ラブサイドアタック
はよ帰ってこんかいあのぼけ。
横山は内心酷く落ち着かない気持ちで携帯をいじっていた。
いや、正確にはいじるフリをしていた。
今この部屋にいる自分以外のもう一人の人間と何を話していいのか判らなかったから。
「・・・」
しかし相手が何をしているのかはちょっとだけ気になる。
だから横山は携帯のディスプレイに落としていた視線をちらりと向こうにやってみた。
そこにはソファーに座ってやはり携帯をいじる自分よりも少し小柄な姿。
今日の自分達のラジオにゲスト出演してくれた大先輩、国分太一だ。
昔からグループまとめてお世話になっているくらいだし、付き合い長さで言えばもうそこそこにもなる。
明るくて面白くて親しみやすくて面倒見がよくて。
彼を慕う後輩は数え切れない。
横山とて太一のことは好きだった。
けれど好き嫌いとは関係なしに、横山は先輩というものが苦手だった。
先輩の前に来ると単純に緊張してしまうのだ。
そして元来の人見知りも手伝って、プライベートで先輩と親しくなるということがなかなかできないのだった。
そんな横山に対して「後輩とはすぐ仲良くなれんのになぁ?」と不思議そうにしていたのは、あの呆れるくらい人懐こくて社交的な恋人だ。
横山からすればお前と一緒にするなと言ってやりたい。
後輩と仲良くなるのは得意な横山とは逆で、村上は先輩と仲良くなるのが得意だった。
村上はとにかく先輩に気に入られやすく、しょっちゅうどこかに連れていってもらったりご飯を食べさせてもらったりしているらしい。
普段から「タダメシ食らい」とネタにしてはいるが、正直横山からすれば村上のあれはもはや天性のものだろうと思う。
たまに少し羨ましいとすら感じる。
実際今日のラジオ収録の時だって基本的に太一と絡んだのは村上だ。
仕事である以上横山とて話は色々したけれども、やはり村上が間に入ってくれた感は否めない。
今回をきっかけにようやく電話番号の交換をできたということを考えれば少しの進歩とも言えるが、それもまた村上の仲介あってのことだし、実際の所本当に連絡をとるかと言えばその可能性は低いと
言わざるを得ない。
だいたいが、どうやって先輩に電話なんてかけられるのか。
忙しいのにかけたりしたら迷惑になるんじゃないのか。
基本的にネガティブ思考の横山からすれば先輩に電話をかけるなんてまず無理だ。
だからさっきからこの部屋に二人きりなんて状況になっても、横山には話しかけることもできないわけで。
「・・・」
またちらりと太一を窺う。
一体何をしているのだか、未だ携帯をいじっている太一は帰る様子もない。
もう仕事も終えたし残っている理由は何もないはずなのに。
そんなに気まずいのなら自分が帰ればいいのだが、生憎とさっきプロデューサーに呼ばれて行ってしまった村上を待つ横山にはそれもできなかった。
思わず小さく息を吐き出した。
もしかしたら先輩を前にしてこんな風に黙っていること自体失礼に当たるのかもしれない。
けれどやはり何を話せばいいのかもわからない。
だから横山はとにかく早く村上が帰ってきてくれないかと落ち着かない気持ちで待つしかなかった。
数いる先輩の中でも特に太一と親しく、またとても慕っている村上なら、こんな状況はなんでもないだろうに。
村上が出て行ってから何分経っただろう。
ずっとそわそわと落ち着かず黙っていた横山に、突然太一がなんでもないように声をかけてきた。
「なぁー横山ー」
「えっ、あ、はい・・・?」
思わずハッと顔を上げてそちらを見る。
太一は手にしていた携帯を畳んで横山の隣にやってくると、何気なく座った。
「なんですか?」
表面上はなんでもないようにそう尋ねた横山の内心は、今かなりの緊張に包まれている。
それを知ってか知らずか、太一は可愛らしい顔立ちに悪戯っ子のような笑みを布いて横山の顔を覗き込んできた。
「あのさぁー」
「はい・・・?」
「横山って、村上とはいつからなの?」
「はっ!?」
思わずぽかんと口を開けて固まる。
突拍子もなさ過ぎる。
そして目的語がない。
けれどそんな反応を気にした様子もなく・・・むしろ後輩の綺麗な顔が酷く抜けたものになっている様を、太一はさも面白そうに見ている。
「だって恋人同士なんでしょ?」
確かにそうだ。
言っていることに間違いはない。
けれども先輩相手にそれをひとつ返事で頷ける程に横山は堂々とできなかった。
「や、その、・・・いやー」
「ちょうどクリスマスのオーディションで出会って、それ以来ずっと一緒だってのは聞いたんだけど」
「聞いたって、誰から・・・」
「村上に決まってんじゃん」
「・・・」
「ついでにアレなんだって?告白は村上からだって?やるなーあいつ」
「・・・・・・・」
あのお喋り野郎。
横山は内心で恋人を罵っていた。
いくら尊敬する先輩とは言えベラベラ喋りすぎだ。
後で言ってやらなければ、と横山は軽く顔を顰めた。
「あ、あのお喋り、とか思っただろ?」
「あ・・・」
「余計なこと喋りやがってー、って顔してる」
おかしそうにクスクスと笑われて、横山はますます気まずい気分になった。
思わず手持無沙汰気味に携帯を手の中でいじる。
それをちらりと見てから更に続く太一の言葉。
「あいつほんとよく喋るよなー」
「まぁ・・・でもそれ言うたら太一くんもよう喋るじゃないですか」
「更にそれ言ったらお前も喋るなーと思ったけど。・・・仕事中はね?」
「・・・いや、あの、」
太一の真意が今ひとつわからない。
もしかしてダメ出しされているんだろうか?
仕事中こそベラベラと喋っていたくせに、仕事が終わった途端先輩と二人きりになっても話しかけてもこないような後輩だと。
けれど横山の内心の勘繰りとは裏腹に、太一は思い起こすようにペラペラと喋る。
「あいつさー、オフでも・・・ってそりゃお前のがよく知ってるか。あと電話でもよく喋んのよ」
「あー、なるほど・・・」
「結構しょうっちゅう電話してくるんだけどさ。そらもう延々と喋るわけよ。いや俺も喋るけどね」
「そうなんですか」
「そうそう。しかも軽いのから重いのまで、相談事のオンパレード」
「そうなんや・・・」
「いくら師匠だからって、答えられることと答えらんないこととあるっていうのになぁ。聞いてください太一さんっ、てさー」
「はぁ・・・」
・・・ほんまにはよ帰ってこいよあのぼけ。
横山は内心何度目かでそう繰り返しながらも、当の本人の顔を思い浮かべてはなんだかあまり面白くない気分だった。
村上が太一をとても慕っていて、時には相談まで持ちかけていることを横山は知っていた。
今でこそ村上と言えばサッカーというイメージだが、それとてそもそもは太一の影響で好きになったものだ。
そしてまだジュニアだった時代に自分の方向性で迷っていた村上は、ふとした太一の一言でそれを吹っ切れた。
村上にとって国分太一という人間はただの事務所の先輩というだけでなく、人生における先輩と言っても過言ではないのだろう。
基本的に村上は普段はメンバーの相談事に乗るタイプで、あまり自分の悩みなどを他人に打ち明けることはない。
グループ内では一番頼っているであろう横山にとて早々悩み相談など持ちかけてはこない。
それを考えれば村上にとって太一がどれだけ大きな存在かというのは自ずと知れることだ。
まさかやきもち・・・ということはない、と横山自身は思いたかった。
別に村上の自分に向ける気持ちを疑うつもりは毛頭ないのだし。
ただ普段からあまり自分にも深い悩み事を打ち明けてこない恋人に少なからずの不満があったから、なんとなく引っかかってしまっているだけだ。
「でもまぁ、そういうのも可愛いよな」
「へ?・・・かわいい?」
思わず考え込んでしまっていた横山を尻目に、太一はあっけらかんとそんなことをのたまう。
可愛い?何が?
もしかして今自分は太一くんの話を聞いていなかっただろうか、と横山は思わず目を瞬かせた。
「だから、村上さ。可愛い」
「アレがですか・・・?」
「あはは、アレがね。そうそう、アレが」
「・・・ただのポジティブゴリラですよあんなん」
「おーなるほどー。ゴリラかぁ。確かに、なんか最近妙にごつくなってきてるしなぁ」
「そうなんですよ。無駄にごついんですよ。原始人ですよ」
「なー。俺あんま筋肉つかないからちょっと羨ましいわ」
「いやいいですよあんなん。もうほんまうっとうしいんですから。年中タンクトップとか着よって」
「あはは、鍛えると見せたくなるらしいからなー」
「ほんまうっとうしいです」
うんうん、と深く頷いてみせる横山の言葉におかしそうに笑いながら、太一は小首を傾げて横山の顔を覗き込んできた。
「もらってもいい?」
「はい・・・?」
またしても突拍子もない言葉。
いい加減目的語を入れて喋ってくれないだろうか。
横山は日頃自分こそまともに喋れていないのを棚上げしてそんなことを思った。
けれど仮に最初から目的語を入れて喋ってくれたとしても、結果として反応に変わりはなかっただろう。
「だから、村上。もらってもいい?」
「な、・・・なに、言うてはるんですか、・・・なに、」
本当に何を言ってるのかわからない。
意味がわからない。
誰をもらってもいいって?・・・村上?
「いやー、だって村上可愛いんだもん。犬みたいに懐いてくるし。
しかも最近急にかっこよくなってきたしなー。あれはなかなか将来有望だぞ」
楽しげに笑う太一の顔はもう30とは思えぬ程に愛らしいけれども、だからこそ横山にとってはなんだか余計に緊張してしまう。
・・・むしろ、怖い。
太一は自分と村上の関係を知った上でそんなことを言うのだから。
「なー欲しいなー。だめ?」
「だめって・・・。あんなん、ほんまにほしいですか?」
「うん、いいじゃん。俺村上好きだよ」
「・・・太一くんも、物好きですね」
「お前には言われたくないけどなぁ〜」
「どういう意味ですか。・・・しりませんよ」
たぶんからかわれているだけだろう。
まさか。そんな。
でも今ひとつ確信が持てなくて、横山はろくな返事ができない。
太一はそれにおかしそうに笑いながら、その大きな瞳で後輩の白い顔をじっと見つめた。
「あれ、ほんとにいいの?マジでもらっちゃうよ?」
「なんで俺にきくんですか・・・」
「そりゃ、お前があいつの恋人だから」
「・・・だから、なんです」
「そこら辺の許可は恋人に取らないとなーって」
「言うてる意味がわからないんですけど・・・」
「だから、村上ちょうだい、って」
「・・・・・・やですよ」
「なんでー?」
「な、なんでって・・・」
「どーして嫌なのかなぁ?横山くんは。おじさんにわかりやすく言ってみ?」
「・・・・・・」
そんなこと、言わなくてもわかるだろう。
横山は思わず顔を顰めて目を逸らす。
恋人だとわかっているのなら、初めからそんなことを言うのは止めてほしい。たとえ冗談でも。
いくら先輩だからって言っていいことと悪いことがあるし、それに反論するのは当然の権利だろうと思う。
思うけれど・・・横山はうまく言葉にできなかった。
自分の恋人だから。
好きな奴だから。
大事だから。
たとえ先輩にだってあげるなんてできない。
当たり前じゃないか。
・・・そう言えばいいだけの話なのに。
うまく言葉にできなかった。
普段から本人相手にさえろくに伝えられないくらいなのだから。
こんなこと、くだらないと笑って軽く突っぱねればいいだけの話だ。
冗談で済ませてしまえばきっと太一とて笑って返してくれるはず。
けれどもそれが咄嗟にできなかったのは、何も相手が大先輩だからというだけではなかったのかもしれない。
心なしか眉を下げて黙ってしまった後輩の白い顔を見つめながら、太一は内心やりすぎたかなぁ、なんて呑気に思っていた。
何せこの目の前の後輩が思った以上に、そして聞いていた以上に、後ろ向きで繊細だったという話だ。
「こりゃ確かにほっとけないよなぁ・・・」
ぽつりと呟かれた言葉は、けれど同時に開いた扉の音に被ってしまって横山に届くことはなかった。
「ヨコ、待たせてごめんなっ?」
思う以上に時間がかかってしまったから急いで帰ってきたのだろう。
部屋に入るや否や大きく息を吐き出す村上の様子に、太一は思わず笑った。
けれどそれとは対照的に、横山はちらりとそちらを見ただけですぐさまふいっと視線を逸らしてしまう。
村上はそれに目敏く気付いて目を瞬かせるけれど。
「おつかれさーん」
「あ、太一さんっ。お疲れさんですー。もう帰ったんかと思ってましたわ」
「んー。ちょっと色々あってさぁー」
「?色々、ですか?」
「そうそう、色々ね」
太一のなんだか含みのある言葉に怪訝そうな顔をしながらも、村上はそれよりも恋人の方が気になった。
携帯をぎゅっと握りしめながら、視線を落としてつまらなそうに唇を尖らせるその様子。
なんだか妙に不機嫌そうな。
いや・・・どちらかと言うと落ち込んでいる?
「・・・ヨコ?どしたん?」
横山の方に寄っていくとそっと顔を覗き込んでみる。
けれど視線はやはり合わせられることはない。
「よーこ?なんかあったん?」
「・・・・・・別に、なんもないわ」
ぼそ、と小さく呟かれただけのそれは完全に言葉を裏切っている。
自分がさっき出て行くまでは至って普通だったのに、と村上は考えた。
何かあったとすれば、自分がいなかった少しの時間。
「あー、村上、ごめんなぁ?」
「え?」
そうは言いつつ大して悪いとは思ってなさそうな、呑気な声。
村上が思わず振り返ると、太一は可愛らしく小首を傾げて言ってのけた。
「ちょっとヒマだったから、横山いじめちゃった」
「はぁっ?・・・な、ちょ、太一さんっ!?」
何を言い出すのだこの人は。
村上は唖然とした表情で目を白黒させる。
いじめた?誰を?・・・横山を?
再び目の前の恋人を見ると視線がかち合った。
どうやら同じように太一の言葉に驚いて自分を見たらしい。
けれども合うや否や再びまた逸らされてしまう。
なんだかばつの悪そうな表情。
しかしその反応で、村上には太一の言葉があながち冗談ではないと判った。
「ちょ・・・太一さん?なんで・・・」
「なーんかさー、掴み所の難しい奴かなーと思ってたんだけど。
意外とわかりやすいとこあるから。ついついうっかり」
「ちょお、何してはるんですか!うっかりちゃいますよ!」
確かに悪のりする先輩ではあるが、基本的に優しくて面倒見はいいから。
まさかそんなに酷いことをしたとは到底思えない。
けれども横山は今確かになんだか沈みがちな様子で。
それはつまり実際に太一が横山に何かしらのことを言ったということに他ならないのだ。
村上は咄嗟に横山の元にしゃがみ込むと、その腕をぎゅっと掴んでその顔を見つめる。
「・・・ヨコ?何言われたん?」
「せやから、別になんもないて・・・」
「なんもないことないやろ?ええねんて、言うたって大丈夫やで?」
「なんもない言うてるやろ・・・うるさい」
横山は振り切るように頭を振って大きく息を吐き出す。
目を何度もパチパチと瞬かせて髪を忙しなく弄って。
村上は知っていた。
横山がそういう仕草をする時は、自分で自分の感情をとても嫌なものだと思ってしまって、それを何とか言わずに飲み込んで誤魔化そうとしているのだ。
「だいじょぶやって・・・冗談やもんそんなん・・・」
それはまるで自分に言い聞かせるみたいな台詞。
「・・・太一さん?」
横山の元にしゃがみ込んだままの体勢で、顔だけで振り返った村上。
その顔を見て太一は内心やるなぁ、とこれまた呑気に思いながらさっさと荷物をまとめ始める。
「あれ、村上くんはなんでそんなおじさんを怖い目で見てるのかな?」
「ヨコに何言うたんですか」
「やー横山意外と可愛いねー。お前の気持ちがちょっとわかったかも」
あはは、と愛らしく笑いながらそんなことをのたまう先輩に村上は頭痛のする思いで眉根を寄せる。
「太一さんっ?ヨコに変なことしたんやないでしょうねっ」
「変なことてお前。人を変質者みたいな言い方すんの止めてくんない?」
「もう似たようなもんですよっ」
「うーわー。言うなぁお前!・・・なんだ、そんならほんとにチューのひとつでもしときゃよかったかな」
「太一さんっ・・・!」
太一の冗談だか本気だか判らない言葉に完全に振り回されている。
そんな村上に、横山は思わず逆にその腕を掴んで引き留めるように顔を窺う。
「ちょお村上、待て、おまえちょお、落ち着けよ」
「落ち着いてられへんわこんなん!」
「おま、太一くんやぞ?」
「ええねん先輩やからって言うとこはちゃんと言うとかな!
ほんでヨコ、何されたん?変なとこ触られてないか?ほんま大丈夫か?」
「や、ちゃうって、せやからそういうんとちゃうくて・・・」
話が変な方向に転がっていってる気がする。
だいたいが、普通に考えて太一が横山に何かするなどあり得ないというのに。
どうしてこいつはこんなにムキになっているのだろう。全くもってらしくない。
横山はなんだか不可思議な気持ちでそう思いながら、ちらりと太一の方を見る。
そこには酷く楽しげにニヤニヤと笑う顔。
「いやー威勢いいじゃないの、村上くん。・・・電話でいっつも恋人に対する泣き言言ってる奴とは思えないなぁああ〜」
「うっっ・・・」
それに途端に固まる村上がまた普段は見られない姿で、横山はぽかんと口を開ける。
「へ・・・?あれ?なに?」
「やっ、なんでもないっ。なんでもないねんでっ」
村上は繕うように笑ってみせるけれども、どうにも必死なのが見てとれる。
それを白い顔がきょとんと不思議そうに見ている。
太一はそれらがおかしくてたまらないとばかりについには声に出して笑いだした。
「あーおもしれー!お前らほんと面白いな!」
「もう、太一さん・・・勘弁してくださいよ・・・」
「へ?なに?なんなん?」
「聞け横山。お前の恋人はなぁ、いつも俺に電話してきてなぁ、」
「ちょおもう、太一さんっ!ほんま止めて下さいって!お願いですから!」
「な、なんなん・・・なんやねんな・・・」
もはや土下座する勢いの村上を見て笑う太一の顔は小悪魔と言ってもいい。
普段割と冷静で動じない村上にここまでさせる国分太一という先輩を内心恐ろしいと思いつつ、横山は続きを促すようにその顔を見た。
さっきやりすぎたお詫びのつもりなのか、太一は横山に小さくウインクしてみせると笑いながら言った。
「これからヨコの傍におって一緒にやっていくためには、俺にはあと何が必要でしょうか?・・・ってさー」
「え・・・おれ・・・?」
「まだまだやらなきゃいけないことが多すぎて追いつかないんです、こんなんじゃあかん、って」
その台詞の後半、横山は自分の元にしゃがみ込んだ村上を思わず見てしまった。
村上はもはや諦めたのか、酷くばつ悪げに手で顔を覆っている。
そんな恋人の姿を瞳に映して聞いた台詞の締めくくりは、微笑ましいと言わんばかりの先輩の優しい笑い声。
「そんなん知らねーっての。自分で考えろって、なぁ?」
太一の方をちらっと見てから、再び村上を見る。
その顔を覆ったままの浅黒い手にそっと触れてみたら、なんだかぴくっと反応された。
けれどもやはり手は解かれない。
「・・・ヒナ?」
「・・・」
「ヒナ」
「・・・」
「ヒナ、って」
ぽんぽんとその手を叩いてみる。
けれども村上にとって太一のばらした事実は余程居たたまれないことなのか、未だ顔を見せてはくれない。
「な?村上可愛いだろ?」
そんなことを平然と言ってのける太一に思わず苦笑しながら、小さく頷いた。
言ってくれないことが多すぎる。
大事なこと程言ってくれない。
そう思っていたから、横山はさっき咄嗟に太一に言い返せなかったけれど。
「・・・太一くん、こいつはやれませんから」
「お・・・。理由、浮かんだ?」
「理由も何も。・・・見りゃわかるでしょ」
顔を覆った村上の手の、人差し指をなんとか一本解いてきゅっと握ってみせる。
するとようやく村上は手を離して横山を見た。
穏やかながらやはり未だ少しばつ悪げな表情。
それを横山が小首を傾げるようにして小さく微笑んで見つめたら、指を握った手を逆に握りかえされる。
強い力。
その絡まる手と手からでさえも、それだけで伝わるものはあまりにも多いから。
もう、いいか、と思った。
「・・・おーおー、お熱いねぇ・・・。おじさんちょっと当てられちゃったよ。もう帰ろーっと」
見つめ合う二人にさすがに苦笑すると、太一は荷物を持って扉の方に向かう。
けれど出て行く間際、ふと思い出したように立ち止まってニヤっと笑った。
「あ、村上ー」
「はい・・・?」
まだ何かあるのか、と若干警戒気味な後輩に対してヒラヒラと手を振って愛らしく笑った。
「横山はねぇ、俺がお前のこととったらやなんだって。ちょうだいって言ったら泣きそうな顔されちゃったよ」
「えっ・・・?」
「ちょ、たいちくんっ」
ぽかんとする村上と、狼狽える横山と、そんな二人などもはや放っておいて。
じゃあねー、と至極明るくそう言って。
今日はいい暇潰しができたとご満悦で。
まさに二人共に等しく天使のような小悪魔の笑顔を振りまいた先輩は帰っていったのだった。
バタンと扉が閉まる音を聞いても二人は暫く固まっていた。
「嵐やな・・・」
「ひどいわあれ・・・」
「言わんでくださいよって散々念押しといたのに・・・」
「ちゅーか別に泣きそうとかちゃうし・・・」
「・・・」
「・・・」
ちらりと顔を見合わせる。
暫し視線が絡む。
「・・・なぁヨコ」
「・・・なんや」
「今日、ホテル帰ったら、してもええ?」
「・・・・・・・・・・ええで、・・・ん」
普段ならばまずは盛りすぎやと言って嫌そうな反応を示してみせてから、まぁええけど、と素直じゃない言いぐさをする横山だけれども。
今はこくんと小さく頷きながらパチパチと目を瞬かせるだけ。
村上もまた普段ならばにこやかに笑いながら、今日はどんなんしよかー、などと親父丸出しな言動をとるくせに。
今はなんだか単純に嬉しそうに頷き返すだけ。
お互いまるで付き合いたてみたいな反応。
いや、付き合いたてだって別にこんな風じゃなかった。
先輩によって計らずも秘めていたことを暴露されてしまったからだろうか。
それが気恥ずかしくてしょうがないからだろうか。
それがくすぐったくてしょうがないからだろうか。
嬉しくてしょうがないからだろうか。
「・・・ヨコ」
「ん・・・?」
「・・・キス、しても、ええ?」
「・・・・・・きくなよ」
「ん」
「・・・」
それは予期せぬ時にお互いの所から飛んできた恋の矢に、今更に射抜かれてしまったみたいな。
帰り道、太一は一件のメールを受信して何気なくディスプレイを開いた。
「太一さん、今日はラジオのゲストありがとうございました。
来ていただけて嬉しかったです。
でもって、さっきは色々生意気なこと言うてすいませんでした。
これからもどうぞよろしくお願いします。
↓こっからヨコです。
今日はほんまにありがとうございました。。
こんど肉食べさせてください。おやすみなさい。。。」
太一はなんだか妙にくすぐったい気持ちになって、なんとなく目的地を自宅から恋人へと変更したのだった。
END
太一先輩スペシャルな雛横(意味がわからん)。
いやーあの太一先輩ゲストの回が思う以上にツボだったわとさん、うっかりですよ。
最強の先輩に振り回される雛横ちゃんが可愛いなあーと。そういう感じで。
ちなみに先輩のお相手は先輩のおうちの大きなわんこです。
(2005.12.17)
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