泡沫 12
「幻覚作用のある薬・・・?」
錦戸は深く眉根を寄せてぼそりと呟く。
今横山がその唇から淡々と紡いだ、あの日の大倉との出来事は、常識で考えれば当然信じられるものではなかった。
けれど確かにまるっきり夢物語のような話ではない。
大倉が渋谷に会ったなどと、死者に会ったなどと、そんなことはあり得るはずがないけれど、それが薬の幻覚作用によってもたらされたものだというのならば、あり得なくはない。
ただそれをその話をそのまま鵜呑みにするには確証がなさすぎる。
「相手が望む幻を見せる?会ったと錯覚する程の?・・・そんな薬、聞いたことがない」
「そうでしょうね。まだどこにも出回っていない、一種の非合法ドラッグですから」
錦戸はその職業柄、過去には麻薬関係の取材も数多くこなしてきた。
その経験から似たような物はなかったかと記憶を探ってはみるけれど、思い当たらない。
麻薬関係はそもそもそれはジャーナリストの間でも政治関係と並んで危険を伴うジャンルだとされていた。
大きなヤマだといって深入りしすぎては人知れず闇に葬られた同業者を錦戸は何人も知っている。
しかしそれ程までに危険な代物であればある程に、錦戸の中の最も大きな欲求は疼かされるのだ。
それ即ち、真実の探求。
「・・・それは飲んだ人間が望む形の幻を見せる?」
「直接血管に注入する形のものもありますね。私が使ったものは飲むタイプでしたが」
「効果の強さは?」
「使用量によります」
「副作用は?」
「使用量に比例した昏睡状態。大倉さんは三日でしたか」
「入手経路は?」
「某マフィアの裏ルート。それはこの後お話しします」
置いてあった黒革の手帳を手早く開き、矢継ぎ早に質問を投げかけながらそれを書き記していく錦戸の表情は真剣そのものだ。
その瞳の奥に強い光が宿っているのを横目でチラリと見て、横山は気取られぬ程度でうっすらと満足げに笑う。
「幻覚・・・つまりその薬で大倉は渋谷の幻を見た、と・・・」
カリカリとひたすらにペンを走らせては何か考えていたらしい錦戸が、はたとそれを止めて横山を見た。
一連の話の中で生まれた一つの疑問。
「横山さん」
「なんでしょう」
「大倉は渋谷に劣情を抱いていたと解釈していいんですね?」
「劣情というか・・・可愛い片思いだったようですけどね」
やるせない、やり場のない、もどかしい、目的すら見えない。
そんな中でただ漫然と生きてきた大倉に生きる意味を与えたのが渋谷ならば、確かにそういう感情を抱いてしまったとしても当然だろう。
けれど錦戸にとっては大倉が渋谷に抱いていた気持ちなどどうでもいいのだ。
肝心なのはそこではない。
「あの時、大倉は渋谷の幻を、抱いたんですね?その路地裏で」
「・・・そうですね」
「けれどそれは所詮幻でしかない。・・・そしてその大倉が見た渋谷の幻とは、実際にはあなたでしかない」
「その通りです。理解力がおありで助かります」
「つまりは横山さん、現実にはあなたが大倉に抱かれたと・・・」
じっと錦戸が見つめる先。
既に温くなったグラスには見向きもせず、横山は小首を傾げ、唇の端を上げて笑った。
「それが何か?」
あの場で大倉から逃げるため、そして追っ手を振り切って帰るためだった。
自分の身体程度使えるのならば使えるだけ運がよかったし、薬の効果も試せたのだからむしろ御の字というものだ。
そして何より、その長い腕に抱き込まれる感覚はそう悪いものでもなかった。
「大倉さんは、本当に渋谷さんを大事にしていたようですよ」
大倉はひたすらに優しかった。
すばる、すばる、と何度もその名を呼んでいた。
何度も何度も啄むように口づけてきた。
離さぬようにと強く抱きしめてきた。
とてもとても幸福そうだった。
横山は、現実には自分がされていることながら、それを何処か客観的に見ていた。
渋谷として抱かれながら、こんな風に大事にされることはきっと人として幸福なことなのだろう、とぼんやり思った。
自分にはまるでない経験。
いや・・・正確に言うならば、それは既に遠い記憶の底にしかないものだった。
「たとえ夢でもね、いいじゃないですか。彼は幸せ者です」
「そうでしょうか?僕には哀れにしか思えませんよ」
錦戸は現実主義者だ。
現実にあるものこそが全てであり、真実はそこにしかないと思っている。
だからこそ夢などとは所詮儚い幻でしかなく。
実体のないそれは所詮慰め程度にしかならない。
それに縋りつくことが幸せであるはずがない。
たとえ一時幸せだと思えたとしても、そこには結局何も残らないのだと思い知った時の不幸をどう説明づけるのか。
「夢にしか縋り付けず、現実を見ることができない人間は弱者でしかない。
美しい夢しか見れない人間など、弱い上に醜い。現実の醜さを直視できない人間が、一番愚かだ」
「・・・本当に、あなたは手厳しいですね」
「じゃあ横山さん、」
初めこそ、その薬を横山はビジネスにでも使うつもりなのだと思っていた。
けれども錦戸は薄々気付き始めていた。
もしかしたら横山は、それを自分で使うつもりだったのではないか。
「あなたならば、どんな夢を見たいですか?」
錦戸が見つめた先の白い横顔。
その伏し目がちだった瞼を彩る睫が小さく震えた気がした。
何度か緩く瞬いて、ゆっくりと瞼が上がり、その淡い瞳はぼんやりと前を見る。
その視線の先にあるものはカウンターのリキュールボトルの棚だけれど、恐らく瞳に映るものはそんなものではない。
茫洋と遠くを見るそこに映るものはきっと懐かしくも暖かく、そして二度と取り戻せない美しく切ない想い出。
「そうですね・・・。錦戸さん」
「はい」
「少し昔話を聞いてもらっても、いいですか?」
「・・・ええ」
「本当にくだらない、どこにでもあるような、おもしろみもない話ですが」
「構いませんよ」
錦戸は小さく頷く。
きっとそれこそが今回の件に深く関わることだと判っていたからでもあり。
単純に気になったからでもある。・・・そう、ただ単純に。
「私には親友がいました。明るくて人懐こくて、正義感が強くてしっかり者で。少しお節介で。
彼は大きくなって後に警察官になりました。人を助けたいのだと、真摯な瞳で私にそう言いました。
そうして自らの正義を貫こうとして・・・殺されました」
それは昔話。
ありふれた、けれど悲しい、昔話。
TO BE CONTINUED...
前にメモの方でこそこそ連載してたドリボパロなわけですが。
いよいよ小説の方に引っ張ってきて本腰入れて続きを書くことに。
いやしかし続きを久々に書いたはいいものの、なんかこれまた趣味丸出しのオリジナル展開になってきてますね!(・・・)
まぁ警察官と言えばあの人ですよねごにょごにょ。
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