んなわけあらへん・・・」
「でも、お前はそんな感じする」
「どんな感じやねん・・・」
「・・・せやから、そんな感じ」
ああ、折角拭いたのに。
また濡れてしまう。
鍛えられた両腕に抱きしめられた身体。
肩に顔を押し当てた。
触れたその肌が本当に温かくて。
なんだかまた泣けた。
そして同時に、笑えた。
「なに・・・今度は笑ってんやんか。変なの」
「ん、も、今日おれおかしいねん・・・ほんま」
「泣いたり笑ったり、忙しいな」
「そやねん・・・俺は忙しいねん、たっちょんで」
「・・・俺もやっさんで忙しい。いっぱい」
そう言って強く強く、思い切り抱きしめられると。
お前でよかったって何よりも思う。
ただそれだけでいいんだって思える。
その背中に、きゅ、と腕を回した。
今日はとても寒くて。
空は薄暗く曇っていて。
それでもこの腕の中だけは暖かいから。
だからこんなセンチメンタルな気持になってしまう。
俺はきっと、最後の人に出逢えたんだ。
END
大倉祭様に投稿させていただいた倉安です。
判る方には一発で判ると思いますが、某曲がテーマです。
いくらなんでも判りやすすぎですか。
でも今の私の倉安観というのはあの曲がかなり大きいので、ちょっと試しに書いてみました。
甘く切ない感じがいいな〜と。
そして相変わらず安田が乙女ですいません。
あの子って書きやすそうでいて意外と難しいということが最近判明・・・。
(2005.5.25)
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