狂った歯車の戻し方に、ようやく気づく時。
レイニーラブソング 12
『ユーはアイドルには向いてないね』
あの人には何度となくそう言われた。
所属している事務所の社長とは思えない台詞だと、言われる度にそう思って、実際口を尖らせてそう言い返しもした。
『だってそうじゃない。たぶん、この世界で生きるにはしんどいタイプだ』
さして深刻そうでもない至極軽い調子で、でも決して冗談にも聞こえないようなその響き。
だいたいが、いつだって冗談と本音の区別なんかつけられるような人じゃなかった。
そしてあの人を知っている人間程、最初からそんな区別などつけようとは思わない。
あの人の言うことは理解などできずとも常に絶対的なもの。
ある種、この事務所はこの世界のどの場所よりも封建的な場所だった。
『それでもここで生きていくつもりがあるなら、頑張りなさい』
俺は社長を信用していた。
この事務所にいる以上、そうでなければ体面的にも自分の精神的にもやっていけないというのもあったし、冗談とも本気ともつかない言葉はその反面でどこにも嘘も持っていなかったから。
表も裏も酸いも甘いもある、けれど嘘だけはなかった。
だからただ純粋に信用だけはしていた。
信頼しているかと言われると、それは難しいところではあったけど。
あの人は何も俺たちの親なわけじゃない。
俺達だけの面倒を見てくれるわけじゃない。
だからそれは当然のことだと思っていたし、恐らくは俺がそう感じていることをあの人も知っていて、だからこそ俺には他の奴に言うよりも、もっとストレートな言葉を向けてきたんだろうと今になれば思う。
『ユーを見てるとね、自分自身より誰かのために身体を張るようなその生き方は、正直僕には理解できないけど。・・・まぁ、いいんじゃない』
なんやそれ。適当すぎるやろ。ていうかもしかして俺けなされてます?
そんな風に軽く悪態をついた俺に、おかしそうに笑ったあの人は、思えばきっと予想していたんだろう。
こんな風になることを。
こんな風に、ただ誰か一人のために、せっかく今まで守り続けてきたいくつもの歯車を狂わせること。
『で、何の用?』
本当は直接会って話をしたかったけど、さすがに東京にいるあの人に会いにいくには時間がなかった。
一方的に電話をして、更に取り付けた夜の電話の約束。
あの人は約束の時間にわざわざ向こうから電話をかけてくれた。
特に何のことだとも言ってはいなかったけど、俺の剣幕に何か感じるものがあったんだろうか。
正直、そんなことは気付いても敢えて気にしようとしない人かと思っていたから少し意外だった。
しかも、いつもの冗長でどこか浮世離れしたような話もなく、軽口もなく、単刀直入にそれだけ言われて、俺の方が咄嗟に言葉を探してしまったくらいだ。
俺はさっき内から聞いた話を思い出し、電話を受ける前までになんとか頭の中で整理しようと努めていたものをゆっくりと言葉に載せた。
言葉で何かを伝えるのは難しいし、昔からあまり得意じゃなかった。
普段は割とよく喋るイメージを持たれるけれど、単純な口数と実際そこに相手に伝わるものを載せられるかどうかはまた別物だ。
頭の中にあるものをそのままコンピューターから出力するように吐き出せたら、どんなに簡単かと思う。
でも人間の頭なんてそうはいかなくて、すぐに色々なものがごちゃ混ぜになるし、整理したと思った傍からわからなくなるし、吐き出すまでに感情というものが邪魔をして、結局自分で思っていたものとは違うもになってしまったりもする。
今の自分が冷静でなんていられるはずがないと、自分自身よくわかっていた。
何か言おうとする度にあいつの顔が浮かんでは消えていく。
幼げに笑っていた顔。
堪えるようにして怒りを湛えた顔。
苦しそうに歪められた顔。
悲しそうに眉を下げた顔。
そして、縋るように俺を見る瞳。
まるで捨てられた子犬のようなそれは、あの最初の雨の日の象徴のようだった。
そして今も瞼の裏に焼きついて離れない。
静かに降りしきる冷たい雨に濡らされて、哀しげな瞳で、ただ俺をじっと見つめて、温もりを求めてきたあいつが、本当に抱えていたもの。
あの時それをどうにかしてでもその口から聞けていれば、こんなことにはならなかった。
少なくともそれだけは確かだ。
聞けなかったのは俺のせい。
だから今ここでそれを訊くのは俺の役目だ。
「NEWSが上手くいったら、錦戸を切るつもりやって、ほんまですか?」
内に聞かされた信じられないような言葉を、何に包むでもなく剥きだしのまま電話口に向けた。
言われたあいつがその時感じた絶望と痛みを、あいつが言えないのなら、俺が言う。
我ながらいつぶりかと思うくらい、酷く冷たい声が出た。
社長に言われた言葉ではないようだと内は言っていた。
事務所の幹部とかいう奴の言葉らしいとも。
けれどどちらにせよ関係ない。
少なくとも社長は知っているはずだからだ。
この事務所内のことでこの人が知らないことなどない。
電話口には沈黙が下りた。
どう答えるべきか迷っているんだろうか。
ただ少なくともそこには疑問の言葉はない。
否定の言葉もない。
携帯を持った手に力が籠もる。
「ほんまなんですか?・・・なんでなんですか。あいつは・・・あいつは、」
返ってこない電話口の沈黙に、言葉が勝手に溢れそうになる。
あいつはずっと頑張ってきた。
不器用で脆いけど、それを歯を食いしばるように必死に努力して、ボロボロになりながらも強くなろうとあがいてきた。
本来の繊細で生真面目な性格が祟って傷いても、何度挫けても、泣きながらでも、俺がんばるからって、そう言って見上げてきた。
誰よりも近くでそれを見てきた。
誰よりも近くでそれを見ていたかった。
自分を見つめるその瞳のためならなんだってしてやれると思っていた。
・・・だから代わりに、このいつまでも冷めない愚かしく幼い微熱のような想いを、許して欲しいとも思っていた。
思えばそんな自己犠牲のフリをした願望は、今となれば目を逸らしたい程に醜い自分勝手な感情だとは思ったけれど。
それでも今はただ、ただ、あの強いくせにいつまでも幼さの抜けきらない瞳が、この瞬間にも泣いているんじゃないかって、そう思うといてもたってもいられなくなる。
「・・・返答しだいじゃ、俺は、ほんまに、我慢できませんよ」
半ば脅すくらいの調子でゆっくりと言った。
これでも考えて抑えた結果なのだから、結局は頭に血が上った若造の言葉にしか聞こえないかもしれない。
それからまた少しの沈黙が降りて、もう一度口を開こうとしたところでようやく向こうから声がした。
静かな声だった。
『それで、ユーは僕に何をして欲しいの?』
「なにをって・・・せやから、それがほんまなんか、ほんまならどういうことなんか説明してくださいってっ、」
『錦戸をこれからもNEWSにいさせてあげれば、それでいい?』
「なん、やって・・・」
『そういうことならわかったよ。この先のスケジュールを調整しておくように言っておこう』
「・・・なんですか、それ。どういう意味なんですか」
もうそれで用件は終わったと言わんばかりだった。
事と次第によってはキレてしまうかもしれない、そんな風に危惧していたのとは裏腹に、俺の心はどんどん冷えていく。
まるで冷たい氷の塊を押し付けられるような感覚に、声さえも冷えるのがわかる。
この人はいったいあいつをどう思っているのか。
俺なんかよりもよほど大事にしているように見えたのに。
所詮この人にとってはビジネスだとしても、この人はそのビジネスに自分の全てを捧げているような人だった。
「自分の子供達」に夢の全てを託していた。
だから信じていた。信じたかった。信頼ではなく、ただ唯一の信用。
嘘つきばかりだった俺の周りの大人達の中で、ただ一人嘘を言わないでいてくれた人だった。
だからこの人なら、俺には届かない場所でもあいつを守ってくれると、それだけは信じたかったんだ。
だけどあいつの苦しみも痛みも涙も何もかも、この人にとってはどうでもいいことなのか。
ああそんな考えすらも、思えばそんな想いを抱いたあの日から、ただの身勝手な感情だったんだろうか。
「そんなん知らされて、あいつはほんまに、傷ついてた。
俺はそん時ようわからんくて何も訊けへんかったけど、今思えばきっとそれ聞かされて、ショックやったんやと、思う・・・。
あいつは、自分が誰からも必要とされてへんって、そう思い込んで」
だけどそれでも信じたかった。
そして信じていてもいいとそう俺に教えたのは、あなただったのに。
もう何年も前、仕事でどうしようもなくへこんで泣いていたあいつをなんとか励ますように慰めて、泣き疲れた身体をおぶって事務所まで帰った時、あなたは事務所で待っていてくれた。
ユーたちは本物の兄弟みたいだね、って。
そう言っておかしそうに笑ったのに。
「なんで、亮を・・・」
『そうやっていつまで経っても兄離れも弟離れもできないなら、やっぱりユーは、ユーたちは、二人ともこの世界に向いてないね』
「っ・・・」
静かすぎる言葉に、咄嗟に何も言えなかった。
その意味を考えることで精一杯だった。
遠いあの日、錦戸をおぶった俺に兄弟みたいだねと言ってくれたその声が、今そんなことを言うのかと、そんな風に、妙な無力感と共にそう思うしかできなかった。
『いつか、こうなるんじゃないかと思ってたよ』
喉の奥が何かで詰るように言葉が出てこない。
何か言わなければならないのに、ここで今こそ自分が何か言わなければならないのに。
苦しんでいるあいつのために、俺が壊してしまったあいつのために、せめてものあいつのためになるような、何かを。
それなのに、さっきの決意もなんとやらで、ただ不安や心細い気持ちばかりが広がっていくのがわかる。
自分のせいだと・・・あいつのためだとかそんな感情の裏に隠れた、このいつまで経っても消しようのないどうしようもない想いが元凶だと、わかっていたはずだった。
けれど今その言葉は、この世界で絶対の人は、俺がこの世界で唯一の「信用」を置いたこの人は、更なる俺の罪を責めているのだろうか。
けれど正確には違った。
この人は何も責めない。
嘘は言わない。
ただあの遠い昔から予想していただけ。
そしてそれを今俺の目の前に見せただけ。
『誰かのために簡単に捨てられるようなものなら、所詮その手には余るとは思わないか?
だとしたら、それはむしろ与えているだけあの子を不幸にするだけだとは、思わないか?』
まるで呪文のような言葉だと思った。
聞いている傍からじわじわと諦めにも似たものを感じさせる。
『NEWSを結成する時、僕は錦戸に訊いたんだ。
NEWSにユーが入るって知ったら、横山は拗ねるだろうね、いや寂しがるかな、って。そうしたらあの子は言った』
横山くんが嫌なら、俺はいつでも辞めます。
『でもユーが喜んでくれてるから頑張る、どこまでいけるかわからないけど頑張るって。・・・それを、ユーはどう思う?』
問いかけられてもなお言葉が出てこなかった。
社長の言いたいことがようやくわかった気がする。
そう理解して、無力感以上の、妙に何かがストンと自分の中を落ちていくような感覚。
『ユーが捨てろと言えば全部捨ててしまえるかもしれないあの子を、どう感じる?』
あの最初の雨の日から後悔していた。
あいつを助けるつもりでとった方法が、あいつをより追い込んでその視界を狭め、他の何も見えなくさせてしまったこと。
でもそれはある意味、既に定められていたことだったのかもしれない。
だってこの人は予想していた。
まるで宝物にも聖域にも似たあの唯一の存在のために、その小さな翼がやがて大きくなって羽ばたくその日まで、望んだものをその手に掴みとるその日まで、望むならなんだってしてやるつもりだった。
想いを隠してさえいればそれができると思っていた。
逆を言えば、何をしてもいいから何をされてもいいから、それで想いを許して欲しかった。
けれど思えば既にその時から始まっていたんだ。
じわりじわりと白い羽を侵食するように、あいつを蝕んでいた。
俺は結局、あいつのその手が掴む「望んだもの」が自分であればいいと、結局そう願っていただけだったのかもしれない。
そうしてずっと傍にいた。
いつまでもあいつにとって心の一番大事な部分を占めていたいと、そんな願いばかりを思って・・・恋し続けた。
「・・・おれ、俺は・・・あいつに、ぜんぶ、できるだけのぜんぶ・・・手に入れてほしかった」
『それができる子だよ、あの子は。でも、それをしない。だからNEWSで、ユーのいないところでずっとやっていくのは無理だと思った。
周りがあの子を必要としていないんじゃない。あの子が最後の最後でユーしか必要としていないんだよ』
「はぁ・・・」
深く息を吐き出した。
携帯を握り締めたままに目が眩むような感覚。
思わずきつく閉じた瞼の裏には、今まで積み重ねてきた想い出がまるで走馬灯のように浮かんでは消えていく。
その想い出を消したくない。
だってそれでも大事なんだ。
何をどう間違えたってそれに変わりはないんだ。
あいつにとって、自分にとって、こんなことならいっそなければよかったのだと・・・そんな風には、それでも思いたくなかった。
あいつに会えなかったこの数週間の時間が気付かせた気持ちが、それでも思い知らせた想いが、今もなお自分の中で唯一の真実で。
お前に会いたいな。
お前にむっちゃ会いたいな、亮。
お前に、きみくんただいまって、言うてほしいなぁ。
そう思うだけで自分を取り戻せる気がした。
まるで心ごと持っていかれて死んだようだった何もかもが、痛みと狂おしさと愛おしさと共に戻ってきた気がした。
これさえも必要だったのだと、そう思えるような、自分の身体のパーツを取り戻したようでもあった。
積み重ねてきた大事な過去だけじゃない、この先の望んで止まぬ未来のためなら。
もう後悔だけじゃない。
道なんてとうに選んでいる。
過ちを犯して堕ちてきたこの場所で。
今せめてお前だけでも引っ張り上げられるなら、再び羽ばたかせてやれるなら。
もう迷うことはない。
「・・・あいつと話してきても、ええですか」
『好きにしなさい。僕が口を出すことじゃないよ』
確か錦戸と内は今夜の新幹線の最終便でこっちに帰ってくるはずだ。
今から出るとなると、駅よりも錦戸の家の方に直接向かった方が早いだろう。
何から話せばいいかなんてよくわからなかったけど、とにかくあいつに会いたかった。
あいつにごめんなと言いたかった。
もう大丈夫だと言ってやりたかった。
目を開けろと言ってやりたかった。
ああでも、今から会うのが楽しみでしょうがないんかな。
なんや手ぇ震えてどうしようもあらへん。
目の奥がチカチカするわ。
そうして最後に電話口から聞こえた声は、やはりいつもと変わらない。あの頃から変わらない。
『・・・でも、裕、忘れないで。僕は、君の生き方は理解できないけど、それでも愛しいとも思っているよ』
言葉はもう何一つとして返せなかった。
ただ握り締められただけの携帯からやがて着信が切れる。
部屋の静けさの向こうにいつの間にか雨の音がした。
きっとこれから酷くなるだろう、そう思った。
これから狂った歯車を戻しにいくこの手は、たとえ空から降り注ぐどれだけの雨に濡れても、たとえ己の流すとめどない血に濡れても、もう決して躊躇わない。
せやから亮、待っててな。
TO BE CONTINUED...
何食わぬ顔で続き。
前回(いつの話)で次回は亮横再会!とか言ってたけど嘘でした。
ていうか社長とかな・・・相変わらず趣味全開ですいません。
ユウユウは社長のお気にというアレを未だに普通に使っていきます。
ちょっとキリのいいとこというかなんというか、再会したとこから長そうなのでとりあえずここで切りました。
しかしもう浮上するかと思ってたらまだまだ一筋縄ではいかない感じ。
うちの裕さんはほんとにどうしようもない。
(2008.2.22)
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