修羅と雪










あの人は「白い悪魔」と呼ばれていた。

得物は常に日本刀。
長身をピタリとしたスーツで包み、闇夜に光る銀色の切っ先を振るう。
あの人が「相棒」と呼ぶその刀はどうやら先代に貰った由緒ある代物らしく、凄まじく切れ味がいい。
それは人の腹を、腕を、喉笛を、まるで紙切れのように切り裂くのだ。

実際その様を目にしたこともある。
俺はそれを見て身体の震えが止まらなかったのを憶えている。
ただしそれはあの銀色の切れ味なんかではなくて、闇夜に映える白い顔、それが返り血で染まる様に、だ。
男にしては妙に柔らかなその白い頬を穢す汚れた赤。
月明かりに照らされた顔が壮絶過ぎて忘れられない。
その妙に浮世離れした白い美貌を歪めて微笑むその顔。
彼が白い悪魔と呼ばれる所以。

それを初めて垣間見た時感じた感情は、矛盾以外のなんでもなかった。

恐ろしい、けれど美しい。
恐ろしい、けれど儚い。
恐ろしい、けれど愛しい。

まるで鬼神の如きと謳われたあの人。
敵対組織を震え上がらせ、味方内では畏怖された。
普段は面倒見も良く明るい人だったから、周りに人は絶えなかったけれど。
それでもいつもどこか遠巻きに見られていた。
だから彼も自分の中に絶対的なラインを引いていた。

彼曰く、そのラインを初めて越えたのが俺なのだそうだ。
あっさり越えてきたなぁ、なんてきゃらきゃらと笑って言われたけれど、それは何も容易かったわけじゃない。
むしろそれは命を賭けるに匹敵するような行為だった。抽象的な意味でも、具体的な意味でも。
そう簡単に触れられる相手じゃなかった。
けれどそれでも触れたかった。
だから乗り越えた。
そうして手に入れた。

彼は俺を受け入れてくれた。
心も体も全部くれた。
お前は若くてええなぁ、なんて俺には無邪気に笑ってくれるあの人。
嬉しかった。
本当に嬉しかった。
まるでこの世の春を独り占めしたように。

けれどそれこそが、愛しさと裏返しの酷い哀しみを生み出していったこと。
薄々気付いてはいたけれど、止めることなんてもはやできなかった。








その日組に帰ったらあの人がいなかった。
若いのに訊いたら、どうやら組長直々の命でとある人間の首を取りに行ったらしい。
俺は正直苛ついていた。
その相手は今うちの組にとって最も厄介な相手で、確かに早い内に潰さなければならない相手だった。
けれどだからといって一人で行かせるなんて。
自信があるのか、普段からあまり周りに護衛を付けない相手だと聞いてはいたが、だからといって一人ではない。
むしろ少数精鋭で固めているに違いないのだ。
それを一人でだなんて。
あの人の腕ならば可能なことかもしれないけれど、そういう問題じゃない。
まるで人ではないかのような扱い。
・・・人でなければ、鬼だとでも言うのか。
たぶん、そうなんだろう。
組長はあの人を拾った人間であり、そして誰よりもあの人という人間を理解している。
そして何より、本人がそういう扱いを望んでいることを判っている。
でもだからこそ、俺だけはそれに異を唱えたかった。
確かにあの人はまるで鬼神の如き強さを持っているかもしれないけど、それでも人間なんだと。

俺の腕の中で小さくもない身体を丸めて無邪気に笑う。
男とは思えないような滑らかな白い肌を染めて照れる。
赤すぎる妙に可憐な唇を尖らせて悪態をつく。
あんな愛しいそれら全てが、人間でなくてなんだと言うのか。

ただ、そんな自分の思考の根底にあるものがある種の優越感でもあることは判っていた。
あんな鬼神の如く恐れられる人間に、唯一心を開かせて、身体すら自由にできると、そんなどうしようもない感情。
それでも、俺はこの気持ちにつける名前を知っていたから、それでもいいと思っていた。
肝心のあの人はなんと言うか判らないけれども。
もしかしたら笑い飛ばされるだろうか。



ふと時計を見て、そろそろだろうかと思った。
それはカンでしかないけれども。
あの人とそう短くない時間を共にして培ってきたカンだからそれなりに信頼できる。
それに、あの人にカン以外の何かなんて通用しないのだ。

屋敷の玄関先に向かおうとしたら、そこら辺に控えていた若いのに呼び止められた。

「若、どちらにおいでで?」
「・・・玄関先行くんにも許可がいるんか」
「お供いたします!」
「いらん。ガキちゃうねんぞ。ついてくんな」
「そういうわけには・・・」
「じゃかあしい!俺を誰やと思ってんねんゴラァ!」

ちょっとドスを利かせてそんなことを言えば、そいつは見るも分かり易くビビって恐縮する。
慌てて頭を深く下げ後ろに下がったのを見て、小さく唾を吐き捨てるとさっさと玄関先に向かった。
あの人がいないとこの屋敷も面白くないことばかりだ。


今日は随分寒いと思ったら、どうやら雪がちらつき始めたようだ。
積もる程の量ではないが、それははらりと触れた先から身体を凍えさせるように冷たい。

「風邪、引かんとええけど・・・」

一人玄関先の軒下まで出て呟いた。
あの人は大層な二つ名を付けられている割には自分の身体には無頓着で、少し気温が変化するとよく風邪を引く。
そのくせ大の医者嫌いで薬もほとんど飲もうとしない。
だからしょうがなしに、よく俺が蜂蜜湯だのなんだの、そういう民間療法的なものを作って与えては看病してやるのだ。
まぁそれで大抵がすぐケロッと治るのだから、元が丈夫に出来ているんだろう。

そんなことをぼんやりと考えていたら、目の前の大扉がゆっくりと開いていくのが見えた。
咄嗟に身構えて注意深く気配を窺う。
けれどすぐに緊張は解けた。
これはあの人の気配だ。
それでも安堵なんてできなかった。
そして緊張なんてもんじゃない、それはいっそ恐怖に近い、そんなものが目の前に突きつけられた。

「よこやま、くん・・・?」

ずるり、と。
それは扉を伝う彼の真っ白な手が立てた鈍い音だった。
濡れているからこそのそんな音。
見れば白いそれが赤く濡れていた。
その上から白い雪がはらはらと落ちて、それでも赤は消えない。

「おー・・・・・・亮ちゃんやないか・・・。まだ起きとったんかー・・・?」

扉から、俺の前へと。
ふらりふらりと、まるで夢遊病者のような足取りで現れた彼。
相棒である日本刀の柄を右手に持ち、月夜に煌めく銀色のそれは舞い落ちる雪と共にやはり赤い滴をしたたらせている。
顔がほとんど無事なだけまだよかったんだろうか。
いつも返り血を避けもしないから、真っ赤に染まることも珍しくないその白い顔。
今日はその柔らかな唇の端が少し濡れている程度だ。
けれどその代わり、今日は全身が真っ赤だった。
いつも着ている黒いスーツすら赤を吸って変色していた。
ほとんどは返り血だろう。
けれどその足取りの鈍さからして、自身が負った傷も中にはあるんだろう。

俺はこくんと小さく唾を飲み込んでから息を吐く。
思う以上に寒いからか、それは白くぼやけて消えた。
それを見て自分を落ち着け、ゆっくりと近づく。
すぐ傍に迫る赤く濡れた銀色のそれが少し恐ろしくもあったけれど、俺には今のこの人の状態の方が余程恐ろしかった。

何が恐ろしいって。
こうして人を斬ってきた後のこの人は、力なく笑う。
俺に向かって。柔らかく。力なく。頼りなく。

また死ねへんかった、って。

「・・・あんた何してんねん。ヘマしたんか」
「あーほ。俺がそんなんするわけあらへんやろ。一瞬やで一瞬」
「その割にはふらっふらやんけ」
「やー、久々に手応えあったなー。ちょっと遊んでもーたもん」

まるで子供みたいに笑う。
口の端に赤をつけて。
全身を赤に染めて。
銀色から赤を滴らせて。

とりあえず、と手を伸ばした。
その白い首の後ろに廻して引き寄せる。
されるがままのその顔を間近に捉え、せめてとその唇の端を舌で舐めとった。
穢らわしい誰かの血などこの人につけておくことは許されない。俺が許さない。

「んー、くすぐったいわ・・・」

まるで猫に舐められる程度の反応で声を潜めて笑う。
次いでカランと音がした。
軽くそちらに視線をやれば、手にしていた相棒を放ってしまったようだった。
再び目の前の顔を見るとなんだか無邪気であどけない笑顔。
唇の端を拭ったから、今は顔だけなら綺麗なものだ。
真っ白で穢れない。
そうやって笑うと本来の整った顔が見せるきつさがなりを潜め、幼さすら垣間見える。
まるで年上には見えない。

そう、この人はこうして血に濡れて帰ってきた後だけは、俺にこんな顔を見せる。

「亮ちゃん、相変わらずあったかいなぁ・・・」
「あんたが冷たいねん。風邪引くで」

そうやって躊躇なく俺に抱きついて、子供みたいにしがみついて。

「うん・・・亮、あっためてなー・・・?」

日頃絶対に見せないような甘えすら見せる。
まるで捨て猫が温もりに擦り寄るように。

「ん、・・・」

滅多にないそちらからのキス。
冷えた身体でもそこだけは途端に熱を持つ。
自然と両手をその身体に廻して抱きしめる。
俺より幾分か大きなその身体。
細いわけでもない。
むしろ肉付きはいい。
それでも、妙に柔らかなその肌は冷えきってしまっているからか、妙に儚く感じる。

「・・・りょおー」
「ん・・・?」
「今日はなぁ、8人殺してきたで?」
「・・・そう」
「最後のヤツ・・・あ、今回の目的のヤツな?最後命乞いしよってん。やー笑ったわー」
「そうなんや」

まるで子供の残酷さにも似た無邪気なそれ。
けれどこの人は子供なんかじゃない。
だから判っている。
自分の哀れさを。
自分の救われなさを。
だからただ死に場所を求めているだけ。

「せやからな、俺にちょっとでも傷つけられたら逃がしてやってもええでー、言うてんけどな。
手下に結構腕立つヤツおったし、実際ちょっと食らってもーたし、ほんならいけるかもしれへんて普通は思うやんか?」
「ああ・・・」
「せやのになぁ、あいつ逃げようとしてん。お前のために手下全員、五体満足な死体すらないゆーのに」

そう言ってうっすら微笑んだのが白い悪魔だ。
誰もが恐れる悪魔だ。
けれど俺には何より愛しい人だ。

冷えた頬を温めるように手の甲で撫でた。

「ほんで、どうしたん?」
「うん。おもんなかったからな、斬り刻んでもーた」
「・・・せやからこない遅いねん。もっと効率ようやってや」

抱きしめたら嬉しそうに笑った。
甘えるように声を潜めて囁いた。

「亮、俺としたくて待ってたんやろ」
「悪いか」
「お、開き直ったで」
「待ちくたびれたわ」
「んでもなぁ、これでも頑張ってはよ帰ってきたんやで?お前は待っててくれるやろなーって思って」

普段は気まぐれで近寄らせようとしない時すらあるくせに。
こんな時だけやたらと甘えてくる。
俺の首筋に頬をすり寄せて。
小さくも細くもない身体を精一杯丸めて。

もしかしたら、そんなこの人に、哀しみと同時に満足感を憶えてしまう俺がもっとも救われないのかもしれない。
だってこんな時だけは、この人は手放しに俺に甘えてくれるから。
俺に頼ってくれるから。
俺に全てをくれるから。
全てをくれると・・・そう錯覚させてくれるから。

俺が勝手に思っている、恋、なんて。
そんな夢みたいな感情を認めてくれる気がするから。


「きみくん、雪ひどなってきたで」
「今日は冷えるからなぁ・・・」

その太陽みたいに眩しい金色の髪に、白い雪がはらりと舞い降る。
その肌と同化するように溶けていく。
まるで死に場所を求める修羅に優しく語りかけるみたいに。

でもそれを遮っては、ねぇ、だめですか。
雪に交じって問いかける。
たとえどれだけ身体が交わってもどうせ届くことはないけれど。

死に場所を求める修羅に、ただ愚かしくも一途に、死んで欲しくないと。
そう願ってはだめですか。

そしてそれを恋だと言ってはだめですか。










END






超久々に書いた亮横がコレっていう・・・(震)。
でも結構昔から考えてたエイトで組パロの一部。
(2006.10,23)






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