泡沫 7
焦げていく煙草が依然として生み出す白い煙だけが細くゆらゆらと揺らめいていた。
自分のものとは明らかに違う銘柄の匂いを感じ一度ゆっくりと瞬きして、横山はゆるりと吐息混じりで呟いた。
「そうですか・・・。彼は会いましたか、渋谷さんに」
見ていればもう随分と飲んでいるのに、横山の様子は傍目にはまるで変わらない。
その透けるような白い肌はまるで作りもののように変化がない。
けれど吐き出された息からは仄かにアルコールの匂いがした。
そしてそこに混じる何処か甘い香りは恐らく横山自身のもの。
彼自身が発する蜜のようなもの。
「驚かないんですね」
「驚いていますよ、十分に」
「あまりそうは見えませんが」
「驚くに決まっているでしょう」
ゆるりと上がったふくよかな唇の端。
色づくそこにはどう勘ぐっても自嘲はなかった。
「・・・渋谷すばるは、他でもない私が殺したんですから」
全ては映画の宣伝のため。
放っておけばいずれは命尽きる身だったとは言え、対戦相手である亀梨のグローブの中に鉄を仕込んだのは紛れもなく横山だ。
直接の死因は横山の仕業にあると言っても過言ではない。
もちろんそれが世間に明るみに出ることはなかったけれど。
「そうでしたね・・・」
焚きつけたのは錦戸だ。
そして横山は最初こそ確かに躊躇していた。
そこまでする必要があるのかと、そう自分に漏らしたのも錦戸はよく憶えている。
その時こそ内心では「まだ人の心が僅かにでも残っていたか」と思ったものだった。
けれどその後を見てみれば、錦戸の予想を遙かに超えて横山は容赦なくそれを実行してみせた。
渋谷の遺体を前にしても、そこに崩れ落ちる彼の仲間達を目にしても、その少し後に人殺しと罵られても、その作り物のような美貌を僅かにも揺らがせることなく。
うっすらと微笑すら湛えて。
「でもね、横山さん。僕は大倉が渋谷に会ったなんて、信じちゃいないんですよ。
死んだ人間になんて実際会えるわけがない。非科学的な話だ」
淡々と、けれどきっぱり言い切る錦戸に、横山は納得したように小さく頷く。
「なるほど。さすがジャーナリストは現実的ですね」
「なら人に夢を与える映画プロデューサーの横山さん、あなたは信じるとでも?」
「さぁ・・・信じてみるのも、夢があっていいんじゃないですか」
「夢、ね。所詮は現実から逃げてる人間の戯言でしかない」
「・・・手厳しいですね」
横山はまたも納得したように頷いた。
今度は少しだけ目を伏せて。
照明の薄暗い光を弾く薄金茶の髪が白い顔に陰を作っている。
色の白さのせいなのか、その分陰は随分と色濃く見える。
錦戸はそれにうっすら目を細めた。
「僕は渋谷の弟の試合の帰り、大倉に会いに行ったんですよ。
彼はどうやら僕にもあまり良い印象は持っていないようで、随分と嫌悪感を露わにした顔をされましたが」
錦戸はじっと横山の横顔を見つめる。
そして横山もまた、ゆっくりと錦戸の方を見た。
ここまで真っ直ぐに視線が絡んだのは、恐らく今日が初めてだった。
「大倉はその日路地裏で偶然会ったんだそうですよ。
渋谷に・・・いや、本当は横山さん、あなたにね」
横山はその言葉にも特に驚いた様子を見せなかった。
むしろ待っていたとでも言うかのように、小さく頷いてみせさえした。
「・・・確かに、会いましたね」
錦戸は横山の、その底の見えない昏い光を湛えた瞳に吸い込まれそうだと思った。
横山は錦戸の、その何者も信じないからこその強さを秘めた瞳に支配されそうだと思った。
今日は満月。
けれど、どれだけ煌めく月の光もここには届かない。
ならば今真実を照らすものは、一体何だと言うのだろう。
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