Love Spiritual










『亮っ、すぐ帰ってこれへんか?ヨコが・・・』

あんなに切羽詰まった村上くんの声を聞いたのは初めてで、一体電話向こうで何が起きたのか判らなかった。
もう数え切れないくらい訪れた東京の地で、こんなにも今すぐ帰りたいと思ったのは初めてだった。

ヨコ?横山くん?
あの人に何があったって?
俺がその傍を離れた間に一体何が?

「村上くん?村上くんっ!横山くんがどうしたんです!?村上くんっ!」
『仕事で忙しいんは判るけど、頼むから、亮・・・』
「せやからなんやって・・・あの人に何があったんですかっ!」

携帯に噛みつかんばかりにそう叫んでも、その先は返ってこなかった。
まるで俺の剣幕に機械が竦んでしまったように。

「村上くん?村上くんっ!なんで切れんねんっ・・・!」

ツーツーとしか返ってこない音にどうしようもなく苛立ち、すぐさまかけ直そうとした。
けれどそれはすぐさま横から遮られる。
細く節張った手。

「亮ちゃんっ!ええから今すぐ大阪帰って!」
「内?な、何言うてんねんお前・・・」

唐突に現れた内。
けれどその表情は真剣そのもので。
その手には既に俺の荷物がまとめてあった。

「ええから!横山くんが大変やねんで!?」
「お前なんか知ってんのか?なぁ、あの人どないしたん!?なぁ!」
「それは・・・帰ってみれば、判ると思うわ。俺も聞いただけやけど・・・。
ええから今は一刻も早く横山くんとこ帰って!」

きつく寄せられた眉。
俺が思わず気圧される程の剣幕。
こんなにも真剣な内の表情を見たことがかつてあっただろうか。
そしてそんなかつてない事態は、つまりその先にあるあの人の尋常ならざる現状を暗に示しているわけで。
胸がバクバクとうるさく騒いだ。
あの人の元へすぐさま飛んでいきたいと喚いている。

「内・・・でも、な、仕事・・・」

我ながら滑稽な、苦虫を噛み潰したような声。
わざわざ故郷を離れてこんな都会に来ているのは、他でもない仕事のためだ。
どんな事情があろうとも、それを投げ出すことは出来ない。
出来るはずがない。
けれどそう思えば思う程に、すぐさまその傍に駆け寄りたいのに、
まるであの人がどんどん遠のいていくような錯覚を憶えて。
そのままどこかへ行ってしまうような、そんな馬鹿みたいな想像までした。
知らず知らずの内に握りしめた拳がみしりと音を立てていた。
そんな俺の手に、内の手が重なる。
やんわりと解くように。
ハッとそちらを見上げれば、内は力強く頷いた。

「大丈夫。あとはなんとかするから。ちゃんとメンバーにもマネージャーにも言うとくから」
「けど、な・・・」
「なんとかなる。俺がなんとかする。せやから亮ちゃんっ」
「でも内・・・」
「でもやない!はよ帰れ言うてんねんっ!あんたにとって横山くんはそんなもんなんかっ!」

今日はかつてないことずくめだ。
内が俺にこんな剣幕で怒鳴ったことなんて今までなかった。
それに内心ドキリとしつつ、気圧されてたまるかと睨みを利かせて怒鳴り返した。

「アホかふざけんなっ!誰がそんなん言うた!あの人以上に大事なもんなんてあるかっ!」
「・・・じゃ、はよ帰って。はい」

内はさっきの剣幕を一気に引っ込めてにこりと笑うと、俺に荷物を手渡した。
その一瞬の変化に呆気にとられてそのまま受け取ってしまう。

「亮ちゃんなら、そう言うてくれると思ってたわ」

そう言って笑う顔は、エイトのメンバーみんなが可愛らしいと評した末っ子のもの。
そして少し悔しいけれど、随分と男らしく真っ直ぐなものでもあった。
何とかそれに小さく笑って頷き返し、すぐさま踵を返した。









ホテルを飛び出したら、既に辺りはすっかり暗くなっていた。
丸い月が甘い金色をして夜空に輝いていた。
まるであの人の髪のよう。
今日は晴れているから、いつもよりも綺麗に見える。

エントランスには内が呼んでおいてくれたのか、ご丁寧なことにタクシーが一台止めてあって。
俺が何一つ言葉を発さずとも、運転手は「品川駅ですね」と言ってすぐさま走り出した。

駅へ向かうまでの車内、当たり前だが当然そこに座っていることしか出来ない。
それがどうしようもなく苛立ってもどかしくて、俺は頭をかきむしった。
事態がさっぱり判らない。
村上くんは何一つ肝心なことは言ってはくれず、内だって同様で早く帰れと言うばかり。

あの人に何があった?
一体どうしたって?

俺が大阪を離れているこの二週間。
・・・ああ、そうだもう二週間にもなる。
こんなにも長く地元を離れたのは初めてだった。
内と共にNEWSでも活動するようになって東京に行くことは頻繁になったが
それにしたって今回は最長だ。
自分でも無意識に日数を数えないようにしていたから忘れていた。
だって考えたら辛気くさくなるのは目に見えていたから。
仕事だからしょうがない、むしろ仕事が貰えるのは嬉しいこと、そうは判っていても。
恋人の傍から離れて顔も見れない日々が続くことが単純に辛くなるから。
考えないようにしていた。
がむしゃらに仕事をこなしていた。
だから敢えて電話もメールもしなかった。
あっちからもなかったから、きっと元気にやっているんだろうと・・・少しだけつまらなくも思いながら。
それでも、帰ったらまたあっけらかんと笑って
「お、久しぶりやん。おっきくなったかー?」なんて、いつも通りの台詞を吐いて。
俺はもう二十歳やっちゅーねん、なんて俺にベタに突っ込ませるに違いなくて。
・・・違いない、はずだったのに。

この事態はなんだ?
俺が東京から帰った時はいつも、あの綺麗な顔を崩して笑ってくれるのあの人は。
それしか俺には想像出来ないあの人は。
今、どうしている?
笑うことも出来ない状況にいる?
やっぱり想像なんて出来ない。
俺のいない場所で、あんたは今どんな顔をしているんだ?










駅に着くとまさにどんぴしゃなタイミングで新幹線が来て、まるでドラマのワンシーンのような勢いで飛び乗った。
すぐさま走り出し、凄まじいスピードで流れていく景色を目に映しながら空いた席にのろのろと座る。
我知らずぎゅっと握りしめられた手の中で、切符がぐしゃりと潰される。
それに気付き慌てて掌で伸ばした。
切符は曲がっていると自動改札で引っかかる可能性がある。
そんなことをしてる場合じゃないんだ。
俺は一分一秒でも早く、あの人の元にいかなくては。
そう思って今出来ることはと考えて、新大阪駅に着いてからあの人の家に向かうルートと手段を考える。
ただそもそもが、家にいるかどうかは定かではなかったからそこから既に躓いてはいたけれど・・・そこで思い出す。
他のエイトのメンバーは今日昼の仕事を終えたら夕方からはオフだと、確かつい昨日内が言っていた気がする。
それならもう家にいる可能性は高い。
誰かとどこかに出かけているとかでなければ・・・。
そこまで行って、それが余計な考えだったとすぐさま悟る。
村上くんや内のあの切羽詰まった様子。
まるで想像のつかない今の横山くんの現状。
たとえ情報がまるでない中でも、あの人が出かけるかどうかくらいはすぐに判ることだった。

と、そこまで考えたところで携帯が振動しているのに気付く。
振動音からしてメールだ。しかも立て続けに。
何となくそれすらも今のこの状況を知らせるもののような気がして、慌ててディスプレイを開く。
新着3件。
その送り先の名前を見て小さく息を飲む。

「あいつら・・・」

それはどれもメンバーのもの。
上から順番に、ヤス、マル、大倉のものだった。
すぐさま開くとそこにはやはり、想像した通りあの人のこと。


『亮、はよ帰ってきてや。
横山くん、このまんまやとおかしくなってまうかもしれへんよ・・・。』

ヤス?おかしくって、なんや?あの人が?なんで?



『亮ちゃん、裕さんが、裕さんがな・・・どないしたらええんか俺らわからへんねん。
あんな裕さん、もう見てられへん。』

マル、そんなんじゃさっぱりわからんわ。あんな横山くんって、どんなやねん?



『横山くん待っとる。亮ちゃん、早く。』

大倉!何を?何をあの人は待っとるって?俺?俺なんか?なぁ、なんやねんな!



「さっぱりや・・・。何が言いたいねん・・・!」

ディスプレイに向かってそう問いかけたって、返ってくる言葉なんて当然ない。
もう随分と長いこと付き合ってきた気の置けない仲間達。
強い信頼関係で結ばれた同志。
ちょっとやそっとのことで動じることなんてないはずだった。
それが今はどうだ?
まるで水面に小さな石ころが投げ入れられて、
その音で周りの鳥の群れが一斉に飛び立つような落ち着かない騒がしさ。
その中心にある、揺れる水面のはあの人なのか?
じゃあ投げ入れられた石は一体、何なんだ?

「横山くん・・・っ」

ただ座っていることしか出来ない状況で、頭を抱えて小さく呟く。

早く会いたい。
すぐに帰るから。
もうちょっとだけ待っててください。
すぐに行くから。
もうすぐ傍に。
お願いだから、待ってて。











新大阪駅に着いて、俺はせめてと脳内でシミュレーションした通り階段を駆け下り、
改札を滑るように出て、タクシーターミナルを一直線に目指す・・・はずだったけれど。

「亮っ!やっと来たか!」
「すばるくん・・・っ?」

駅の建物を出た所で、俺のシミュレーションはあっけなく崩された。
出てきた俺をめがけて駆け寄ってきた小柄な先輩。
なんでここに?
そんな台詞を俺が口に出す前に、
すばるくんは俺の手にした荷物を奪うように手に取るとさっさと走り出してしまう。

「はよ来いっ!行くぞ!」

俺は一瞬呆気にとられてから、すぐさまその後を追って駆け出す。

「ちょ、すばるくんっ!待ってくださいよ!」
「待て言われて誰が待つか!」
「そういう問題とちゃうでしょ!どこ行くんすか!」
「ええから俺に着いてこい!」
「でもっ、横山くん、は・・・っ」

走りながら話すというのは結構な体力を使う。
まだまだ体力不足だなと情けなくも実感しつつ、何とか叫ぶ。
するとすばるくんがぴたりと足を止めて振り返った。
俺と同じように走って話していたくせに、その呼吸はさして乱れた様子もない。
ただ済ました顔で俺をじっと見る。
そんな小柄で細い身体をして。
この人はやはり俺たち関西勢のトップにい続けるだけのものを兼ね備えているんだろう、と。
今はまるで関係ないことを実感していた。

自然と同じように足を止めた俺にすばるくんは静かに告げた。
絶対的なカリスマみたいなものを奥に秘めた大きな瞳。

「今から行くねん、ヨコのとこに」

俺はその瞳にただゆっくりと、深く、頷いた。









「お前、他の奴になんか訊いとるか?」
「・・・聞いてません。みんな肝心なとこなんも言わへんねん」
「そうか。・・・まぁ、行けば判るやろ」
「すばるくんも・・・知ってはるんですか?」
「当たり前やん」

あっさりとそう返された、車内。
すばるくんは前を真っ直ぐ見たままハンドルを切っている。
段々と見慣れた風景が広がっていく様は、確かにこの車があの人の家に向かっている証拠。
その横顔をちらちらと窺いつつも、俺は特に何も訊けないでいた。
どうせ訊いても答えくれないだろうと思ったし。
何よりここまできたら、もう直接あの人に会って知るのが一番だろうと思ったから。
ここまでの道のりで、少しは落ち着いてきたんだろうか?

「・・・おい、亮」
「はい?」
「ちょお落ち着け。もうすぐやから」
「・・・はい」

ちらりとこちらに視線がやってきたかと思うと、色をなくすまで握りしめられた手を見咎められた。
・・・ああ、やっぱり。
落ち着くわけもない。
落ち着けるわけがなかった。
あの人の家が近づけば近づく程に、胸が壊れそうに騒いで仕方がない。
この手にあの人を抱きしめるまでは落ち着くことなんてありえない。
たとえ抱きしめたとしても落ち着くかどうか判らない。
むしろますます騒ぐだけなのかもしれない。
ともあれ、それは結局行ってみなければ全て判らないこと。

「なぁ」
「はい?」
「お前も知っとると思うけど、俺とヒナはな、あいつとはもう随分長い付き合いやねん」
「はい・・・」

突然何の話だろう。
今回の件に関係あるんだろうか。
そう思ったけど、その口調が至って真面目なものだったから特に口を挟むことなく耳を傾けた。

「こんだけ長い付き合いになるとな、
相手の考えとることとか感じとることとか気持とかそういうんがな、嫌になるくらい判ってまうねんな」

車が見慣れた路地の角を曲がる。
そこを抜ければもうすぐ見えてくる青い屋根の家、それこそが目的の・・・。

「あいつはほんまアホで見栄っぱりで意地っ張りで、
しょーもない嘘ばっかつきよるし、頭悪いし、肝心なとこ抜けとるし、頭ん中幼稚園児やねん」

ここまでずばずばはっきりあの人のことを言えるのは、すばるくんぐらいじゃないだろうか。
たとえ同じように付き合いが長くても、村上くんはなんだかんだと甘いから。ここまでは言わない。

「・・・でもな、めっちゃええ奴なんや」
「すばる、くん・・・」
「ええ奴過ぎんねん。あいつアホやから、自分の欲とか後回しにしてまうねん」

車が止まった。
青い屋根の家の前。
すばるくんはじっと俺を見ていた。

「アホやから、自分が犠牲になればええと思ってんねん。
そんで収まればそれでええやん、ってな。
いっつもそんで損するのに、全然学習せぇへんのや。・・・そんで何も言えへんで終わってまう」

カチリと音がする。
ドアのロックが解除されたんだろう。

「亮、あいつはな・・・・・・さみしいって、そのたった一言も自分じゃ言えへんのや」

俺は何も言わなかった。
何も言わずに荷物を持って車を降りた。


『やったら、俺が言わせたる』


一人そう呟いた声は、走り去っていく車のエンジン音にかき消された。










何の変哲もない、極々平均的な一軒家。
門扉をゆっくりと開けて敷地内に入る。
金属の門が立てる特有の音が、もう夜中にさしかかる頃だけに妙に辺りに響く気がした。
俺がまだ幼い頃から何度もお邪魔させてもらった家だから、
こうして玄関までの道のりも決して緊張するものではないはずだった。
けれど扉に近づいていく中で、俺は小さな違和感を覚えていた。
視界に入るいくつかの窓。
そのどこにも明かりが見えない。真っ暗なんだ。
もしかして、もう寝てる?
一瞬そうも思ったけど、その可能性は恐らく低いだろうと思った。
他の家族はともかく、あの人のいる二階を見上げてみても真っ暗。
基本はゲームで夜更かしのあの人が、オフ日のこんな時間に既に寝ているとは考えにくかった。

扉の前まできたところで、ひとつ小さく深呼吸して。
ゆっくりとチャイムを押す。
その電子音が静けさの中に空しく響く。
俺は呼吸すらも押さえ込んで耳を澄ませた。
僅かな物音も聞き逃さぬようにと。
けれどやはり何の反応もない。
もう一度チャイムを押す。
今度も同じ。
このまま誰も出てこなかったらどうしたらいいんだろう、今更ながらそんなことを思った。
大人しく帰るか?・・・そんなこと出来るわけもない。
何のためにここまで来た。
東京から大阪まで帰ってきたのは何のためだ。
あの人に会うまでは絶対に帰らない。
出てくるまでチャイムを押し続けるし、ことによったら・・・。

我ながら不穏な想像が頭を過ぎり始めた頃。
扉の向こうで緩慢な足音がした。
本当に僅かで小さな音だったけど、耳を澄ましていたから何とか拾い上げることが出来た。
俺の身体は一気に強ばったように緊張する。
本人だろうか?それともおばさん?弟?
誰にしろ、こんな時間に押しかけた言い訳を考えなくては。
そう思ったのに、いざ頭に浮かんでくるのはあの人に向ける言葉だけ。
いや、それだって実際にはまとまらなかった。
だってあの人の現状自体が俺には全く判っていない。
メンバーの言葉で不安をかき立てるだけかき立てられて。
あの人が一体どんなことになってしまっているのか、未だ想像もつかない。

騒ぎ立てる胸を無意識に左手で押さえ込みながら待った。
やがてカチャリと鍵の開く音がして。
ドアノブがゆっくりと廻って。
扉がこちら側に開いていって・・・。


「・・・・・・にしきど?」


開いた扉の隙間から僅かにこちらを窺うようにして顔を覗かせた白い顔。
とりあえず一見した変化はなさそうだった。
一瞬でそれだけを確認して、扉の開いた隙間に手をかける。

「横山くんっ!」
「な、なんやおまえ・・・どしたん、」
「そらこっちの台詞ですよ!何があったんです!」
「なにて・・・何のこと?そもそもお前、今日まだ東京やろ?こんなとこで何してんねん」

怪訝そうな表情。
誤魔化しているんだろうか?
俺に隠している?

「・・・あんたが大変やって連絡もらったんすよ」
「は?」
「村上くんとか内とかヤスとかマルとか大倉とか、
すばるくんとか・・・ああもうとにかくみんなから連絡もらって!」
「え?連絡?俺が、なに?」
「せやから!あんたが大変やからはよ帰ってこいって・・・っ」
「はぁ・・・?」
「俺、いてもたってもいられんくて、すぐ帰ってきてっ・・・」

横山くんはぽかんと口を開けて俺を見るばかり。
段々と説明するのも億劫になってきてイライラしてくる。
本人に会えば全部判ると思ったのに、なんで会ってもまだわからんねん!

「や、錦戸・・・・・・なにそれ?」
「はぁっ?」
「俺が大変?なんのこと?」
「何のことて・・・あんたのことや言うてるやろ!」
「あーもーちょおおまえ夜中なんやから怒鳴るな!落ち着け!」
「あ、すんません・・・。でもっ、」

何が何やらさっぱり判らない。
みんなから散々横山くんが大変だと聞かされて、最後にすばるくんのトドメみたいなあの言葉。
一体横山くんはどんなにボロボロになってしまっているんだろう、なんて。
想像がつかないだけにただそんな風に思っていたというのに。
なんやこの反応。まるでいつも通りやないか。

「メンバー全員から?聞いたって?」
「はい・・・。最初村上くんから電話きて、内がはよ帰れって言って、
ヤスとマルと大倉からはメールがきて、すばるくんに送ってきてもらって・・・」
「・・・・・・おまえさぁ、あいつらにハメられたんやろ」
「・・・はい?」

何やら考え込んでいた横山くんは、俺の話を聞いて合点が行ったという様子で笑う。
くすくすとおかしそうに。
その表情は暗がりで鮮明には見えない。
何せこの人がいる玄関だって真っ暗なんだから。

「あいつらみんなに騙されたんやできっと」
「そんな、アホな・・・」
「壮大なドッキリってやつや」
「そんなんちゃいますよ!やってみんな・・・っ」
「そうやって。やって俺、別に何もないもん」

あっさりとそう言われてはこっちもどうしていいのか判らない。
確かにこう本人を前にしてみれば、特に別段見た目の変化はない。
じゃあ中身はと言えば、その口調もいつもと変わりないからよく判らない。

「やーおまえがそんだけ騙される言うことは、迫真の演技やったんやろなー」

うんうんと、おかしそうに笑って頷く。
頭が混乱してくる。
迫真の演技?

村上くんの切羽詰まった声が?
内の真剣な表情が?
ヤスの、マルの、大倉の、あの焦りの滲み出たメールが?
すばるくんの・・・あの妙に静かな言葉が?

全部が演技だったって?
・・・そんなわけがあるか。
自分が聡いとは言わないが、そこまで馬鹿じゃない。
連れ添った仲間たちの言葉に本当がないかどうかが判らない程愚かじゃない。
だったら、嘘をついているのはこの人?
でも一体何が嘘なのかもよく判らない。

その時、俺に味方してくれるものがあった。
今日の夜の丸い月。
その白い光はいつもよりも強く、この暗い玄関先にまで差し込んできていた。
俺の身体が重みとしてかかったせいなのか、扉がまた僅かに開いた。
明かりが暗闇にあったその白い顔を映す。
月が真実を照らし出す。

「・・・横山、くん?」
「んー?あ、せっかくやから上がってくか?
今ちょお散らかっとってすごいねんけどなー」
「横山くん・・・」
「腹減っとるやろ?何か適当に作って、」
「・・・・・・泣きました?」

室内に翻されようとしていた身体。
それがぴたりと止まった。
だって見てしまった。見えてしまった。
月明かりに照らし出されたその白い頬に、涙の痕。
見れば目尻だって赤い。
なんですぐに気付かなかった。
見た目の変化はなさそうだ、なんて。どこがだ。
十分にあったじゃないか。
こんなにも明確に。
泣き痕が残るくらいなんて。
今さっき泣いていたとしか思えない。
真っ暗な部屋の中。
この人は一人で泣いていたのか?

「・・・横山くん、ちょっとお邪魔しますよ」

ぴたりと止まったまま動かなくなってしまった身体を押し込むようにして中に入る。
後ろ手で扉を閉めて、逆の手でその手を掴んで。
横山くんは特に抵抗もしない。
軽く俯いたまま黙り込む。

「何も言ってくれないんですか?」

掴んだ手に力を込める。
俺が傍にいなかったこの二週間、一体何があったのか。

横山くんはこちらも見ず、俯いたまま小さく息を吐き出した。
掴まれた方とは逆の手で緩く髪をかき上げて。

「・・・映画」
「え?」
「映画、見とってん」
「なに?」
「せやから、映画見とってん。オフやからレンタルして。
ええ話でな。ちょっとうるっと来てもーてん」
「あんたは・・・」

ここまで来て誤魔化そうとするのか。
俺に誤魔化してどうするんだ。
それで俺以外の一体誰に言うんだ。
・・・誰にも言わないつもりなのか。

「・・・ええ加減怒りますよ」
「なんで」
「みんな心配してんねん!せやからあんな・・・」
「・・・亮。ちょおこっち来い」
「え?ちょ・・・」

掴んだ手を、今度は逆に掴まれて。
リビングの方に引っ張られていく。
暗い室内で足下がおぼつかない。
ひとつ扉をくぐった先にある部屋。
横山くんが壁に手をついてスイッチか何かを入れたようだ。
室内が少し明るくなる。
とは言え光量が小さいものなのか、うっすらと間接照明が灯った程度だったけれど。

「ちょっとそこ、座り」
「・・・家族は?」
「俺置いて旅行。はよ座れって」

置いてあった三人がけくらいのソファーを指さされ、大人しく座った。
何がしたいのかよく判らなかったけど、いちいち抵抗していては話が進まない。
ソファーの端に腰掛けた俺を見下ろしながら確認すると、横山くんもまた無造作に俺の横に座る。
そして何を思ったのか、俺の方にもたれかかってきた。

「・・・きみくん?」

軽く動揺したのかもしれない。
その身体を両腕で受け止めつつ、俺は少し上擦った声を上げた。

「あんなー・・・別にな、大したことがあったわけでもないねん」

胸の辺りに柔らかな薄金茶の髪が当たる。
それにそっと触れる。

「最近胃の調子悪かってん。そんでな、飯食われへんくなっとって」
「・・・十分大事やないですか」
「まぁな。食べても吐いてまうしな」
「大事や。なんで連絡してくれへんかったん」
「したってしゃあないやん」
「しゃあないことあるか」
「あるよ。おまえは向こうで頑張ってんのに、そんなん言われへんやん」
「俺は言うてほしかった」
「でもおまえ、大袈裟は大袈裟やで?ほんまに」

俺に髪をいじられながら、横山くんはこちらを見上げてくる。
うっすらと笑う顔。
けれど涙の痕は未だ健在。

「あいつらに何言われたんかは知らんけど、
別に死にそうとか傷心とかおかしくなるとか、そんなドラマみたいなもんやないわ」
「じゃあなんでみんな、あんな言い方したんや」
「せやから大袈裟やねん」
「・・・今日の仕事中、なんかあった?」

そうでなきゃ、いきなり今日みんなして立て続けにあんなことを言ってくるはずがない。
横山くんは特にそれに答えることはなく、曖昧に笑ってみせた。

「・・・まぁ、こんなん初めてやったからな。動揺したんかもな」

言う気は、ないようだ。
ただ否定はしない。
それはみんなが狼狽える程、この人が曖昧に誤魔化す程の何かだった、それだけは確か。

「・・・原因は?」
「ん?」
「食われへんくなったて、なんで?」

そう、そこが一番重要だ。
今までメンバーの誰一人として見たことがなかった、そんな姿。
みんなの言葉を思い出せば判る。
みんな「俺に」帰ってこいと言ったんだ。
そこに原因があるはず。

「・・・なぁ、亮」
「はい?」
「ちょっと、ええか?」
「え・・・」

横山くんはもぞもぞと動いて俺の腹の辺りに両腕を廻してしがみついてきた。
まるで小さな子供が親にするような。
薄金茶の髪が眼下にふわりと揺れている。
こんなことは初めてだった。
俺を抱きしめてくることはあっても、俺が抱きしめることはあっても、この人が俺に抱きついてくるなんて。
しかもこんな稚い仕草で。
こんな姿は確かに見たことがなかった。
本当にこの人は横山裕なのか?
そんなことを思ってしまう程。
けれど腹に感じる温もりは確かにそれが本物だと伝えていた。

「・・・きみくん?」

思わず俺の呼び方まで幼いものへと変化してしまう。
髪をそっと撫でながら囁くように呟くと、うっすらと笑う気配がした。

「二週間・・・と一日やな」
「それ、」
「お前が東京行ってから」
「そう、っすね・・・」

二週間と一日。
そこまで正確には自分でも憶えていなかった。
考えないようにしていたから。
考えたら辛くなると思って。
でもこの人は正確に憶えていた。
それは、ずっと俺のことを考えてくれていたってこと?

「りょおー俺なー」
「はい?」
「結構恋多き男やってんでー」
「・・・は?」
「昔はブイブイ言わせとってなー」
「・・・それ死語っすよ」
「いろーんな女の子とお付き合いしたわー。・・・あ、女の子だけやなかったかも」
「・・・おい」
「あはは、冗談やって!男はお前が初めてやわ」
「当たり前や」

なんだか話が色んな方向にとっちらかって意味が判らない。

「自分ではな、結構一途な男のつもりやってん。
いつだって、その子だけを全力で幸せにしたろー思って付き合ってた」

それは何となく判る。
この人はその容姿とか普段の言動のせいであまり誠実そうには見えないけれど。
相手に対する想いとか、想い方とか、本当はとても真摯で。

「でもな、いっつも最後は泣かせてまうねん。
横山くんは判ってない、って言われてな・・・そんで終わり」

そんなの相手の女も悪い。
すぐに判ってない、判ってくれないと言う女は多い。
自分が理解してもらおうとしないことを棚に上げて。

「そん時はいっつも、なんやねん!って思っててんけど。
・・・確かに、ほんま判ってなかったんかもしれん。
判ってても、言葉にせぇへんかったら同じなんやってことをな、全然」

言わないのは言えないからなんだってこと。
それを相手の女だって全く判ってなかったんだ。
判ってほしいと言いながら、お前らだってこの人のことを判っていなかった。
今はどこにいるとも知れない、そんな過去の女たちに今更腹が立つ。
そして自分自身にも。

横山くんは俺の手をとってまじまじと触れる。
何かを確かめるようにゆるゆると握る。

「罰が当たったんかな。
今まで全く言わへんかったから、こんな時にいきなりダメになんねんなぁ・・・」

呟くような言葉尻はまるで消えそうな程小さい。

「言えへん言葉が多すぎて、腹ん中までいっぱいで。
なーんも入らんくなってもーてん」
「・・・言えへん言葉は、俺に向けてのもんですか」
「ごめんなぁ」
「なにが・・・」
「これやあかんから、な。
お前が帰ってきたらちゃんと言おう思っててんけど。・・・保たんかったわ」

こてっと頭を預けてくる。
何も言えなかった。
だから代わりにきつく抱きしめた。
その頭を抱え込んで。

すばるくんの言葉が蘇る。


『あいつはな・・・・・・さみしいって、そのたった一言も自分じゃ言えへんのや』


この二週間。
俺は考えないようにしていた。辛くなるから。
けれどこの人はずっと考えていた。辛くても。
そのすれ違いがどうしようもなく胸を締め付ける。

俺はこの二週間の横山くんを知らない。
けれどそれは、メンバーみんなが、少し大袈裟であろうともあんな連絡を寄越す程のものだったんだと。
それを想像することだけは出来る。
たとえば村上くん。
誰よりもしっかりした村上くんだからこそ、
仕事中の俺を帰らせようと電話してくるに至った程の心境なんて、計り知れない。
俺より余程横山くんとの付き合いの長い彼がどうにもできない程だった。
たとえ思うより繊細で傷つきやすくても、それでもいつだって周りに強く見せていたこの人が。
周りから頼られていることを自覚しているから、弱さを嫌い、弱味を見せるくらいなら全て飲み込んで孤独を選ぶような人が。
ふっと綻びを垣間見せた瞬間。
その様を見たみんながどんなことを思ったのか、想像には難くない。

「・・・横山くん、正直に答えてや」
「・・・」
「俺がおらんで寂しかった?」

また誤魔化されるかと思った、けれど。

「・・・・・・うん」

それはあまりにも素直に吐き出された。
こくんと頷いた様はまるで子供のようで。
いつものこの人ならありえないもので。
だからこそそれがどうしようもなく愛しくて。
その顔を覗き込むようにして触れるだけでくちづけた。
柔らかくて暖かいそれにようやく安心する。
帰ってきてよかった。

「ん・・・おれ、な」
「はい・・・?」
「ほんま、すっごい、おまえのこと好きやってんなーって、思ったわ」
「・・・今更自覚したんすか。遅いわ」
「やってもう随分長いこと一緒におったやん。そんなん気付かんかった」
「気付けや。付き合ってんのに」
「な。俺アホやと思うわ正直」
「ほんまアホや」
「せやからお前が帰ってきたら今度こそいっぱいな、色々言おう思ってたのにな」
「うん・・・」
「ほんまに帰ってくるんかなーって、思ってな」
「・・・帰ってくるに決まっとるでしょ」
「うん。帰ってきたなぁ・・・」

そんな嬉しそうに。本当に嬉しそうに。
猫みたいに頬をすり寄せて、微笑まないで。
白い頬にそんな涙の痕を残したまま。
そんなもの凄いことが、まるで奇跡でも起きたみたいに喜ばないで。
こんなの当たり前だ。
俺の帰ってくる場所はあんたの所と決まっているのに。

「・・・ただいま、きみくん」
「おかえりぃ・・・」

頭を撫でたら、おかえしのようにくちづけられた。
本当に猫みたいだ。
暗い部屋で一人俺を待っていた白猫。

「なぁ、亮」
「うん?」
「俺は今日一大決心をしたから、つき合え」
「一大決心?なんすかそれ」
「今夜は全部言う」
「全部言う?」
「・・・全部やないかもしれへんけど、一部言う」
「一部言う?」
「・・・一部いうか、いくつか言う」
「・・・結局、なんやねんな」
「出血大サービスやで」
「なに」

その身体がもぞりと起きあがって。
俺の首に両腕を廻したかと思うと引き寄せられ、ソファーにもつれ込むような体勢になる。

「いっぱい、言うねん」

何を、って。
聞き返す前に。

おまえがおらん間一人でしてもーた、なんて。
赤裸々な告白。
でもあんまようなかったから不貞寝した、なんて。
可愛らしい告白。

柔らかな唇が俺のものを塞いだ後、まずいくつか言った。
これからいくつの愛の言葉が降り注ぐのだろう。
慣れていないから俺も戸惑ってしまいそうだ。
けれどきっとそれ以上に嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだ。

「・・・俺が死なん程度にしといてや」
「お、ええなそれ。俺の愛で殺したろーか?」

おかしそうに無邪気に笑うその顔に、微笑み返して頬を撫でた。
やんわりと。愛撫するみたいに。
そうしたら白い頬に少し赤みが差して、今度ははにかむみたいに笑った。


その涙の痕が乾くまで、どうか愛の言霊を俺の耳元で響かせて。










END






亮横ってほんとダメなカップルだな・・・と実感。や、うちの亮横はね。
お互いにダメすぎる。依存しあってダメになる寸前くらいだよ実は。
今回はおそらくメンバー間で亮横会議が開かれたと思われ(どんな)。
相変わらず横山さんには夢を見ている(しかもやな方向に)私です。
(2005.4.27)






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