ねがいごとひとつだけ 4
「おーくらー、これからごはん食べ行かん?」
帰り支度をしていた大倉がぼんやりとそちらを見ると、丸山は本来なら整ったその顔をにこりと緩めて笑っている。
けれどその内心は酷く緊張を伴っていた。
大倉はあの横山との一件以来少し口数が減っていて、誰かと食事に行くような素振りはまるで見られなくなっていたから。
それは落ち込むとか沈んでいるとか、そういうあからさまなものとは違うのだけれども、それは言ってしまえば恐らく自らに科した反省期間のようなものだったのだろう。
時折横山がそれを気にしている様子は見られたが、そこら辺相手の意思を尊重しているのか、特に別段自分から声をかけるようなことはせず普段と変わらぬ態度で大倉に接していた。
もしかしたらもうなんらかのやりとりはあったのかもしれない。
自分が知らないだけで。
とにかくそんな中だったからこそ丸山は内心酷く緊張していた。
この誘い自体断られたとしても仕方がない。
そして何より今更思った。
今までこんなことはなかったのだ。
こんなことは初めてだったのだ。
丸山は今まで大倉を自分から食事に誘ったことなど一度たりともなかった。
大倉が誘ってくれるのをいつも待っていた。
それすらも断られるのが怖かったし、そもそもそんな勇気もなかったから。
そうして珍しく誘ってきた丸山を前に、大倉は少しだけ考えるような仕草を見せたけれど別段悩むようなこともなく、穏やかな表情にうっすら笑みを浮かべて小さく頷いた。
「ええで」
返事はただそれだけ。
けれどただそれだけのことに安心する。
それだけでも嬉しかった。
それは丸山の遅すぎる一歩だった。
丸山が大倉を連れて行ったのはありふれたお好み焼き屋だった。
お好み焼きかー、と少し意外な様子で呟く大倉を後目に、丸山はやたらと高いテンションで。
まるで自分の店に案内するような調子で、この店のどこがいいか、何が美味しいかとあれやこれや延々と喋りながら店内へと案内した。
そこそこに人気のある店なのか、時間帯のせいもあって店内は既に満席だったから、少しだけ待たされて。
それからようやく仕切られ小部屋の席につくと、まずはビールと丸山オススメの具材を2品注文した。
そうしてテーブルに持ってこられた器の中にある生地をかき混ぜては、何だかやけに楽しそうに鼻歌なんかも交えて熱い鉄板の上にそれを広げていく丸山を見て、さすがに大倉も呆れたように笑ったものだった。
「なんや、今日はごきげんやな」
「んー?俺はいつもごきげんやでー」
「今日めっちゃテンション高くない?」
「なーなー、このお好み焼きめっちゃうまいねんて!」
「なんかええことあったん?」
「大倉もきっと気に入るでー?あ、これ、この牛すじ肉がうまいねん!」
「聞いてへんし。・・・うん、でもそれうまそうやな。めっちゃええ匂いするー」
「なー?」
白い湯気と共においしそうな匂いを立ち上らせるそれを、ヘラで切ってそのまま頬張る。
よく煮込んだ牛すじ肉が入ったそれは丸山のオススメで大倉も気に入ったらしく、口に含んだ途端幸せそうに頬を緩めた。
それを見て丸山もやんわり笑うと、自らも少し小さめに切った一切れを口に運び、来たばかりでまだ冷えたチューハイを飲む。
ちょうど夕飯時という時間帯もあって店内は途切れることなく人で賑わっているようだった。
一応仕切りがある小部屋とは言え静かとまでは到底いかない。
居酒屋程の喧噪ではないけれども、それなりにガヤガヤとざわめくそこでするには、今丸山が大倉に対して言おうとしていることはどう考えても向いていない。
でもだからこそここを選んだ。
それは、この前村上に対して頑張るとそう言ったけれども、やはり静かな場所で二人きりになって面と向かう程の勇気は出なかったというのもあるし。
また自分達の今までの関係を考えればこのくらいが妥当だろうと単純に思ったというのもある。
こんな場所できちんと伝わるかアホ、と。
もしかしたら村上などには呆れたように説教されるかもしれない。
でもこうやって目の前でいつもみたいに嬉しそうに、いっそ幸せそうにご飯を食べる大倉を前にすると、抱え込む様々な感情を自覚してもなおやっぱりこいつがいいと改めて思うから。
たぶん、間違ってはいない。
そうして暫く食べることに没頭し、いい具合に腹を満たした頃。
丸山は傍においてあったおしぼりで汚れた口元を拭きながら、どこから切り出せばいいだろうとグルグル考えていた。
確かに覚悟しては来たのだけれども、いかんせんきっかけが難しい。
どうしよう、と思っていつの間にか俯きがちになっていた顔を軽く上げ、何気なく目の前の大倉を盗み見る。
けれど盗み見たつもりだったのに視線はばっちりかち合ってしまった。
いつの間にか大倉がじっと丸山を見つめていたからだ。
反射的にドキリとして目を瞬かせる。
その瞳は真っ直ぐだけれどもどこか窺わし気で、眉は心なしか下がって見える。
「・・・なに?」
丸山は内心落ち着かない気分になりながらもやんわり尋ねてみる。
するとその瞳がふっと逸らされて、僅かに何かを躊躇うような様子を見せたかとそのまま小さく呟いた。
「あんな、」
「ん・・・?」
「・・・村上くんから、聞いた?」
「え?」
「せやから、・・・あの日の、横山くんと、・・・」
ぼそぼそとした声は聞き取りづらい。
けれど何を言いたいのかはなんとなくわかった。
丸山はどう答えるべきかと迷いながら言葉を選んでおずおずと頷く。
「ん、・・・と、詳しくはよう知らんけど、なんとなくは・・・」
「そか・・・」
「うん・・・」
俯いて呟くだけのその様を見て、知らなかったことにすればよかっただろうかと思った。
なんのことだと笑って首を傾げてみせて、次はあれを食べよう、となんでもない風を装えば。
けれどそんなことばかりを繰り返してきたからこそ、結局自分は今まで何一つとしてできなかったのだ。伝えられなかったのだ。
丸山が内心で様々なものと鬩ぎ合うのを後目に、大倉はそこで大きく息を吐き出して意を決したように言った。
「・・・・・・約束、守れんくて、ごめん」
「やく、そく・・・?」
何のことだろう。
約束なんかしただろうか?
丸山がきょとんと目を瞬かせるのにようやく視線を戻し、小さな顔がこくんと頷く。
「諦めて、けじめつける言うてたのに。・・・俺、最悪や」
「大倉・・・」
懺悔のような響きを持つそれを聞きながら、けれど丸山はそこでそれとは違うことを考えた。
大倉があんなことをしてしまったちょうど一週間くらい前。
横山のことは諦めると、丸山に向かってそう言ったあの言葉。
それはさりげなく、なんのことはなく漏らしただけのものではなくて、大倉にとっては丸山への約束だったのだ。
丸山にはそれがなんだか妙に不思議なことのように思えた。
それは約束というある種の自分への戒めによって、何とかそれを成し遂げようと思った故の意味合いなのだろうか。
何も言わずゆっくりとグラスに口をつけただけの丸山を前に、低めの声が淡々と呟く。
「あんな自分がおったなんて知らんかった・・・。あんな、あんなひどい、・・・」
くぐもった声。
思い出すのは今でも辛いだろう。
実際しでかしたのは大倉本人とは言え、そこには確かにそこまでしてしまう程に痛みを覚えた心があって。
不意に具現化してしまった想いという名の凶器が想い人の白い顔に怯えを刻んだことは、きっと大倉の心にも傷を残した。
「でも、大倉、・・・やく、そく?」
あの言葉を約束と言って貰うのはなんだか気が引けた。
そんな風に言ってもらえる位置に自分はいるのだろうかと疑問だったから。
確かにその秘めた想いを知っていたのは自分だけで、その話を聞いてやってはいたけれども。
ただそれは純粋な善意なんかじゃなくて、それはあわよくば自分のほうを向いてくれたらいいのに・・・なんて、そんな思いさえあってのものだったから。
丸山はなんとなくばつ悪い思いを抱きつつも、目の前の顔を覗き込むように首を傾げて言った。
「・・・最後はちゃんと、守ったんやろ?」
「でも、それは・・・」
「俺、さっきも言うたけど村上くんからちょっとだけ聞いただけやから。詳しいことよう知らんけど」
「うん・・・」
「大倉は、ちゃんと頑張ったんやろ?」
「うん・・・」
「ちょっとだけ間違えてもーたかもしれんけど、な。大丈夫やって。裕さんかて謝れば許してくれるて」
「うんっ・・・」
丸山が一言言う度に、まるで子供みたいにこくこくと頷く。
たったそれだけの言葉でさえも語尾が震えている。
俯いた顔、その耳朶がうっすら赤く染まっている。
大きな身体を丸めて縮こまるように頷き続ける。
それがなんだか愛しく思えて、丸山はその大きな手をやんわりと伸ばして目の前の癖毛を撫でてやった。
こんな役目、自分がしていいものとは到底思えないけれど。
やっぱり好きなんだとまた改めて感じた。
一瞬一瞬で未だにそれを自覚してしまう程のものらしい、この気持ちは。
胸がじわりと暖かくなるようなこの感覚。
たぶんもう、理屈じゃない。
「大倉、かっこええなぁ」
「なに・・・言うてん・・・」
「俺、好きやわぁ」
「・・・?」
俯いていた顔がゆっくり上がった。
そこにあるのは感情が高ぶってしまっているのか、少し顔を赤らめて目を潤ませた大倉の顔。
目をパチパチと瞬かせて丸山を凝視している。
恐らくこの瞬間。
この一瞬だけが。
丸山が迷い込んだ迷路の、その厚い一枚一枚の壁が一気になくなった時だった。
上にあった空は一気に開けて、迷いや恐れや戸惑いや躊躇いやそれら全てが、何も消え去ったわけでもないのにその瞬間だけはなくなった気がした。
理屈じゃない感情がそれらを押さえ込んで、まるで開けた空から降ってきたみたいにただ真っ直ぐに放たれた。
「俺な、お前のこと、好きやわ」
その先のことなんて考えていなかった。
言ってからどうしようなんて、まるで。
口をついて出てしまった言葉は返ることなどなく、ただ目の前の大倉の濡れた瞳をゆっくりと何度か瞬きさせるだけ。
丸山は内心言ってしまったなぁと思ったけれど、何故かあまり動揺はしていなかった。
「・・・ずっとな、好きやってん」
手持ち無沙汰気味にグラスを持ってちびりと口をつけた。
何かしらの反応は返して欲しいと思ったし、それが拒絶だったならばやはり正直きついだろう。たとえ村上から貰った勇気を持ってしても。
でも唇からぽろりとこぼれ落ちたようなその言葉は、今まで辛く苦しい気持ちと共に迷路に押し込まれてきた反動なのか、妙な開放感を伴ってふわふわとそこにあった。
言った後悔というのは確かに、言わなかった後悔に比べれば自分を解放できる選択なのかもしれない。
きっと代わりに相手にその分の負担を強いるものではあるだろうけれども。
そんなことを思って苦笑交じりで目の前の大倉を見つめれば、その顔は依然として目を瞬かせながら、それでも妙に強い視線でもって真っ直ぐに丸山を見ていた。
「マル、・・・」
「うん?」
「もっかい」
「え?」
「もっかい、言ってみて」
「・・・なんで?」
「ええから」
言われるとしたら、その「好き」の意味を問う言葉か、もしくはそこにすら至らない疑問の言葉かと思っていた。
けれど大倉は少しの戸惑いこそ確かに表情に浮かべながらも、まるで丸山が今言った言葉を確かめるような調子で言うのだ。
「もっかい言って」
改めて言えと言われるとやはり恥ずかしいし、いたたまれない。
その上ここがどこかというのをいまさらに意識し始めてしまっている。
丸山は伏せ目がちに視線を落とすと、先ほどより少し強張った小さく呟いた。
「・・・ずっと、好きやった」
「俺のこと?」
「そうやって・・・言うたやん。なんでそない繰り返させんのー・・・」
ああもしかしたらこんな会話、周りの誰かに聞かれているかもしれないのに。
予想しえない大倉の反応に、ようやく言ってしまった言葉の重大性を突きつけられている気がした。
その真意が読めず丸山はそわそわと落ち着かない様子を見せ始める。
けれどそんな様を見て大倉は笑った。
「そっか。・・・そっか」
「お、大倉・・・?」
「そっか・・・」
少し赤くなった頬を緩めて、まるで子供みたいにふにゃりと笑ってみせた。
さっき潤んでいた目がやんわりと撓む。
でもその代わりみたいにその長い指先が小さく震えたように見えて、はたとそちらを見ると、震えを押さえ込むようにその指が丸山の右手をぎゅっと掴んだ。
何かを引き止めるように強い力が込められたそれ。
「もう・・・見捨てられたかな、て思ってた」
「え・・・?」
「俺はあの人のことで何かあると、いっつもお前に頼って、お前に逃げて、甘やかして貰ってたやんか」
「・・・そ、やったっけ」
「そうやで。マルやったら大丈夫、マルやったら聞いてくれる、マルやったら笑って許してくれる、・・・て。そう思っててん」
「あー・・・そっかぁ・・・」
そして丸山とてそんなポジションにいられればいいと思っていた。
そうやって力になれれば、支えになれれば。
それ以上は無理だとわかっていたからこそ。
怖くて言えなかったからこそ。
心の中ではどれだけの願いを秘めようとも、傍目には笑って受け入れてきた。
そんな自分をせめて受け入れて欲しかったから。
「・・・村上くんに言われた」
「村上くん・・・?」
「自分のしたことで自分が泣くんは勝手やけど、・・・あいつに泣きつくんは止めろ、って」
丸山は右手を掴まれたまま思わず目を見開く。
そんな話は初めて聞いた。
それはあの日、村上が大倉を帰したあの時に言ったのだろうか。
「お前が泣くと、その分泣けなくなる奴がおるって。・・・名前は言わんかったけど、お前のことやんな」
「それ、は・・・・・・や、よう、わからん、けど・・・」
何と返したらいいのかわからなかった。
確かに会話の流れからしてそうだろうけれども。
まさか村上がそんなことを言っていたとは思わなかった。
あの時はそんなこと全く言っていなかったのに。
握られた手に力が込められてそっと息を飲む。
振りほどこうとは思わないけれど、それはなんだか妙に熱く感じられてただ胸が騒いで仕方がない。
そんなことをしなくても自分は逃げたりしないのに。
そんなことする気もないのに。
「俺、あの人に無理やり気持ち伝えて、そら辛かったけど、なんとかけじめつけられて。
・・・でもその代わりな、もうあかんかも、って、思ってん」
「その、代わり、って・・・?」
「自分のわがまま通した代わりに・・・お前は俺から離れていってしまうんかな、って・・・」
「なに、言うてん・・・。そんなん、あるわけないやんか・・・」
離れられるものならばとっくにそうしてた。
離れたくなかったから言い出せない想いを抱えて傍にいた。
違う人間を一途に思うその傍に。
想いを言わずに飲み込んで一生迷路を彷徨うことになるかもしれないとすら思った。
もう嫌だもう出たい傷つきたくないとそう叫びながらも、それでも想い続けた。
臆病で弱い自分すらも飛び越えていってしまうくらいに理屈抜きで溢れ出た想いは、それ程に強かった。
そしてそんな想いを包み込むように、いっそ逃がさぬようにと力強く手を握る大倉は、未だ潤んだ目をして笑った。
「なぁ、なぁ、マル・・・?」
「ん・・・?」
「俺のこと、好き?」
「な、えっ、とー・・・」
「好きって言えや」
「・・・今さっき、言うたやんか」
「もっかい」
「もっかいて、せやから、さっきも言うたー・・・」
「好きって、言えや」
「・・・・・・もう、なんなん、お前はぁ」
どないしよ。
丸山は別の意味で困りきっていた。
拒絶されたらどうしよう、反応が怖い、と頭の奥でそう思いながらもここまで来たはずだったのに。
今は別の意味でその反応が怖い。
いや、怖いというよりか、それ以上聞いたらなんだか変な期待をしてしまいそうで。
・・・ありえない、そんな期待を。
しかしそんな一方で丸山は思い出してもいた。
今大倉が言ったような、そんな台詞を確かに少し前にも聞いた。
大倉が叶わぬ想いに打ちのめされて携帯越しに弱弱しく呟いていた。
でもその時の状況は今とはあまりにも違う。
丸山は何故今そんなことを思い出してしまうのか少し不思議だったけれど、自分の手を掴んだ手がさらに力を込めるから伏せ目がちにぽつんと呟く。
「・・・好き・・・やって」
なんだかもういっそいじめのようだ、とため息をつきたい気持ちで思った矢先。
大倉がやんわりと呟いた台詞にハッとして顔を上げた。
「勘違いや、なかったな」
「え?・・・それ、」
「勘違いやと思ってたけど。ちゃうねんな。ほんまやねんな」
「・・・・・・大倉、あかんて」
「なにが?」
「なんでそんなん、いま、言うねん、なぁ・・・」
もうわかったから。
もう聞いてくれただけで、拒絶しないでいてくれただけで十分だから。
聞いてもなお自分に笑いかけてくれただけで、それだけでいいから。
もう期待を持たせるようなことをしないで欲しかった。
だって同じ台詞を、たとえ今と違ってひどく弱弱しかったとしても、あの携帯越しに呟いた時は言ったではないか。
お前を好きになればよかった、と。
つまりはそれだけあの人のことが好きだと、それは自分ではないのだと。
そしてその想いに泣いて傷ついたくせに。
なんで今そんなことを自分に言うのか。
丸山は混乱する気持ちを持て余しながら緩く頭を振る。
「もうな、ええねん・・・ええから・・・聞いてくれただけで・・・」
「・・・ほんまに?」
「ええって・・・やって、そんなん・・・」
「ほんまに、ええんか?」
なんでそんなことを訊くんだろう。
他ならないお前が。
そんな真っ直ぐに自分を見つめて。
さっきまでは潤んでいた程のそれで。
何とか想いを伝えられたら、と思ってここに来た。
村上から沢山の言葉と気持ちと勇気を貰ったからなんとか来れた。
理屈抜きでないこの感情が溢れて仕方なかったからなんとか言えた。
でもその先なんて考えていなかった。
伝えるところまでしかその図を思い描いてはいなかった。
そこに期待を持つなんてことできるはずもなかったからだ。
「やって俺は、ちゃうやん・・・」
「ちゃう?」
「そういうんと、ちゃうやろ?」
「ちゃうんかな」
「ちゃうって。ちゃうわぁ。なに言うてんねん大倉・・・」
「なんでお前に言われなあかんの、そんなん」
「やって、・・・やってお前は、」
「・・・俺は?」
ああ、なんだか泣きたくなる。
拒絶されたでもないのに、いまさらこんな気持ちになるなんて。
その想い人が自分ではないことなんていまさらなのに。
いまさらそんなことを感じるなんて馬鹿みたいだ。
「お前は・・・・・・ゆう、さん・・・が、・・・」
「・・・うん」
「せやから、なぁ、もう、ええて・・・」
「・・・うん。横山くんのこと、好きやで。ずっと好きやったし」
「なぁ・・・そうやんなぁ・・・」
「でもな、・・・聞いて」
泣きそうに顔を歪める丸山の顔を、大倉もまた泣き笑いのような表情で見つめる。
傍目から見たら二人とも本当にみっともない、男前台無しの顔だっただろう。
「でも、俺はお前に、ここおって欲しいねん・・・」
少しだけ躊躇いがちなその言葉。
丸山は一度だけパチンと目を瞬かせて、俯くと小声で頷いた。
「・・・それは、・・・おん、ええよ」
「ほんまに?」
「・・・うん、ほんまに。お前の傍な、これからも、おるよ」
「うん・・・」
「なんやー、いまさらやん、なー?・・・あたりまえやんかー。なー・・・」
『それがたとえあの人の代わりだとしても』
その言葉はぐっと飲み込んで口を引き結ぶとこくんと頷く。
けれど大倉はそれに少し不満げな顔で、そのまま立ち上がってしまう。
丸山の右手を掴んだまま。
だから丸山も自然と引っ張られるような形で立ち上がるしかない。
「ちょ、大倉?なにー?」
「・・・出るで」
「ちょおー・・・なんなん・・・」
会計の時でさえも右手は掴まれたまま。
振り払おうとしても何を言っても、大倉はむっつりと黙り込んで離してはくれなかった。
仕切りで区切られていたさっきの小部屋とは違って今は何人かの店員がそこに控えている。
大の男がやはり大の男の手を繋いだままだなんて一体どう思われていることやら。
丸山はとてもいたたまれない気持ちで俯いていたから、大倉の表情すらもうよく見えなかった。
自分は今さっき何か間違えたことを言ってしまっただろうか?
そんな風に内心グルグルと考えていると、支払いが終わったのかそのまま店の外に連れ出された。
アルコールや店内の熱気で火照っていた頬が外気にさらされて思わず身を竦ませる。
冷たい風に一瞬目を瞑って、ゆっくり開けると大倉がこちらを向いていた。
手は未だ握られたまま。
その顔をぼんやりと見て丸山は小首を傾げる。
あとは何が不満なのだろう、この男は。
自分はお前の望むように、そう頷いたはずなのに。
「大倉ー?」
「・・・ん」
「なに不機嫌なん?お前はぁ」
「お前、さ・・・」
「んー?」
「ほんま、・・・なんちゅーか、あれやん」
「あれ?」
大倉にしては濁したような物言い。
掴まれたままの手がうっすら汗ばんできたのを気にしながら、そのままゆっくりと距離を詰めて覗き込んでみる。
そうしたら待ちかねたように、逆の手で軽く頭を叩かれた。
「った、・・・ちょー、なんなん。なんで俺叩かれんの?」
「・・・お前のそれは性格なん?それとも俺のせい?」
形は疑問系だけれども、それは丸山に訊いているというよりか、ただの呟きに近かった。
実際それは大倉にとって自分なりの確認作業みたいなものだ。
好きだと、確かにそう言われた。
けれどそれ以上を正直に言えというのはこの、気持ちを押し殺すことに慣れすぎてしまった男には無理なのだと、大倉は今改めて確認した。
そしてそんな丸山をどうしようもないと思うと同時、なんだかとても大事に思えた。
思えばずっと一緒にいたのに。
それはいまさらに・・・いまさらだけれども。
『頼りたいだけなら、もう解放したれ』
いっそ冷たい程の調子でそう言った、あの普段人懐こく笑う彼の言葉。
それは大倉が自分で思う以上に胸に突き刺さったのだ。
解放?
それは手放せということか?
そんなことはできないと、したくないと、反射的に思った。
今大倉の胸の中にある気持ちはきっとそこに繋がっている。
「俺なぁ」
「うん?」
「横山くんのこと好きやったけど」
「・・・うん」
「すぐ気持ちを切り替えるんとか無理やと思うけど」
「んー・・・そらそうやんなぁ・・・」
「その前提で、訊くで」
「ん・・・?」
ふっと息を吐き出して大倉は夜空を仰ぐ。
丸山もまたそれにつられるようにして仰いだ。
今日の空は少しだけ曇っていて、月はおぼろげにしか見えない。
思えば大倉を好きになってからよくこうして空を見上げた。
そこから誰かが手を差し伸べてくれて、大丈夫だと言ってくれて、この秘めた願いを叶えてくれたりしたらいいのに。
そんな夢みたいなことばかり考えていた。
でもそんなことはあるわけもなくて。
今目の前にあるこんな雲に半分隠されたような空では余計にそうで。
それでも今、丸山の元に声が届いた。
空からではなく。
自分の手を掴んだ方から。
「お前のこと、好きになっても、ええ?」
丸山はゆっくりとそちらを見た。
この手を掴んだその手の熱さが本物ならば、その言葉も本物なのだろう。
何か言わなくては。
でも言葉が出てこなかった。
口が何度か開いては閉じて、結局何も出て行かなかった。
何故だか笑ってしまった。
結局何も言えなくてヘラリと笑うだけだった。
笑いながら何度も何度も、壊れたおもちゃみたいに頷くことしかできなかった。
そんなことばかりを繰り返していたら、目の前の顔がふっと苦笑したみたいにやんわり緩んで。
熱い手がゆっくり離される。
そしてその手は代わりに丸山の顔に伸びてきて。
その長い指先で、笑いながらも徐々に濡れていくその頬を拭うように触れた。
「マル、めっちゃぶさいくなってる」
「あー・・・もー・・・たつよしのあほー」
「なんでやねん」
「たつよしのせいでぶさいくなるわぁ」
「なんや俺のせいにすんなや」
「・・・ハンカチ貸してや」
「えーないわそんなん」
「ほんならシャツ貸して」
「シャツー?胸貸せってこと?汚れるやんか」
「・・・信五さんは貸してくれたのになぁ」
「なにこいつむかつく・・・・・・ほら」
「あ、お前今日のこれおニューやろ。初めて見るわぁ・・・・・・んー」
「とか言いつつ容赦なく拭くなやお前最悪やな!」
「あはは、汚れてもーた」
「笑い事ちゃうわ」
ぐしゃぐしゃになったそのシャツを見て笑う。
曇った夜空はもう見なかった。
またたまに見上げることもあるかもしれないけれど。
たぶん、もうあまりしないと思う。
願いを叶えるのは神様じゃないんだと、わかったから。
END
大変長らくお待たせいたしましたー!
というわけでようやく完結です。長かったなぁ・・・。
今回書いて今更ですがマルちゃんを書くことの難しさにぶち当たりしました。ほんとあの子むずいわ。
そもそもこの話の根底の設定である、マルちゃん→大倉、ていうの自体が難しかったとも言えますけど(根本過ぎる)。
・・・えーそして例のやたらとおいしかったツッコミの人とか片思いされてた白い人に関しては、その内番外編で(やっぱり)。
あの人たち本編に突っ込むと危うく持ってかれてしまいそうな恐れがね。恐ろしいね。
ひとまずお付き合いありがとうございました。
(2006.4.14)
BACK