いつか王子様が
『おかあちゃん、おかあちゃん!』
『うん?どした?』
『おーじさまって、なに?』
『王子様?』
『おん。ひまわりぐみのあきちゃんがゆーてたん。いつかな、おーじさまとケッコンすんねんて』
『おませさんやねぇ』
『なぁなぁ、おーじさまて、なに?』
『王子様言うんはね・・・そうやなぁ、自分を幸せにしてくれるとびきりの男前、かなぁ』
『おとこまえなん?』
『そら王子様やからね。キラキラしてんの』
『きらきらしてんの?』
『そう』
『おれもなれる?』
『あはは、あんたは無理やわ』
『なんでやー!』
『私の子供やもん。むりむり』
『めっちゃむかつくー!おれもなる!おーじさまになるねん!』
『無理やって。あんたは私に似て無理するとあかん子やからやめとき』
『・・・せやけど、あきちゃん、』
『なんやあんた、あきちゃんと結婚したいから王子様になりたいの』
『あきちゃんしあわせにすんねん!』
『あきちゃん幸せにしたいの?』
『おん!する!』
『・・・・・・キミ、あんたはあの人に似て、男前にはなれるかもしれへんわ』
『ん?なにぃ?』
『せやったらねぇ、侯隆?』
『んー?』
『頑張って王子様になり?みんなのやなくてええから、誰か一人の王子様に』
『おん!おれ、がんばる!』
『ふふ、ほんでな、あんたも見つけんのよ?』
『おれも・・・?』
『あんたの王子様』
『ん?おれの、おーじさま?なんで?おーじさまになるんは、おれやのに』
『・・・そうやね。でも片方だけが王子様やとねぇ、上手くいかんの。世の中はおとぎ話みたいにはね、いかんの』
『でもー、ほんなら、おーじさまがふたり?』
『ふふ、ちょっとおかしいなぁ?ほんまは王子様にはお姫様やのになぁ?』
『やっぱおかしいんやんかー』
『けど、おかしくてもね、ええの。おかあちゃんはあんたに幸せになって欲しいから』
『・・・おん。わかった。おれもみつける!』
「・・・あ?」
間の抜けた自分の声で意識が浮上する。
半端な眠気を持てあましながら目が覚めてしまった。
薄暗く灯る間接照明の灯りにゆるりと視線をやって、そこにある時計で今がちょうど夜明けであることを知る。
それからぼんやりと視線を巡らせて周囲を見れば気付く、物が少なく生活臭のあまりしないそこはホテルの一室だ。
ああ、そうだ、と横山はそこでようやく思い出す。
ここはグループのツアーでは初めて訪れた場所で、昨日ちょうどそのコンサートを終えたのだった。
だからこそ心地良い疲労感に満たされた身体は深い眠りについていたはずなのだが。
「なんやあの夢・・・」
ベッドに転がったままごろりと向きを変えて、横山は思わず一人呟いていた。
そう、夢を見ていたのだ。
しかも目が覚めた今となっても妙によく憶えている。
それは恐らくその夢が遠い昔に実際あったことだからかもしれない。
何故今更あんな頃の夢を見たのか。
もしかしたら、このツアーで母親が初めて自分達のコンサートを見に来てくれたからかもしれない。
とは言え来てくれたのは昨日ではなくて、数週間前の地元での公演だったのだが。
それにしても随分と懐かしい記憶だ。
もう二十年は前のことだろう。
まだ世界には光しかなかった時代。
「ふあー・・・」
中途半端な時間に目覚めてしまったものだ。
横山はかみ殺すこともなく大きく口を開けて欠伸をする。
その時部屋の扉が開く音がした。
そこでそう言えば、とようやく思い出す。
ここは自分の部屋ではなかったのだ。
視線だけをそちらに向ければ、ひょこんと顔を出す見慣れた顔。
「お、起きてたん?」
「んー・・・なんや目ぇさめた」
「そか」
村上はタンクトップにハーフパンツという身軽過ぎる格好で、手に持っていた小さなビニール袋をすぐ傍のテーブルに置いた。
恐らくはコンビニにでも行っていたのだろう。
横たわったまま横山が未だ僅かに重い瞼でぼんやり見ていたら、村上は袋の中からペットボトルを取りだして笑いかけてきた。
薄暗い照明の中でもやたらと眩しい白い八重歯が鬱陶しいなと寝ぼけ眼ですら思う。
「起きたら飲むかなー思うて買うてきてんけど、いる?」
「んー・・・?なに?それ」
「ミルクティー」
「珍しく気ぃきくな」
「そらどうも」
「飲む」
「ほい」
のろのろと上半身を起こすと、村上がこちらに寄ってきてそれを手渡してくれた。
冷えたペットボトルは寝起きには結構な刺激で、手に取った途端意識が冴え渡るような気がした。
ただ動作だけはやはり未だ寝起きそのままに緩慢な様子を見せながら、覚束ない手つきでフタを開ける。
その様に村上はこっそり笑って自分も袋の中から紙のパックを取り出した。
「ん・・・」
ちょびちょびとペットボトルに口をつけながらもその表情は未だ眠そうだ。
それとは対照的に村上は手にした牛乳を結構な勢いで半分程度まで飲み干すと、ふっと息をついて小首を傾げた。
「眠いんなら寝てりゃええのに。まだ結構時間あるで?」
「なんや、夢見た」
「夢?」
「そ。結構昔の夢。まだ幼稚園くらい」
「へ〜」
「おかん出てきた」
「ミナコさんか」
「ミナコな」
ミルクティーのペットボトルを片手に、逆の手でごしごしと目を擦る。
村上はもまた牛乳のパックを手にしたままその隣に腰掛けると、横山の跳ねた髪をさりげなく撫でつけるように指先で梳いてやる。
それを特に頓着するでもなく、横山はもう一口ミルクティーを含むとゆっくり飲み干して、ゆるゆると目を瞬かせながら思い出すように呟いた。
「王子様にな、なれって」
「うん?」
「王子様な」
「おお、王子様な」
「・・・おまえほんまにわかってんのか?」
「や、おとぎ話に出てくるあれでしょ?白馬に乗ったー、ていう」
「反応にぶいわ」
「おまえがいきなり言い出すからやん」
「とにかく王子様や。王子様の夢を見てん」
「王子様の夢見たの?王子様って誰?」
「知るかそんなん。別に王子様の夢見たわけちゃうわ」
「あんた今王子様の夢見たて言うたやん」
「ちゃうちゃう、ちゃうわ。そういうな、王子様の話をな、ちっちゃい頃おかんとしたっちゅう、そういう夢や」
「ああ、なるほどー」
「俺がちっちゃい頃、王子様ってなにーてきいたらな、自分を幸せにしてくれるとびきりの男前やって。そう言うててん」
「あー、確かにそういう言い方もできるかなぁ」
王子様、なんて。
おとぎ話のイメージで言えば、白馬に乗ってお姫様を迎えにくる、なんていう説明をしそうなものだけれど。
そこら辺、その単語のファンタジーなイメージを割合リアルに置き換えて子供に説明する辺りがあの人らしい、と村上は決して短くはない付き合いになるあの妙齢の女性を思い出してふっと笑った。
妙に現実的で、そのくせどこかふわりとしたイメージのある彼女は、確かに横山裕を産んだ女性と言われて納得できる人だ。
一見したらそこら辺の所謂大阪のおばちゃんという感じで大口を開けて笑うのに、ふとした瞬間にまるで周りから浮き立つようなどこか輪郭が曖昧な美貌を垣間見せる。
横山の父親に関してはよく知らないけれど、それでも横山はどう考えても母親に似たんだろうな、と村上は昔から納得したように思っていたものだ。
本人達は何故か頑なに否定するが、こういうのを似たもの母子というのだろう。
ただ彼女は少なくとも息子よりはしっかりしているし賢くはあるけれども。
「王子様になれって、言われたの思い出した」
「王子様になれ?お前が?」
「あー、なんや、あれや、幼稚園の時結構好きやった子がほら、おーじさまとケッコンすんねんー、とかなんとか言うてて」
「ああ、うん、ほんでそれを聞いたヨコが、王子様ってなにー、俺もなるー、的なあれか」
「そうやそうや。そういう流れや」
「ほんでなりたいなれなれと、ミナコさんが」
「んー、なんか、誰かの王子様になれって。みんなのやなくてえから、誰か一人の王子様、やって」
「なるほど。ええこと言うなぁ!」
「あのオバハンもロマンチックなこと言うてた時代もあったんやなぁ。しかもあの頃は若くて綺麗やったなぁ〜・・・」
大袈裟にため息混じりでそんなことを漏らす息子の軽口は聞いていておかしい。
本当はどれだけ母親を大事に想っているか十分すぎる程に知っているから、余計に。
「あはは、でもミナコさん今でも綺麗やん」
「あほか。もーあかんわ。最近完全に中年のおばはんやもん。むしろ女捨ててるわ」
「そうか?こないだコンサートで久々に会うたけど、びっくりしたでー?歳の割にめっちゃ綺麗やん。
お前知らんやろうけど、後でみんなですげえーて言うててんで」
「あほ!ありゃ嘘やで。お前らに会うからって気合入れて化けてきただけやわ」
「そらちゃうでしょ。息子の晴れ舞台を見に来たからやって」
「晴れ舞台見に来て、あの息子を息子とも思わぬ罵詈雑言があるか」
「あはははは!そういや色々言うてたなぁ!」
「ほんま自分のおかんながらシメよう思ったわ」
確かに息子がその場にいれば何かとダメ出しやら説教やらばかりだったけれども。
他のメンバーしかいない時にはとても嬉しそうに息子のことを話していた。
村上はそれを見て不器用やなぁ、と失礼ながら思ったものだった。
そしてそれこそがまさに「遺伝」というものなのだろうと、眉根を寄せてブツブツと呟く白い顔を見て思う。
「ミナコさんも変わらんよな」
微笑まし気にニコリと笑った村上のその言葉が、なんだか妙に穏やかで。
横山は思わずそれを横目で見ては、けれどすぐばつ悪げに視線を逸らしてペットボトルに口を付ける。
「・・・そう簡単に変わらんわ、あれは」
それを誰より知っているのは他ならぬ息子なのだと、村上がそう知った上で敢えて言っているのが判ったから。
こいつならまぁええか、と思う反面やはり妙に気恥ずかしい気分だった。
「んでもあれやな、ほんならヨコはちゃんとなれたもんな」
「は?」
「王子様」
「なに?」
確かに元々の会話の主題はそれだったと言えばそうなのだけれども。
それにしたって随分と唐突に感じたそのセリフに、横山は胡乱気な表情でその顔を見る。
村上はそれを気にした様子もなく、なんだか楽しげに明るく八重歯を光らせるようにして笑う。
「ヨコは俺の王子様やーん」
「・・・・・・」
横山は咄嗟に悪態をつくことすら忘れてサッと手を伸ばす。
最近伸びた前髪から覗くテカテカと光るおでこを確かめるように触れた。
無言ながらその表情がなんとも怪訝そうで、同時に信じられないものを見るようで。
それがまたおかしくて村上はますます笑った。
「あはは、ご心配なく!熱ならないで?」
「・・・なお悪いわ。熱でもなきゃおかしいわ」
「やってほんまやん」
「ちょ、待てよ。待てよ村上!」
「なんですのん」
「誰が誰の王子様、やって?」
「ヨコが、俺の」
「・・・・・・・」
「いたっ!ちょー、いきなり叩くなや!」
「や、叩いたら直るかなと」
「そんな、昔のテレビちゃうねんから」
痛いなぁ〜、なんて大げさにぼやきながら叩かれた頭をさすってみせる村上を、横山は未だ信じられない目で見る。
長い付き合いにはなるが、このタレ目八重歯は未だにたまにぶっ飛んだことを言い出すのだ。
普段常識人の皮をかぶっているからこそ余計に鮮烈に焼きつく程のことを。
もう放っておいてスルーすればいいものを、横山は思わず反芻するように呟いてしまった。
それはその話題が先ほど夢に見たものだったからだろうか。
「・・・おうじさま?」
「王子様な。白馬には乗れへんけど」
「おれ?」
「お前な。白馬っちゅーより、本人が白い王子様な」
「おれがおうじさまか・・・」
「若干お肉のたるみが気になるお年頃の王子様な」
「やかましいわ!」
「痛いって!すぐ叩くなやー」
「ほんでもって、誰がお前の王子様やねん!さっぶー!!」
「ちゅーかお前ツッコミ遅いがな」
思わず手にしていたミルクティーのペットボトルを振り上げてこぼしそうになり、慌てて持ち直しながら横山ははたとする。
なんとなく自分こそ過剰反応しすぎだったような気がする。
そうだ。こんなくだらない冗談如きで。
けれどそんな横山の内心などお見通しとでも言わんばかりに、村上はふふっと笑うと軽く首を傾げて、下から覗き込むようにしながらじっと横山を見つめた。
「別に冗談ではないけどな。ほんまやし」
「・・・ほんま?」
「ほんまほんま」
「・・・二度繰り返すな。せやからお前の言葉はうそっぽいねん」
「うわ、心外やな〜。せやけどほんまにほんまよ?」
たとえこんな薄暗い照明の灯りに照らされたってなお眩しい、そんな笑顔はいつだっててらいもなく横山に向けられる。
そのせいなのかそれ以上の悪態がいまいち思い浮かばなくて、横山はむすっと眉根を寄せたまま小声で呟いた。
「なんで俺やねん」
「なんでって」
「意味がわからん」
「んー、つまりはね、ほら、ミナコさんが言うところのね、王子様やねんな」
「・・・おかん?」
「そうそう。王子様ってのは、自分を幸せにしてくれるとびきりの男前、なんやろ?」
村上はなんの疑いもないとでも言う顔で自信満々にそんなことを言う。
それに横山はなんだか反論をする以前に、再びその母の言葉を思い出していた。
みんなのじゃなくていい、誰か一人の王子様になれと、そう言われた。
この広い世界で誰か一人でいいから、その人を幸せにしてあげられるとびきりの男前になれ、と。
それはきっと母の願いだった。
息子の想う母の願い。
「せやからねぇ、ヨコは俺の王子様やで?」
ちらりとそちらを見ると、随分と穏やかな笑顔が返ってくる。
ずるい奴だと思った。
そんな風に笑まれたら何も言えない。
そんな風に、言外にお前といて幸せだと、そんなことを言われたら悪態すらもつけなくなる。
「・・・ほんならおまえはお姫様か。シンゴリラがお姫様か」
「あはは、そらちょおきっついな〜」
「きつすぎるわ。言葉の暴力や」
「それにどうせなら俺もそっちがええな」
「なにがやねん」
「俺も王子様になりたいわ」
横山はその瞬間、思わずハッとして目を見開いた。
その様子に村上は不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「ん?ヨコ?」
「・・・・・・なんでもあらへん」
「そう?」
「なんでもあらへん」
横山は思わず顔を逸らして、手持ち無沙汰気味にペットボトルに口をつける。
「そうー?でもなんや顔、赤ない?」
「うっさいぼけ。あっちいけ」
「あらら、ヨコちょは何を思い出して照れてんのー?教えてー?」
「うるっさい!ごっつきしょいんじゃ!」
「あはは!なんやなんや、思い出し照れか?お前かわええなー」
「マジうっとい。死んでほしい」
「あ、もしかして!」
「なんやねん・・・」
「俺が王子様に見えてもーたんちゃうのん!」
「・・・おまえ鏡で自分の顔見たことあんのか」
「あるよ。そらあるよ。むしろ毎日見てるよ」
「なら悟れよ。王子様は人間にしかなれへんねんぞ」
「じゃあ俺なれるやん。資格ばっちりやん」
「おまえはそろそろゴリラとしての自覚を持て」
そう言ってミルクティーをごくごくと一気に飲み干す。
口内に広がるほのかな甘みは、まるで遠い過去の柔らかな思い出にも似ている。
横山はほんのり広がっては消えていくそれを感じて母の言葉をぼんやりと反芻した。
『ほんであんたも見つけんのよ?あんたの王子様』
誰よりも誰よりも、幸福な人生を歩んで欲しいと願ったから。
幸せにできる、幸せにしてくれる、そんな相手を見つけなさいと、そう言った。
王子様、なんて響きは正直かゆくて恥ずかしくてしょうがない代物だけれども。
確かにあの時の母の言葉は間違ってはいなかった。
もう随分長い間隣にあった存在をじっと見る。
いまさら改めて自覚するなんて恥ずかしいにも程がある。
「・・・ん?なに?どした?」
「なんでもあらへん」
「そう?変な子やね。急に機嫌直して」
「・・・でもしゃあないよな。まさか人間やないとは思わんかってん」
「はい?なにが?意味わからんで」
「おまえははよ人間になる努力をしろよ」
「ちゅーかね、いい加減どこまで引っ張んのそれ」
本当に今更過ぎる。
ああでも、もしかしたら、今更でも自覚させるための夢だったのかもしれない。
もうとっくのとうに見つけていたんだ、なんて。
END
かゆーい!かゆい話をすいません。
なんか横山母子に夢見がちですいません。
でもミナコに夢見たっていいじゃない!だって横山裕を産んだ女性だもの!(うるせー)
・・・まぁ完全に妄想なんで軽く流してやってください。
とりあえず王子様という単語が最も似合わないカプに使ってみました。
(2006.5.26)
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