修羅と月
寝所を抜け出し厠に寄った帰り道。
灯りが漏れる部屋を横山がちらりと覗いてみると、既に出来上がってごろごろとそこら中を転がる猫みたいなのが一匹。
そしてそれを楽しげに・・・むしろにやけきった顔で眺め晩酌する男が一人。
よくある光景と言えばそうだが、何もこんな風に戸も閉めず、しかも中庭が臨める場所で酔うなどと不用心なことこの上ない。
そんな横山の心の声をもしもあの若頭が聞こうものなら、「あんたも似たようなもんですよ」と顔を顰めるだろう。
しかし横山とこの二人ではそもそもの立場が違うのだから、言って当たり前だろうと横山は思うのだ。
酔っぱらって寝転がったままに陽気に歌う、小柄で細身な黒髪の青年。
あぐらをかいたままそれに大声で合いの手を入れる、茶の髪に細身ながらしっかりと鍛えられた身体をした青年。
まさかこんなのが関西最大組織の組長とその正妻だとは信じられない。
あんまりな状態に思わず顔を顰め、そのまま悟られぬように帰ろうとした横山だったけれども、それは叶わず普段以上に大きな声に呼び止められた。
「おー!!ヨコ!なんやなんや、そないなとこでなにしてるん!こっち来ぃや!」
「よこちょー?おっ、よこちょやないかー!あそぶか?あそんでまうかっ?」
「しまったわ・・・」
心底うんざりと言った表情で溜息をつくと、横山はとりあえず部屋の障子戸の縁辺りに腰を下ろした。
寝乱れたままの黒い着流しは、そこにあぐらをかくことによって白い胸元と膝から下にかけてを惜しみなく夜に晒す。
けれど特に肌寒さはなく、むしろ少し火照った身体を夜風が冷ましてくれて気持ちよかった。
そのまま中庭から晴れた夜空を眺めるとそこに丸い月がぽっかり浮かんでいる。
ぼんやりとそれを見上げる様を、すばるは依然として床に寝転がったままに見る。
そしてなんだか不満げに口を尖らせたかと思うと、ごろごろと転がりながら横山の方に寄ってきた。
まるで本物の猫のようにその小さな黒い頭を足元にすり寄せてくるのに、横山は苦笑しながらもしたいようにさせてやる。
「よーこちょー」
「なにぃ」
「さいきん帰んのおそいでー」
「なんやそれ。しゃあないやん。お仕事やもん」
「おもんないねん」
「おもんない言われても仕事やもん」
「ほんなら、オレも一緒にいく!」
「あほか。あかんわ。なに言うてんの」
相変わらずすぐ突拍子もないことを言い出す、と横山はそう呆れたように言いながら、横目で部屋の中の村上を見やる。
けれど村上も慣れたものなのか、調子よく笑っては頷くだけだ。
「そーやでーすばるー。お前が行ってもーたら俺が寂しいやんかー」
でれでれと間延びした調子でそんなことを言う様が、威厳の欠片もなくていけない。
思わず嫌そうな顔をした横山の、そのあぐらをかいた膝の上におもむろに頭を載っけると、すばるはビシッと村上の緩んだ顔を指差してやった。
「うっさいボケ!だいたいなぁ、オマエがアカンねん!オマエがヨコにばっか仕事やるから!」
「そうは言うてもな〜。ヨコにしかできんことやしな〜」
「オレにかてできるわ!オレかてまだまだ現役やぞコラ!」
「あかんあかん。すばるはすーぐどっか飛んでってまうから」
「それは言えるなー」
「せやろー?ヨコもそう思うやろー?」
「あっ、ちょおヨコ!オマエどっちの味方やねん!」
「どっちの味方でもないわ。・・・ちゅーかお前重いねんけど」
膝の上の黒い頭をぽふぽふと軽く叩く。
すばるはそれに顔だけで横山を見上げ、何かに気付いたように暫しじっと見つめた。
大きく切れ上がった漆黒の双眸は、今は一線を退いたとは言えかつて切り込み隊長として大暴れした「黒猫」を今でも十分に思い出させるものだ。
横山は初めて会った戦場でのことをなんとなく思い出しながらその眼差しを受け止める。
けれどすばるの方はぼんやりと見下ろしてくる横山にふっと小さく息を吐き出すと、さっきのだらけた様子もなんとやら、スッと身を起こすと横山の開いた胸元におもむろに手を伸ばした。
「ん・・・?」
横山が不思議そうに目を瞬かせるのを後目に、すばるの細い両腕がしどけなく開いた横山の白い胸元をきちんと合わせてやる。
全ては無理でも、せめて、と黒い着物で白い肌を覆うようにする。
たとえそこにいくら目に痛い程の赤い痕があろうとも、すばるも村上も今更気にするわけではないし、第一に当の本人がまるで気にしてはいない。
しかしそれを付けたあの若頭の一途な恋心を思うと、なんとなく自然と手は伸びてしまうものなのだ。
「あー、オレも大人になったわ・・・」
「あ?なにがやねん」
「若いのの恋まで心配してやれんねんから大人やで・・・」
「・・・さっぱりわからん」
しかしそうして眉根を寄せる横山と、うんうんと大袈裟に頷くすばるを見て、部屋の奥でちびちびと日本酒を煽っていた村上はカラリと笑った。
こんな風に一見穏やかに見える光景はそう多くあるものでもなくて、たとえそれが仮初めのものであろうとも、だからこそ大事にすべきだと思う。
決して口にはしないし、口にすることはその仮初めを仮初めの形にすら留めてはくれないことを判っているから。
「今日、お月さんきれーやなぁ」
「ほんまやなー。ヨコっぽいな」
「どこがやねん」
「まるいとこが。ヨコの肩っぽい」
自分以外には決して懐かない黒猫が、唯一自ら擦り寄るあの白い鬼神。
死に場所をくれるかと、そう言ったから頷いた。
その手を引いて連れてきた。
「・・・月見酒にはぴったりやなぁ」
二人にも聞こえないくらい小さく呟き、透明なグラスを少し掲げるとそこに丸い月を映す。
中の液体に小さく揺れるそれは甘い金色を湛えて美しい。
けれど闇に浮かぶそれは、だからこそ酷く孤独だ。
それは生まれついての美しさであり、強さであり、孤独であるのだ。
どうしてそうなったのか、理由を考えることなんて今更意味はない。
修羅として生まれついてしまった者が、その相応しい死に場所を求めることも、また。
「今日のお月さんは、ほんま、綺麗やなぁ・・・」
今度は傾けたグラスに金色になびく髪と、そのすぐ傍らにある漆黒の髪を映す。
月と夜。
そしてそれを映す自分。
自分達のこの関係をなんと呼ぶかは判らない。
傍目からすれば組長と正妻と懐刀、そんなところなのだろうけれども。
そんな呼び方は周りが決めたことでしかない。
「・・・ヒナ」
「ん?」
映していたグラスの向こうにあった白い顔が、ふっと静かにこちらを向いた。
その白い手ですばるの黒髪を撫でながら。
「次の仕事、はよう廻してな?」
「・・・おお、判っとる。明日にでもな」
「頼むで」
小さく頬を緩めて頷く白い顔を下からじっと見上げる黒い双眸は、揺れることはない。
悲しむことはない。
自分の役目も、相手の心も、判っているからだ。
「あーあ、ヨコは薄情やなぁ?」
「なにが」
「亮、いっつもヨコに置いてかれたー言うて拗ねんねんで?」
「・・・あいつはなぁ」
小さな溜息。
けれど嫌そうでもない。
修羅の心に唯一入り込んだあの気性の真っ直ぐな若頭。
村上とすばるができなかった、しようとしなかったことを為そうとしている。
それが幸福を生むのか、悲劇を生むのか、それは判らない。
錦戸には判らない。
村上とすばるには判っている。
そのどちらが幸福か、それすらも判らないのだ。
横山は暫く月を眺めていたかと思うと、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ戻るかな」
どこにとは言わない。
けれど恐らくは、唯一の温もりを与えてくれる真っ直ぐな彼の元へ。
すばるは再び転がってその様子を眺めた。
村上はそんな二人を眺めた。
修羅として生まれついてしまった横山が死に場所を求めるのは、もはや必然だ。
それなら村上は死に場所を用意する。
すばるはその死に様を看取る。
それが三人が共に交わした唯一の約束。
ただ、もしもそこで一途なあの想いが何かしらの奇跡を起こせるのだとしたら。
願うことも祈ることも自分達にはできないけれど、その時は外れた運命を大声で笑ってやろうと思う。
あの夜空で孤独に揺れる月を地上に落とす程の大きな声で。
END
極道パロの三馬鹿編です。亮横編(修羅と雪)と繋がってる感じで。
ていうか亮横に置いてるけど完全に三馬鹿ですねこれ。置き場所が難しい。
三馬鹿編はもう一個書きたいなー・・・。
(2006.10.29)
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