目が覚めて傍らに君がいたならば・・・










まだ誰もいない控え室のソファーにどっかり腰を下ろし、安田は大きく口を開けて欠伸をした。

「ふぁ・・・ねむ・・・」

その日は珍しく・・・遅刻常習の安田には本当に珍しく、集合時間よりも早くスタジオに着いてしまった。
というのも目覚まし時計が壊れていて表示がおかしかったからなのだが。
目覚めた時真っ先に視界に入った時計の針が集合時間ぴったりを指していた時には、本当に血の気が引いたものだった。
それは何も初めてのことではないのだけれども毎度慣れるものではない。
時計が止まっていることにはすぐさま気付いたが、既にぱっちり覚めてしまった目を今更閉じることもないだろうと思いさっさと家を出た。
むしろあのまま再び寝てしまったら今度こそシャレにならない事態になる気もしたから。
二度寝とは得てして悲劇を生む率が高いことを、安田は遅刻常習犯だけに身を持って知っていたのだった。

「・・・少し、寝よ」

しかしやはり眠いものは眠い。
それにまだメンバーが誰も来ていないこの状況では余計にそうだ。
生憎と携帯に返すべきメールは来ていなかったし、送るべきメールも特に思い当たらない。
どうせだから誰か来るまで、そう思って安田はそのままソファーに横になると小さな身体を更に丸めて目を閉じた。
するとすぐさま眠気によって意識が沈んでいくのが判った。
ただそれは家とは違うから随分と浅い眠りで。
沈んだ意識が奥の方でゆらゆらと彷徨っているような感覚。


暫くそうしていると、控え室の扉が小さく音を立てて開いた。
安田は沈んだ意識の奥の方でそれを確かに感じ取ったけれど、それに反応してすぐさま起きあがることは出来なかった。

誰だろう。
いつも早く来るのと言えば、村上くんか亮か・・・。
安田はうつらうつらしながらもぼんやりとそんなことを思ってみる。

やってきた人物は部屋に入ってすぐソファーで眠る安田に気付いたのか、一旦足を止めたようだった。
そして今度はゆっくりと、なるべく足音を立てないようにと近づいてくる。
やがて足音は安田のすぐ傍で止まった。
次いで荷物がドサリと床に置かれた音。
暫しの沈黙。
何となく見下ろされているような感じがした。
少しだけ居心地が悪い。
そろそろ起きようか・・・未だ浅い眠りの中にありつつも、安田がそう思い始めた頃だった。

どうやら相手はいつの間にか眠る安田の元にしゃがみ込んでいたらしい。
思ったより近くで声がした。
その穏やかで落ち着いた低めの声は・・・。
安田がそれに思い至って跳ね起きようとする前に、その声は思いもよらない言葉を発した。


「・・・我がキューピッドの矢に射抜かれし花の雫、瞳の奥へ染み透れ。
目が覚めて傍らに男がいたならば、それこそ己が恋の渇きを癒すもの・・・」


安田は一瞬何のことかと混乱した。
いや、その台詞自体はよく知っているものだ。
何故なら自分とてもうそらで言える程に何度も反芻したものなのだから。
それは先日幕を閉じた夏の舞台における自分達二人の台詞だった。
自分と、そしてもう一人の・・・。

「た、っちょ・・・ん?」

重い瞼を何とか開けば、やはり。
そこにはしゃがみ込んで自分を見下ろす大きな身体。
まさか起きるとは思っていなかったのか少しだけ驚いたような表情をしていたけれど、すぐさまふわりと笑んで小首を傾げてみせた。

「おはよ、やっさん」
「あ、ん、・・・おはよう」

ぼんやりと起きあがって目を擦る安田の顔を覗き込みながら、大倉は脇に置いた自分の荷物を漁りながら言った。

「今日は珍しく早いねんな」
「ん、目覚まし壊れとって、そんで・・・」
「間違えて来てもーたん?」
「や、起きてからすぐ気付いてんけど、二度寝すんのも危ないから・・・そのまんま来てん・・・」
「そうかー。あ、お茶いる?二本買ってきてんけど」
「あ、うん、いるー・・・」
「じゃあ、はい」
「ん。ありがと・・・・・・・・って、たっちょん?」

小さく欠伸をしながら冷たいペットボトルを受け取って。
安田はようやく頭がすっきりしたのか、先程大倉が口にした台詞のことをはっきり思い出す。
このままではうっかり流してしまうところだった。
何せ大倉の方が何もなかったかのように振る舞うから。

「なぁ、なに?今の・・・」
「今の?」
「せやから、ほら、妖精の台詞。なんか言うてたやん、一人で」
「あー、うん。言うた言うた」
「・・・なに?あれ」
「ん?なにて?」
「せやから、なんでいきなりあれ?」
「なんでて・・・」

不思議そうな顔をする大倉に、むしろ自分の方がおかしいことを訊いているのだろうかと安田は思わず眉根を寄せる。
けれど考えてみればおかしい。
いや、考えずともおかしいはずだ。
あんな台詞を一人で呟くような事態は普通に考えてありえない。
恋の魔法をかける妖精の台詞だなんて。
もう舞台も全て終了してしまった今、もう披露する場所もないだろうに。

「なんでいまさら?」

ただ単純にそう訊ねた安田に、んー、と何か考えるような仕草を少しだけ見せてから。
大倉はふっと薄く笑うと右手の人差し指をピンと立てて安田の前に突きつけてみせた。
まるであの舞台そのままに、恋の魔法をかける妖精のように。

「やっさんに魔法をかけよう思って?」
「な、なんやのそれ・・・」
「かかったんかなぁ?ちゃんと目ぇ覚めて俺を一番に見たしなぁ?」

何が楽しいのだか。
クスクスと小さく笑いながら安田の顔をこれみよがしに覗き込んでくる。
何だかそれに妙にばつ悪い感覚を覚えて、安田は思わずふいっと顔を背けてしまう。

「・・・なにアホなこと言うてんの。もう。舞台は終わったんやから」
「せやねぇ。でも俺が魔法をかけたんは、マーガレット姫と桃ちゃん、それに直樹とアルバニーだけやから。やっさんにはまだかけてへんやん?」

それはそうだ。
舞台では安田と大倉扮する二人の妖精は、二組のカップル、つまりは錦戸扮する直樹とその恋人、それにジュニアの中間扮するアルバニーとその恋人に恋の魔法をかけるのが役目だった。
そこまではいい。
けれどその後に続いた台詞は安田には理解出来なかった。
・・・理解出来ないフリをしなければならなかった。

「何言うてんのかさっぱりわからん。俺がなんやの」

努めて何でもないようにそう言った。
けれど思えばそれ自体も既に安田の動揺を如実に表してしまっていることを、安田本人だけが判っていなかった。
いつだって明るく柔らかく話されるその言葉が可哀相なくらい強ばっていること。
それに気付かぬ大倉ではない。
でも大倉は特にそれには何も言わず、柔らかく笑んだままにまた小首を傾げてみせた。

「舞台で俺が恋の魔法をかけたのはあの四人。せやけど現実で俺が魔法をかけるのは、一人で十分やなぁって」
「・・・さっぱりわからんて、せやから。なんやのもう」
「目が覚めて傍らに男がいたならば、それこそ己が恋の渇きを癒すもの・・・てな。あー、やっぱかかってへんのかな」

確認するみたいにじっと覗き込んでくる穏やかな表情。
安田はやっぱり居心地が悪くてしょうがない。
全て見抜いているみたいなその表情。
そんなはずはない。
ないと思いたい。
けれど安田は自分が決して隠し事の上手い人間だとは思っていなかったから、目を合わせたらそこから全て伝わってしまいそうな気がして。
ますますその顔を見れなかった。

「たっちょん、ほんまにわからんし。・・・だいたいなぁ、お前の魔法はいっつも失敗しとるのが設定やったやろ?」
「あ、確かに。何せ花粉症の妖精やからな〜。いっつもくしゃみして魔法が失敗してまうなんて、ほんま漫画みたいな設定やったわ」
「舞台やしね、実際」
「なるほど。・・・せやから効かんかったんかな?」

視線を逸らしていても横顔にその視線を感じる。
どうしたら解放してくれるんだろう。
誰か他のメンバーが来てくれれば。
安田は大倉の見えない所で小さく手を握る。

「・・・失敗して、誰かちゃう人にかかってもーたんやないの」

大倉扮するうっかり者の妖精、エルフィン。
その恋の魔法はいつだってくしゃみによって失敗して、誰か違う人間を恋に落としてしまう。
本当にそんなことになったらどうしようもなくはた迷惑ではあるけれど。
実際似たようなものかもしれない、なんてことも思う。

「あはは、それはないやろー。今ここにはやっさんと俺以外おらんのに」
「どーだか。実際うっかりしとるやんか、たっちょん」
「うわーお前にだけはそれ言われたないわぁ」
「・・・どういう意味やねんっ」
「そのまんまやって。・・・んー、でもほんまの俺はかける相手間違えたりは、せんけどなぁ?」

おかしそうにそんなことを言ってみせる大倉の顔はやはり見ないで、安田は少しだけ眉根を寄せてぼそりと呟いた。
人の気も知らないで、そう心の中でぼやくように思いながら。

「・・・自分で気付いてへんだけやないの」
「そう?」
「そうやで。お前は気付かんとこで色んな人に魔法かけとんの」
「そうかなぁ」
「そうや。・・・ほら、コンサートとかウェブとか雑誌でも散々言うて、ファンの子キャーキャー言わせとるやん」
「そんなんはみんな一緒やんか」

不思議そうなその声音。
根本的に判ってない。
安田はますます眉根を寄せる。

自分で気付いているのかいないのかは知らないが。
この大倉忠義という男は相手をその気にさせるのが上手い男だった。
あからさまではないけれど、さりげない言葉と態度と仕草でいつの間にか相手の心を掴んで離さない。
たとえば錦戸や内のようにあからさまに派手でモテるタイプではないけれど、その分じわじわと効いてくる魅力を持っているのだ。
知らず知らずの内に引き込まれてしまった相手は、最後はトドメとばかりにその柔らかな笑顔に陥落させられてしまう。
そしてそれは気付かぬ内だから既に戻れぬ所まで来ている場合が多くて。
そのくせこの男は妙なところで淡泊で、自分がその気のない相手にはびっくりするくらい冷たかったりもする。
自分がその気にさせておいて。
まるで勝手に自分の魔法にかかったお前が悪いと、そう言うかのように。
そうして泣かされた人間が実は多いことを安田は嫌になる程知っていた。
天然タラシとはこういう男のことを言うのだと、安田はまさに嫌な気持ちで思ったものだ。

「お前はな、知らんとこで色んな人に魔法をかけとんの。ちょっとは自覚して」

どうせ判るわけはないんだろうけど。
安田は諦めにも似た心境ながら、大倉に言い聞かせるように呟いた。
そして同時に、自分はかからないのだと、まるで暗示めいて自らにも言い聞かせるように。

「・・・でもなぁ、肝心の人間にはかからんねんもん。困ってまうわ」

言葉程には困っている様子のない、のんびりしたその声。
咄嗟に安田は自分に言い聞かせる。
聞いてはいけない、その魔法の言葉を。
見てはいけない、自分を縫いつけてしまうであろうその瞳を。
けれど長い腕がスッと音もなく伸びてきて、安田の顎をゆっくりと掴んだ。

「こっち、見て?」

決して強引ではないのだけれども、やんわりと力のこもったそれは意識して抵抗しなければそちらを向かされてしまいそうで。
安田はぎゅっと小さく唇を噛んでより逆の方向に顔を背けた。

「な、にすんの。離してや・・・」
「やーっさん。こっち見てって」
「いやや・・・。離せって」

大倉が本気になれば安田の抵抗など抵抗にもならない。
それが判っているはずなのに、大倉はそれ以上は力を込めない。
まるでそのまま安田が自ら陥落するのを待っているかのように。
そう判るからこそ安田は悔しくて、そのままで何とかメンバーが来てくれないものかと思った。
安田自身も抵抗にこれ以上の力を込められそうになかった。

「・・・魔法、かからんかなぁ?」
「っ・・・」

おかしそうな穏やかな声には、全て判っているんだろう。
安田はそれが悔しくてならない。
けれど本当は判ってもいた。
大倉が判っているくらいなのだ、安田本人にはとっくのとうに判っていた。
でも認めたくなかった。
一度認めたら落ちる所まで落ちてしまうのは判っていたから。
認めたら、自分はこの男が今までにその気はなくともそうさせてきた人間達と同じようになってしまう。
大倉は自分に特別な感情を抱いているのかもしれない、そうは思っても。
その自分とて今まで大倉が出逢った数多の人間と同じようになってしまったら、その感情とて冷めてしまうかもしれないのだ。

そんなものは実際の所、所詮杞憂でしかないとしても。
安田は先へ先へと思考を進ませた。
そして自分が傷つく可能性を何とか回避しようとした。
自分から進むことは出来なかったから。

本当は怖かっただけだ。
後戻り出来ないくらいにその懐に落ちてしまうことが。

けれど。

「・・・そろそろ、観念し?やっさん」
「あ、・・・」

ぐっと、さっきまでが嘘みたいな強い力でそちらを向かされた。
大倉も我慢に飽きたのかもしれない。
急なことに抵抗が間に合わなかった。
かち合った視線に身が竦む。
いつもの穏やかな瞳ではない。
涼しげで、けれど随分と深い、強い瞳に呼吸も忘れた。

「おお、くら・・・」
「うん?なに?やっさん」

当然のような顔で手を引かれて、その大きな懐に引き寄せられた。
そしてそのまましまい込まれるようにして強く抱き竦められる。
その匂いと温もりに安田は堪らずぎゅっと目を閉じる。
もはや抵抗など出来なかった。
本当は望んでいたものに今更抵抗など出来るはずもないのだ。
自然と吐息するように小さく呟いていた。

「ゲームオーバー、やわ・・・」

本当は、ずっと、好きだった。

「ふふ、魔法かかった?」

耳元で小さく笑まれて、悔しいから胸を叩いてやった。
けれども大倉にとってみればそれは、子猫が慣れない温もりにもぞもぞと身動ぎする程度のものでしかない。

「・・・あほ。むかつく。たっちょんのあほ」
「結構自信はあってん。やっさん判りやすいしなぁ?」
「ほんっまむかつく!お前の思い通りになってるやんかー!」
「あはは、そうでもないけど?」

おかしそうにそう言うと、安田の顔を上げさせてふわんと笑う。
小さな手を握り、指を絡め、その人差し指に口づけた。
微かに頬を紅潮させながらも不思議そうに目を瞬かせる様に、大倉はゆっくりと打ち明ける。

「やって最初に魔法をかけられたんは、俺の方やから」

いつだったかうっかり控え室で眠ってしまった自分。
目が覚めたら一番最初に笑いかけてきた。
たっちょんはおねぼうさんやねぇ、とそう言って愛らしく更に笑った。
恋は、その時に始まっていたのだと。










END






少し遅れましたが安誕記念ですよー。
ちょっと久々に書いたらいつもとだいぶ違う感じのものに。
というか最初に書いてたものが詰まったので突発で書いたものなんですけども。
大倉が天然タラシですよ。ちょっと。誰なのこれ。
こんな駆け引きチックな倉安になるとは。
何か書く度に変わって安定しないうちの倉安(あかん)。
まぁなんていうか妖精を引きずってみようかと思ったら何かあんまり妖精にならなかったっていう話。
こんな可愛くない妖精がいてたまるか!(大倉)
とにもかくにも章大お誕生日おめでとうー!
(2005.9.13)






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