あまい手










『へこんどるから慰めたれ』

横山は携帯のディスプレイを暫し凝視する。
それから顔を上げてふいっと視線を部屋の方にやり、視線の先にいる村上がテレビにかじりついて大笑いしているのを確認する。
そしてもう一度ディスプレイを見る。
メールはすばるからだった。
しかもそのたった一行だけの、伝える意志が本当にあるのかどうかも疑わしいような代物。
もちろんそれだけで伝わると思った上で送ってきているのだろうが。
そしてすばるが横山に対してたったそれだけで伝わると確信を持てる相手と言ったら・・・もはや一人しかいない。

もう一度部屋の方を見た。
やはり村上はテレビの前であぐらをかいて大笑いしている。
けれどもリモコンを手に何やらチャンネルを変えようともしている。
今日一日中サッカーをしてきた割にはその疲れもあまり見せず。

「・・・なんや、アホか」

メールにもう一度視線を落としてから自然と呟いて携帯を閉じた。
冷蔵庫からビールを一本出すと部屋に戻る。
さっきはお笑い番組で大爆笑していたかと思えば、今は世界情勢を報じるニュースを神妙な顔で見ている、背中の丸まった後ろ姿。
後ろから無言で近づくと、キンと冷えた缶を頬に押し当ててやった。
突然のことに村上は派手にびくっと身体を揺らして振り返る。

「っ!?冷たっ・・・!」
「・・・ほれ」
「あ、ビール?おーありがと」

驚いていた顔がふっと緩んで缶を受け取る。
横山はそれを見て何気なく隣に腰を下ろした。
その視線は目の前のテレビに向かっている。
今画面には遠い国で大災害に見舞われ救援を待つ悲惨な人々の姿が映し出されていた。
急に自分の隣に座ったかと思ったらこちらも見ずぼんやりとそれを見つめる横山を、村上は少し不思議そうに見る。
いや、ニュースを見ていること自体はなんら不思議はないのだけれども。

「なぁ、ヒナ」
「ん?」
「今日のサッカーどうやったん?」
「どうやったて・・・楽しかったよ?」

さっき会って開口一番散々言うたやん、と村上はおかしそうに笑ってそう言う。
けれど横山はそれに短く「あっそ」と素っ気なく返しただけだった。

今日村上は午前中から夕方まで自チームを引き連れて延々とサッカーをしていたらしい。
サッカーバカの正しいオフ日やな、と横山などは呆れたように思ったものだ。
村上のサッカーチームにはメンバーの一部も所属していて、すばるや大倉や安田などは基本のメンツだった。
まだまだ結成日も浅いし練習出来る日なども限られているから勝率はあまり良くはなかったようだが、今日はそれでも今までになく調子が良かったらしい。
それは今日の最後の試合のハーフタイム、わざわざ横山に電話をかけてきた村上の興奮気味な様子が物語っていたものだ。

「わざわざ電話してきよって。めっちゃうっとうしいねんおまえ」
「あー、ハーフタイムな」
「もう何度も負けとった相手に勝ち越し点やて。勝てるでー!て。あーほんまうっとうしいわこいつ」
「あはははは!ごめんごめん、ほんま今度こそいける思うて興奮してもーてん」
「なんやねんこっちはオシャレな店でショッピング中やったっちゅーねん。温度差すごいっちゅーねん」
「そらすんませんでしたねぇ。ちゅーかオシャレな店、て。なんやおもろいなそれ」
「俺はなんもおもんないわボケ」

昼過ぎから出掛けて最後にふらりと立ち寄った、横山が普段行くにしては割と高めの落ち着いた雰囲気の店。
知り合いに紹介してもらって来てみたのだけれども、横山自身何となく少しだけ落ち着かない心持ちで店内をうろうろと見て廻っていた時、不意にかかってきた電話がそれだった。
うっかり店内で電話をとってしまった横山も確かにいけなかったのだろうけれども。
とった途端、「ヨコ!今度こそいけるで!」と店内の店員全員に聞こえるくらいの大声を携帯から炸裂させた地声の大きすぎる恋人に、元来人目を気にするタイプの横山は「あいつ後で絶対殴ったる」と
心に決めたのだった。
それはどうやら前半終了間際、拮抗していた試合を一気にこちら側に引き寄せるかのように、大倉からアシストをすばるが見事決めたかららしかった。
流れは完全にこっち来とる!いける!と電話口で大声で捲し立てられるのに、横山は本当に「そのまんまどっか行け」と言って電話を切りそうになったものだ。
けれどもなんだかんだとその自分的にオシャレな店の中でハーフタイムめいっぱい延々と興奮気味な声を聞き続けた横山は、実は周りが思うよりずっと村上に甘いのかもしれない。
普段はあの悪態のつきようと世話のされぶりだからそう思う人間はほとんどいないけれども。
それを知っている数少ない人間の一人であるところのすばるは、それを知っているからこそさっきあんな一行メールをしてきたんだろう。
それで伝わるとちゃんと判っていたから。
誰が、何に、どうしてへこんでいるのか。
そしてその人間を慰められるとしたら誰しかいないか、ちゃんと判っていたから。

横山は少し伸びた前髪を一度手で無造作にかき上げてから、ゆっくりとそちらを向いた。
そこには何かと不思議そうに目を瞬かせる村上の顔がある。
普段鬱陶しいくらいに感情をさらけ出すタイプの人間のくせに、ここぞという所ではなんでか隠そうとする。
それは何のことはない。
この普段穏やかで面倒見がよく社交的で暑苦しい男が、その実とても、横山からすればいっそアホみたいに、どうしようもなくかっこつけな所があるというだけの話だ。

折角冷えたビールを渡してやったというのに未だ開ける様子すらない。
次第に汗をかき始める缶をちらりと見やり、横山は呟くようにもう一度言う。

「サッカー、おもろかったか?」
「んー?せやからおもろかったて。なんや、いつも聞いてくれへんのに。今日は珍しなぁ?」
「別に。なんとなくや」
「そう?・・・今日はなー、攻守がこう、バチコン噛み合ってな!」
「そうなん」
「みんなええ動きしとってん。大倉なんかディフェンスとアシストと両方で大活躍やったし」
「へえ」
「ヤスは相変わらずオールマイティに動き回ってくれたしなー」
「できる子やしな」
「すばるはあの一点がな!なんて言うても」
「そか」

特に口を挟み込むでもなく。
ただ淡々と相槌を打っていた横山は一息つくと、ゆっくりとゆっくりと、じっと覗き込むようにして、日に焼けたその顔を見つめた。

「・・・残念やったな」

じっと村上を見つめる淡い色の瞳。
それはきつい目元に反して今はなんだか妙に柔らかに瞬く。
村上は会って早々散々今日の試合のことを話したけれども、肝心の試合結果については何も言わなかった。
勝ったなら何より先にその一言があったはずなのに。

「あとちょっとやったのにな。残念やったな」

そう呟かれた言葉は元々の甘く舌足らずな声とも相まって、随分と優しく響いた。
普段からは考えられない程に。

けれど知っている。
本当は知っている。
その声が、その言葉が、本当は自分を受け止めてしまえる程のものを内包していること。
村上は知っていた。
けれどまさかばれているとは思わなかったのだ。
思わずばつ悪げに苦笑すると、小さく視線を落としてしまう。

「あちゃー・・・。なんや、んー・・・やっぱあかんかぁ・・・」
「あかんに決まっとるやろ。あほ」
「ん、なんかな、ちょお言いづらかったていうか・・・ほら、あんな興奮して電話までしてもーた手前、な・・・」
「まぁな。相当かっこ悪いよな」
「なぁ・・・ほんまかっこ悪いわ・・・」

がりがりと頭をかいてまた苦笑する。

あと一歩。
あと一歩だったのだ。
けれど後半に入ってもう一点貰おうとしたところで、うっかり自分のミスから逆に相手に点を許してしまった。
そこから必死にがむしゃらに取り戻そうと頑張ったけれども気合は空回りしてしまって。
結局同点のまま最後のPK戦でも相手に決められて、結果は惜敗。
今までで一番いい試合だったなんて誰ともなく言われたけれども、負けは負けだ。
しかも自分のミスから。
勝負事にはよくあることだと判ってはいるけれども、もう少しで手が届いた勝利を思うとどうにも気分は沈んだ。
所詮趣味の範囲内でしかないことではある。
しかし自分としてはそれこそ仕事と同じくらい全力でやったのだ。
他のメンバーはいつも以上の力を発揮して、チームはこれでもかと上手く噛み合って、波に乗っていたというのに。
冷静に考えて自分のミスが敗因だ。
それは客観的に言って間違いない。
最近は仕事でもここまで落ち込んだことはなかったというのに。
もちろん落ち込むことは次へのステップに必要なことであるので決して悲観はしない。
けれども、やはりどうしても気分が沈むのは致し方ない。
次また頑張ればええやん、とそう言ってくれたメンバー達の手前そこは努めて表には出さないようにしたし、取り繕うことは村上にとってさほど難しいことでもなかったのだけれども。
問題はその後会う予定だった恋人だ。
ハーフタイム中にあんな電話をした手前もある。
そしてこの普段幼稚にすら見える恋人が、その実人の感情の波に敏感なことを村上はよく知っていたから。
何とか上手いこと誤魔化そうと思っていたのだけれども・・・結局、それはままならなかった。

「あー・・・かっこ悪いわー俺・・・」
「あほか。誰も最初からおまえのことかっこええなんて微塵も思ってへんわ」
「せやけどなー。俺かてかっこつけたい時くらいあんねんてー・・・」
「おまえはいつもかっこつけたがってるやん。身の程を知れてやつやわ」
「きっついなーよこちょー」
「きっしょいねん村上」
「そんなん言うなやーこれでもへこんでんねやからー」
「・・・ほんなら最初から言え」

その少し抑えて呟かれた声になんだか僅かな拗ねが含まれているような気がして、村上ははたとと窺うように視線を上げた。
横山は切れ長の瞳を眇めながらそのまま無言で村上を手招きした。
こっちに来い、と。

「・・・なに?」
「ええから」
「なに横山さん、甘えさせてでもくれるん?」

ふっと笑いながらおかしそうにそんなことを言ってみた。
けれど横山はそれに笑いも悪態をつきもせず、もう一度手招きをしただけだった。

「・・・なに、ほんま、珍しいわ」

村上は思わずぽつりと呟きながらも横山の方を向いて、おずおずと距離を縮めてみた。
けれどもそれ以上をどうしたらいいのかよく判らなかった。
手を伸ばして・・・抱きしめて?
いや、それはこの場合違うのだろうか。
抱きしめる、面倒を見る、甘やかす、なら慣れているのだけれども・・・。
いつになく落ち着かない感覚に村上は少し戸惑った。
そんな様に小さく表情だけで笑んで、横山はやんわりと村上の手を握るとそうっと肩に手を廻した。
最近厚みの増したそれを掌で包むようにしながら確かめるように触れる。

「おつかれさん」
「・・・おん」

身動ぎもせずされるがままのその背中を手で軽く叩いてやる。
出逢った頃に比べると随分と筋肉がついてしっかりとした身体つきにはなってしまったけれども。
それでも横山の白い手は昔から変わらずちゃんとその肩を宥めるように撫でてやれる。
その感触は何だか妙にくすぐったくて優しくて、村上は思わずそのまま柔らかな身体に身を預けた。
妙に気持ちよくて安心する。
まるで暖かな揺りかごのようだ。
けれどそれは何も今に始まったことではなく。
確かにいつもは自分がそうしたいせいもあって抱きしめることが多いけれども、それはその実どちらでも変わりはしないのだ。
村上は、昔から男にしては妙に柔らかな身体を確かめるように頬を寄せた。

「・・・なんや今日はお兄さんやね、ヨコ」
「あほ。俺はいっつもお兄さんや。おまえより年上なことを忘れんなよ」
「たったの半年やんか」
「8ヶ月や。全然ちゃうやんけ」
「あー8ヶ月ね。そらすんません」
「せや。せやからええねん」
「・・・ええんか」
「おん、ええぞ。許したる」
「あはは、あんがとー。8ヶ月年下でよかったわ」

もたれかかってくる身体を抱き留めながら、横山はぽふぽふと焦げ茶の頭を撫でる。
それが妙に心地良くて村上は未だそのままでいた。

とうに知っていたこと。
けれども今また実感した。
年下のメンバー達がなんだかんだと頼るわけだ。
そしてすばるすらもそう。
横山は普段こそおちゃらけて幼稚な言動をとって悪態をついて、一番年上な癖に周りから面倒を見られて甘やかされているというイメージだけれども。
実際それも一つの側面ではあるけれども。
たまにふと、どうしようもなく広く優しく受け止めるように甘やかしてくる時がある。
それは本当に極々たまに。
そんなこと既に誰も憶えていないくらいにたまに。
たとえば不意に人がどうしようもなく沈んだ時。
そんな心の動きがその切れ長の瞳には見えているのか、ふらりと無言で寄ってくることがある。
横山は人が誰しも抱えるほんの僅かな脆い部分を包み込むような白い手を持っている気がする。

「よこー」
「なに」
「今日こそなー、勝てると思ってんけどなー・・・」
「自信満々やったしな、電話で」
「なー・・・お前にな、勝利を捧げたろー思ってんけどなー・・・」
「あほか。なんやそれ。おまえさぶいわ」

おかしそうにクスクスと笑う声すら今は甘く優しく響く。
ああ、本当に・・・と村上は堪らない気持ちで思う。
これだから駄目なのだ。
普段あれだけ大事に大事に可愛い可愛いと甘やかしているような相手なのに。
こんな風にされたら。
本当に、手放せない。
横山の胸元にしがみつくように腕を回して呟く。

「ヨコに捧げるブイゴールキメたろう思ったのになー・・・」
「ほんまあほやなこいつ」
「ええとこ見せたかってんてー」
「どうせ俺見てへんやんけ」
「お前全然こーへんやん」
「今度は行ったるわ。しゃあない」
「ほんまかー?ほんまに見に来てくれるん?」
「おまえが今度こそ、その、なんや・・・ブイゴール?ほんまに俺に捧げる言うならな」
「おう、任しときっ!」

自信満々に言ってのけ、ふっと笑ってそのままのしがみつくような体勢で見上げたら。
横山は呆れつつもつられて笑いながら、ふと何かを思いついたようにその艶やかな唇の端を上げた。
それを村上がじっと見つめていると、その撓んだ唇がゆるりと降りてきて、触れて。
ひどくいたずらっぽく囁いた。

「・・・ヒナ、俺がなぐさめたるわ」
「あら・・・。ちなみに、どうやって?」

白い手が頬に触れる。
赤い唇が間近で撓む。
切れ長の瞳がゆるりと瞬く。
魅惑的過ぎるその誘惑の手に、村上は目を細める。
横山はなんだか楽しげに村上の顎を取るともう一度囁いてみせた。

「今日は俺が抱いたろか?」

この綺麗で優しくて甘い生き物が自分だけを映して、自分にだけ触れて、そんなことを言うのなら。
それもたまには悪くないだろうか・・・なんて思ったことはさすがに自分だけの秘密だ。
村上はそんなことを思いながら、自分の顎を取る白い手を逆にぎゅっと掴んでみせた。

「んー・・・でも、どうせ甘やかしてくれるんなら、・・・抱かせて?」

じっと見上げて、見つめて、受け止めてくれるその瞳をこちらから縛り付けるようにそう囁く。
横山は一瞬きょとんと幼げに瞳を瞬かせると、呆れたように表情だけで笑ってそっと身体を離した。

「結局いつもと変わらんやんけ。・・・ま、ええわ。今日はとことん甘やかしたるで、ヒナちゃん?」

そう言いながら横山はゆるりとシャツのボタンに手をかけ、緩慢な動作で外していく。
白い指がプラスチックのボタンを一つ、また一つと、焦らすように外していく。
まるでストリップさながらだ。
徐々に白いシャツからこれまた透けるように白い素肌を垣間見せていくその様に、さすがの村上も平静ではいられない。
今は触れてもいないのにじわりじわりと体温が上昇していくような気がする。
それは視覚から熱を感じているのかもしれない。
全くもって、色々な意味で堪らない。

はぁ、と小さく息を吐き出して。
既に肩までシャツを脱いでしまっては楽しげにうっすらと笑む横山の身体を、村上はゆっくりと後ろに押して倒す。
横山は固いフローリングの床に受け止められ、見下ろされながらも、それすら楽しいとばかりに見上げてくるから。
それに村上はゆっくり手を伸ばし、開いた白磁の胸元に指を滑らせて触れた。

「ほんなら、今日はとことん甘やかしてもらお」
「どうせやから赤ちゃんプレイでもするか?」
「あはは、それもええな。ヨコちょならおっぱいくらい出そうやもんな」
「・・・出せるもんなら出してみろ、エロヒナ」
「おー出してみよ出してみよ。下の方からなら同じような白いの出るやろ」
「ほんまこいつおっさんやな・・・」

呆れたようにそう言いながらも、白い手が村上の首の後ろをくすぐるように滑って撫でて。

「ええから、はよ、こい」

そうして村上の首筋に手を絡ませると、ぐっと顔を引き寄せて唇を舌で舐め上げてくる。
村上は濡れた感触に溺れる予感を頭の奥に沈めつつ。
その白く甘い手に自ら落ちた。










END






横雛っぽい雛横。
最近逆っぽく見せかけて、ていうのがマイブームなのです。
というか幼稚っぽく見せかけて実は包容力あったりする誘い受けユウユウがマイブームともいう。
いいよーいいよーきれいなおねいさん!
村上さんだってイチコロだと思いますよ!(そういう話ではない)
まぁなんていうか甘える村上さん、甘やかすユウユウ、みたいなのを書いてみたかったようなね。
しかし雛横は毎度割といちゃいちゃしているような気がしますが。夫婦だからか?
(2005.10.16)






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