雪の如く消えてしまわぬように









ベッドの上、俯せになった状態で寝転がって雑誌を見ていたら。
ふと上から声がかかった。

「ヒナー」
「ん?」
「旅行行きたいなぁ」
「旅行?どこに?」
「しらんけど」
「知らんて。あんた今旅行行きたい言うたでしょ」
「別に場所とかまだ考えてへんねん」
「なんや。じゃあとりあえずどっかってこと?」
「そう、どっか行きたい」
「旅行ねぇ・・・・・・ちゅーかどうでもええけど横山さん、」

そちらも見ずに交わされていた会話。
とりあえずまずはそちらを向こうと身動ぐけれど、それは身体の上にのしかかったもののせいでままならなかった。
仕方なしに顔だけで振り返れば、俺の背中から太もも辺りまで直に乗っかっている恋人の白い顔。
こっちが胡乱気な表情を向けても特に何の頓着もなさそうな、けれど少しだけ楽しそうなその表情。

「なにぃ」
「重いんですけど。人の上乗っからんといてくれませんか」
「暇やねん」
「あのね。さっき俺が構おうとしたら、忙しいからあっち行けー言うたんは誰ですか」
「俺かもしれへんな」
「かもやなくて間違いなくあなたですよ」
「まぁええやんか」
「・・・はいはい。で?旅行?」

退く気配もなかったから、とりあえず何とか身体をそのまま反転させる。
今度は逆に仰向けになった体勢で、その顔を見上げることになった。
確かに退きはしないけれど、俺が身体を反転させるのに軽く身体を浮かせて手伝ってはくれるらしい。
しかしそうすると今度はその身体が完全に俺の身体を跨ぐような形になって。
さすがにこれはちょっと卑猥かもしれん・・・なんて思ってみる。
でもさすがに昨日の夜あれだけやったのにまたするとなると、嫌な顔をされるかもしれない。
いや、確実にされるだろう。
・・・昨日はこんな体位ではしていないけれども。

「北の方がええな」

内心段々と本題からずれたことを考えていた俺の意識を引っ張り出すように、ヨコがそう言った。
ああ、旅行の話やった、そう思い出して素直にその言葉に返すものを考えてみるけれど。

「北・・・?随分と抽象的やな」
「雪の降るようなとこがええ」
「これまた珍し・・・。あなた寒いの嫌いやん」

その言葉に少なからず驚いた。
容姿だけとれば、その白い肌に雪はこの上なく似合うと誰しもが思うこの恋人は。
けれど寒さに滅法弱く、冬になればいつも丸まっている背中を更に丸めて眉根を寄せていることが多い。
とにかく冬になると動きが鈍くなるのはまるで変温動物のようだと思う。
だから例えばウインタースポーツに誘えば、なんでわざわざ寒いとこに疲れに行かなあかんねん、と一刀両断で断ってくるような奴なのに。

「ええねん。寒けりゃ宿におったらええやんか」
「そりゃそうやけど、折角行くのに観光とかせんつもり?」
「そら、それもするやろうけど」
「それがメインでしょ。ま、温泉とかもあるけどな」
「・・・ええねん、そんな細かいこと。適当や適当」

そう投げやりに言いつつも、未だ依然として俺の上から退く気配はない。
いまいち判らない。
唐突な旅行に行きたい発言といい、雪の降る場所がいいという主張といい。
どうしたんだろうか。
一見大して何も考えていなそうに見えるこの恋人は、もしかしたらまた余計なことを考えたりしているんだろうか。
・・・旅行っていうのは何も本当に行きたいっていうわけじゃなく、何かの暗示だとか?

「・・・ヨコ?」
「なに」
「あんな、お前・・・」
「・・・あー、ヒナ」

少し探るように問いかけようとするけれど、それはやんわりと遮られた。
若干、ばつ悪げに。

「うん・・・?」
「お前こそまた余計なこと考えてそうやけどもな、」
「はい?」
「・・・別に、深い意味はあらへんで」
「深い意味?」
「せやから、今回はほんまそのまんまの意味やってこと」
「・・・旅行が?」
「そうやってさっきから言うとるやろ!ほんまうっといやっちゃな」

今回は、ね。
俺の考えすぎだったってことなんだろうか。
でも考えてもしまうのも仕方のないことだ。
単純で幼稚に見えて、けれど何故か妙に複雑怪奇な構造しているこの恋人の精神性。
叩いても何をしてもへっちゃらな強い部分と、そっと触れただけでも壊れてしまいそうな脆い部分と。
それら二つを同時に抱えるそのアンバランスさは、どうしても常日頃から過保護な程に気にしてしまう。

「そっか、ならええんやけどな。でもしゃあないやんか。横山さんほんま思考が後ろ向きやねんから」
「うっさいだまれ」
「はいはい」

そう言って上から軽く睨むように見下ろしてくる切れ長の瞳は、鋭いけれど何処か心地よいから不思議だ。
それはもしかしたら、今とは逆にそれが潤んで霞む様も同時に見て知っているからかもしれない。
そんな昨夜の様を思い出しては、何となくそのギャップが愛しくなって思わず手を伸ばし頬に触れる。
少しだけ怪訝そうにしながらも、ヨコはされるがままでいた。

「ヨコ」
「ん?」
「どこ、行こか」
「え・・・あ、村上?」
「な、どこ行く?」

触れていた手で軽く腕を引いて身体をこちらに寄せる。
ヨコは急なことにバランスを少し崩しながらも、俺の顔の脇に片手をついて近い距離で俺を見下ろした。
その表情は少しだけ呆れたようなものだった。

「なに急にやる気になってんねん・・・」
「いや、ほんまに行きたいんなら行こう思うて。具体案ですよ」
「・・・どこでもええわ」
「それじゃ決まらんでしょ。なに、雪が降るとこならどこでもええってこと?」
「別に・・・それもどこでもええと言えばええっちゅうか」
「はぁ?なんやねんそれ」
「せやから・・・他の人間のおらんとこに行ければええねん」
「・・・ヨコ?」

じっと俺を見下ろしてくる、その顔が俺の上に影を作っている。
昔からそんなこととうに判っていたけれど、改めて思う、その作り物めいた美貌。
今それは最もその美しさを際立たせる表情をしていたと思う。
作り物と、そう思わせてしまうに十分すぎる妙な無表情。
ヨコはたまにこういう表情をするときがある。
普段はうるさい程に喋って騒いで不機嫌になってイライラして。
本能の赴くままに感情をさらけ出すくせに。
たまにこうして、その全てを消してしまったような表情をするんだ。
そのまま自分まで消えてしまいそうな、そんな。
確かに綺麗だけれど・・・俺はあまり好きじゃない。
これが人形ならばいい。
でもヨコは人形じゃない。
そんな表情、して欲しくない。

「ヨコ」
「ん・・・」
「キスしよか」
「・・・いきなりなんやねんな」
「したなったから」
「本能のままやなおまえ・・・」
「お前にだけや」
「・・・ん、」

そう、俺から誘ったというのに。
ヨコはそっと目を閉じたかと思うと、自らゆっくりと唇を落としてきた。
その柔らかな感触が触れて、擦れる。
それだけでぞくりとした何かが身体の奥に生まれる。
合間に小さな吐息が零れると、一瞬息を吸い込むためか離れようとするから。
その首に片手を廻し引き寄せて軽く固定する。

「んっ・・・ぅ」

一瞬苦しげに眉を軽く寄せるヨコの表情をちらりと確認してから、舌を忍ばせてゆるりと絡め取る。
湿った唾液の音が耳の奥に響いて、なんだか喉が渇くような気がした。
その渇きに身を任せて軽く吸い上げれば、その身体がぴくんと反応して手で俺の肩を軽く押し返す。

「・・・う、ん・・」

もう一度その表情を窺えば、僅かに紅潮した白い頬が見えたから。
そっと唇を離して解放してやった。
唾液でてらてらと光る赤い唇と、微かに潤みかけた瞳とも相まって。
それは確かに血の通った人間の、恋人の愛しい顔だった。
それがなんだか嬉しくてそっと頬を撫でる。
ヨコは特に嫌がることもなく、笑った。
少しだけ照れ混じりで。

「・・・おまえと行きたいだけやで」
「俺と?」
「そう」
「そっか」
「そうや」

やっぱり俺の考え過ぎってわけでもなかった。
けれど確かに本人にとってみれば、それは深く勘ぐらなければならないようなことでもないんだろう。
つまり俺にとってみれば随分と婉曲的でありながら。
こいつにとっては十二分にストレートなつもりなんだろう。


『おまえと、誰もおらん遠い静かなとこにいきたいだけ』


せやな。
周りは雑音が多すぎるもんな。

それは可愛らしくて、少し切ない。
いくら普段斜に構えてはいても、その奥底はいつまでたっても稚い恋人の、その柔らかな心の顕れのような気がした。

「せやったら、どうせなら北海道でも行くか」
「ほっかいどう」
「そう。食いもんうまいでー」
「あっええなそれ。カニある?」
「あるある。温泉入ってうまいもん食お」
「おう。北海道なら任せとけ。そこなら場所わかる」
「せやね。北海道ならちゃんと「北」って字入ってますもんね。どう考えても北ですもんね」
「うっさい村上。ほんまいちいちうっさいねん、この口は」
「っ、ちょお横山さん・・・くちふさがんといてー」
「一度塞いだらええねん、こんなうっさいのは」
「やめてぇやー」

至極楽しげに俺の唇を指で挟み込む、その表情が愛しかった。

甘やかしているとまた言われるだろうか?
確かにそうかもしれない。
でも多くの言葉と多くのわがままの中に隠されたささやかな願いひとつくらい、叶えてやりたい。
しかもそれが俺にしか出来ないことならば。

雪のように白いその手を小さく握り、ただそう思った。










END






突発ネタで。
なんかもーまたこういう感じになったよ・・・と思ったり思わなかったり。
ヒナヨコ書きたい!と不意に思って何も考えずに書き始めたのですが。
もっとアホっぽくほのぼのラブラブな感じになるはずだったのになー・・・。ううん。
村上さんにはこれからも思う存分横山さんを甘やかしていただきたいものです。
(2005.3.15)






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