最後はその手で










「ヒナー?おるー?」

最近少し風邪気味でいがいがする喉を持てあましつつ開けた楽屋の扉。
けれどそこはシンと静まりかえっていて、ヒナどころか他のメンバーの姿も見あたらなかった。

「おらんのか・・・」

一通り部屋を見回してから、しょうがなしに踵を返そうとしたところで
奥の方、恐らくはソファーの向こう辺りから呻くような声が聞こえてはたとする。

「ぅ・・・んんー・・・?」
「え、ダレ?誰かおるん?」
「なんやねん・・・誰ぇ・・・」

寝ぼけ眼なのか掠れて若干不機嫌そうに響く声に何だかドキリとしつつ
どうしようかと思って一瞬すぐに踵を返そうかと思ったけれど。

「ん・・・ヨコー・・・?」

少し体勢を変えたのか、ソファーの影にかくれた顔をちょこんとこちらに出すもんだから。
俺はしょうがなしにそろりとソファーの正面に回り込む。
すばるはその小柄な身体を床の上に起こし、片膝を立てた状態で目を擦っていた。
その上には薄いブランケットがかかっている。
休憩時間に入って速攻どこかに消えたと思っていたら、こんなとこで寝ていたとは。
しかもソファーの上じゃなくて下にいるもんだから全然気付かなかった。

「おー、ヨコ・・・おはよ」
「おはよ・・・。おまえなんでこないなとこで寝とるん。
寝るんならソファーの上で寝りゃええのに」
「あー・・・?あー・・・。最初は上で寝とってんけどな・・・」
「落っこちたん?」
「たぶんな・・・。なんや、坂道から転がる夢見た気ぃする」
「そん時や」
「そん時やな」

未だ眠気が頭の半分くらいを占めてるような様子で、すばるは頭をがりがりとかく。
そのせいで折角スタイリストさんが綺麗にセットしてくれた頭がぼさぼさになってしまった。
撮影再開前にまた直すとはいえ無頓着な奴だ。

「ふわあぁ〜・・・よう寝た」

大きな欠伸を一つして、全身で伸びをする。
小柄な身体にその大仰な仕草はなんだかすばるらしいと思う。
ひとしきり伸びをしてみせると、だるそうに首を回しながら俺を見上げてきた。

「休憩、あとどんくらい?」
「んー・・・と、15分てとこかな」
「なんやまだ寝れるやん。起こすなや」
「・・・別に起こしたわけちゃうわ。俺はヒナを探しにきただけやもん」

だいたいお前が寝とるなんて知らんかったし。
全然見えへんかったし。
・・・咄嗟に引き返そうとしたんやし。

「はぁ?ヒナ?あいつならさっきヤスたちとメシ食い行く言うてたで」
「なんや・・・そうなんか。いや、知らんかったから俺、探しにきて・・・」
「ふぅん・・・」
「そんで・・・」
「・・・」
「・・・まぁ、おらんなら、ええわ。邪魔したな」

何気なく降りた沈黙が痛い。

こいつとはもう随分と長い付き合いになるが
二人きりだと未だたまに何を話していいのか判らなくなる時がある。
別に苦手というわけじゃないし、嫌いだなんてことはもちろんない。
大事な仲間で同志で友達だ。
ただどうしてもお互い探ってしまうような所があって。
お互い相手に対して完全に無防備になれないのは確かだ。
恐らくこれは理屈じゃないんだと、何とはなしに思う。

指先で無造作に自分の唇に触れる。
最近風邪気味で少し荒れて乾いてしまったそれが指の腹を僅かに刺激した。

「ほんまヒナのやつ・・・休憩時間になーとか言うてたくせに・・・」

思わずいたたまれなくなって
一人どうでもいいようなことを呟きながら、さりげなくゆっくりと踵を返そうとする。
けれどそれはまたもや叶わなかった。

「ちょお、待てや」
「・・・なんや」

仕方なしにちらりと視線だけをそちらにやると
すばるは何だか先ほどよりも更に不機嫌さを増した様子で
横のソファーに凭れかかってこちらを見ていた。
その大きな瞳は強い意志を持って俺を射抜くように見る。

ああ、まただ。その視線。

自分でもその「また」が一体いつのことを指しているのか実際にはよく判らなかったけれど。
いつからか感じていた。
いつからかそれを向けられると無意識に逃げたくなるようになっていた。
実際俺は毎回逃げていたと思う。
違う誰かに視線を移すという方法でもって。
そしてこいつだってそんな俺を追うようなことは決してしなかった。
そんな興味だってこいつにはないと思っていた。
だから俺と同様違う誰かにその視線を移していたはずだ。
それなのに。

「なんややないやろ」
「せやから、なんやねん」
「またヒナか」
「ヒナがなんやねんな」
「・・・」
「おい、すばる?」
「・・・なんやねん」
「そら俺が訊いとんねん。なんやのおまえ」
「なんもないわ」
「あるから呼び止めたんやろが」
「知るか」
「だー、おいっ」

こいつの行動原理はさっぱり判らない。
付き合いの長さがイコール理解に繋がるとは限らないというのを実感させられる。
思わず目をそらしたくなる程似ているところがあったかと思えば、嫌になる程判らないところもある。
似たもの同士で、同時に永遠に解り合えない他人。
俺はすばるをそんな風に捉えていた。

「おまえなんなん。さっぱりわからんわ」
「・・・お前がヒナヒナうっさいのがあかんねん」
「はぁ?せやからヒナがなんやねんな。
だいたいそんなん言うたらおまえかて普段からヒナヒナ言うてるやろっ」
「お前のが言うてるわ!」
「おまえやって!」
「ヨコや!」
「すばるやって!」

俺たちは一体何の言い争いをしているのか。
それすらも判らない。
もしも今話題の渦中にあるヒナがここにいたとして。
いつも通りに俺たちの間に入って・・・けれど俺たちの間にある正体すら判らない、
このもやもやした何かを解決出来るかと言えば、決してそんなことはないだろう。
俺たちが今こんな風に言い合っているのはお互いのことに他ならないのだから。
いつも無意識の内に直接向き合うことを避けてきた俺たち。

「・・・も、ええわ、おまえわからんもん」
「なんやそれ」
「ええし。・・・おれ、もう行く。ヒナ探さんと、」
「なんで逃げんねん」
「なんやねん・・・しらん。そんなんおまえかて・・・、」

言うべきではないと思って一瞬躊躇い口を噤むと、その隙間を捕まえるようにすばるが立ち上がる。
立ったとしても未だ俺の方が身長は随分と勝っているというのに。
体格だって俺の方が全然あるというのに。
どうして俺は今こいつから逃げられない?

すばるは強い口調で、けれど戸惑ったような表情で俺を見上げてくる。

「わからん、なんて。俺かて一緒やねん。俺かてお前のこと判らんわ」
「せやろ・・・。俺らは、そうやねん」
「お前が見るからや」
「は?」
「お前が俺のこと散々見るからやろっ。うざいねんっ」
「な、なんやねんなそのいちゃもんはっ。自意識過剰も大概にせぇよおまえ!」
「うっさいわ。ほんまやねんからしゃあないやろっ!
ちらちら見たかと思えばすぐ逃げよるしやなぁ・・・」
「そんなん・・・そんなん言うたらおまえかてそうやろっ。
おまえの方が見とったやろが!何度も何度も!なんやねんなっ・・・」

何故かなんて知らない。
何故かなんて判らない。
お前のことも、自分の気持ちも。
判らないから逃げ続けてきたのに。
それなのに。

「・・・気になるから、見とってん」

なぁ、なんでやの?すばる。
今更なんで、そんな声で、そんな目で、俺に言うねん。

「理由なんてわからんわ。
でもな、むかつくくらい、嫌んなるくらい、どうしようもないくらい、気になんねんもん」
「そんなん・・・おれ・・・」
「ようわからんから、怖いやん。俺、怖いん嫌やったし・・・」
「俺かて・・・」

そうだ。判らないものは怖い。
それは同じなんだ、俺たちは。
だから互いに逃げ続けてきたはずなのに。

でも、今になって。
お前だけが、逃げることを止めてしまったんだ。

「せやけど、怖いけど、・・・もうあかんなって思ってん」
「すば、る・・・?」
「もう限界。なんやわからんけど・・・わからんけど、このまんまやと・・・きつなってきた」

一瞬伏せられた目。
それを単純に勿体ないと思う自分がここにいる。
その大きな瞳はいつだってキラキラと輝いて、常に前だけを見据えて、
高見だけを目指して、強くて、けれど脆くもあって。
その瞳が好きだった。
いや、憧れと言った方が正しかった。
強烈な憧れ。
ある意味では似たもの同士の、けれど俺にはないそれがひどく羨ましかった。

「怖いけど、逃げとる方がもっと怖なってきてん。
このまんまやとあかんって、このまんまやとなんや大事なことまで逃がしてまう気がして・・・」

憧れ続けた瞳が、ふっとこちらを見た。
本能的に思う。


ああ、もう逃げられない。


「ヨコ」

なんでや。
わからんわからんて、怖い怖いて。
おんなじように言うたくせに。
それなのに。

「ヨコ、・・・・・・触らせて」
「ん、な・・・っ」

不意な言葉に一瞬身体が硬直して。
ワンテンポ遅れてから身を引こうとしたけれどままならなかった。
その手が俺の胸ぐらを掴んで強く引いた。
俺は咄嗟のことに抵抗できず、ふらりとそちらにつんのめりそうになって何とか踏ん張った。
けれど近づいたその距離は、今までの俺たちにはなかったもので。

「すば・・る」

こくんと小さく唾を飲み込み、何とか声を絞り出す。
けれどそれは随分と掠れてしまっていた。
すばるはまるで中まで見通すようにじっと俺を見上げ、胸ぐらを掴んだとのとは逆の手をゆっくりと伸ばしてくる。

「すば、」

その繊細で細い指先が、唇に触れた。

その瞬間沸き上がった感情の波。
それこそ俺が、俺たちが、今までずっと互いを意識しながらも避けて逃げ続けてきたものの正体だった。
まるで沸騰した血が体内を巡っていくような。
それがこの身を内側からじりじりと焦がしていくような。

「唇、乾いとるな」

指が辿るそれは乾いて、荒れて。
それを潤せるものを確かに欲している。
たとえば今目の前にある、薄くて少し血色が悪い唇、とか・・・。

「きみたか」

俺を潤せるであろうそれが、何だか珍しい声音をさせる。
少し優しい言い方で、滅多に呼ばない呼び方で。

「な、俺もうちょっとで判りそうやねん・・・」

もうちょっとで。
もうちょっとで?

俺は一度だけ瞬きをして、もう一度目の前のすばるを見た。
変わらない。その姿はさっきとなんら変わらないのに。
変わってしまったのは俺だけか?

もうちょっとで判る?
なんでやの。
なんで俺だけ先にわかってもうたん。
そんなんずるいやんか。
ずるいわ・・・。

「・・・おまえは、ずるい」
「え?」
「ずるいねん」
「ちょ、待てヨコっ!」

俺は一気に身を翻して扉に走る。
この身長差から来るリーチの差だけは、今僅かに俺を助けてくれたように思う。
扉に手をかけて半分だけ開けたところでもう一度だけ振り返った。

「すばる、俺は判ってもうた」
「ヨコ・・・?」
「せやから、」

その先は続かなかった。
一瞬が躊躇われて。
素早く部屋を出て廊下を走った俺の耳には
俺の名を呼ぶすばるの声が、一度だけ聞こえた気がした。

判ってしまった。
あの指先が俺の唇に僅か触れた瞬間に。
判ってみればなんてことはない。
けれど俺たちの関係の中ではそんなもの想像しようもなかった。
似たもの同士で、でも決して解り合うことは出来なくて。
嫌と言うほど意識する、それでも互いに近づけない。
常に一定の距離を置いて、その間でただ交差する視線。



「お、ヨコ!ごめんな、探しとったんやって?」
「ヒナ・・・」
「・・・ヨコ?どないした?」

スタジオに戻る途中でようやく現れた村上。
俺の様子がおかしいとでも思ったのか、軽く眉根を寄せて心配げに覗き込んでくる。

もう全部遅い。遅い。
もしもお前があの楽屋にいてくれたなら、なんて。
もう考えたってしょうがない。考えることはしない。
だって後悔はしていないから。
ただ持てあましているだけ。

今にも溢れ出てしまいそうな、この恋情を。

「先に気付いた方が、負けやねんな」
「え?」

不思議そうな村上に小さく笑いかけた。
それには僅かの自嘲が籠もっていた。

俺だけが先に気付いてしまった。
だからまた逃げた。
でもほんとはもう判ってる。
逃げたって、どうせ逃げ切れはしないんだって。
先に気付いた時点で俺の負けなんだって。
判ってるから。


『最後はせめて、お前がその手で捕まえて』


さっき言い損ねた言葉は、胸の奥に燻る火と共に小さく揺らめいたような気がした。










END






初すばよこ。・・・の割にくっついてもいませんが。
この二人は書きたくて書きたくてしょうがなかったんですけど、どうにも難しいんですよね。
関係性が複雑で深くてなかなか表しづらいというか。
そもそもすばる兄さんが難しいわ・・・。
でも色々掘り下げていくのは楽しいのでまた色々書いていきたいカプでもありますね。
とりあえず今回は触りという感じでしょうか。
あーまた書く。絶対書く。
(2005.4.4)






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