Venus act so










予感はあった。
それは直感とかふとした閃きとかそんなもの。
理由ならあったんだろうけれども、あくまでもその輪郭はぼやけたままにしておきたかった。
そうでなければ自分が愚かに思えてしょうがなかったから。

横山は深夜の路上脇に車を停めて降りると小さく息を吐き出した。
もう春先とは言えやはり一番冷え込む時間帯だ。
吐き出した息はうっすら白く闇に消えていく。

劇場の正面玄関をちらっと見ると公演のポスターが貼ってあるのがうっすら見えた。
それを一瞥だけして関係者入り口へ向かう。

この時間だ、扉など開いているわけがない。
当然のようにそうだったならば、横山はこの行動を単なる気まぐれな深夜のドライブとして片づけようと思っていた。
けれどもそうはならなかった。

「・・・やっぱな」

呟いた声は夜風に消える。
横山は手応えのあった扉を音もなく開けて中に入っていった。

こんな真夜中に誰もいない劇場になど入ろうものなら、不審者と思われても仕方ないかも知れないが。
生憎と先客がいるようだから、そういう意味では大丈夫だろうと楽観的に思った。
むしろ考えるべきはその先なのだ。
演じるものを考えなければならない。
決して嘘ではない、けれど真実の全てでなどありえない、そんなものを。



昼と夜の風景というのは随分と違うものだ。
単純に明るいか暗いかという視覚的なものもあるし、人がいるのといない空気という感覚的なものもある。
いつもなら慌ただしく動き回るスタッフや幼いジュニア達の高い声で音が溢れかえっている廊下が、今はすっかり静まりかえっている。
自分のブーツの踵が床に立てる音が思う以上に響いてなんとなく居心地が悪い。

「・・・」

ふと足を止めてみる。
音がなくなる。
横山は行く先を変えた。
再び踵の立てる音。
客席側ではなく、慣れた舞台袖の方から行くことにする。

既に何度も何度も早着替えやら移動やらで走り回ったそこは、暗くとも迷うことなく歩くことができた。
出番待ちで待機する袖まで行くと、舞台上から明かりが漏れているのが判る。
それは実際公演中の時程の煌々としたものではないけれど、さっき散々暗い廊下に慣れていた目にはそれなりに眩しい。
音は特に聞こえてこない。
やはり自分のブーツが立てる音しか横山には聞こえない。
これだけ静かなら、もしかしたら向こうにもこの音は聞こえているかもしれない。
それはなんだか妙なばつ悪さがあるなと思った。
それでも横山は、ゆっくりと、漏れてくる明かりにうっすら目を細めながら舞台上に出て行った。
そこに出る時はいつだって真剣勝負だ。
恐らく自分が情熱なんてものを恥ずかしげもなく晒せる唯一の場所。
今は本番ではないけれど、言う程の変わりはない。
今の状況とて横山にとってみれば変わりなく、決して嘘ではない「演技」をしなければならないのだから。

本番時程の明るさはなくとも十分に眩しく感じられる舞台。
そこに立って横山がゆるりと見回した客席の、ちょうど真ん中辺り。
両膝に身体を預けるようにして前傾姿勢で、何もない舞台を一人食い入るように見ていた整った顔。
それが唐突な役者の登場によって驚きに満たされるのが、少し高い位置にあるそこから見えた。
見る限りとても素直な驚き。
何故ここに、と。
言葉はなくともそう聞こえてくるようだと思った。

「横山・・・?」

ぽつりと呟かれた声は歳の割に落ち着いていて耳心地がいい。
低くもなく高くもなく、その声にすら憧れた。
横山はうっすら顔に笑みを布いて小首を傾げてみせる。

「やっぱりおった」

予想だにしなかった人物の登場に、滝沢は驚きに支配されようともなお整いすぎた顔をじっと舞台上に向ける。
それでも食い入るように向けられる強い視線は変わらない。

「タッキー意外とわかりやすいなぁ」
「・・・なんでここに?」
「んー、ドライブ?」
「こんなとこまでわざわざ?」

毎日毎日飽きる程に通っている場所まで、と。
滝沢は決して咎めるように言ったわけではないけれども、自身の行動を読まれていたばつ悪さもあってついそんな風に訊いてしまった。
けれどそれに返ってきたのはなんだかとても無邪気な笑顔。
雑誌では決して見られない、そして日常の中ですら早々見られない、そんな。

「俺、すごいやろ?」
「え?」
「タッキーのおるとこなら100発100中でわかってまうねんで」

滝沢はそれに一瞬なんと返せばよいのか判らなかった。
目の前の、イメージに反して意外と聡い相手が自分の思考と行動を読んでいたのは明らかだ。

昨日の公演中の不意のトラブル。
思う以上の影響の大きさ。
やむを得ない休演というやりきれない結果。
自分達を見に来てくれようとしていた人たちの気持ちを裏切ってしまった後悔。
舞台は何も舞台上だけのものではなく、舞台上ではどれだけ頑張ろうとも舞台の外のことにはまるで無力であると思い知らされた。
けれどもせめてその無力感を胸に刻み、日の目を見ることのできなかった今日という日の舞台を目に焼き付けておこうと思った。
そうして一人足を運んだ深夜の劇場。
なんとか無理を言って鍵を借りて既に小一時間もの間こんな風に何もない舞台を一人見つめていた。
密かに来て、見て、帰るつもりだったのに。

「・・・やられたな。ほんとに凄いよ、お前」

結局返せたのはそんな苦笑混じりの言葉だけ。
けれども横山はなんだか満足したように小さく頷くと、おもむろにその場に片膝をついて跪いた。
正面を向いて、ゆるりと頭を垂れる。
段々と茶の色が混じるようになってきた黒髪が揺れた。
滝沢は咄嗟に何事かと目を瞬かせて舞台上を見る。

「源九郎義経殿に捧げし言葉なれば、どうぞお聞き届け頂ければこれ幸い」

普段はなんだか掴み所のない、声は高めだけれどもいまいち淡々とした、テンションが高いのか低いのか判別しづらい、ふわふわした声と喋りをする。
そのくせこの舞台上では何かを抑え込んだような低めのトーンでまるで囁くように言葉を紡ぐ。
輝ける弟への羨望と嫉妬とを胸の内に秘めながら、最後は自ら弟の命を奪い独り涙した哀しい武将の姿が、そこにくっきりと見えるようだ。
舞台上からは朗々としたその声がただ一人のために紡がれる。

「貴方の道には常に明けの明星が光を照らし、我が道には常に貴方自身が光を照らし、
たとえどれだけの永き夜が訪れようとも、闇が世を覆おうとも、その光だけは途切れることなく、貴方を照らし、我を照らし、」

滝沢は食い入るように舞台上を見つめた。
そこにいるのは一人の役者だ。

こんな表情をする奴だっただろうか、滝沢は頭の片隅でぼんやりと思った。
そんな演技をする、できる奴だっただろうか。
笑うでもない顔を歪めるでもない妙に穏やかな、何かを諦めたみたいな、そのくせ満足そうな。

「貴方は光ある限り輝き、我は貴方の光ある限り貴方だけを永久にお慕い申し上げましょう」

言葉の語尾の響きにすらも何かが込められているような。
それを耳にするのに、感じるのに、一時も気を抜けない。
まるでクライマックスのシーンだ。
自然とそう感じて滝沢は瞬きも忘れた。
けれど横山が今回演じた哀しき武将の最後の表情は、大きな満足と僅かな悔いとが入り交じり、涙に濡れたそれだった。
ならば今の横山が演じるのは何の役なのだろう。

ふっと空気が緩む。
ゆらりと立ち上がったその姿に、舞台が終わったのだな、と自然とそう感じて滝沢も同じように立ち上がる。
まずは定められた何かのように小さく手を叩いた。
静まりかえった広いそこには否が応でも音が響く。
観客はただ一人なのだからその客が拍手をしなければ役者も甲斐がないだろうから。
けれどやはり思わず口をついて出る言葉。

「それ頼朝じゃないだろ」
「あれ、あかんかった?」
「ていうか。頼朝じゃあないだろうなって、単純に思ったんだけど。頼朝は義経にそんなの言わないだろ」
「でも、ちゃうこともないで」
「そう?」
「確実に頼朝とは言わんけど」
「どっちだよ」
「まぁええやんか」

よっこらしょ、と小さく呟いて横山はステージの際に腰掛ける。
本当に、昼と夜とでは随分違って見える。
だからそんなもの。
昼とは違うから違うように見えただけ。

「意外とそんな風にも思ってたんかもな、っていう。まぁひとつの別解釈てヤツ?」

何処か得意げな子供みたいな言い回しに、滝沢は思わず小さく笑ってしまった。

「かなりの拡大解釈だよな」
「ええやん、横山裕オリジナルてことで」
「まんまお前じゃん、それだと」

冗談交じりで呆れたように、軽くそんなことを言った。
するとステージ際に腰掛けて子供のように足をぶらつかせていた横山は、一瞬だけまたあの表情を見せた。
穏やかで、諦めたみたいな、満足そうな。
けれどそのままストンと舞台から降りてしまうと、そこにはもう楽しげに笑う顔しか残っていなかった。

「まーあ、そういう解釈もあるなあ」

横山はそのままポケットに片手を突っ込んで、指先に当たった鍵の感触を確かめる。

「とりあえずタッキーはタッキーらしくおらなあかん、てことや」

意外と素直に言ってくれたな、と滝沢は咄嗟に思った。
最初ドライブだなんて言ってきたから、もっと隠そうとするかと思っていた。
自分を気にしてわざわざこんな時間に来てくれたこと。

「大丈夫だよ。でも、心配かけたんならごめん」
「ちゃうで。そこはありがとう、やろ」
「・・・そうだな。ありがとう、横山」
「それでこそタッキーやわ」
「そりゃどうも」
「やっぱタッキーは自信満々でキラキラしとらんと」
「キラキラねぇ・・・」

今さっきの舞台上を思い出す。
朗々としたあの言葉を横山が言った通り、彼の解釈、彼の思いだととるならば。

「俺がキラキラしてたら、横山も俺のことずっと好きでいてくれるんだ?」

そういうことになるんだろうか。
滝沢が自然とそう考えて笑いながら言ったら、横山もまた楽しげに笑った。
舞台上からは降りてしまったから。

「そら俺はタッキーの大ファンやもん。もー10年越しやねんでー?」
「ありがたいなー。そりゃあもう、ファンあっての滝沢秀明ですから」
「わーうれし!ファンやっててよかったわー」
「これからもどうぞよろしく?」
「もちろんこれからもずっとタッキーファンやで、俺」
「じゃあほんとに浮気すんなよ?」
「いややわ、俺これでも結構一途やねんで」
「あはは、意外とな」
「意外ちゃうやん。俺見るからにめっちゃ一途さんやん」

舞台にもたれかかって、向こうにいる滝沢との無駄な会話を楽しむ。
けれど横山は片手を突っ込んだポケットの中、密かに握りしめた車の鍵の感触をきつく感じ続けた。
それは現実世界へ帰るための切符。
舞台から降りた役者が無言で帰るための。










END






なんか懲りずに書いてますけども。
とりあえず例のぼや騒ぎを早速ネタとして使ってしまいました。
無事再開できたからこそ書けるネタなんですけど、どうなのて思った方はすいませんです。
むしろ再開が嬉しくて、滝沢さんの男前っぷりに惚れ直して、のあまりというか。

なんかもう今空前のブーム訪れてますね滝横ね。相変わらず滝←横ですけども。
なんかもう裕さんは滝沢さんへの恋を秘めるだけ秘めてくれればいいと思う!
・・・というわけで相変わらずなんかもやもやもやもやする話になりました。
さりげなくシリーズ化してるようなしてないようなね。なんかね。でも別に連載ってわけじゃないです。適当です。
(2006.3.26)






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