ここからはじまるエトセトラ
うららかな午後の唐突な訪問者に村上は目を真ん丸く見開いた。
「あれ、亮ちゃん」
「・・・ども」
「どもども。珍しいな?」
「あ・・・いきなりすいません」
玄関先で村上が小首を傾げると、錦戸はそれにばつ悪そうに小さく頭を下げて視線を落とす。
村上が一人暮らしをするようになったのはもう結構前だが来るのはまだ二回目だ。
しかも一回目は横山と安田と三人で引越祝いにと遊びに来ただけで、一人で来るのなんて初めてだ。
けれど視界に映った玄関マットはよく憶えている。
三人で来たあの時だって最初の内はこうして視線を落としているしか出来なかったから。
「あの、ちゃんと事前に連絡くらいしよう思ったんすけど、」
「ええてええて、そない遠慮せんでも。亮ならいつでも大歓迎やでー」
ニコリと人懐こい笑顔を浮かべる村上に少しだけホッとして、錦戸は小さく息を吐き出した。
なんで来た、とそう訊かれてしまったら本当に困る所だった。
理由なんてあるようでなかったし、あるにしろ到底すぐさま言えるものではなかったからだ。
だからこそ何も訊かずにこうしてただ笑いかけて迎えてくれた村上がありがたかった。
村上の、この相手を安心させる笑顔は天性のものだと思う。
その笑顔を見れば誰だって固く強ばった心も解いてしまうだろう。
それは錦戸とて例外ではなく、思えば幼い時分から随分と助けられてきたように思う。
ただそれでも依然として拭いきれない緊張は恐らく逆にそれ故のものなんだろう、と錦戸は握った手にうっすら汗を感じながら思った。
「まぁまぁ、こんなとこで立ち話もなんやし。上がり」
「あ、ありがとうございます、あの、・・・」
いくら訊かれなかったとは言え、それなら自分から何かしらの訪問理由は言っておかなくてはまずいだろう、そう思って何とか口を開きかけた錦戸だったけれど。
「亮はコーヒーやっけ?それとも紅茶?」
村上は全く話を聞いていなかったのか、それとも敢えて聞こうとしなかったのか。
そう言いながらさっさと部屋の方に行ってしまった。
「あっ、ちょ、村上くんっ・・・」
錦戸は何となくどうしたらいいのかと暫し玄関先でうろうろと視線を彷徨わせる。
上がれとは言われたけれども・・・と、つま先まで脱いだ靴をそれ以上どうにも出来ずにいると、部屋の中から呼ばれた。
そんなに大声を出さなくても聞こえる、というくらいの声で。
「亮ー!どっちがええのーん!?」
「あ、あっ、えっと、・・・じゃあコーヒーでっ!」
負けじと大声で返すと、ご機嫌そうに「了解ー!」と返される。
錦戸はそれにもまた息を吐き出してはおずおずと靴を脱いでようやく部屋に上がった。
部屋をきょろきょろと見回す。
きっちりとまでは行かないがそれなりに機能的に整頓されたそこは村上らしい、と何となく思った。
自分の部屋がお世辞にも整頓されているとは言い難いからこういう感じの部屋には割と憧れる。
そもそもが一人暮らしをしていること自体が錦戸には凄いことだった。
当たり前のことだが、普段親にやってもらっていること全てを自分一人でやらなくてはならないのだから。
生活のリズムが不規則になりがちなこの仕事をやっているとそれは思う以上に大変だろうし、自分にはまだ当分無理だろうと思う。
事実錦戸以外のメンバーも未だ実家暮らしであり、一人暮らしをしているのはグループでは村上一人なのだ。
「なにそんなとこ突っ立ってるん?座ればええのに」
後ろからそんな声がかかってハッと振り返る。
それに村上はなんだかおかしそうに笑ってマグカップの二つ載ったトレイをテーブルの上に置くと、さりげなく錦戸の肩を押してすとんとソファーに座らせてしまった。
錦戸は軽く目を瞬かせながら村上を見上げる。
「あの・・・」
「ほら、落ち着かんやろ。コーヒー飲も。ほい」
その手からマグカップを手渡されて咄嗟に受け取ると、ゆらめく暖かい液体に一度視線を移し、もう一度村上を見上げて。
結局少しだけ遠慮がちに口をつけた。
「はい・・・」
「俺も飲もー」
そう言いながら錦戸の横に座ると、村上はやはり同じようにカップに口をつけた。
言う程近いというわけでもないが何となく隣に温度みたいなものを感じて、錦戸はチラリと盗み見るようにそちらを見る。
これからどないしよう、錦戸の今の心情はそんなものだった。
つい勢いでここまで来てしまったものの、何か考えていたわけでもない。
本当に何となくでしかないのだ。
何となく、不意に、自覚してしまったから・・・。
「亮?」
「あっ、はいっ」
ぼんやりとその横顔を見ていたらさすがに気付かれたようだ。
村上は不思議そうに小首を傾げて錦戸の顔を覗き込んできた。
「どないしたん?なんか疲れてんの?」
「や、そうでもないっすけど」
「そう?・・・やったら、緊張してんのかな?」
「は・・・?」
思わずその顔を凝視する。
村上は錦戸を覗き込んだままに楽しそうに笑っている。
「なんや、来た時から妙に緊張されとる感じするわ。亮、今更俺に緊張すんの?」
「別に・・・緊張しとるってわけやないっすけど」
「そ?でも、なんかなー、初めての女の子みたいやねん」
「はぁっ?」
何やら平然ともの凄い台詞を吐かれた気がする。
錦戸は思い切り眉根を寄せてはおかしなものを見るような目つきでその人懐こい笑顔を窺う。
しかしそうだ、と錦戸はそれなりに長い付き合いから思い出してもいた。
この人は普段常識人の割に、たまに横山くんやすばるくんをも飛び越えたことを言う時があるのだ、と。
「あ、ちゃうで?初めて、て言うてもそういう意味とちゃうくて」
「そういう意味ってなんすか・・・」
反射的にそう返してしまって、すぐさましまったと思った。
そしてまさにそう思った通り。
ニコリと随分愛らしく笑った村上は更に上を行く返事を返した。
「ちゃうちゃう。処女うんぬんの話やなくてやな」
「誰も言うてませんよそんなん!何言うてんですかちょっと!」
「あ、そう?いやーそんなん言う変態やと思われたら敵わんなぁ、思うて」
「なんなんすか・・・。あー、もう、ありえへん・・・」
「あはは、ごめんごめん。おっちゃん間違えたわ」
「間違え過ぎやわ・・・なんやそれ・・・」
「ほんまごめんて。亮ちゃんそない怖い顔せんといて」
「してませんよ別に」
チッと舌打ちしては「ほんまこのおっさんは」とブツブツ呟いている錦戸に、村上は今度は表情だけで笑った。
それはうっそりと、何かを確認するみたいに。
「でもほら、あれやな」
「今度はなんすか」
「ちょっとは解れてきたんとちゃう?」
「何がですか」
「緊張が」
「・・・や、せやから別に、」
上手いこと話を戻されてしまい、思わず言葉に詰まる。
基本的に村上は話の持って行き方や流れを作るのが上手い。
特に話すことが苦手な錦戸からしてみれば、村上と話していて主導権を握れるはずもない。
けれど村上が上手いのはそこからだ。
あくまでも、主導権を握っているとあからさまにはしない。
「あんなー、彼氏の家に初めて遊びにきた彼女みたいて言うかなー」
「・・・はい?」
「今の亮ちゃん」
「・・・村上くん」
「はい?」
「頭大丈夫ですか」
「うわ、言い切られた。なにもう、ほんま口悪いなぁ、この子はー・・・」
なんだかがっくりと肩を落としてため息をつく。
その様が妙に面白くて、錦戸はようやくペースを掴めたとばかりにニヤリと唇の端を上げて笑いながらその顔を覗き込んでみる。
「やってええ加減言うことがおっさんですもん」
「それ最近みんなに言われんねんけど、どこが?」
「どこがて。全部がですよ。そういう発言全部」
「全部て。救いようないやん」
「ないですね」
「また言い切られた・・・」
「ほんま酷いですよ村上くんのそれは」
「亮なーお前なー・・・あんま言うと俺も怒るで?」
「何がなんですか、って、・・・ちょ、村上くんっ?」
唐突に横からがしっと肩に腕を回された。
何事かと目を白黒させていると、村上はいつの間にか随分と余裕の笑顔を浮かべて顔を近づけている。
その距離に思わず錦戸は身体を引こうとするけれども、廻された腕の力は存外に強かった。
身長こそちょうど同じくらいだけれども、元々の骨格とジム通いの成果なのか、全体的に細い錦戸に比べると最近の村上の上腕は随分と発達しているのだ。
思う以上の力に振りほどけない腕の中、錦戸は来た時以上の緊張感に包まれてはつい顔を強ばらせる。
「ちょっと、何すんですか・・・」
「あ、また緊張しとるやろ?」
「・・・怒りますよ?」
「あれ、あかんて。俺のが怒る番やのに」
「なんでですか。これは俺が怒るとこでしょ・・・っていうか、」
「ていうか?」
「・・・暑苦しいから離してください」
不機嫌そうに呟いてはグッと力を込めて廻された腕をどかそうとするのに、村上はそれでも楽しげだ。
腕には更なる力を込められる。
「暑苦しいて。ほんま口悪いなー亮はなー」
「元々です」
「そんなことないで?昔は結構素直やったやん」
「昔なんて憶えてへん」
「そう?俺はよう憶えてるよ?」
「そらおっさんやからでしょ」
「あ、また言うた」
「ほんまにもうおっさんやし強引やし、たまに意味わからんことしますよね村上くんて」
「そうかなぁ・・・」
「そうですよ」
「でも意味は、あんねんで?」
「え?」
力を込めた腕に更にぎゅっと肩を抱かれる。
その強さと熱さに何となく身を竦めて、錦戸は恐る恐る村上を窺った。
村上はやはり笑顔で、廻したのとは逆の手をゆっくりと近づけるとその人差し指で錦戸の唇にちょこんと触れた。
確かに感じた指の腹の感触。
そこから何かが伝わってきたような、伝わってしまったような、そんな気がして。
錦戸は思わず反射的に目を瞑ってしまう。
それにクスクスと小さな笑い声がかぶった。
「いつ言うてくるんかなー、て思っててんけど。・・・やっぱあかんなぁ」
「なに、・・・っ」
その言葉の真意が知りたくてうっすら目を開けようとしたら、瞼にふっと何かが触れた感覚があってまたきつく瞑ってしまった。
しかもその感触はさっきのものとは違った。
もう少し柔らかで、けれど少しがさついた・・・。
「む、村上くん、」
「はいはい?」
「何してるんですか・・・」
「なんやろね?」
「村上くんっ」
「あんなぁ、亮の言葉で言うと、俺はおっさんやからね?」
「っ・・・」
今瞼に触れた感触が、今度はおでこに移った。
それにぴくんと反応すればまた耳元を小さく笑い声がくすぐる。
「自分から行ったらあかんなぁ、て思っててん」
「なに、が、」
「亮の方から来るんを待たなあかんなぁ、て」
「・・・む、」
むらかみくん、と呼ぼうとした唇は、今さっきおでこに触れた感触に塞がれてしまってままならなかった。
生暖かく柔らかく、同時に少しだけ荒れたような。
きっとそれはいつも快活に喋るもので、自分にはないもので。
錦戸はまさかと思いつつもそれしか思い浮かばない、そうとしか感じられないそれを確かめてみようと、ゆっくりと瞼を開けた。
「ひなくん・・・?」
ぱち、ぱち、と緩く瞬きながら開いた真っ黒な目は常になく子供のようで。
それはまるで出逢った頃のように無垢な。
事実呼び方すらも昔に戻ってしまったように幼げな。
すっかり大きくなって傍目には怖いと言われる程に男らしくなった後輩の、いつまでも穢れない心の顕れのような。
村上はそれを怖がらせないようにと小首を傾げてまた人懐こく笑いかける。
「でもなぁ、俺にも限界てあるしな?亮ちゃん?」
やんわりと囁く。
けれど、腕の中に閉じこめて、逃げられないようにして、その緊張なんてとっくに判った上で、全部判った上で、そうして告げるのは。
きっと大人の狡さだ。
「好きなら好きて、言わなあかんで?」
一瞬何を言われたのか判らないとばかりにぽかんと薄く開いた唇は、けれどその意味を理解するや否やすぐさまきゅっと噤まれてしまう。
そして次いでそれが開いて口にするのはあからさまな照れ隠しの言葉に違いない。
本来素直な性質を持てあましては素直ではない態度を取ってしまう、この恥ずかしがりな子供。
けれどそれならば、村上はそれを大人の狡さと強引さで押さえ込むだけだ。
ここぞという所では甘やかしてやらない。
錦戸が目を開けて自分を見ている状態で、もう一度唇を自分のもので塞ぐ。
「んっ・・・」
錦戸は思わず反射的に強く村上の肩を掴んだ。
それを合図にしたように錦戸を更に自分の方に引き寄せる。
そうしてもたれかからせてしまうと、うっすら濡れたその唇にもう一度指先で触れて、笑った。
「亮、好きやで?」
言えと言っておいて、結局自分から言ってしまった。
錦戸は何だか釈然としないものを感じながらも、なんだか熱を持ってしまった唇や頭を持てあましながらぎゅっと眉根を寄せる。
その表情が完全に拗ねているようにしか見えないことになど気付いてもいないだろう。
自分では睨みつけているつもりなのだ。
「なんなんすか・・・ほんま・・・」
「せやから好きやねん、て」
「・・・順番がちゃうんとちゃいますか」
「あら。そう来るかぁ」
「そう来るも何も・・・・・・ほんまなんやねんこのおっさん腹立つわ・・・」
「あーあ、今度はキレんの?忙しい子やねぇ」
「せやからなんなんですか!ほんまに!」
村上の言葉は直接的なのか間接的なのかよく判らない。
基本的に考えすぎるタイプの割には複雑なことが苦手な錦戸にとっては理解し難い存在だ。
どうしようもなくなって悪態つくように言ってみるけれども、結局それは人懐こい笑顔にあっさりと流されてしまう。
「せやから、好きやねん、亮」
「なんで、・・・そういう・・・」
「抱きしめて、キスして、抱きしめて、キスして、・・・好きやって、言って。
・・・それでもまだ言えへんの?亮は。俺、これでも結構譲歩したつもりやねんけどな?」
「せやから何を言えって・・・」
判っている。
もうそんなの判っている。
錦戸にだって判っている。
本当は今日、それを言いにきたのだから。
「何を・・・」
けれど錦戸はそれでも迷う。
いや、迷うというよりか、あと一歩が踏み出せないだけだ。
それはまるでジェットコースターの山の一番上まで来たような緊張と恐れ。
一歩を踏み出してしまえばあとはまさに坂道を転がり落ちるようなものだ。
錦戸はどれだけ成長しても村上の前にきてしまえば自分が子供でしかないことを自覚していた。
どうやっても敵わないことは内心判りきっていた。
それはどうにも悔しいことでもあるけれど。
錦戸は何も村上に勝ちたかったわけではない。
ただせめて一つだけでいい、対等なものが欲しかった。
だからこうしてなんだかんだと子供のように扱われている内はそう易々と言葉に出来なかったというのに。
抱きしめられて、キスされて、抱きしめられて、キスされて。
好きだと告げられて。
掛け値無しにそう言われて。
錦戸に選び取れる道は気付けば既に一つしかなかった。
「・・・俺も、です」
「ん?俺も?」
「せやから、俺も・・・・・・俺も好きやって、言うてんねん!もう腹立つわこのおっさん!」
「うわー告白まで半ギレて、逆に新鮮やなぁ」
「なんなんすか!ほんまなんなんすか!」
「なんやろねぇ」
せやからさっきからおっさんや、て言うてるのに。
村上はおかしそうに笑いながら内心だけで思う。
一つのことしか考えられない子供の逃げ道を塞ぐのは簡単だ。
そして酷く狡い。
好きで堪らなくて待っていることも出来なくなる程焦がれた癖に、それを見せようとしないでさも余裕の仮面を被ってみせるのは。
どうしようもないくらいに自分の方が好きだと、そう判っていながら相手に焦がれさせるのは。
押して押して、他のものなど見えないくらいに強引に振り向かせたいくせにそれをしないのは。
本来の村上からすればそれは実は苦手なスタンスでしかないのにこんな回りくどいことをしたのは。
本当は、少しだけ怖いから。
それはまさに狡い大人でしかない。
錦戸はそれに気付いていない。
いずれ気付く日も来るだろうけれども、その時にはもう遅い。
自分も、錦戸も。
村上はそんな近い未来すらも愛しいとばかりに笑っては、軽く顔を近づけてもう一度唇を合わせた。
けれど、それを伏し目がちに受けながら錦戸はぽつりと呟いた。
「俺も好きです。・・・負けないくらい」
その小さいけれどもしっかりとした言葉に村上は思わず一瞬目を丸くする。
そしてつい声に出して笑ってしまった。
「・・・なんやそれ、勝負とちゃうねんから」
「やって・・・村上くんまたナメたこと考えてそうやねんもん」
「ナメたことて。ほんま口悪いなこの子」
「すぐ追い越しますからね、言うときますけど」
「せやから何を勝負してんの」
「余裕ぶってられんのも今のうちっすよ」
「あーあーわかったわかった、そんでええわ。亮の好きにし」
おかしくておかしくて、笑いながらその背中をポンポンと軽く叩く。
逆に廻された細い腕が自分の肩を抱きしめるのが判って村上は頬を緩めながらまた叩いた。
子供だの大人だの、結局恋なんてものにかかってしまえば何のこともない。
それは実は錦戸が望む対等なものであるのかもしれない。
そんな愛しい未来が楽しみで。
自分達のこれからが楽しみで。
村上は楽しげに笑いながらその背中をポンポンと叩き続けた。
END
はんこに亮横を描いてもらう代わりに書いた雛亮(そんなんばっか)。
いやだって私がヨコ受け書いて(描いて)もらいたい神作家の友達が二人とも錦戸受け(もしくは錦戸絡み)なんだもの!(笑)
でも雛亮は私が村上総攻め大好きなので全然オッケーです。むしろ好きだ!
書いててかなり楽しくてビビりました。いいな雛亮も。
とりあえず雛亮はおっさんと純情893の恋物語だよ。
なんも知らない純情893をおっさんが自分色に染めていく物語です(そんな)。
というわけでいずれ続きも書きたい感じです。
(2006.2.5)
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