Instinctual Love










村上は近所でも評判の夫だった。
明るくて社交的で優しくて笑顔が人懐こくて、頼りになって仕事も出来て家事も率先して手伝う。
たまの休みの日のサービスも欠かさない上に、加えて大層な愛妻家。
周りからしてみれば文句の付けようもない程に完璧な、まさに理想的な夫であった。
ただ当の妻であるところの侯隆には、一つだけどうしても声を大にして言いたいことがあった。
それだけは切に直して欲しいと・・・むしろ「直せボケ!」といつもいつも言っていることなのだが。
そしてそれが夏場になると冬場に輪をかけて酷くなるのが侯隆にはどうにも我慢できなかった。

それはある日の晩。
夕飯を食べ終わって一息ついていた時のこと。
一人ぼけっとテレビを観ていた侯隆の背後から聞こえてきた、何だかとても機嫌良さげな声。
当然村上のものだ。
そして夫が今さっきまで何をしに行っていたのかを知っていた侯隆は、またか・・・と顔を顰めて恐る恐る振り返る。
するとそこには予想通り。
首にタオルを一枚かけただけで、生まれたままの姿を惜しげもなく晒しつつ冷蔵庫を開けている村上の姿があった。

「なー侯隆、確かポカリ買うてへんかったっけ?」
「それなら上の段の奥の方に・・・・・・っておい待てこら」
「あーあったあった。やっぱ風呂上がりはポカリやね」
「おまえそのまんま出てくんなって何遍言うたらわかんねん!」
「んー?やってなぁ、暑いやん?」

ポカリを手に無頓着に振り返った村上に、侯隆はそれはそれは嫌そうに顔を顰めて軽く目を逸らす。
もう丸見えなんてものではなかった。
まさに、生まれたままの姿。
上から下までまさにザッツ村上信五、といった様相だった。

「うーわ、も、なに?おまえなに?ワイセツ物や。ワイセツや」
「猥褻物てなんやねん。失礼な」
「あほ黙れ。おまえの存在が失礼やわ。俺に謝れ今すぐに」
「なんで存在否定されて更に謝らなあかんの」
「・・・てかほんまきっしょい。はよなんか着ろっちゅーねん!」
「あかんかー?結構最近鍛えとるから見れると思ったんやけどなぁ〜」
「そういう問題とちゃうやろ。ちゃうわ全然」
「ちゃうかー」
「明らかにちゃうわ。ほんまにこいつワイセツ物や。ヘンタイや」

確かに村上の言う通り、その身体は鍛られたせいか随分と引き締まったものになっていた。
昔から元々の身体の作りも頑丈に出来ている村上は
すばるなどには「コイツの身体原始人や」と言われていたくらいなのだ。
それが更なるジム通いを経てますます磨きがかかったと言ってよかった。
確かにそれは侯隆も認めるところなのだけれども。
けれども・・・侯隆はだからこそ止めろと思っていたのだった。

「あー。・・・あー、も、イヤ。イヤやおれ。もーいや」
「はい?今度はどしたん?」
「今度もクソもあらへんわ。全部はおまえのせいやねん。おまえさえどーにかなれば俺は幸せやねん」
「今が不幸みたいな言いぐさやん。そない嫌がらんでも。さすがにちょっと傷つくし」
「いいや。心の傷なら負けへんで」
「どんな勝負よ」
「もーいや。やなモン見たない。きしょいもん。きしょいのいや」
「きしょいきしょい言うなや」
「やって、も・・・ほんま・・・」

思わず侯隆はチラリとそちらをまた見てしまった。
そしてやっぱり後悔した。
風呂上がりのせいで未だ水が微かに滴る身体。
それは妙にリアルな男っぽさみたいなものを否が応でも侯隆に突きつけてくるから、まともに見ていられない。

「・・・むり。ほんまむり。おれ、風呂入ってくる」
「ああ、うん。入ってき」
「ふろ、ふろー・・・」

侯隆はそそくさと風呂場に行った。
服をバサバサと脱いでカゴの中に放り込みながら小さく息を吐き出す。
別に今更裸を見たからと言って照れるような仲でもないし、ウブでもないのだけども・・・。

服を脱ぎ去って侯隆もまた生まれたままの姿になる。
洗面台の鏡に映った自分の姿をチラリと見る。
生白く、引き締まっているとは言い難い妙に女っぽい身体のラインは
侯隆にとって内心密かなコンプレックスであった。
それは自分一人だからこそこうして晒せる代物で。
侯隆は物心ついてからは親にだってまともに裸など見せたことはなかった。
それは恐らくこれからもそうだろう。
ただ一人を除いては。

湯船につかるとじんわりと熱が身体の奥に浸透してくるようで、ホッと息を吐き出した。
風呂は好きだった。
湯船に浸かりながらぼんやりしている時間が侯隆にとっては密かな楽しみで。
毎日結構な時間入っていることが多かった。
それに対して村上は基本的に烏の行水というか、浸かってもすぐに出てしまうから。
いつも風呂の順番は必然的に侯隆が後なのだった。


「あー・・・ええ湯やわぁ・・・」

ほわんと間延びした声がそれは気持ちよさ気に響く。
けれどそこに被さるようにして明るい声が聞こえてきて、侯隆は湯船に預けていた身体をハッと起こす。
曇りガラスの扉向こうに影が見えて思わず「げっ」と小さく声を上げた。
侯隆がそれに抗議の言葉を発するよりも前に村上は平然と扉を開けて風呂場に入ってくる。

「湯加減どうや?」
「お、ま・・・なに入ってきてんねん!」
「あんた風呂長いからなぁ」
「俺のシフクの時やねん邪魔すんな」
「そない長いこと入ってたら、俺やったら逆上せてまいそうやわ」
「ちゅーかまだそのまんまて、おまえなんのつもりやねん!・・・うーわまた見てもーた」
「や、風呂入る時は普通全裸やろ」

何だか楽しそうですらある口調。
村上はさっきと同じ姿で・・・正確に言えば既に首にかけていたタオルすらない状態だった。
何となく嫌な予感というかそれは最早確信でもあるのだが、侯隆は眉根を寄せて低く呟いた。

「・・・おれ、まだ入ってんねんけど。もうちょっと入ってるつもりやねんけど」
「おー、そうやと思った」
「思ってんなら・・・・・・こら、なんで入ってくんねん。ちょ、おいっ、狭いやんけっ」

侯隆が目を白黒させるのを後目に、村上はザブンと片足を湯船に突っ込んでから全身を沈めてくる。
ちょうど侯隆と向かい合うような体勢で膝を立てて座ると気持ちよさそうに大きく息を吐き出した。
そしてにこりと無邪気な笑顔を向けてくる。

「まぁまぁまぁ。たまにはええやん」
「なにがええねん。むちゃくちゃやコイツ。狭いっちゅーねん!」
「何とかなるて。意外と入れんでこれ」
「じゃーまーやっ。ワイセツ物でヘンタイで露出狂な上に邪魔やねん、おまえ」
「いやいやいや。ここでなら、猥褻物も露出狂もちゃうでしょ?」

悠々と湯船に身体を預けてふふ、と笑う様がどうにも余裕に満ちていて気に食わない。
侯隆は小さく舌打ちしてから、まるで意趣返しのように指で湯を弾いて村上の顔に浴びせかけた。
その唐突な攻撃に村上は思わず目を瞑る。

「っ、あつっ・・・」
「・・・ヘンタイがまだ残ってんで。ヘンタイ」

その何処か得意げな白い顔はほんのりと染まっていて。
湯を浴びせかけられた顔を手で拭いながら村上は呆れたように苦笑する。
再び濡れて張り付く長めの髪をかき上げた。

「アンタそない俺のこと変態にしたいんですか」
「したいんやなくて、おまえは既にヘンタイや」
「ちゃうよ」
「ちゃうことあらへん。今日こそはっきり言うで俺は」
「なんですのん」
「俺としては、むしろおまえにはよ真人間になってほしい」
「真人間て」
「はよ真の人間になってほしい」
「それやと意味が違ってくるやん」
「おまえ原始人やねん」
「原始人も人間やけどな」
「すばるもよう言うとったやん」
「ああ、身体のことね」
「思考も原始人や」
「それは初めて言われたわ」
「でなきゃこない狭い風呂とか一緒に入れへん、普通」

狭い狭い暑い鬱陶しい邪魔窮屈狭いほんまにどっか行け。

そう一息で言ってみせた侯隆は、本当に暑そうに頬をほんのり染めながら眉根を寄せる。
それを見て村上はふむ、と小さく考え込むような仕草を見せた。
ちゃぷん、と右手が湯船に浸かってじんわりと熱を浸透させていく。
確かに言われてみればあながち間違ってもいないかもしれない、と村上は心の中でこっそり頷いてみたりする。

この熱された湯に浸かり、熱を身体中に集めて、そして視線の先には自分をじっと見つめてくる妻がいる。
まるで熱に浮かされたみたいに、淡雪の頬を染め上げて。
いつだって傍にいないと・・・たとえ傍にいたってそれでもなお不満げに、寂しがりな唇をつんと尖らせて。

「・・・お前がなぁ、あかんねんなぁ」
「は?」
「俺、お前と結婚してよかったわ」

その前ではいつもの自慢の理性なんて簡単に突き崩されてしまう。
本能を晒け出すことをそう言うのなら、確かにあながち間違ってはいないな、と村上はもう一度納得した。
自分にもこんな本能が隠れていたのだと、そう思い知らせたただ一人の人間。

唐突なその台詞に、けれど侯隆は今更何をと胡乱気な顔をする。

「・・・なんやねんいきなり」
「ん、ちょお改めて思っただけ」
「風呂でか」
「風呂でな」
「・・・ふん。おまえみたいなんを世の中に野放しにしておけんからな」
「そんなんでええのん?」
「そんなんでええわ、もう」
「もう、ってね・・・」
「原始人は真人間のフリしたって、ずっとは生きてけへんのやで」

染まった、濡れた、しどけなく開いたその唇が、熱い息を吐き出しながらそう言った。

「・・・フリ、か」

呟く村上を視線だけで見やって。
侯隆はゆっくりと湯船に身体を屈めたかと思うとブクブクと鼻の下辺りまで沈む。
薄金茶の髪が濡れてしんなりと湯船に浮かんだ。
ユラユラと揺れるそれを眺めたら何だかまたじんわりと熱くなって、村上は思わず泳がせた指先に金のそれを絡めた。

「なら俺は、お前の傍でしか生きてけへんねんなぁ」

返ってくる言葉はない。
ただぽってりした唇が湯に立てるブクブクという音だけが風呂場に響く。
そのまま薄赤く染まった身体が狭い狭い湯の中を泳ぐようにして、ゆらりと村上の元に寄せられる。
村上にしか、しかもそれは普段ならベッドの上でしか見せない。
・・・本能が理性に勝る場所でしか見せてはくれない、その身体。

村上が本能を見せるのは自分の前だけだと判っているからこそ。

その時だけは、惜しげもなく真っ白いそれを晒してみせる。
そうして村上の目の前で、さば、と浮かび上がってくる身体。
切れ長の瞳がぼんやりと熱を込めたままに瞬いた。

『しんご』

それはもしかしたら単なる吐息だけだったのかもしれない。
それが風呂場に反響しただけだったかもしれない。
けれど確かに呼ばれたような気がして。
その唇がその三文字を象ったような気がして。
確かめるように、濡れてふやけたみたいに柔らかな唇にゆるりと触れたら。
そのまま当たり前みたいに瞼がすうっと閉じられた。

「・・・お前、熱いなぁ」

自らの言葉尻すらも飲み込むように唇を合わせた。
まるで赤い唇に食らいつくように。
そしてそれを当然のように受け止めて、緩く白い手が浅黒い首筋に廻った。

いっそ何もかも熱に浮かされて。
まるでケモノみたいに本能のまま、君を愛そう。










END






第六弾雛横ですよー。
今回は「一緒にお風呂」ですよー。
まぁ、いいじゃんほら、実際一緒に入ったって言うし・・・ね(だからずっと書きたかった)。
私的に村上さんは割と底が知れないとこがあるというか、結構判らない人だったりして。
そんなんをたまーにさらけ出すのは白い嫁はんの前だけだといいですね、という話です。
(2005.6.12)






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